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天竺(印度)から慈悲の光 その1

 

天竺(てんじく)から慈悲の光 その1 - gooブログはじめました!

天竺(てんじく)から慈悲の光 その1 - gooブログはじめました!

家のすぐ近くの遊歩道にある慈母観音像。週に一度枯れた花をかえ水を差し上げている。マー君とスー君と一緒にお祈りしています。そして悠久の天竺で慈光さんに天の采配が整...

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管理人注:今はここには住んでいません

  祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり

  沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを

  あらわす。おごれる人も久しからず,只

  春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には

  ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)

  に同じ。   __平家物語より__


  諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
  関係することであり,現象としてあらわれる全て
  のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
  また真実である。この世には実体と呼ばれる
  ものはない。

  現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
  ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
  路。

  いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
  栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
  ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
  煩悩のなかで綺麗な華という菩提花を咲かせる。
  これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
  受け止めなさい(如日知見)。


もろもろの現象は無常である。生じたり滅したりする性質をもっている。生じてはまた滅する。それらのものが静まれば安楽という解脱がある。安らぎ(涅槃・ねはん)は虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る。かれらは実に真理をさとるが故に,快を貪ることなく平安に帰しているのである。パーリー語聖典より。これは釈尊の教えである。

写真の少女や「踊り子サラ」の記事は「OUT OF EDENは終了いたしました」をご覧ください

胎内宇宙と同心円世界

四無量心

四無量心(しむりょうしん、skt:apramāṇāni)とは、他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。四梵住(skt:brahmavihāra)、四梵行ともいう。

無量というのは、「貪・瞋・痴」などと違い、限界なくどこまでも成長させることができることから言う。

慈無量心(skt:maitrī, pāli:mettā) - 「慈愛」、相手の幸福を望む心。
悲無量心(skt,pāli:karunā) - 「抜苦」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
喜無量心(skt, pāli:muditā) - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
捨無量心(skt:upekṣā, pāli:upekkhā) - 「浄捨」、相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す為、捨無量心の完成は、悟りとほぼ同義である。なお上座部教学の集成者であるブッダゴーサは、『清浄道論』(Visuddhi Magga)において、単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとして、修行者に注意を促している。基本的に比丘尼さんのいう「自他不二」と「四無量心」は同じ。


上座部仏教

上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘サンガ(女性は比丘尼で《(梵)bhiksunīの音写》出家得度して具足戒(ぐそくかい)を受けた女性。尼僧。)と彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団、つまり釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされる。具足戒とは出家僧侶の守るべき戒。『四分律』では比丘(びく)には二百五十戒、比丘尼(びくに)は三百四十八戒を定めている。エジプトの「死者の書」からのパクリであるモーゼの十戒と比較すると深淵ですね。

達磨.....南朝梁の武帝は仏教を厚く信仰しており、天竺から来た高僧を喜んで迎えた

だるまさんがころんだ」の意味.........真理を悟ってその歓びのあまり転んだということ。ダルマ(梵語:धर्म Dharma) - 真理の法意味する。また、ヒンドゥー教において宇宙の法と秩序、正義を司る神の名でもある。

釈迦のさとった法は、釈迦のドグマではない。「仏がこの世に出ても、出てこなくとも変わりのない法」と経典にあるように、「世間の実相」「世界の真理」であるというのが釈迦がみずからの所信であり、仏教の主張である。この「法」(=真理) とは、縁起の理である。(空海はそれを存在とは関係することと表現した)

天竺(てんじく)

比丘尼さんも言っているでしょ。『天竺からの慈悲の光‏』と西遊記で知られる玄奘三蔵一行が目指した地がこの天竺(印度)とされる。

先日のインドの修行僧である比丘尼さんに関する本日までの経過です。これから個人的にずっとフォローしてゆきます。琴線にふれますのでまたお知らせしましょう。その経過で賛同者も現れるかもしれません。いくら賛同者がいてもカネ,カネ,カネの人は駄目ですよ。また,一ヶ月で何回夫とセックスするのが夫婦のあるべき姿であるか,なんて一年中考えて実行している人も駄目ですよ。

Date: Sat, 8 Oct 2011 15:15:13 +0900
From: xxxxxxx
Subject: 達人さんへのメッセージ
To: jameslee@hotmail.co.jp

