とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

ゆっくりと考えていきたいのですが

2006年05月29日 12時05分54秒 | 時事問題(日本)
ごっちゃごちゃになっている作業台(PCのディスプレイ)。今までだったら、とりあえずは目を通せたはずの本が未読なまま溜まっていく。

生活のほうも、処理できたという達成感がまったくないまま、問題が降り積もり、前進しているのか、足踏み状態なのか、判断がつかないまま、生殺し状態を、ただじっと耐えている。

ただ、決してあきらめることなく、宙ぶらりんの状態を続行していこうと思っている。

現代社会のこの”せかせか”モードに、対抗しているつもり。ただ、”つもり”にすぎなくとも.....

自分も含めて、みなさんのインプットとアウトプットの調節もおかしいと思っている。
きゅうり だって トマト だって 熟するにはそれだけの時間が必要だ。
自然にまかせられた熟成するだけの時間が与えられてこそ、おいしい味が出る。

今は、一日でトマトになれっと言われているような気がする。

じっくりインプットをすることを許されず、アウトプットばかりをせかされ続けられれば、金魚があわぶくを吐くような形になるのは、当然ではないのか?

しかし、会社に勤めると成果を短期間であげないとダメなので、苦しいところだと思う。まあ、こっちだって、いくらゆっくりと考えていきたいと思っても、食べていく算段にいれていないから出来るだけだけれども。

最近、懇意にしている二つの分野の人間が酷似したことを言っているので、ちょっと気になっている。

どちらも年齢的には次世代を育てるポジションにいる人間だ。

口をそろえて次世代の教育の疑問点を指摘する。
最先端の技術があまりにも進みすぎているため、それに対応するために限られた教育期間のなかで、どうしても最先端の技術を教え込む時間が大幅に増えているのだという。
しかし、大事なのは「基本」である。「基本」があるからこそ応用が利く。
問題は、時間の都合上、その「基本」を教える暇がなく最先端の技術を教え込み、世に送り出しているというのが実情なのだそうだ。

が、上にいる人間には、わかっているのだ。それでは、何かが起きた時に応用が利かないことを。しかし、どうにもならないのだと言う。

「あああ、若者がかわいそうだ。基本こそ大事なのに」

もう一つの分野の人間も言う「われわれの時には、順序良く一人の人間が基本から最先端の技術を詰め込んでこれた。だから、何かが起こったときには、自分たちが次世代をフォローできる。問題は、われわれが定年退職をしてフォローできなくなったときだ。だが、現代でも、先端技術を後回しにして「基本」から入っていく人間がいるんだ。だから、おそらく次世代は、専門化して「基本」と「応用」が合体をして問題を乗り越えていくのではないか。これからは、専門化が進むのではないか」

専門化していく現象はすでに起きているが、スピーディーに合体ができればいいが、できないと小回りがきかなくて機能不全に陥ってパニックになるか、問題解決にうんと時間がかかる。

落ちてきた体力をふりしぼり、現場をささえる背骨となり、次世代を育てて安心して消えようと格闘を続ける誠意あるトップの上司の姿も、私の目から見たら壮絶だ。若者の姿に目を転じても、苦悩は深い。それは、もちろん若者が悪いということではなく、いかにしたら彼らを、これから社会を支えていける状態までもっていけるかという課題が両肩に重くのしかかるからだ。

すぐには出ない答えを追って、あきらめず、考え続けていくしかない....か?
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