Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

本願寺派名古屋別院(2015年3月27日参拝)

2015年05月02日 | 仏閣
七寺から歩いて5分ぐらいで西別院と呼ばれる本願寺のお寺へ。

この辺りも意外とお寺が多いんですよね。


所在地:愛知県名古屋市中区門前町1-23
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:明応年間(1492-1500)
開基:連淳上人


【沿革】
蓮如上人の13番目のお子様、蓮淳師が伊勢の国桑名郡長島杉江に創立された
「願証寺」を起源といたします。

桑名の長島というところは、木曽三川(木曽川・揖斐川・長良川)が交わり、
伊勢・尾張交通の要所であり、真宗繁昌の中心でありました。
70年ほど、この地で教化を行ってまいりましたが、第十一代顕如上人の時、
石山合戦(1570-1580)のあおりを受けて、織田信長からの攻撃を受け、
この地を離れることになりました。
これが世に言う「長島の一向一揆」といわれるものであります。

その後、豊臣秀吉の時代になりますと、尾張の国春日井郡清洲に願証寺を再興、
長島願証寺も桑名に移転し、桑名願証寺と称しました。

清洲の願証寺は以後通所、分院となります。
そして徳川時代になりますと尾張徳川の初代藩主・徳川義直の時代、
名古屋城築城とともに名古屋城下の南寺町、現在の門前町に移転し、
名古屋願証寺といたしました。

その後、桑名の願証寺が、真宗高派へ転派をした為、第十四代寂如上人の時、
正式に名古屋願証寺を本山の坊舎と定められ名古屋御坊と称するようになりました。

その後は尾張徳川第三代藩主・徳川綱誠の側室梅昌院の庇護を受けて、
1792(寛政4)年に、十七間四面の本堂を建立するに至りました。

その後、1876(明治9年)、名古屋御坊と称していたものを本願寺名古屋別院と改称し、
境内地も整備され全国でも有数の別院として発展してまいりました。
しかし、第二次世界大戦の末期、1945(昭和20)年5月17日に空襲に遭い、
鐘楼・南門を残し全ての建物が焼失いたしました。

その後、20年間仮本堂でなどで寺院の活動を行ってまいりましたが、
別院のご門徒はじめ、愛知県・三重県の寺院・門信徒の尊い懇念により、
昭和47(1972)年4月に現在の本堂が完成し今に至る。


【正門】



【葛飾北斎大達磨揮毫の地】


そうらしい。(^^;


【本堂】


別院にありがちな現代的な建物です。


【西別院幼稚園】


幼稚園を経営しているみたいですね。


【親鸞聖人像】



【本堂内陣】







【境内】


月極と時間貸しの駐車場があり、
実に殺風景な風景です。


【桜】





【鐘楼堂】




空襲で唯一残ったもの。

渋い、まさにいぶし銀といった鐘楼堂ですが、
車と駐車場が本当に残念で。。。


【南門】


この門を通って次の寺社に向かいます。

御朱印はございません。

参拝した時は知らなかったが、
さほど離れていない場所に東別院がある。

この伽藍が凄そうなんで、いつの日か訪れたいですね。