小野寺さま

311以来、達人さまのブログに出会い、日々、寝る時間を削って、勉強してまいりました。311以前、わたくしは、無知でした。それを恥ずかしく思い、反省し、自らだけでなく、ひとつでも他の魂を、平安にお連れしたいと心から願って、今も勉強しております。

以前から、情報や考察を提供してくださることに感謝し、お礼をするべきだと思っておりました。この度、有料の会員制になると知り、当然だという気持ちを持っております。

しかしながら、残念なことに、有料の会員制になると、わたくしには、もう、参加する機会が無くなってしまいます。

わたくしは、彼此10年近く、海外におります。今は、インドにおります。
曹洞宗の僧侶です。わたくしは、唯、お釈迦さまの後に続きたいと思いました。灼熱の大地を、身ひとつで裸足で歩きながら、人びとの話に耳を傾け、仏法を持って苦しみを和らげようとされたお釈迦さまのようにありたいと思いました。わたくしも、ほぼ身ひとつでおります。日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です。厳しい状況ですが、お釈迦さまの手となり、足となり、声となってはたらく使命をいただけたことは、これ以上ない歓びで、感謝しております。金品に依る幸せもいいと思います。唯、わたくしの使命は、金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくことで自ら救われていく道を、ひとりでも多くの方に知らせ、広め、人びとを励ましていくことだと思っております。自分には観えていることであっても、他人に示すのは、容易ではありません。無力感や焦りを感じながらも、どうも時間がないようですので、あきらめずに、最期の瞬間まで、心を尽くすべきだと、自ら叱咤激励する毎日です。

わたくしにとって、5万円を入金するのは、残念ながら、とてもとても無理です。ですから、あきらめなければならないのでしょうが。
手元に千円札が3枚あります。以前いただいたお布施です。これを日本の住所にエアーメールで郵送することはできます。インドから銀行振り込みをするのは、難しいらしく、できても手数料でなくなってしまうようです。5万円には、程遠いのですが、これで閲覧させていただけませんでしょうか。

もし、無理でしたら、あきらめますので、どうかお気になさらないでください。

達人さまの御使命が全うできますことを、お祈りしております。
達人さまと犬くんたち、ご家族、ご友人方が、お幸せでありますよう、お祈りしております。

いつか目覚め、動き出し、どの人も、罪を犯した人たちも、救われていく時の来ることを、祈っています。

精一杯の慈悲を込めて

閑杳 慈光 比丘尼


その返信として「--- On Sat, 2011/10/8, James Lee <jameslee@hotmail.co.jp> wrote:

「お金はいらないですよ。パスワードはxxxxxxxです。

むしろあなたに喜捨しますので送る方法は

銀行振り込み

国際為替郵便

などがあります。

そちらで調べてご連絡ください。

小野寺拝」

この記事をブログに載せた途端,ある人物から世にも恐ろしい薄情で非常なメールが入ってきた。「年金生活から5万円を掠め取っておいてインドの修行僧に無料とはけしからん,金をかえせ」ということを暗示させる内容でした。お金は返金すると返事した後も罵詈雑言の数々。これが記事にしたシンクロ現象となった。人間には人間としての条件があるのです。お金を返してもらった代りに途方もなく大きなものを還暦にして失ったことになる。

しかし今回の一連の出来事はシンクロ二シティという現象がはからずも起こったということです。修行僧の言葉に対し無料にするとはけしからん.......というメールを受けたことにより有料ブログを中止することになったわけです。それは多くの人の無料で見たいという心の思いとすでに支払われた方々のぜひクリストファー遺族のためにつかってほしいという高貴な思いの表れでもあったのでしょう。大変感謝しており神父さまの管理下にあるクリストファー口座の方へ移させていただいたわけです。

二つの事象がイメージにおいて類似性を備える時,この二つの事象が三次元の空間と一次元の時間を瞬時に埋めるという不思議な時空間として現れることがある。その時空間の秩序であてはめられている中で,因果性では関係ないと思われる場合でも随伴して,現象として起こる場合これを「シンクロニシティ」の作用という。

