Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

本要寺(2013年2月11日参拝)

2013-03-27 | 仏閣

所在地:大阪府大阪市中央区中寺1-3-8
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:文禄2年(1593)
開山:真蔵院日就上人



【歴史】
名古屋市常英山本要寺第4世、同市中村区定徳寺第2世を歴任した
真蔵院日就上人によって文禄2年(1593)に創建された寺院であり、
この開山日就上人は豊臣秀吉の叔父であると伝えられている。

宝暦、安永、安政の大阪大火の折に類焼に遇い、
そのつど復興するも昭和20年(1945)3月の大阪大空襲により焼滅、
境内地と墓石を残すのみとなった。

戦後、大阪市都市復興計画のため境内地が縮小することとなったが、
昭和33年に大東市本妙寺第56世、純応院日賢上人を当山に招聘し、
僅か3年にして本堂の再建するなど復興を手掛け、今日の寺観の基を整えた。 


【山門】


残念ながら門は閉じられておりました。


【境内】



【釈迦堂】




画像はネットで拾ったものですが、
金ピカで眩しいですね。


【本堂堂内】




画像はネットで拾ったものです。


【胎内仏】


日蓮聖人座像の左胸辺りに胎内仏が安置され、
毎年一回お会式法要の時のみ開帳されるそうです。



こちらのお寺は上方漫才の父と呼ばれている秋田実の墓所であります。

御朱印はありますが今回は入れませんでしたので、
いただくことは出来ませんでした。

妙壽寺(2013年2月11日参拝)

2013-03-26 | 仏閣
福泉寺の隣にあるのが妙寿寺というお寺。


所在地:大阪府大阪市中央区中寺1-1-43
宗派:日蓮宗
御本尊:文字曼荼羅
創建:不明


【山門】


田中金峰墓所の石碑が建っていたので調べてみました。


【田中金峰】
儒学者であり医師でもあった田中華城の子として弘化元(1844)年に生まれた田中金峰。
自身も15歳の若さで医学寮を開き医者として診療にあたったという驚きの才人。

医学と儒学を教え恵まれない人たちのために漢方の施薬院も設立して無料で治療を行いました。
詩人としても世間の評価は高く華城とともに「大阪繁昌詩」などを執筆して、
幕末維新期の大阪の名所や風俗の様子を表現。
しかし、才能を惜しまれつつも18歳の若さで夭折。


【本堂】






堂内の写真はネットで拾ったものです。


【鬼子母神堂】





こちらも檀家寺ですので、
ピンポンを押す気にもなれず。

恐らく御朱印は無いと思われます。

福泉寺(2013年2月11日参拝)

2013-03-26 | 仏閣
法性寺の隣は福泉寺という法華宗のお寺です。

赤穂四十七士のひとりである堀部弥兵衛親子の墓があるという。

一般の墓にあるのでスルーしちゃいましたが。(^^;


所在地:大阪市中央区中寺1丁目1-36
宗派:法華宗真門流
御本尊:日蓮聖人像
創建:文禄4年(1595)
開山: 慈眼院日銀上人



【山門】



【本堂】





【日蓮聖人像】



こちらは完全に檀家寺ですね。

御朱印ありますか?とピンポンを押す気にもならず、
御朱印の有無は不明です。

法性寺(2013年2月11日参拝)

2013-03-25 | 仏閣
雲雷寺の前にあるのが同じく日蓮宗の法性寺。

この中寺の周辺には日蓮宗と法華宗のお寺が10以上あると、
お寺の奥様にお聞きしました。

駐車場は2台ほど停めれますが、
この中寺では各寺が警察にお願いをして路上駐車が認められています。

何故なら檀家が来た時に駐車場が無くて困るからです。

へー、
警察って融通が利くんですね。(苦笑)


所在地:大阪府大阪市中央区中寺1-1-32
宗派:日蓮宗
御本尊:文字曼荼羅、三宝尊
創建:慶長3年(1598)
開山:真如院日信上人


【歴史】
家康の娘・亀姫が奥平氏に嫁ぎ、その間にできた子の松平忠明は秀吉が京都において、
洛中の寺院を東京極に集中して都市の境目に寺町を作った故智に習い、
将来における大坂の発展を予測して大坂中の寺院を
後の都市計画をする上での街の終わりと思われるところに寺を集中して建てさせました。

東は天王寺一帯の寺町であり北は天満の北の寺町です。
すなわち市中及び接近村落の諸寺院を小橋村と東西高津村及び天満村の三箇所に集めたのです。
ただ一向宗の末寺については市中随所に存在することを許し、
市民と同じく公私の諸役を負担させました。

法性寺も大坂市中のどこかにあったのが冬夏2度の大きな戦いで無茶苦茶に破壊され、
忠明の政策により元和の初め現在の地に移築されたものと思われます。

大阪の寺町は豊臣秀吉が作ったと思っている人が多いですが、
秀吉が作ったのは京都の寺町で大阪の寺町を作ったのは松平忠明(徳川家康の外孫)です。


明治の頃、法性寺の檀家である薩摩藩出入御用商人薩摩屋半兵衛は、
鳥羽伏見の合戦の折には薩摩藩の軍費の全てを薩摩屋の手で調えたといい、
維新当時の志士で薩摩屋の世話にならざるもの無しというほどでした。

そのような関係から新撰組に付け狙われた坂本竜馬が法性寺に身を隠したり、
蘭医ボードウィンが寓居として法性寺に逗留していました。

明治27年薩摩屋の外護を受け本堂が再建され隆盛を極めていましたが、
昭和20年3月13日年の大阪大空襲で灰燼と化し戦後の復興がなされ今日に至っています。


【アントニウス・フランシスカス・ボードウィン】
1862年、先に日本の出島に滞在していた弟の働きかけにより、江戸幕府の招きを受けて来日。
ポンペの後任として長崎養生所の教頭となる。

