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Behind The MYTH その1


 500ページに及ぶこの本の著者はラスト・エンペラーも著した作家であるがHIROHITOは平和主義者というよりは多くの陰謀の匂いを感じさせると最後に締めくくっている。この作家レベルでは本当の実体を書くのは所詮無理なのであろう。例えば,戦争中、侍従次長(秘書)として天皇の「側近中の側近」であった木戸幸一は、著書「側近日記」(東京大学出版会刊)において、真珠湾攻撃の成功直後、戦争の開始を、「天皇が喜び、飛び上がって、欣喜雀躍する」様子を描いていることなど夢にも思わないだろう。『また,デンマーク国王フレデリック九世(ノルウエー国王ハーコンの支援を受けた)とイギリス国王ジョージ六世,オランダのウイルヘルミナ女王,ルクセンブルグのシャルロッテ大公妃が「昭和天皇を戦争犯罪人として逮捕あるいは裁判にかけないように要請した」というものだ。おそらくは戦争犯罪人として処刑されたであろう昭和天皇を救ったのはガーター騎士団の力だった』とジョン・コールマンは説明しているがロスチャイルド本家のイギリス支店が助け舟をだしたということだろうが最後はライシャワーさんの力もあったことは間違いない。こういうことは上の本には全く触れていない。

Edward Behr, journalist and author, was born on May 7, 1926. He died on May 26, 2007, aged 81


ウサギたちが渡った断魂橋

ロヨラの僕(しもべ)ザビエルは隠れマラーノ(改宗ユダヤ)であった

秀吉の伴天連(ばてれん)追放令の論理

ウインザー城右手上に掲げられた平成天皇の紋章。


 Honi soit qui mal y penseの文字がある。


「Honi soit qui mal y pense (思い邪なる者に災いあれ)」

ガーター勲章

参考URL(ガーター騎士団ETC)
http://megalodon.jp/2009-0127-1142-41/angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/

http://cosmo-world.seesaa.net/article/118366403.html#comment
「天皇家の秘密の記事の中に.......

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。」

管理人がロンドン郊外Kew Gardenにある英国公文書館で確認をしたところ850万ポンドではなく1945年4月一千万ドルが皇后陛下の名の元で(横浜正金銀行)経由でスイスの赤十字というメーソンに送られた。原本のコピーは持っているが開示は控えたい。天皇のロザリオは読んでおいた方がいいかもしれない。

以下の記事を転載する。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/73148617.html

2007年12月16日
武器販売促進のため第二次世界大戦を起こした武器密輸商人=天皇

 『天皇は、第世界大戦二次中、日本軍が使用する武器、燃料を、敵国の米国から密輸し、物資の欠乏する日本軍に高額で「売り付け」、利益をスイス銀行に隠し、蓄積していた。スイス銀行には、明治時代以降、天皇一族が日本人女性を誘拐し、売春婦として海外に「売却」した50万人の女性の「売却代金」も蓄積されている。

 「天皇は、米国の軍事産業と一体化」し、日本と米国の間に戦争を起こし、米国軍事産業は米国政府に武器を売り、武器密輸商人=天皇は日本政府に武器を売り付け利益を上げ、日本人を戦争で大量虐殺した。天皇一族こそ、日本人大量虐殺の犯人であり、最も悪質な売国奴であり、戦争犯罪人である。天皇一族こそ、日本民族の敵である。

 1945年8月、天皇は、スイス赤十字社に1000万スイス・フラン=現在の時価で約33億円を手数料として支払い、数兆円の天皇一族の隠し資金を、赤十字社名義に「書き換える」要請を行った。これは、天皇一族が人身売春、武器密輸で蓄積した貯金を米軍に没収される事を恐れ、赤十字社名義に書き換え、不正な資産「隠し」を行うためであった。要請は、紆余曲折の末、受理された。

 戦争で日本国民全体が1日3度の食事さえ不可能になり、広島、長崎に原爆が落とされ、その治療のために少しでも資金が必要な1945年8月に、数兆円もの資金を天皇はスイス銀行に持ち、預金の名義書き換えのため「だけ」に、33億円もの「手数料」を支払い、自分の財産隠しを行っていた。日本人が多数餓死している最中に、である。

 その預金の名義書き換えは受理され、戦後60年、利息が利息を生み、巨大化し、現在も、不正に蓄積され続けている。武器密売と、天皇一族に誘拐された日本人女性の人身売買の「利益」である。これは、戦争で天皇一族に殺害された、膨大な数の日本人の「命そのもの」である。

 天皇が、この不正蓄財を隠すために、赤十字社と必死で交渉しているアサマシイ姿は、天皇のアサマシイ要請の扱いに困惑した戦勝国・英国の外務省と赤十字社との間で交わされた、正式な外交文書としてロンドンの公文書館で、誰でも閲覧する事が出来る(ファイルNO. FO369 / 3969 及び FO369 / 3970)。

 この天皇(一族)が2007年、米国ロックフェラーと会談し、日本を支配しないで欲しいと日本人のために要請した等という、フォーブス元アジア支局長の主張がデマ宣伝の情報操作である事は、こうした点に明確に現れている』転載終わり

 このファイルNO.はF0369ではなくF0368の最終ページにあり1945年8月ではなく1945年4月が正しい。また天皇からでなく皇后陛下からであり公文書の手紙では受け取った当局が困惑している様子がうかがえた。スイス赤十字に1000万スイスフランの送金は事実。だれでも閲覧可能ですが手続きがややこしく一階で荷物や帽子などをロッカーに預けてから二階へ行き面接をしてリーディングルームへ入る三年有効のカードをもらう。写真も撮られる(カードは写真つき)。英語の出来ない人は無理。館内にいる職員に教えてもらって閲覧したいファイルNOをパソコンに記入して30分ぐらいで厳重な警備員にカードを見せて中でファイルを受け取る。待ち時間の30分は一階で軽食でも取れる。』


 オルタ通信の西山氏は「天皇は人間のくず」などなど発言しているがその隠された狙いは............?

『投稿者:Arthur Miller
2011/6/24 10:18
オルタナティヴ通信のバックにいるのは在日の笹川暁(笹川良一の息子)です。』(管理人注:読売情報部とくっついて(半島渡来人による)皇統乗っ取り計画の一環)


他にもオルタ通信のなかに天皇は犯罪人,天皇は人間のクズ,売春業者など言いたい放題である。かつて真実を知らせるのに当ブログでは金などとらない,と言っておきながら現在は金を取っている。

 小泉政権時,皇室典範改正が浮上したとき,有識者会議が出した改正は,女性天皇が渡来人の皇婿(こうせい)=女帝の正夫を迎えることを可能にしていた。伊藤博文も女系天皇を認めていて,帝国憲法を成立させるときの草稿段階で,将来的に皇統が消滅する時限爆弾を仕掛けようとしていたのである。伊藤博文は長州ファイブ(マセソンボーイズ)の一人としてライオネル・ロスチャイルドに可愛がられた理由は主人に対して「奴隷のように従順」であったからである

1971年英国へ公式訪問。

 幼少のころの昭和天皇。家庭教師は英国人であったためか白馬に乗っているのは「黙示録19章11~16・白馬の騎手を表しているのだろう。『われこそが王の王である』と。

 皇太子時代の昭和天皇は英国を訪問しジョージ五世の歓迎を受ける。『ウインザー家という呼称は国王ジョージ五世が採用した。ウインザー家の実体はゲルフ家であり,ベネチアの黒い貴族の中でも最も古い名門の一つである。ヴィクトリア女王の血統は,直接ゲルフ家まで遡る』(ジョン・コールマン著300人委員会より)

 英国ではLloyd George(左側)と親交をもった


 明治天皇の出自参照........鹿島昇著:『裏切られた三人の天皇』は読まれた方がいいと思います


 奇行珍談が噂された大正天皇Behind The Mythの作者Edward Behr氏はある時大正天皇は姿を眩ましてしまった(Disappeared)と表現している。