 遠く離れた出来事が,物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは,量子力学の相関関係において表されている。衆生にとって肉親が死んだ時に,いわゆる「虫の知らせ」という精神波動が必ず起きることは知られている。この精神波動は一億光年先もわずか一秒で到達する。

シンクロ二シティと呪術的思考にありますように司馬遼太郎さんと私はシンクロし.また,クリストファーさんともシンクロしているのです。クリストファーさんが亡くなった時間と時差を考慮し寸分の狂いもなくある雨の日玄関を出た階段でもんどりうって転倒しちょうど肝臓の裏の辺りを強くうってしまい右の親指は骨折しました。ひょっとしてとクリストファーさんのHPを見たら亡くなられていたことが分かりました。17日早朝ある外科医を訪ねました。足の痛み,痺れを話しました。電気ハリ,週3回の点滴でもまったく改善しないことも話し切断しなくてはならないかもしれないので検査をしてほしい旨話すとこの先生はベトナム戦争当時のサイゴンで外科医として足の切断などは日常茶飯事だったことや色々話がありました。最後にその痺れの原因となったことに何か思い当たることはありますか,と。さすがです。あのときの転倒の話をするやすぐレントゲンをとり結論が出ました。傷ついた肝臓から溢れた血が血膿となって骨盤の神経を圧迫しており血膿を抜けばよくなるでしょう。早ければ1~3日の入院で完治する,との話でした。それにしてもクリストファーは手荒なことをするものです。一緒に死ねということだったかもしれません。そういうことで11月中旬くらいに入院します。司馬遼太郎とクリストファーはともに72歳で亡くなっています。私は12月1日で66歳になります。72歳でお迎えがくるかも知れませんがあと10年生かして下さるのならアジアのどこかで薄幸な子どもたちの人助けをしたいと考えています。というかやるつもりです。マー君とスー君はその頃8歳の老犬ですが長男のところで引き取ってもらおうと思っており長男も了解してもらっています。
管理人注:ワンちゃんはともにもういません。管理人は76歳でしぶとく生きています。

[達人さんへのメッセージ] 天竺からの慈悲の光‏
2011/10/14

差出人: xxxxxxxxx
送信日時: 2011年10月14日 3:13:16
宛先: James Lee (jameslee@hotmail.co.jp)

小野寺さま

恐る恐るメールを開けました。不意を突かれて、涙が溢れてきました。小野寺さまの背後に、神仏の光を感じました。有り難いことです。達人さまとのご縁が、切れずに済みそうです。心から感謝いたします。

わたくしは、海外で、携帯のSIMカードを使って、ネットにつなげています。いつか、電磁波の影響で、ネットにつなげられなくなる日が来ましたら、もう連絡をとる手段が無くなってしまいます。ひとりぼっちで、孤立してしまうでしょう。それでも、最期の時まで、小野寺さまの御使命が全うされることを祈り、日本に住む方々だけでなく、世界中の方々のために、天竺から、精一杯の慈悲を、命懸けで送り続けます。
大丈夫です。わたくしたちは、到達できます。

1.志

わたくしは、達人さまのブログを、そっと見せていただいていただけでした。311以前、世の中に、ブログというものがあることすら知りませんでした。どの方のブログにも、メールをお出しすることはないのですが、一度だけ、どうしても達人さまにメールを差し上げたいと思ったことがありました。達人さまが、ご自分のお命を差し出すので、これ以上傷つけることはやめてほしいと望まれた時です。

達人さまが、お身を差し出される前に、当然のことですが、わたくしが、先に、身を差し出します。出家している身ですから、真っ先に自分が身を差し出して、犠牲になることは、当然のことです。また、その犠牲をもって、他が救われるのなら、こんな歓びはありません。
今でも、この気持ちは、変わりません。

ただ、相手様にとっては、達人さまなら、鬼の首を取ったみたいに喜ぶでしょうが、わたくしでは、アホらしくて話にならないでしょうけどね。

2.慈悲

小野寺さまは、本当に手術をされることになるのでしょうか。

ご立派なお子様がいらっしゃるようですから、わたくしが心配することなどないのでしょうが。

もしも、居る場所がなくて、もしも、わたくしのいる所に来ていただけますなら、わたくしが、心を込めてお世話させていただきます。お体が、ご不自由になられる前でも後でも、かまいません。もちろん、ワンくんたちも一緒に。(動物が好きです。犬は、何匹も育てました。いや、育ててもらいました。動物は、劣っていると言われますが、一番どーしようもないのは、人間です。)
医療水準も、悪くはないでしょう。インドビザは、難しくなっていますが、何とかなるでしょう。

