Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

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高野山金輪塔、浪切不動尊、徳川家霊台(2011年5月2日参拝)

2011-05-17 | 高野山
女人堂と徳川霊台に向かう途中、
浪切不動尊の前に渋い塔がある。

塔の御本尊が金輪仏頂尊であるため金輪塔と呼ばれ、
天保5年(1834)に再建されたものだそうです。

残念ながら再建されてから余り年月が経っていない為、
重文などに指定されていませんがこの塔は本当にいいです。

造りの素晴らしさやフォルムは名塔と言っても過言ではないと思います。

それにしてもこんな素晴らしい塔がポツンと寂しく建っているのが悲しい。







【浪切不動尊】




近畿三十六不動尊霊場第36番札所。


【本堂】




御本尊は弘法大師作の浪切不動明王。

こちらには天井に龍の絵が描かれていて、
龍の目の下に立って拍手をすると鳴くそうです。

行った時は知らなかったので拍手打ってない私の無知が歯がゆい。(泣)


【仏舎利塔】




昭和63年に南院本堂の西隣にスリランカのジャワルダナヤ大統領から贈られた
仏舎利を奉納する仏舎利塔が建立されました。
これはスリランカ出身のシロガマ・ヴィマーラ大僧正が
南院で修行をしたご縁によるものです。


【御朱印】



【徳川家霊台】


寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立。
一重宝形造りの建物が二つ並んでおり、
向かって右が東照宮家康公霊舎、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。


【東照宮家康公霊舎】







【台徳院秀忠公霊舎】







【御朱印】


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高野山金剛三味院、普賢院(2011年5月2日参拝)

2011-05-16 | 高野山
金剛三昧院は尼将軍北条政子が、夫の源頼朝と息子実朝の菩提を弔う為に建立。

高野山真言宗別格本山で御本尊は愛染明王(仏師・運慶の作)


仏塔古寺十八尊第11番霊場。
西国愛染十七霊場第17番霊場。


高野山の中でも金剛三味院は楽しみにしてました。
それは国宝の多宝塔が見れるからです。





【表門】


実に渋い造りですね。

門の中にある鐘楼は重要文化財指定されているもので、
1207~1210年の銘が書かれていることから、
現存する鐘楼では16番目に古いものと言われています。


【本堂】


入場料は取られませんでした。

まずは本堂で参拝。

賽銭箱を見てみると本堂などの修理代として300円お納めくださいと書かれていた。

後で見た徳川家霊台が正直大したことないのに200円拝観料が必要なら、
こちらは拝観料300円を取ればいいと思う。


【経蔵】


建立は貞応2(1223)年頃で建築様式が奈良にある東大寺正倉院などと同じ
校倉造りをしており鎌倉時代初期の校倉造りの建立物としては現存状態が非常によく、
重要文化財に指定されています。

内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が500枚以上収められています。



【六本杉】


別名毘張杉と呼ばれるのは金剛三味院の守り神である毘張尊師と呼ばれる天狗様が、
この杉の木に舞い降りてきたことに由来しています。
樹齢400年とも言われる杉の大木です。


【多宝塔】




国宝。

運慶作と伝えられる重要文化財に指定されている
秘仏五智如来像が安置されています。

建立は貞応2(1223)年で高野山で現在残っている最も古い建立物。
また多宝塔としても滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものです。

見る人によっては古びた塔にしか見えないと思うが、
分かる人が見れば優美かついぶし銀な渋さを感じ取れると思います。


【御朱印】


今回は御本尊の愛染明王の御朱印をいただきました。



金剛三味院は高野山のメインストリートから外れた静かな場所にあるし、
境内の雰囲気が結構寂れた感があります。

ですがHPを見ると宿坊の方丈や庭、部屋などはいい感じだし、
今回残念ながら見ることが叶わなかった御本尊様など、
私が見たのは一部に過ぎない。


もちろん国宝の多宝塔は良かったです。
高野山に来てこの塔を見ないで帰るのは損しますよ。


次回、高野山に来た時はこの多宝塔と共に、
御本尊様のお顔を拝見したいものである。



金剛三味院を後にし徳川家霊台や女人堂へ向かう途中、
立派な門構えの山門を目にする。




時間があんまり無かったけど、
これは行っておかないと!ということで寄り道。


【普賢院】
始まりは紀伊續風土記によると大治年間(1126~1131)に覚王親王が
高野山に登られた折、念持仏の普賢菩薩を力乗上人に与え、
上人が院を開いたとされています。

