Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

寛永寺護国院(2014年12月7日参拝)

2015-01-16 | 仏閣
続きまして寛永寺三十六坊の一つ護国院へ。

狭い境内ですが、3台ぐらいは車は停めれますね。


所在地:東京都台東区上野公園10-18
宗派:天台宗
御本尊:釈迦如来
創建:寛永2年(1625)
開基:生順僧正
札所:谷中七福神、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場


【縁起】


護国院は天海の弟子生順が釈迦堂の別当寺として、
現在の東京国立博物館の右手奥に開創。

承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、
さらに宝永6年(1709)現在地に移った。

延宝8年・宝永6年の移転はそれぞれ四代将軍家綱霊廟、
五代将軍綱吉霊廟の建立にともなうものである。

また昭和2年、第二東京市立中学校(現、都立上野高校)建設にともない、
本堂を現在の位置に移した。
現存する本堂は釈迦堂とも呼ばれ享保7年(1722)3月の再建。


【山門】



【楽堂】



【本堂】


御朱印をお願いすると本堂に上げていただいた。






中央の須弥壇に御本尊釈迦三尊像が祀られていました。




大黒天像は三代将軍家光から贈られたものと伝えられているそうです。




ピンボケ失礼。(苦笑)

千手観音、不動明王等の諸仏も祀られていました。


【御朱印】

浄名院(2014年12月7日参拝)

2015-01-15 | 仏閣
寛永寺から徒歩1分の隣にあるのが寛永寺36坊の一つの浄名院。

へちま寺という通称があるらしい。


所在地:東京都台東区上野桜木2-6-4
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛文6年 (1666)
開山:圭海大僧都
札所:江戸六地蔵



【縁起】


昔は高重院、其後寛文6年(1667)圭海大僧都開基東叡山36坊の浄円院と称す。
寺領200石を賜い五代将軍綱吉公の母宝樹院菩提所となり寛海和尚は善養院に転住さる。

寛文12年当山第1世妙立和尚安楽律の新法門を唱導。
之に対し山徒頻に誹謗せしが、妙立門下霊空和尚出で師説を顕揚す。

当時日本仏法の大王輪王寺宮の大御心を動かし奉るに到り、
遂に享保8年御令旨に依り安楽一派を興立し、当山は浄名律院も改称し建立さる。

又一山一ヶ寺の制を設けて比叡山に安楽律院、東叡山に当山、
日光山に興雲律院の三院県立本山とし、徳川幕府の本宗棹尾の偉観を呈す。

大明院宮、崇保院宮、隋宜楽院宮、御三代法親王の御崇敬を仰ぐ。

殊に崇保院宮は地蔵信仰深く自ら尊像を画き、
江戸府内寺院に賜り毎月24日の縁日はそれより始まる。

当山38世妙運和尚自他の人を合わせ、八万四千の石地蔵尊を建立し、
上は仏祖の供恩に酬い、下澆末の衆生を救わんとして発願さるや、
直に北白川宮能久親王殿下の十数体奉納あり。

徳川、小松、一条、近衛、毛利等各家の奉納に倣い、各界の人之に続き建立今日に到る。
境内には明治初年神仏分離に際し、江戸六地蔵六番(永代寺、富丘八幡宮の別当寺)は廃寺となり、
地蔵尊も破壊され、以来当寺に江戸六地蔵第六番として再造された。


【山門】



【本堂】




まずは本堂でお参り。

近代的な本堂ですね。


【伏見稲荷大明神】



【総本尊堂】





【へちま地蔵尊】


毎年15夜の日にへちま供養が行われ賑わうそうです。


【めぐみ地蔵】



【地蔵尊】




江戸六地蔵第六番のお地蔵様になります。


【八万四千体地蔵】








余りにも凄い数の地蔵尊があると親しみより畏怖を感じました。


【地蔵尊】


六地蔵巡りの第三番地蔵尊になります。


【大黒天】



【磨崖仏】


刻まれているのはやはりお地蔵様ですね。


【御朱印】


御朱印は書置きが5種類ありました。

The大人買い。(笑)

寛永寺(2014年12月7日参拝)

2015-01-14 | 仏閣
上野公園をチャリンコでひた走り寛永寺の根本中堂を目指す。

レンタサイクルをして本当に良かった。
絶対歩けまへん。(笑)



所在地:東京都台東区上野桜木一丁目14番11号
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:寛永2年(1625)
開基:徳川家光


【歴史】
徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願する為、
江戸城の鬼門にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。

これは平安の昔、桓武天皇の帰依を受けた伝教大師最澄上人が開いた比叡山延暦寺が、
京都御所の鬼門に位置し、朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならったものです。

寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用することを勅許され、寛永寺と命名されました。

やがて第三代の寛永寺の山主には、後水尾天皇の第三皇子守澄法親王を戴き、
以来歴代山主を皇室から迎えることになりました。

そして朝廷より山主に対して輪王寺宮の称号が下賜され、
輪王寺宮は東叡山寛永寺のみならず、比叡山延暦寺、
日光山万願寺(現輪王寺)の山主を兼任、三山管領宮といわれ東叡山に在住した。

その後、寛永4年(1627)には法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵、東照宮などが、
寛永8年(1631)には清水観音堂、五重塔などが建立されたが、
幕末の戊辰戦争では境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、
官軍の放った火によって、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰してしまいました。

さらに明治政府によって境内地は没収されるなど、寛永寺は壊滅的な打撃を受けたのです。
しかし明治十二年(1879)ようやく寛永寺の復興が認められ、
現在地(旧子院大慈院跡)に川越喜多院より本地堂を移築、
山内本地堂の用材も加えて根本中堂として再建されました。

また明治十八年(1885)には輪王寺門跡の門室号が下賜され、
天台宗の高僧を輪王寺門跡門主として寛永寺に迎え再出発したのでした。


【旧因州池田屋敷表門】






寛永寺に行く途中で見つけた門。

重厚なる見事な門でした。


【御堂】


墓地と寛永寺根本中堂の間にある場所にあった御堂。
こちらは非公開でした。


【徳川綱吉霊廟勅額門】






重要文化財に相応しい見事な門でした。




徳川将軍家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定と篤姫の墓所となっています。

基本的に非公開ですが、
秋に数日抽選に当選すれば参拝出来るそうです。


【山門】


勅額門を堪能し寛永寺に到着。


【境内】


思ってた以上に狭い境内で、大きな伽藍は根本中堂のみ。

もっと大きな伽藍が沢山あると思ってたよ。
それでも境内の雰囲気はいい。


【根本中堂】






堂内は参拝は無料ですが、
撮影禁止でしたので画像はオフィシャルから拝借したもの。

見ての通り、素晴らしい堂内でした。
伝教大師最澄上人の御自刻とされる薬師瑠璃光如来像は秘仏でしたが。


【イチョウ】



【書院】


幕末に十五代将軍徳川慶喜公が謹慎蟄居なされた葵の間があるそうです。

こちらも秋に徳川綱吉霊廟勅額門見学の際に見れるとか。


【鐘楼堂】



【了翁禅師像】





【尾形乾山墓碑・乾山深省蹟】





【慈海僧正墓】





【鬼瓦】







【地蔵尊】





【御朱印】


かなり達筆です。


関西でも知られる寛永寺。
その根本中堂の内陣は非常に良かったです。

輪王寺門跡(2014年12月7日参拝)

2015-01-13 | 仏閣
本日のメインである寛永寺に向かって上野駅へ。

上野公園に入ってすぐに輪王寺門跡というお寺に到着。
東京、というより関東に門跡寺院があるとは知りませんでした。


所在地:東京都台東区上野公園14-5
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:正保元年(1644)


【歴史】
輪王寺はもと寛永寺の伽藍の一部で、開山堂または慈眼堂と称されていた。

江戸時代前期の承応3年(1654)後水尾天皇第3皇子の守澄法親王が、
寛永寺の第3代貫主となり日光山主を兼任した。
翌年の明暦元年(1655)には天台座主を兼ねることとなった。

同年、日光山の満願寺は後水尾上皇の院宣により輪王寺と改称し、
守澄法親王が住持となった。
守澄法親王は天台座主、寛永寺貫首、日光山主の「三山管領宮」となり
「輪王寺宮」または「輪王寺門跡」と呼ばれた。

以後、幕末まで皇族が関東に下向し輪王寺宮となった。

戊辰戦争の後、15世輪王寺宮の公現法親王は還俗となり輪王寺宮は廃絶された。

寛永寺の開山・天海は寛永20年(1640)に死去し、翌正保元年(1644)、
現・輪王寺の地に天海を祀る開山堂が建てられた。

天海が崇敬する良源を併せ祀ったことから両大師と呼ばれるようになった。


【寛永寺旧本坊表門】


重要文化財。

慶応4年(1868)の上野戦争の為、ことごとく焼失し、
表門のみ焼失を免れ、この門はその焼け残ったもの。


【輪王殿】



【山門】



【境内】


いい雰囲気です。


【阿弥陀堂】




左から地蔵菩薩、阿弥陀如来、虚空蔵菩薩という珍しい組み合わせ。

脇侍というには不釣り合いな大きさでもあるので、
後世になって寄せ集められたのかな。


【本堂】


本堂は撮影禁止でした。

どんな内陣だったのか忘れてしまった。(^^;
だから撮影出来ていれば良いのに。


【境内】



【鐘楼堂】



【御車返しの桜】


京都には御車返しの桜というのがありますが、
こちらにもあるんですね。

どんな高貴な方が牛車を引き返して桜を見返したのでしょう。


【寝釈迦石】



【井戸】


写っているのは決してオーブでは無い。(笑)




【法華塔】





【地蔵尊】



【御朱印】

秋葉神社(2014年12月7日参拝)

2015-01-12 | 神社


秋葉神社に向かって走っていると東京スカイツリーが見えた。

この道は凄いよな。

しばらくすると秋葉神社に到着。


所在地:東京都台東区松が谷三丁目10番7号
主祭神:火産霊大神、水波能売神、埴山毘売神
創建:明治3年(1870)
社格:郷社


【由緒】


当初の名は鎮火社といい、明治2年(1869)暮れの大火を受け、
明治天皇の勅命により明治3年(1870)に現在のJR秋葉原駅構内の地に、
火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を祀神として
勧請したのが始まりである。

江戸時代の江戸の街は度々大火災が発生した事から、
神仏混淆の秋葉大権現が火防の神として広く信仰を集めていた。

鎮火社はいつしか秋葉社となり、明治21年(1888)日本鉄道が建設していた、
現在の東北本線が現在の上野駅から秋葉原駅まで延長され、
秋葉の原の土地が払い下げられたのに伴って現在地に移転した。

その後、明治5年(1930)に秋葉神社と改名された。


【鳥居】



【拝殿】







【狛犬】



【御朱印】