当初、わたくしは、インドのマハーラーシュートラ州のナグプール辺りに、拠点をもとうとしましたが、天の采配が、整いませんでした。今は、ニューデリーにいます。賛同者が、少し現れてきています。数ヵ月後には、拠点をもてるかもしれません。あのようにポールシフトが起こるとしたら、デリーは、きわどい所ですが、どこであれ、天の導きに寄り添ってやっていこうと思います。

命を張ってやってきていらっしゃる小野寺さまを、お守りせずにはいられません。お心の片隅に、覚えていてください。

3.宇宙の采配

わたくしは、小野寺さまが、ご努力とご苦労をされて得られたものを、拝受できるような僧ではないのですが。
もしも、わたくしがこれから手を差し伸べることができるかもしれない人たちのために、と思っていただけるようでしたら、その方々の代わりに、拝受させていただきたく存じます。

ビザの切り替えが、うまくいかなかったために、予定外に急きょ、インドを出国してタイへ行き、また戻ってくることになりました。デリー=バンコクの片道の航空券の供養をいただけましたので、インドを出国することはできるのですが、タイでの滞在費とバンコクからデリーへ戻る航空券が工面できずに、途方に暮れていました。

わたくしには、インドでしなければならないことがあります。ソノトキに向けて、命懸けでしなければならないことがあります。ですから、どうしても、何としても、インドに戻らねばなりません。毎日、祈っていました。宇宙の采配は、祈りを超えたところにあるのでしょうが。

現在のインドビザが、来週の17日で切れますために、16日(6E41 DEL 5:35 BKK 11:20)にタイへ行くところです。タイで、インドのビザを取り次第、デリーに戻ります。

観光ビザではありませんので、書類が必要なのですが、今日現在、まだ手元に届いていません。インド出国までに間に合いませんと、タイで、インドからの書類を受け取ってから、ビザを申請しますから、もしかしたら、3週間か1ヵ月ぐらい、タイで待機することになるかもしれません。

インドには、まだ、わたくしの拠点はありませんし、銀行口座も持っていませんが、信用できる日本人の比丘尼さんがいらっしゃいますので、受け取って保管してくださいます。

タイには、以前、通算5年ぐらいいましたので、銀行口座があります。

4.光のほうへ

やっぱり何かお贈りしたいものです。小野寺さまに届く住所をどこでもよいので教えていただけましたら、気持ちばかりですが。

インドで好きなものはありますか。紅茶は、お好きですか。ダージリン、アッサム、チャイ、どれがお好きですか。それとも布がお好きですか。

タイで好きなものはありますか。タイ女性は、ダメですよ。

遠慮なくおっしゃってください。わたくしからではなく、天からの慈悲ですから。天は、今もなお、小野寺さまを静かに慈悲の光で包んでいらっしゃいます。そう思います。祈っています。御使命が全うできますよう、祈っています。

精一杯の慈悲を込めて

閑杳 慈光 比丘尼
(かんよう じこう びくに)


そして本日17日正午すぎ管理人は以下のメールを出しました。

『本日xx万円を送金しました。お問い合わせ番号は..........です。これはお布施ですから礼の必要は全くありません。なお,入金は一週間くらいかかるとのことですので事前に問い合わせください。確認のため入金がありましたら私宛にメールください。以上です。

小野寺拝』

管理人より。

その後多くのやり取りがありますが省略いたします。管理人の宝物としてとっておきます。でも知りたいでしょ?一部を紹介します。

『達人さま

びっくりして慌てて返信をしまして、大事なことを書き忘れました。

わたくしのせいで、嫌な思いをさせてしまいまして、言葉もありません。お許しください。
その返金を求めてきた方のことも、どうか許して差し上げてくださいませんか。それぞれに、それぞれの事情があります。先々の不安も大きいのでしょう。一度は、入金してでもブログを見続けたいと思われた方ですから。その方のお怒りがおさまって、お心が穏やかになりますように、わたくしが、お祈りしていますから、達人さまは、本業に専念なさってください。達人さまが、やんちゃですと、わたくしが、心配で眠れなくなります。