普賢院の御本尊が覚法法親王から頂戴した普賢菩薩なので、
当初は普賢王院と称しました。

この普賢菩薩は弘法大師の十大弟子の一人華厳寺道雄の作で、
弘法大師が点眼されたとされる。




玄関から本堂へ。




御本尊の普賢菩薩。




御本尊のほかにも仏様が祀られていました。


【芭蕉堂】


松尾芭蕉像が祀られていました。

松尾芭蕉と何か縁があるのかな?と調べてみると
主君良忠の遺髪を菩提寺である報恩院に納め冥福を祈る為に、
松尾芭蕉は高野山を3度訪れたとされたそうです。

その後に報恩院は明治維新を迎えて普賢院と合併されました。


【魔尼殿】


新しいと思われる魔尼殿に金剛菩薩が祀られていました。


【御朱印】



こちらに寄り道して正解でした。


宿坊も当然あるようで宿坊に泊まりたくなった今日この頃。
まだ敷居が高いというか気後れしているんだけどね。
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高野山高室院、三宝院・高祖院、大圓院、西門院(2011年5月2日参拝)

2011-05-15 | 高野山
【高室院】
村上天皇の御血統を引かれる房海僧正により創建。
寺宝として行基菩薩真作本尊薬師如来(重文)、
弘法大師筆大威徳明王影・高野結界啓白文・十二天屏風、
同御作帆揚不動尊(重文)を蔵する。







玄関から入らせていただくと綺麗な襖がお出迎え。








廊下を進むと本堂がありますので本堂で拝ませていただきました。




【御朱印】


高室院は前庭がとても綺麗に整備され、
中に入っても清潔でいつかはこちらの宿坊で泊まりたいと思いました。

御本尊様も素晴らしいのでお薦め致します。



【三宝院・高祖院】

・三宝院の縁起は弘法大師が奥之院に御人定遊ばされた承和年間であり、
御母公が大師を慕われ高野山のふもと九度山の慈尊院に住み
一宇を建立されたのがその始まりである。
御母公の寂後、三宝院をこの高野山にもちあげ奥之院にほど近い
蓮花谷に在って今日に至る。
 当院の建物は霊山高野の中でも古く、
元禄8年(1695)の建造物で格式のある古刹であり、
又当院は古くより新潟新発田家溝口公・福島二本松家丹羽公の
菩提所として著名であり両大名様の巨大なお位牌が祀られている。


・高祖院の縁起は元応年間、円雅月寿坊の開創により
本院高祖弘法大師を本尊とするが故に高祖院という。
山内でも古刹で格式高く古来より光明皇后のお舎利を祀り、
光明眞言法大護摩供を修している。











【玄関】



【庭園】




美しい庭園。
紅葉の季節なら格別だろう。


【御朱印】



こちらの宿坊も綺麗だし若いお坊さんも親切。
泊まったわけじゃないけど感覚でお薦めできます。(笑)



【大圓院】






延喜年間(901~923)聖宝理源大師により開創。


【本堂】


私が本堂に入るとお坊さんが全ての蝋燭をつけてくださり、
とても幻想的な雰囲気でした。

本堂から離れるのが惜しくて結構長居していましたね。


【御朱印】


豪快な筆捌きですね。



【西門院】
高野山別格本山西門院は延久年間(900年余前)に教懐上人が
高野山に開基され創建当時は釈迦院と称せられました。
鎌倉時代には後鳥羽帝の皇子道守法印が当院に閑居された縁故で、
後堀川帝の皇后西中御門院の篤い崇信をうけられ、
西門院と改称されて今日に至っています。




竜宮門です。






表玄関も雰囲気あります。


【御朱印】


流れるような筆捌きは見事です。


ただ、本堂に行って御本尊拝ませていただけませんか?と聞くと、
本堂には入れないですと断られたので西門院は二度と行きません。
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高野山成福院摩尼宝塔、苅萱堂(2011年5月2日参拝)

2011-05-15 | 高野山
金剛峯寺から奥の院の方向へ行くと成福院があります。
ビルマで亡くなった戦没者のために建てられた摩尼宝塔が目立ちます。







【釈迦如来】




当時のビルマ、現ミャンマーから贈られたそうです。








塔の中には戦争の際に使用されたモノや仏画、彫刻など展示されていました。


【電飾】


真ん中の小さい仏様の光背で電飾でピカピカ光っております。
こんな仏様は見たことありません。(笑)

これは胡散臭く感じるから止めた方がいいと思うけどなぁ。


【戒壇めぐり】




戒壇めぐりというのは本尊の下の内陣の地下に作られた
真っ暗な通路を巡り真ん中あたりにある仏様にお願いをすると
願いが叶う、或いは仏縁を結ぶというものです。

このような手すりの付いた通路をあるくと仏様に出会えます。



朝護孫子寺の戒壇めぐりは本当に真っ暗で距離も長いので
結構怖かった記憶がありますが、
こちらのは距離が短いので全然怖くなかったです。


【御朱印】


若いお坊さんに頼んだら左上の朱印だけ押して返却された時はビックリした。(^^;



