へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

ラスト萩は、まさかの珍事で...

2018-05-05 05:39:23 | 旅とランニング



 写真の瑠璃光寺に涙なみだのゴールのハズが...最後は笑いをとって終わってしまいました(^_^)


 ゴールデンウィーク後半の昨日、第30回萩往還マラニック大会が幕を閉じた。
平成の元号と共に始まったこの大会、来年の今頃には新しい元号に変わり、平成という時代が終わる。それと同様に来年の今頃は、もうこの大会は無い。

 思えば、この大会には第10回から毎年お世話になっている🎵

 当時の会長・故小野幹夫氏は、農業のかたわら、ランナーの育成目指して地元山口を走るコースを選定、第5回大会から当時は国内最長となる250kmの部を設立された。

 長州弁の小野節で始まる説明会、エイエイオー🎵の掛け声で瑠璃光寺をスタートし、沿道の関係者や周辺住民に見守られ、新緑の山口市内を駆け抜けて自転車道に出る🎵

 後は真っ暗闇でカエルの大合唱を聞き、翌日は日本海側の海の青さに感動する(^ー^)❤




 写真の立石観音でチェックを済ませ、そこから先はコース最高高度の千畳敷へ🎵ここでちょうど、250kmの半分の125km🎵

 車が1足のギアで上るほどの急坂を今度は下る。コレが本当に脚にくる❗

 平地に着く頃にはヘロヘロになって、もう、スピードも出ない(^_^)

 やがて2日目の夜が来て、猛烈な睡魔に襲われる。175km地点の宗頭に着くのは、私の中でもその年によって差があり、一番早く着いたのは、午後8時🎵着く直前までは周りも薄明かるかった(^_^)

 平均して夜10時から12時前後🎵お風呂と食事、わずかな仮眠でリ・スタート🎵


 最終日の明け方のコースは、なぜか私にとって、一番好きなコース🎵オバケの出そうな三見駅から玉江駅を肝試しのようにして一人で行く🎵

 玉江に着く頃には夜も空けて、腹を透かして虎ケ先を目指す🎵

 そこから先は、コースを逆にしてやって来る他の部の参加者とエールを交わし、緑の往還道を抜けて坂を一気に下ってビクトリーロードを多くの声援と共に駆け抜け、ゴールテープを切る🎵

 わが20年の歴史を振り返り、坂を下ってビクトリーロードに出る前に既に目元は涙で潤っているコトだろう...この30回大会は...


 違うコトと言えば、故人となってしまった前会長の小野節が聞けなくなったコト、そして近年、ある外国人が千畳敷に行く途中の赤鳥居が続く神社と日本海をバックにSNSに投稿したのをきっかけに、一車線分しか無い道路に観光バスが通り、我々が通行するのもままならなくなったコト、そして限りなく私の走る速度が落ちたコト...(^_^)



【基本なくして応用なし】
 この大会には、故・小野会長を通じて、あるいは山口の自然を通じて、いや、大会そのものから幾多のコトを学ばせていただいた。

 私自身の"成長"過程において、なくてはならない大会だった。

 「基本なくして応用なし」

 今回のラスト大会で痛いくらいにその言葉の意味を教えられた。


 自衛隊を定年前に辞め、フィットネスを正業とするようになると、皮肉にも走る時間が少なくなった。それでも毎日、運動してるから、よし🎵としてたが、しょせん、走る筋肉は走るコトでしか鍛えられない。

 今回は、2日目の朝から、既に両脚のサイドラインと脚の付け根が痛かった。

 カラダのメンテナンスの知識もついたので、休憩地点で靴を脱いで、足全体をマッサージしたいのだが、少ない練習量とあいまって、昨年の日本縦断で身に付いた旅ラン🎵モードのスイッチが大会モードに切り替わらない。

 旅ランモードは平均キロ10分から11分、萩往還はキロ11分ちょっとで制限時間の48時間をクリアするようになっている。

 つまり、最初からキロ11分で行っていたら、仮眠はおろか、休憩時間すら無い❗というコトになる。


 さすがに算数が苦手で残り時間の計算が出来ない私でも、その辺の計算はできた。

 2日目の朝にして早くも赤信号点滅・・・


 そんな中、ゴールで迎えてくれるMさんが、油谷中学校にボラで居た(^ー^)❤

 この時、既に関門の40分前...朝ごはんと一緒に頼む、海湧食堂の生ビールも注文せず、お粥を食べてそそくさと出る。


 川尻岬に着く頃には、俵島ですれ違ったランナーに追いつく🎵


 ここから先が例の赤鳥居を目的とする観光客のクルマの列と、そもそもの急坂で思うように進めない。


 次の関門は湯本温泉の午後6時半、というガセネタを聞きつけ、半ば諦め気味に進む🎵

 実は関門なんて無かったコトが判明🎵

 そもそも、それくらい事前に調べておけよ、ってカンジだが、今までこんなに関門を気にして走ったコトが無かったから仕方がない(^_^)