閑杳 慈光 比丘尼』

天竺からの慈悲の光‏

James Lee
差出人: xxxxxxxxx
送信日時: 2011年10月18日 6:55:27
宛先: James Lee (jameslee@hotmail.co.jp)

達人さま

ブログが閉鎖されていると思っておりましたので、ずっと拝見しておりませんでしたが、その間に、いろいろあったようですね。夜中ですが、急ぎ目を通させていただきました。

お足の具合が、良くなられたのですか。

よかったです。よかったです。どうしてでしょうかね。わたくしには、さっぱりわかりませんが。
天の慈悲が、届いたのでしょうか。それとも、達人さまの内なる慈悲が、目覚めたのでしょうか。
よかったです。よかったです。とにかく、よかったです。

有料パスワードにならなかったのですか。
わたくしが、メールを差し上げて以来、いろいろなメールが、届いていたのですか。

ざっと目を通した達人さまの文章やコメントに、変化が感じられます。慈愛を感じます。

私たちは、つながり合っていますから、一人勝ちは、できません。自分だけ幸せになることは、無理です。周りの人たちと共に、一緒に幸せになっていく。

自他不二』ーーーあなたの幸せが、わたしの幸せです。

達人さま <祝>再出発

そのまま、まっすぐに、まっすぐに、歩んでいってください。天命に生きる決意をした者は、必ず、天が加護します。

わたしたちは、到達できます。必ず、到達できます。苦しみの時、悲しみの時、不信の時、互いに励まし合い、手を差しのべながら、観想していきましょう。
到達する時は、悪魔の名のもとに罪を犯した人たちも、一緒に連れて行きましょう。悪は、正しい道を教える道しるべです。その役割を果たした人たちに感謝して、一緒に到達したいものです。
その日が来るのをワクワクしながら、観想していきましょう。

今、わたくしの心には、感謝の気持ちが溢れています。すべてのものに感謝しています。
生きとし生けるものが、幸せでありますように。ひとつの魂も、こぼれることなく到達できますように。

精一杯の慈悲を込めて

閑杳 慈光 比丘尼』

閑杳 慈光 比丘尼殿へ

もしこの記事を読まれておられるのなら以下が私からのメッセージです。

「日々の食べ物の供養も受けられないことが多い状況です......送らせていただく喜捨は「金品に依らない幸せ、魂を清浄にしていくこと」とおっしゃるように意に反するかも知れませんが私の.......万円で貧しい人のために有効にお使いください。」インドでの日本人僧侶の活躍は以前から聞いておりました。インド仏教徒が師と仰ぐ日本人僧侶、佐々井秀嶺氏をこえる魂の清浄を期待しております。秘教ムスタンで活動される近藤亨さんも同じように日本人の誇りです。本来こういう記事は内密にするべきなのですが完全出家された方の生き様を娑婆の人たちに紹介することは「気づき」なのであえて公開いたしました。


その証拠に以下のようなコメントが入っております。その他の暖かい慈悲あふれるコメントも入っております。

『投稿者:4p4mpl
2011/10/18 0:17
インドの修行僧である比丘尼のはせがわせつこさんについて。

お心の余りの高潔さに自身が恥ずかしくなりました。』


つまりお金には「生き金」と「死に金」の二種類があるのです。たとえ3食を2食にしても1食にしても使うべき「生き金」は徳を積むことでもある。ですから5万円を返してもらったあの還暦の人は「死に金」としてお金が帰ってきたわけです。

知っておいてもらいたいこと.......比丘尼

サンガ(僧侶)とは?