【苅萱堂】


父苅萱道心と母千里姫、その子石童丸の親子の悲劇の物語を絵で紹介する堂。
中にある厄除親子地蔵尊は道心と石童丸の合作の地蔵と伝えられる。










【御朱印】
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高野山壇上伽藍(2011年5月2日参拝)

2011-05-14 | 高野山
金剛峰寺参拝後、いよいよ聖地の高野山壇上伽藍へ。


今回は金堂から左回りでいろいろ巡ってみました。


【金堂】






新しい建築物ではあるがかなり良い出来であるので、
あと数百年も経つと渋い味が出てくるでしょうね。
当然私は生きてませんが。(苦笑)


【六角経蔵】


鳥羽法皇の皇后であった美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔う為、
紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。

こちらも新しい建築物でした。


【山王院】








山王院は御社の拝殿で山王院とは地主の神を山王として礼拝する場所の意味。
現在の建物は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財となっています。

実に渋いです。
ここは凄く落ち着く場所です。


【御社】


弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、
高野山の鎮守とされました。
社殿は三つあり、一宮は丹生明神、二宮は高野明神、
三宮は十二王子・百二十伴神が祀られています。

現在の社殿は文禄3年(1594年)の再建で重要文化財に指定されています。


【西塔】






仁和2年(886年)に建立。
現在の塔は天保5年(1834年)に再建された擬宝珠高欄付多宝塔で、
高さは27.27メートル。


素晴らしい。
なんという存在感。

根来寺の大塔も凄かったけど、
この西塔を目の前にすると別格と感じる。

宗教的意義を別にすると個人的にはベストスポットかも知れない。


【鐘楼】



【孔雀堂】


昭和元年(1926年)金堂より出火した大火によって焼失しましたが、
昭和58年(1983年)には弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業として再建。

御本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定され、
現在は霊宝館に収められています。


【准胝堂】


御本尊の准胝観音は弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として
自ら造立されたと伝えられています。


【御影堂】


お大師さまの持仏堂として建立されましたが、
後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し御影堂と名付けられました。


【大塔】






多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、
御本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏が取り囲み、
北側に安置されている二体の仏様はもともと中門に安置されていたもので、
火災から奇跡的に免れて多聞天と持国天で江戸時代の作といわれています。


でかいです。
昭和12年に再建されたもので朱色が目立つだけに、
建築物としては個人的に好みではないのですが、
中に入ってみると仏様の数々は素晴らしかったです。

写真撮影禁止なのが残念ですね。


【大塔の鐘・高野四郎】


現在の銅鐘は天文16年(1547年)に完成したもの。
直径2.12メートルの大鐘で日本で四番目に大きな鐘であったことから
高野四郎と呼ばれるようになりました。


【愛染堂】


建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、
玉体安穏を祈るために建立されました。
御本尊は愛染明王で後醍醐天皇の御等身といわれています。


【大会堂】


鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王というお方が、
父帝の追福のため建立されました。

現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂で、
御本尊は阿弥陀如来が奉安され脇侍として観世音菩薩、勢至菩薩が
ともに祀られています。


【三昧堂】






済高座主(870年~942年)が延長7年(929年)に建立されたお堂で、
もともと総持院境内に存在していました。
済高師はこのお堂で「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、
三昧堂と呼ばれるようになりました。

後に壇上伽藍へ移されるのですが、
修造にかかわったのが西行法師だと伝えられています。

三昧堂の前の桜は西行法師手植えの桜として西行桜と呼ばれています。
伝説にはこのお堂を修造した記念に植えられたそうです。
現在の建物は文化13年(1816年)の再建です。


【不動堂】




国宝。

建久8年(1197年)鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王というお方が発願され、
行勝上人によって建立。


【東塔】




大治2年(1127年)白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建。
当初は上皇等身の尊勝仏頂尊が本尊として奉安され、
不動明王、降三世明王の二体も脇侍として祀られていました。

天保14年(1843年)に焼失してからしばらくの間再建されず、
140年たった昭和59年(1984年)にようやく再建されました。


【御朱印】



見所満載の壇上伽藍でした。
さすがスーパースター空海の聖地ですね。

三昧堂や山王院、大会堂は建築物として素晴らしいものでしたが、
西塔の素晴らしさは群を抜いている。

日本全国のお寺の多宝塔は当然ながら全部見ていませんが、
恐らく、いや間違いなくNo.1かと。
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