その間、東京、大阪、長崎で蘭医学を広め、また養生所の基礎科学教育の充実に努める。

そして幕府に医学・理学学校の建設を呼びかけ1866年に教頭を離任、
その準備のために緒方惟準ら留学生を伴って帰国したが、
この話は明治維新で白紙に戻った為、1867年に再来日し明治政府に同内容の呼びかけを行う。
大阪仮学校、大阪陸軍病院に務め、大学東校で教鞭をとった。


【仁王門】


以前は仁王門が無く仁王像のみという珍しいものでしたが、
平成17年に建立されたもの。


【仁王像】



【山門】


昭和27年、第三十二世正妙院日耀上人が中寺町・妙徳寺の通用門であった
小門を譲り受けて復興されたのが現在の山門です。


【庫裏・客殿】


こちらで御朱印をいただきました。

御住職に書いていただいている間、
いろいろ奥様とお話しをさせていただきました。

楽しかったです。


【大黒堂】


昭和60年から3年間、不用品バザー「大黒さんのガラクタ市」を開き、
その浄財で平成元年建立されました。
「塵も積もれば山となる」小さなお堂ですが血の滲むようなお堂です。


【箒小僧】



【鐘楼堂】



【浄行堂】



【本堂】






御住職と奥様が凄くいい人でね。

いろいろお話をさせていただいて帰る時になって、
御住職から本堂に上がってよ、と嬉しいお声をいただきましたので、
本堂を案内していただきました。

去年の11月に出来たばかりの本堂。

本堂を建てるにあたり最大の寄進者は御住職の800万円だという。

無論、檀家からいただいたお布施ではなく生命保険の長年積立が満期になって、
その年金を受け取って使ったそうだ。

綺麗な本堂には天井画や龍図が天井を彩り、
御本尊の他、三十番神と右大臣・左大臣の二神も加えた32体の仏像が祀られていました。

堂内の写真はネットで拾ったものです。


【天井画】


色とりどりの花を描いた「花丸」は144枚。

全て山本住職が自ら下絵を描き檀家12人が2か月かけて色付けしたものだそうで、
本当に嬉しく天井画についてお話をされていたので、
その出来栄えにご自身も満足され自慢の天井画となっているようです。

この写真はネットで拾ったものです。


また、龍図の目は南無妙法蓮華経を書いて目を描いているとか。


【釈迦堂】


平成10年開闢400年の記念事業として1丈6尺のお釈迦様とそのお堂を建立。

本堂を見た後に黄金に輝く大きなお釈迦様を拝見させていただきました。

これも外からだと見ることが出来なかったので本当に嬉しかったです。


【御朱印】


御住職に書いていただきました。

朝から荒行をして身体が冷えたからお酒を飲んで少し酔っぱらってるから、
字も踊ってるよと笑いながら仰ってましたけど、
なんのなんの、立派な御首題です。

この御首題を見ると書き手側も大変だと改めて思う。

そりゃ妙法と書きたくなりますよね。(^^;

観光寺院だと絶対に対応無理ですよ。


なので御朱印代は気前良く1000円支払いました。

お釣りが無かったってのもあるけど、
接待していただいたし御夫婦の人柄も良かったので。

要は気持ちですよ。

1円も払いたくないと思うような書き手もいれば、
1000円でも支払いたくなるような書き手もいる。

人ってやっぱり気持ちが大事だと改めて思いました。

雲雷寺(2013年2月11日参拝)

2013-03-24 | 仏閣
本日は大阪の某店で酒を買いに行った後、
ちょっと時間があったので中寺周辺のお寺を散策。

この辺りもお寺が非常に多いんですよね。

そのほとんどが観光寺院じゃないので、
訪れる機会が少ないですが。



所在地:大阪府大阪市中央区中寺1-4-4
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:天正年間(1573~91年)
開山:日宝上人


【由緒】
雲雷房・日宝上人が両替商加嶋屋作兵衛とともに一宇を建立したのが始まりです。

その後、安土桃山時代の慶長3年(1598年)に豊臣秀吉公の政策によって、
現在の地に移転しました。

昭和20年(1945年)の大阪大空襲により山門を除いた境内のすべてが焼失。
同時に大切に受け継がれてきた多くの品々も失われてしまいました。

しかし人々の南無妙法蓮華経の声は創建以来、
決して途絶えることなく法灯の明かりとともに今日まで護り継がれています。


【山門】


山門の横から境内に入り車を停めることが出来ます。


【本堂】


昭和32年(1957)に再建されたものですが、
教会を思わせる外観は当時、物凄く賛否両論があったんではないでしょうか。

私も初めて見ましたが違和感を感じました。


本堂の頂上には鐘楼が吊るされています。

しかし、月日は確実に流れ外観は傷んできており、
修復の浄財を募集されていました。

檀家さん頑張れ。(^^;


【堂内】




内陣の御本尊がイエスキリストでステンドグラスがあったら、
完全に教会と思わせる堂内です。

堂内に置かれている宗門新報や本を見ていると、
この寺の本山は2日前に参拝したばかりの京都の本満寺ということが分かった。

同じ苗字ということで恐らく雲雷寺の御住職の父が本満寺の貫首だと思われます。


【鐘楼堂】


平成16年に新しく造られたものだそうです。


【庭園】





【御朱印】


1000円札しか無くて上人に手渡すとそのまま受け取られた。

お釣りは?と言うのもセコイと思ったので、
有難うございました、と言って立ち去りましたよ。

微力ながらどうぞ本堂の修復にお使いください。(^^;

それにこの見事な御首題は1000円を支払う価値がありますから。