具足戒とは

出家僧侶の守るべき戒。『四分律』では比丘(びく)には二百五十戒、比丘尼(びくに)は三百四十八戒を定めている。

転載された拙稿:プロレス神父

ジャン・レノ主演映画「グラン・マスクの男=プロレス神父

『北メキシコの壮大な大地に建つ、古い聖ドミンゴ教会。ヴィクトール・ガエタノ神父(ジャン・レノ)は妹のマリア(マーリー・マトリン)とともに、ここに捨てた子たちを集めて孤児院として彼らを育てている。一切の助成金を受け入れようとしない神父の収入の糧は、メキシコが誇るルチャ・リブレ(プロレス)だ。彼は子どもたちの飢えをしのぐため、一日の勤めを終えると聖衣を脱ぎ捨て、顔を黄金のマスクで覆ってリングに立つ。そんな生活が続く中、ヴィクトールは風来坊のペドロ(マルク・デュレ)と出会う。神父の人柄に惚れ込んだペドロは彼の助手となり、さらに偶然発見した廃村を「子どもたちの楽園」に作り変えるという夢に協力することを申し出た。一方、ヴィクトールにスポンサーが現れて、賞金額の高い試合に出場するように誘われる。相手はこれまで以上の強敵だが、子どもたちのためにこの話を引き受けた。早速彼は子どもたちを伴って市役所に向かい、廃村の権利を買う契約書にサインさせた。いよいよ試合当日。マリアや子どもたちの声援を浴び、ヴィクトールは苦戦しながらもペドロの力を借りて勝利を収める。「楽園」の建築が順調に進む中、またも試合の日がやって来た。ペドロもマリアや子どもたちを連れて応援に行くためにバスに乗り込むが、突然の風に身動きができなくなる。しかも激しい風雨の前に、「楽園」の家は無残にも崩壊してしまう。その頃、リングではヴィクトールが苦戦していた。このままでは負けてしまうという瞬間、場内の明かりが消え試合は中断になった。激しい雷雨の中、ヴィクトールは「楽園」へと急ぐが、嵐のため「楽園」は崩壊寸前であった。……数年後、「楽園」はヴィクトールの手で再興され、活気を取り戻した。』

日本の牧師たちには無縁なことでしょう。こういうことは「閑杳 慈光 比丘尼」さんがプロレスするわけにもいきませんが,インドではまだまだストリートチルドレンなどが無数にいるわけで少なくともこの孤児たちにご飯を毎日食べさせ,寝る場所を与え,読み書きそろばんの学校をつくることは大事でしょうね。

またバングラデッシュのグラミン銀行も小額融資(マイクロファイナンス)で悪口を言われておりますがいわゆる不可殖民では金利100%出しても貸してくれるところはなかったわけでそういう意味で30%融資で5人連帯保証制度をビジネスモデルとして莫大な利益を上げているのです。多くの貧民層が僅かな融資で手に職を得ている半面,自殺する人たちも出ているのは当然のことでしょう。

コルカタの物乞い


これはインドのスラム街ムンバイでの写真です。スラムにさえ入れない不可殖民かどうかは不明ですが同情心をもって何かをあげますか?この女は人の足音が聞こえると.......さっと片手を出すのです。こういう人たちがタイでもどこでも無数にいるのです。いわゆる乞食ビジネスというものです。午前中にどこからか車で連れてきて,中にはライ病でナイフで皮膚を切り(切られ)血だらけのひとなどもそれぞれの持ち場に配っていくのです。地べたを這っているイザリもいます。醜ければ醜いほど金は集まるということ。そして夕方になるとまたどこからともなく車がきて連れて行く。すごい売り上げでしょうかね。

六波羅蜜と無財七施

六波羅蜜の中でお布施を考えてみましょう。お釈迦様(釈尊)は「無財七施」ということを言ったそうです。(お金や品物がなくてもお布施が出来るということ)

愛語施
道元は「面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ,心を楽しくする。面わずして愛語を聞くは,肝に銘じ魂に銘ず」と言いましたが,思いやりのこもった暖かい心をかけること。(コメントのMSさんなどの暖かい心が愛語施です)

身施
捨身施とも言う。肉体による奉仕。

心施
善意の真心で他人や他の存在に対する思いやり。

床舎施
自分の席をゆずること。

房舎施
我が家を一夜の宿に貸すこと。

慈眼施
優しいまなざしであり,そこに居るすべての人の心がなごやかになる。

和顔施
柔和な笑顔を絶やさないこと。

色即是空空即是色ではなく,物で栄えて心で滅びる色即是色は現代社会に蔓延しています。お金や品物がなくてもお布施が出来るという無財七施ということを学びましょう。

大日如来や阿弥陀(これも梵語の音訳)如来のような最高位の悟りを啓いた仏(如来)の次に位置する仏さまの呼び方を六波羅蜜といいます。西行の詠った「誰とてもとまるべきかはあだし野の葉ごとにすがる白露」は諸行無常を思わせますね。

