Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

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正林寺(2015年2月7日参拝)

2015年03月17日 | 法然上人二十五霊跡
続きまして法然上人二十五霊跡の札所である正林寺に行く前に、
知る人ぞ知る紅葉の名所である清閑寺へ向かった。

清水寺近くの1号線を走りお寺の駐車場に到着。
しかしこんな場所にも関わらず月極ばかり。

参拝者の専用駐車場は無かったので泣く泣く回避。(泣)

帰宅から調べたら拝観予約をしておけば、
駐車場を確保してくれるとのこと。

行く前に調べておくべきだった。(^^;
皆さんも気を付けましょうね。

気を取り直して正林寺に到着。

駐車場はこちらも月極を経営されており、
とりあえず空いてるスペースがあったので停めさせていただいた。



所在地:京都市東山区渋谷通東大路東入3丁目上馬町553
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
開山:法然上人
開基:九条兼実
創建:建仁2年(1202)
札所:法然上人二十五霊跡


【縁起】
当地は昔、小松内大臣・平重盛公の別邸で、
四十八の灯籠を点して念仏行道された所処であったが、
平家没落の後、九条関白兼実公の山荘となった。

兼実公は月輪御殿造営の時、宗祖法然上人のためにこの地にお堂を建て、
上人を招き法談を聴き、ついに建仁2年(1202)剃髪出家された旧跡である。

法然上人は建久9年(1198)、兼実公の願いにより「選擇本願念佛集」を著述し、
鎮西聖光房にお渡しになる。
また元久2年(1205)上人が病になられた時、
兼実公は聖覚法印に命じて病の治癒を祈らせたと伝えられている。

しかし上人は弟子の住蓮房・安楽房の罪により流罪の身となり、
建永2年(1207)75歳の老齢でこの地から配所四国に出立されることとなる。

その後、応仁の兵乱によりこの地も廃絶していたが、
江戸時代の正徳年間(1711~1715)に知恩院の義山大和尚や、
その弟子の慧空和尚により再興されることとなる。

慧空和尚の熱意は月輪殿下の子孫である九条家を感動させ、
享保20年(1735)同家の河原御殿の一部をいただき本堂とした。
今の大師堂がこれである。
後、延享・宝暦年間にわたり阿弥陀堂・山門・鐘楼等が完成し洛東名伽藍の一つとなった。


【山門】


さすがに法然上人所縁のお寺だけあって、見事な門です。


【小松谷地蔵尊】



【弁財天】



【ゲート】


寺務所で御朱印をお願いすると、
本堂に参ってくださいと言われましたので、本堂へ向かう。

しかし、このゲートの向こうには保育園児がいて、
広場で先生と共に遊んでいる。

一瞬、え?ここに入ってもいいの?とたじろぐ。(^^;

変な事件が多いから、
今は保育園や学校に気軽に入れない時代になったもんなぁ。


どうやら幼稚園も経営しているようだ。

お寺の奥様に入ってもいいかと確認し、中へ入って行った。


【大師堂】


本堂にあたります。

手前の柵が開け難くて焦ってしまった。(^^;
この柵は保育園児が勝手に入らない為のようです。




思ってたより小さく簡素な内陣でした。

法然上人、九条兼実、聖光国師像が祀られており、
本堂なのに阿弥陀如来がいらっしゃいませんでした。

昔は本堂だったけど、御本尊が阿弥陀堂に移って今は大師堂になったのかな。


【阿弥陀堂】




遊具がなんとも朗らかというか、シュールというか。(^^;

残念ながら阿弥陀堂は開いていませんでした。
こちらに阿弥陀三尊像がいらっしゃるようです。



画像はネットで拾ったものです。


【鐘楼堂】



【御朱印】


絶対通ることのない場所にあるし、有名なお寺でもないから、
札所で無ければ訪れることが無かったであろうお寺。

でも、訪れて良かったと思います。

このような見知らぬ良い寺社はいっぱいあるんだろうね。
京都は本当に奥が深い。

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