貞明皇后との間に4男をもうけた。

迪宮裕仁親王(みちのみや ひろひと:1901年-1989年) - 第124代・昭和天皇
淳宮雍仁親王(あつのみや やすひと:1902年-1953年) - 秩父宮
光宮宣仁親王(てるのみや のぶひと:1905年-1987年) - 高松宮
澄宮崇仁親王(すみのみや たかひと:1915年-) - 三笠宮


 1935年Pui Yi(満州国皇帝溥儀の歓迎を受ける昭和天皇。上のBehind The Mythの著者は「Last Emperor」の本の著者でもある。

 翌年の1936年226事件は起きた


 管理人が2008年1月に本物の元イルミナティ11位階・暗黒の母に会い知識を深めたように作者の高橋五郎氏はべラスコというスパイに出会うことによって学問的アプローチでは到達できない実体を知るに至ったことは管理人と全く同じである。(上の本は絶対買われた方がいいでしょう
当時のNHKによる画期的な放映。現在では「消えた200億ドル」などBBCものしか放映できない。
A great and wondrous sign appeared in heaven:a woman clothed with the sun,with the moon under her feet and a crown of twelve stars on her head.(Revelation12:1

「月」は中世イスラムの象徴、すなわち現在のアラブ産油国を暗示する。「十二の星の冠」とは当南アジア諸国、ASEAN諸国の独立と発展に大きく寄与した名誉を象徴した暗示の言葉。この[ひとりの女]とは日本という国を暗示した言葉である,と「七つの封印」の著者窪田光治氏はいう。2001年12月1日生まれの愛子内親王であることは疑問の余地もない。

日本書記など理解された上級者はこの小林恵子(やすこ)さんの本はいいと思います。1978年の論文「天武天皇の年齢と出自について」(東アジアの古代文化16号)をまとめた内容で.......泉湧寺が天武系の天皇を祀っていないことが明るみに出ている。なぜ天武系は皇統から排除されるのか。それは天武と天智が本当は兄弟ではないというだけではなく,百済王の系譜を引く天智に対して,天武は森羅系渡来人だったから,という。「日本の正体」99~に詳しく出ている。しかしながら日本書紀は縄文系が古事記は森羅・ユダヤ系渡来人が書いたものと思われるが立場によって変わってくる。藤ノ木古墳を調べてみるといいだろう。朝鮮王朝との関係を。

 フルベッキが中心になって起こした明治維新が実は南朝革命であったことを知る人は少ない。鹿島昇は,光明天皇が暗殺されたと見た上で,明治天皇が光明天皇の皇子(睦仁)ではなかった可能性を述べている。明治天皇の孫を称する中丸薫さんがあるテレビで明治天皇は南朝.....と発言して騒然としたことがあったらしい。鹿島昇の説はつまり鎖国維持を主張する光明天皇に続いて明治天皇も殺されたという説である。なぜ薩長とその勢力に与した公家たちが,そんなリスクを冒したかというと,明治維新の目的が,実は南朝革命だったからだという。

京都御所で発見されたロスチャイルド家の紋章に酷似した紋章。

これが常識としての明治維新

フルベッキと維新の志士たちの名前

リンクに貼ってあるThinkerの明治維新からじっくりと見るといいだろう


明治維新は、「文明開化」といわれるように今の近代化された日本の出発点です。人々のファッションが変わり、考え方、 政治、経済、法律、 宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもとがらっと一気に西洋化していきました。

この歴史に残る一大事件を成し遂げたのは、地方の侍でした。
おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちです。

中でも代表的な維新の三傑といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(旧名:桂小五郎)ですが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬であるとされています。

この両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至ったとされています。今でも語り継がれる坂本龍馬による大手柄です。しかし、実際には……。

その背後にトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在がありました


グラバーは、ロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立します。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていましたが、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始めます。 

当時、幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていました。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのです。

実のところ、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画でした。


また、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、両者ともに交流のあったグラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させます。

つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのです。

なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。

さらにヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。


いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。

明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。

初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。

そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。

自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。
彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。
明治新政府はこのように創設されました。

しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。

そこで、内戦が起きます。それが戊辰戦争です。戊辰戦争から日露戦争以下はThinkerのブログをご覧あれ。


紙芝居・動乱のはじまりだよ♪

コメントにありました誰かが米国のデフォルトを望んでいる

 前の記事で書きましたようにペイオフに備えるようにしてください。7月24日前にするように。


@kharaguchi 原口 一博(元総務大臣) 

国会Gメンの隊長石井代議士。「これが公表されれば政権が崩壊する。」平成14年10月25日、殺害される一週間前に私と交わした言葉です。闇金、外交機密費問題など当時、石井代議士が私とともに追及していたテーマ。その他にエネルギー利権の闇を追いかけていたらしいことが耳に入りました。5月29日 webから

なんだと思いますか?

「福島第一原発の安全装置ECCS(非常用炉心冷却装置)は(小泉政権の)8年前に外されていた」原口氏が衝撃の告発」か,あるいは,皇室典範の改正による2026年に半島出身の渡来人に天皇家を売り飛ばし天皇マネーを手に入れる?.........しかし秋篠宮が天皇になる日が週刊誌で記事にされると皇室典範改正はトーンダウンしたように見えますが大連立が成立するとまっ先にやると思います。


原口一博氏が万一暗殺されるような事態になったとしたらこんな国から脱出した方がいいだろう。

 以下「天皇のロザリオより」

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。

「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。

日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。

「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」

福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。

<中略>

至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。

<中略>

日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。

<中略>

片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

同じ手口を皇室と三菱は考えた。ペルシャ(イラン)からアヘンの輸入であった。皇室と三菱は、三井も仲間に入れることにした。三井を入れなければ内乱が起きる可能性があったからだ。三井と三菱は隔年でアヘンをペルシャから入れ、朝鮮に送り込んだ。満州という国はこのアヘンの金でできた。

天皇一族はこの利益を守るために秘密組織をつくった。厚生省という組織に、昭和天皇は木戸幸一(後に内大臣)を入れ、アヘン政策を推進させた。1938年12月に興亜院がつくられ、阿片政策を統括した。その翌年から「土薬公司」ができた。日本でもケシ栽培をし、朝鮮に送り込んだ。中国でも熱河省でケシ栽培をした。この利益も皇室の財産の形成に大きく貢献した。阿片政策はこの辺にしたい。

多くの軍人たちが、三菱と三井のアヘンの利益の一部を貰って遊興にあけくれた。マーク・ゲインは『ニッポン日記』の中で1946年3月28日の出来事を書いている。

「東条が自殺を企てたその家は、岩崎家からの贈物で、東条一家には三菱財閥の情深い当主から現金、株券その他で一千万円の額があるという報道が行なわれた。」


天皇家が味をしめたのは日清戦争であった。この戦争で清国から奪った賠償金は三億六千五百二十五万円。このうちの二千万円が皇室の財宝となった。天皇家はこの戦争で味をしめた。

1945年8月、敗戦となった。「降伏後における米国の初期の対日方針」の中で、「皇室の財産は占領目的の達成に必要なる如何なる措置においても免除せられることなかるべし」と明記されている。

敗戦後の10月22日、宮内省はGHQにより、四十数項目にわたる報告書を要求された。11月18日、GHQから覚書「皇室財産に関すること」が出た。GHQは生活費を除くすべての皇室財産を凍結するとの指令を出した。

この年、GHQの財務調査官たちは、昭和天皇の個人資産を1億ドル以上と査定した。財務調査官たちは「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書」を作成し、マッカーサーの承認を得た。皇室財産も課税計画から除外されないとした。

それでは、1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容をみよう。

「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」

当時の財閥の住友吉左衛門は1億1738万円、三井高広は9628万円。皇室財産は、GHQの公表分であるが日本の財閥の約30倍。しかし、この数字は正確ではない。天皇も、三井も、三菱も、敗戦前にほとんどの金をスイスの秘密銀行に入れたからである。