 ではまず音訳の元になった曼荼羅の仏を考えてみましょう。

1.曼荼羅の中心仏(中尊)2.中尊に関わる諸仏(知恵・慈悲・力)3.聖なる五色(白・黄色・青・赤・緑)の壁 4.宮殿の方位(東西南北の門 5.バルコニー(中尊を供養する諸仏の在所)..赤6.象徴化された供養物 7.5にかかる庇(ひさし)..黄 8.宮殿の屋根の飾り..
青 9.宮殿の屋根の樋(とい)..灰色 10.宮殿の壁の飾り 11.門上の左右にのびる金剛(ダイアモンド)の角 12.11の根元にいる聖獣マカラ 13.門の基壇 14.門の屋根の飾り 15.仏の教えを象徴する法輪 16.法輪にかかる天蓋 17.法輪を見つめる二頭の鹿 18.「蓮華輪」宮殿をささえる五色の蓮華の基壇 19.金剛絵杵輪ー曼荼羅の外側を守る金剛(ダイアモンド)のカプセル 20.火輪ー19から発する内的力の象徴。仏敵の侵入を阻止する 21.墓場ー無上ヨーガタントラの曼荼羅で18と19の間にしばしば描かれる。ヒンドゥ教に荒らされた人間界の象徴


大日如来像......1176年運慶作。

 この曼荼羅の中心にいる中尊は大日如来です。曼荼羅の中尊が替わると全ての仏の配置が替わってきます。ですからこの如来に少しでも近ずくために,お釈迦様は布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・知恵という修行をするよう説いているのです。ジャイナ教の場合は一寸違う。中心はクシャトリア王族の出身を意味するマハヴィーラ,本名ヴァルダマーラ(日本では達磨と呼ばれる)やアヒンサー(AHIMSA)という不殺生の文字がある。ジャイナ教徒のみ須弥山を五体投地する場合左まわり。

空海曼荼羅

 布施(ふせ)とは布施をする際,受け手に対して恩を売るものであってはならない。もともと他人様を助け,世のため人のために尽くすということです。稲盛流に言えば「思いやりの心」であり「優しさ」なのです。

 持戒(じかい)とは戒律を守り,それにそった善・正を実践する生活を行なう事。学校では校則をまもり,正しい生活をすることです。稲盛流にはもっと詳しく書いてあります。

 忍辱(にんにく)とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っています。

 禅定(ぜんじょう)とは少しの時間でも心を静かにして,自分を振り返る事。そして自分を変えて行くこと。そうして恥ずかしくない教養を身につけなさいということ。

 智慧(ちえ)とは仏教の説く真実をみきわめること。つまり真の智慧があれば,宇宙の真理にまで至ることができるとするものです。

 精進(しょうじん)とは他の5徳目を修めることを,あきずに誠心誠意努力すること。その代表例が二宮尊徳ですね。

 都会(まち)で托鉢僧に出会ったら,お布施をしましょう。その意味がおわかりになったでしょう。頂く修行僧にとって,体が震えるほど嬉しい至福の瞬間なのですから。稲盛さんご自身も托鉢でそういう経験をされています。(多くは統一協会の偽托鉢僧ですので六波羅蜜を言ってみて,と質問しましょう)

NHKで仏師という仏像彫刻師のテレビをやっていましたが,不動明王をある寺に納めるのですがこれはアチャラーという仏に次ぐ修行者の八大菩薩の一つにすぎませんから,この5メートルに及ぶアチャラーを寺の中尊に据えるのはどうなんでしょうか。菩薩はあくまで仏につかえる修行者ですから,違和感を感じました。しかしアチャラー(不動明王)を念仏仏の守護尊として扱っているのでしょう。南無阿弥陀仏と念じているのでしょうか。阿弥陀は梵語(ぼんご)の音訳です(Amitabha+Amitayusuの共通語のAmitaを音訳したもの)からね,念者はしっかりしてほしいです。根っこは根本曼荼羅ですから。