 湯本温泉の関門が無かったのはラッキーだったが、早ければ夕方に到着する仙崎のエイドにまた暗闇の中、到着🎵

 次の関門は静ケ浦キャンプ場の22時🎵

 そのキャンプ場に21時50分に到着した。まだ残しておいてくれたカレーをいただき、最後のランナーかな?と思ったら、盲人ランナーの坂井さんが来られた。かなり、キツそうだ。

 坂井さんやその他数名のランナーと前後しながら175km地点の宗頭を目指す。この分だと宗頭到着は午前2時🎵

 私の今までの記録では、宗頭出発最遅記録が午前2時...

 奇跡は起きるのか?

 いや、そんなコトより、眠い。ただひたすらに眠い。

 歩道の真ん中で、脚が止まり、仁王立ちになったまま、一瞬眠る。

 宗頭は、最後の最後まで遠かった。


 日本縦断主催者の森塚さんが出迎えてくれた。

 午前2時10分、18時にゴールするには今すぐにでも、ここを出ないと間に合わない。でも、私は脚を止めたかった。

 途中、湯本温泉の折り返しで雹(ひょう)が降ってきた。お風呂に入って着替えて食事をする。体育館に行って毛布にくるまって眠りたかった。もう、そんな余裕は無い。

 時刻は午前3時15分...一応、午前4時に出てゴールする人もいるが、私の速度では間に合わない。ここで辞めるか?


 迷いがある中、我が身を床から引き剥がすように立ち上がり、外へ出た。行ってらっしゃい💮😆💮という数名のスタッフに見送られて...


 こうなったら、行ける所まで行くしかない❗


 でも、途中リタイアなんて考えていなかったから、そもそも帰り方がわからない(笑)まあ、萩市内に出れば、山口までのバスはあるだろう。でも、あんまりお金無いから...自力か大会のリタイアバスに乗れるといいんだけど...(^_^)

 藤井酒店でチェックを済ませ、鎖峠に行く道を上る。

 10回目の完踏がかかっていた時、この先のY字道を右に行って1時間のタイムロスをしたんだよなあ~、あの時は、まだ速かったから余裕で間に合ったんだけど...

 そんなコトを思い返しながら、明るくなりかけた鎖峠を目指して坂道を上る。最後の右カーブに差し掛かる。

 行けども行けども国道の明かりが見えないのは、明るくなりだした空のせいなのか?

 いつもは、ここを通る時間は夜中なので周りは暗いから、国道の街灯が映えていたんだろうね(^_^)

 
 それにしても、右手からジャージャーと小川にしては巨大な水音が聞こえる...滝のような水音が...


 まさかの9年前に聞いたあの時と同じ音が...


 私のラスト萩は10回目の完踏をかけた時と同じコースミスで終わった。

 どうせ、時間に間に合わないんだから、こうなったら、2度も私をたぶらかした?道の正体を見極めてやる‼

 そう思って先を進む。されど、それは行けども行けども森に続くような暗黒の道...
あの世に続く道のような気がしてきて、来た道を引き返す。


 元の道に出た時は既に午前5時🎵このまま鎖峠を
下って三見駅でリタイアするか、はたまた宗頭に戻って、「ラスト萩は道を間違えて終わっちゃいました🎵ちゃんちゃん」的な笑いを取るか?(^_^)


 で、笑いを取る🎵とキメ、下へと降りる(笑)

 すると、なんとヘッドライトが2つ、こちらへやって来る。見ると若いお兄ちゃんが二人🎵

 あんたら、今から行くの?

 ハイ、行けるとこまで行きます🎵

 若いお兄ちゃんにつられたワケではないが、んなら、私も行くわ🎵と同行する(^_^)

 私の脚は遅いだけで、まだ走れるが、お兄ちゃんたちは、歩くのもままならないほどのダメージを受けているようで、峠の下りも歩く。またしても睡魔に襲われる。

 ようやく三見駅に着いたのは午前7時20分、エイドの荷物を撤収に来たスタッフに回収してもらい、午前11時半の陶芸の村発のリタイアバスで瑠璃光に戻る🎵というまさかのエンディング🎵


 その後、自分のクルマの中で5時間爆睡し、皆さんの勇姿は見逃したが、午後7時からの大会主催の懇親会には無事、参加出来た。


 ラスト萩に対する、いや、萩往還そのものに対する皆さんの熱い思いが聞けました🎵

 さて、来年はどうする?

 長くなりましたので(^_^)続きは、また明日🎵(^ー^)❤


#welovegoo
#第30回山口100萩往還マラニック大会

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする