とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

「好き」

2006年05月28日 07時51分35秒 | 読書感想
『風塵抄』一 司馬遼太郎
 49  好き

 「好き」
 というのは、刃の上を素足でわたるようにきわどい。気をゆるめれば、足の裏
が真っ二つに裂かれてしまう。
 ことしになって、二件も不穏なはなしをきいた。人妻でありながら他の人が好
きになり、夫と二児を置いて出奔したという。いずれも、女性は四十を超えてい
て、十七、八の見さかいのないとしではない。

 十四、五世紀ごろの室町の世こそ、日本文化の一大光源といっていい。この時
代、好きが是認された。
 ただし色恋をささず、茶の湯などをさした。道具に凝り、高値な茶碗などを買
い、武士ならば奉公をしくじり、商人ならば財産をつぶしかねない物ぐるいのこ
とをいった。
 地獄と極楽の堺の堀の上を歩くようなものである。
 このため、好きということばに、わざわざ数奇・数寄というきわどい漢字があ
てられたのである。数奇とは、数が運命をさし、奇は不遇を意味する。
 これほどおそろしい文字をことさらにスキと訓(よ)ませたあたりに、室町び
との心意気がある。

 好きを認める精神は、儒教にはなかった。
 儒教は、慣用句でいうと、まず身を修め、家を斎えるのである。しかるのち国
を治め、天下を平らかにする(修身斎家治国天下平)。まことに実利的である。
 二十世紀初頭まで儒教をもって国の大本としてきた中国や韓国にあっては、好
きなどというものは不埒で、ゆるされなかった。
 どうも、室町という、十四、五世紀をさかいに、日本文化は上の両国の文化と
ちがったものになったようである。

「亭主の好きな赤烏帽子」
ということばがあった。
烏帽子は、黒にきまっていた。
 室町の大名で松浦肥前守というのが"数奇”の心をもち、その面で評判の人物
だった。
 あるとき、かれは妻女に赤烏帽子をつくらせ、場所もあろうにその姿のまま殿
中にまかりこした。
 室町の殿中でも服制は礼の基本である。この肥前守の酔狂には、ひとびとは仰
天させられた。
 肥前守はむろん切腹を覚悟で赤烏帽子をかぶり、将軍の前に出たのである。と
ころが将軍義教はかれの覚悟と数奇の心を嘉し(よみし)、わざわざ筆をとって
肥前守のその姿を写生してあたえ、そのきわどい行動をゆるした。

 数奇は、芸術的創造の気分といっていい。

 ただ、自分の身を破ることがあっても、ほかの人に迷惑をかけるのは、数奇で
はけっしてない。オートバイをとどろかせて走るのは数奇ではないのである。
 さらには、色情による出奔ともちがう。四十にもなって、衝動が十代のように
なまであるというのは、なんとも品下がりではないか。
 芸術は、色情の高度に昇華したものである。そのためにこそ芸術がある。
 いまの世には数奇の道が多く、手近なものとして詩や短歌をつくって諸欲を昇
華させることもできる。それがめんどうなら、赤烏帽子をみならうだけでも十分
に浮世はたのしいのである。 (1990(平成2)年6月4日)

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