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人生の目的

  • 人生の目的 旅人は、無人の広野でトラに出会った
 
 
この寓話が、あなたの人生を変える!

 どんなに多くの人に囲まれていても、常に孤独で淋しいものが心の中にあります。まさに「無人の広野を独り行く旅人」が私たちなのです。
 本書では、ロシアの文豪トルストイを驚嘆させた「ブッダの寓話」を解説しながら、独りぼっちの私たちが、どうすれば幸せになれるのか、明らかにします。
 世界が注目する墨絵アーティスト・茂本ヒデキチの挿絵を多数掲載。アートなブックとしても楽しめる!



【主な内容】

「私とは、どんな者か」を、正しく知らねば、
   幸せにはなれない

この孤独は、どこからくるのか

一緒に居ても相手にされない、
  独りぼっちの淋しさは耐えがたい

死は、突然、背後から襲ってくる

いつまでも他人の葬式ばかりではない

最期は、すべてから見放されて、
  独り、死出の山路を行かなければならない

命の短さを感ずるほど、
  人間らしい生き方ができる

自分のやった善行は自分に善果を生みだし、
  自分のやった悪行は自身に悪果を生みだす

言葉の魔剣で、
  どれだけ多くの人を、傷つけてきたか分からない

悪人は悪を行った結果、この世も苦しみ、
  死後も苦しむのである

「死んだらどうなるか」
  人間の知恵では、サッパリ分からない


絶望の闇を破る光あり

細い藤ヅルにぶら下がりながら、
  ハチミツに心を奪われている旅人を救うには

生存中に、絶対の幸福に救い、
  必ず極楽浄土へ往ける身にさせる

人間に生まれたことは、とても有り難く、
  素晴らしいことなのだよ

今生こそ苦界から離脱するチャンスなのだ

この世から永遠の幸福になることこそが、
  人間に生まれた唯一の目的なのだよ

老、病、死を超えた幸せを求めて

出版社より

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幸せになる道はある トルストイ
 

トルストイ

 

【死にたいと思っている人に見てほしい】トルストイの生涯

生きる光を失って~トルストイ

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/af9b69ce49b6df7c149297b5a783f54d

石田昭義氏(地の塩書房主)トルストイの散歩道 略年譜より抜粋
『懺悔』トルストイ 訳:原 久一郎氏 一部参照

1882年『懺悔』を発表。発禁処分にあう。

この書の中で トルストイは次のように回想し告白する。

私がまだ50歳未満の時分...

私には 愛し愛される善良な妻と いい子供達と
別に骨を折らなくても ひとりでに増大していく莫大な財産があった。
私は それ以前のどの頃よりも、友人や知人から尊敬され、
見知らぬ人達から賞賛された。
そして ことさらに自己をいつわらなくとも、
自分の名声を 日の出の勢いであると考えることができた。
精神的にも 肉体的にも、
自分と同年配の人々にはめったに見かけられないような
素晴らしい精力を享有(きょうゆう)していた。
(享有=権利・能力などを、人が生まれながら身につけて持っていること)

そんな健康で幸福であるはずのトルストイの中に
奇妙にも「どう生きたらいいのか、何をしたらいいのか分からなくなる
といった生命力の停滞ともいう瞬間」が起きはじめた。

お前は、ますます増加する莫大な財産を手にするだろう
--- でも、それが どうだというのだ?

お前は、世界のすべての作家以上に名声に輝くかもしれない
--- でも、それが どうだというのだ?

私は 何故 生きているのか? いったい私は何者か?

それはまさに、

「この年まで成熟して 心身共に発達し、
人生の展望が開ける
生の頂点に達して、


さてそこで、見渡してみれば、

人生には 何もないし、
過去にも なかったし、
未来にもないであろうことが はっきりと分かって

バカみたいに ぼんやりと その頂点に立っている

といった心の状態であった。

だからといって、
お前は 生の意義は 悟りっこない。
考えるな。 ただ 生きよ。」と言っても、
そんな訳には行かない。

私は 以前から、あまりに長い間、そんな風に暮らして来すぎたのだから。

トルストイは、自然科学から哲学まで、
人間が獲得したあらゆる学問の中から、
その疑問に対する説明を探した。

--- それでも なんにも 見つからなかった。

その間、自殺の想念が ごく自然に生じてきた。

やがて、トルストイは その解答が
自ら不合理と考えていた「神への信仰」の中にあることを
それも、無学で貧しい 素朴な 額に汗して働く農民や
労働者の信仰の中にこそ あることを悟る。

私は、神を感じ、神を求めるとき、そんな時だけ よみがえり、
まぎれもなく生きていることに気付く

かくて私の内部 および周辺において
すべてが いまだかつてなかったほど 明るく輝き、
そしてその光は もう 決して私を離れなかった。

---しかし この大転換は、
ある日 突然に私の内部に生じたのではない。
何十回何百回と、喜びと生気、それに続く絶望と
生存不可能の意識を繰り返して、
いつのまにか 徐々に 生の力が私に帰ってきたのである。

こうして生きる光を得たトルストイは、
さらに信仰の問題を掘り下げながら、
自身はルパシカ(厚地の白麻製民族服)を着、
野に出て田畑を耕し、肉食を断ち、
野菜と黒パンを糧(かて)としながら、
今まで書いてきた『戦争と平和』や
『アンナ・カレーニナ』などの大作を否定し、

民衆とともに生き、人生のために有益な 
しかも一般の民衆に理解されるものを
民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、
単純に、簡素に、わかり易く書こう
と決意するのである。

そのような中から次々と民話が誕生した

カダフィーの真実

 

 

 
 
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