アミターバ(無量光)とアミタユス(無量寿)=(南無)阿弥陀仏

Amitabha....阿弥陀仏の発する十二光の一。永久に無限の恵みをもたらす光明。無量無辺光。

Amitayusu....阿弥陀仏の寿命が無量であるところから》阿弥陀仏のこと。無量寿仏。

南無阿弥陀仏

最後に比丘尼さんのメールにもありました「どの人も,罪を犯した人たちも,救われていく時を祈っています」という言葉がありましたが,トルストイの復活の中に「人間性のあらゆる萌芽を自分の中に持っているのである」という文章があります。人間だれでも同じ人間が悪事を働くときもあり,また,善行をするときもあるということなのでしょう。

『世間に最も広く流布されている迷信の一つは,人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか,悪人とか,愚者とか,精力的な者とか,無気力な者とかに分かれて存在しているという考え方である。

 だが,人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について,あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか,馬鹿でいるときよりもかしこいときのほうが多いとか,無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか,あるいはその逆のことがいえるだけである。

 かりにわれわれがある個人について,あれは善人だとか利口だといい,別の個人のことを,あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば,それは誤りである。それなのに,われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが,これは公平を欠くことである。

 人間というものは河のようなものであって,どんな河でも水には変りがなく,どこへ行っても同じだが,それぞれの河は狭かったり,流れが速かったり,広かったり,静かだったり,冷たかったり,濁っていたり,暖かだったりするのだ。

 人間もそれと全く同じ事であり,各人は人間性のあらゆる萌芽を自分の中に持っているのであるが,あるときはその一部が,またあるときは他の性質が外面に現れることになる。そのために,人々はしばしばまるっきり別人のように見えるけれども,実際には,相変わらず同一人なのである』              トルストイ「復活」59章より

慈光さんのいう『悪は、正しい道を教える道しるべです。』という啓示を忘れないように。

拙稿:マキャベリ式経営術で記事にしましたが「天国へ行くには地獄への道を知らなくてはならない」と同じことなのです。地獄への道を知るには悪が必要ということです。

何事につけても善を行なうことしか考えない管理者は悪しき者の中にあっては破滅せざるを得ない。悪しき者である事を学べ。(破滅して社員を路頭に迷わせてからでは遅いんですよ)
 
 

コメント一覧

rio
達人さま。初めてコメントさせて頂きます。

まだまだ未熟ではありますが人の手相観などしています。311後、何かがおかしいと思い、さ迷い続けて達人さまのblogを見つけました。

私が疑問に思っていた事の答えが全てこのblogにありました。ただ私がまだまだ理解力がなく、勉強をし、いつか達人さまがblogを更新して下さる事にお礼のコメントを…と思っていたのですが、耐え切れずコメントさせて頂きます。

慈光さまとのやり取り…何度も読んで、涙が溢れました。それに引き換え、まだまだ自分自身が欲にまみれている事も…。気づかせて下さってありがとうございます。心がとても温かいです。私が探していた心の在り方はこれだと気づきました。

これから精進出来る様に日々過ごして行きます。

力不足ではありますが達人さまの手術が無事成功するようにお祈りしています。
tetu
慈光様と達人様のメールやりとりを拝見して、心が洗われる感じです。
私も若い頃、何度もインド各地のアシュラムを訪れた経験があり、現地での生活の大変さは身をもって体験しています。久しぶりにそのことを思い出しました。

<私たちは、つながり合っていますから、一人勝ちは、できません。自分だけ幸せになることは、無理です。周りの人たちと共に、一緒に幸せになっていく。>慈光様はこうおっしゃっています。私もやっと最近このことが判りかけてきました。

<余剰もなく不足もなく必要なだけがそこにあり必要なだけ使うという生活が人を一番幸福にするんだよ>達人様は物質生活について、以前こう述べておられました。
全くそのとうりだと思います。

“起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半”
“裸にて生まれて来たに、何不足”
私達日本人はこんな先人の言葉を持っています。

支配者及びその手先の方々はまさに異次元の生命体のような、そんな気さえいたします。

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