とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

良寛禅師のうた 

2006年12月11日 06時41分07秒 | 宗教・哲学・イズム
< 良寛歌集 > 『蓮の露を現代語訳で読む』考古堂より

梅の花 老いが心を 慰めよ
  昔の友は 今は有(あ)らなくに
「梅の花よ、老いた私の心を慰めてくれ。昔の友達は、もう誰もいないのだから」

我(われ)在(あ)りと 思ふ人こそ 果敢(はかな)けれ
 夢の浮き世に 幻(まぼろし)の身を
「この世で自分は立派だ。優れていると思っている人こそあわれなものよ。
夢のようなこの世に生きている身は、幻のようなものでむなしいものなのに」 

移り行(ゆ)く 世(よ)にせありせば 空蝉(うつせみ)の
  人の言(こと)の葉(は) 嬉し気(け)もなし
「どんどん変わっていくこの世であると思うと、生身の人の心も変わりやすいも
の。いくらやさしい言葉をかけられても嬉しいと思わないよ」

今よりは 故郷人(ふるさとびと)の 音(おと)もあらじ
 峰にも尾にも 雪の積もれば
「峰にも、やまのすそにも雪が積もったので、今日からは里の人が訪ねてくるこ
ともあるまいし、便りもこないだろう」

晴るるかと 見れば曇れる 秋の空
 浮き世の人の  心見よとや
「晴れたかと思うとすぐ雲ってしまう秋の空は、世間の人々の心と同じだと悟り
なさいということなのだろうな」

沖(おき)つ藻(も)の 彼寄(かよ)りかく寄り 斯(か)くしつつ
 昨日(きのふ)も暮らし 今日も暮らしつ
「沖の海藻があっちへ寄ったりこっちへ寄ったりして漂っているように
昨日も今日も風のまにまに、足のむくまま気ままに暮らしたことよ」


霞(かすみ)立(た)つ 長き春日(はるひ)を 子供らと
 手鞠(てまり)つきつつ 此(こ)の日(ひ)暮らしつ
「霞が立ったのどかな春の一日を子供たちと一日中手鞠をついて過ごしたなあ」
(長歌の返歌として)

秋の野の 草葉(くさば)の露(つゆ)を 玉(たま)とみて
 取らむとすれば かつ消えにけり
「秋の野の草についた露が宝石に見えて、取ろうとしたらたちまち消えてしまっ
たことよ」 


春は花 秋は千草(ちぐさ)に 戯(たわ)れなむ
 しゑや里人(さとびと) 言(こち)痛(た)かりとも
「春は桜の花に、秋は野原のたくさんの草や花と遊び興じよう。ええ、ままよ、
村人が口うるさく何だかんだ言っても」

忘れても 人を危(あや)めそ 猿(ましら)もよ
 汝(なれ)も報(むく)ひは ありなむものを
「以前、人を傷つけた事を忘れても、どうか二度と人を傷つけることはしないで
おくれ。猿でもきっと報いをうけるということだから」 

夕顔も 糸瓜(へちま)もいらぬ 世の中は
 ただ世の中に 任(まか)せたらなむ
「風雅な趣のある夕顔も、役に立たない糸瓜も何もいらない。このどうしょうも
ない世の中は、なるがままにしておいた方がよいだろう」

村肝(むらぎも)の 心を遣(や)らむ 方(かた)ぞなき
 あふさきるさに 思ひ乱れて
「世の中の人の心を慰める方法はないものだ。自分もまたあれやこれやと思い
惑い思案にくれている」

世の中に 交じらぬ人(と)には あらねども
 ひとり遊びが 我(われ)は楽しも
「世間の人と付き合うのが、いやだというのではないが、私は一人で詩歌を作
ったり書いたりしていることの方が楽しい」

捨てし身を 如何(いか)にと問はば 久方(ひさかた)の
 雨降らば降れ 風吹かば吹け
「俗世間を捨て僧侶になった心境はどうかと尋ねられれば、雨が降ったら降っ
たように、風が吹いたら吹いたように自然にまかせていると答えよう。」
 
柴の戸の 冬の夕べの 寂しさを
 浮世の人の 如何で知るべき
「私の粗末な家の冬の夕方の寂しさを世間の人はどうして知ることができようか。
いや、わかってもらえないなあ」

法の道 真(まこと)は見えで 昨日(きのふ)の日も
 今日(けふ)も空しく 暮らしつるかな
「仏の教えの本当の姿はなかなか見えてこない。昨日も今日も、あれこれ考えた
が理解できず、空しい思いを抱いて無駄に過ごしてしまったことよ」

★ そして時代の移り変わりを嘆み、こう嘆いている。

石の上 旧(ふ)るの古道 然(しか)すがに
 真草(みくさ)のみして 往(ゆ)く人なし
「日本には、古くから仏道や学芸の教えはあるが、しかしながら、いまその道は、
草のみが生えていて、それを究める人はいないのだ」


新池(あらいけ)や 蛙(かはづ)飛び込む 音もなし

「この句、人のもの」との詞書があるので、松尾芭蕉の「古池や....」の唯単な
る戯れ歌なのだろうか。それとも、「新しく僧侶になる人は大勢いるが、今の堕
落した仏教界を改革する勇気のある若い僧は一人もでてこない」とでも、嘆いて
いるのであろうか。》
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