さて、この皇室財産はその90%が旧憲法のもとで無償没収され、残りの10%は憲法88条の規定により国に属することになった。日本の戦後史を書く学者のほとんどは、皇室財産には触れることがない。井上清がこの程度触れただけである。

では、マーク・ゲインの『ニッポン日記』を見ることにしよう。マーク・ゲインは戦後日本にやってきた記者の一人である。

「ある総司令部の専門家が言った。『天皇の財産は5億ドルから10億ドルの間だろう。このひらきは、我々の到着直前に彼の財産がどれだけ隠匿されたかという我々の知らない、また多分将来も知り得ない事実によって生じるものである」

この、「多分将来も知り得ない事実」について、エドワード・ベアは『裕仁天皇』の中で次のように書いている。

「皇室はこれらの資産の大半を失ったが、SCAPの厳しい監査の目をのがれて、残された資産もいくらかあったようである。敗戦の濃くなった1943年、44年、専門家の助言に従って、海外の仲介人を通じ、日独伊枢軸国に好意的だったスイスやアルゼンチンのようなラテンアメリカ諸国の銀行に資産を移されたとも言われる。1948年7月19日付のSCAPの報告書には、『日本の公的、私的財産は共にSCAPの十分監視の行き届かないラテンアメリカ諸国に流出した』とある。」

あるASADの専門家は、戦時中に総額4100ポンドの皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出されたと見ている。そのうち、スイスに流れたのは850万ポンド、ラテンアメリカに流れたのは1004万ポンドであった。こうした不明な財産の回収作業を行われないまま、1951年に占領が終結した。

マッカーサーに関する限り、彼は全般にわたって、天皇の海外資産の調査に明らかに弱腰の態度を見せていた。(略)

敗戦直後に宮内省がGHQに報告した皇室財産の総額は約16億円。皇居、御所などの建物のほかに、山林面積は群馬県と栃木県の二県の合計に等しく、農地は奈良県の全耕地面積に匹敵するといわれた。この報告書を見たGHQの係官は、皇室は金銭ギャングの最たるものだと言ったという。」

天皇の財産はどこへ消えたのか。謎は残る。


1947年1月21日、米国統合参謀本部はGHQに、「日本国の賠償金の原資を確保せよ」との命令とともにひとつの文書を送付した。

「皇族あるいは、彼または彼女の資産の受取人名義人は、事実上国会の管轄外に置かれてきた。このため当委員会は、降伏時における、皇室、宮内省、および全皇族ならびにその名義人の比較的価値のない純粋な物品または骨董品を除く所有財産すべての品目の詳細且つ完全な目録(売却方法を含めて)の入手を望むものである。」

さて、私は日本郵船については書いた。大阪商船の株も皇室は持っていた。この二社の船が、天皇が「火事場泥棒方式」で侵略していった地域へ、物資、機械、人間を運ぶのに使われた。三菱と三井のみならず、住友以下の財閥とも皇室は深く結ばれていた。

また、皇室の銀行支配も徹底していた。皇室は日本銀行の47%の株を持っていた。紙幣を発行するたびに、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた。

日銀の他に注目しなければならないのが、横浜正金銀行である。「皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出された」とベアが書いているのは厳然たる事実である。

ポール・マニングは、『米従軍記者が見た昭和天皇』の中で次のように書いている。

「昭和天皇がヨーロッパの金融市場で影響力を持つことができたのは、日本銀行ほど厳しい規制を受けない民間銀行である横浜正金銀行の株を保有していたからである。彼は全発行株数の22%に当たる22万4912株を保有する最も重要な大株主であり、二番目の大株主は2万2000株しか保有していなかった。」

2001年8月13日、共同通信社はスイス政府とスイスの赤十字委員会(ICRC)の1945年8月、終戦直前の公文書を報道した。その内容を記すことにする。簡単にわかりやすく解説する。

終戦直前の8月、昭和天皇の皇后(良子)の名で一千万スイス・フラン(当時と現在のスイス・フランの購買力を単純に比較しても約33億円)の巨額な寄付をするとスイスの赤十字国際委員会(ICRA)に提示した。これに対し、連合国である対日政策決定機関の極東委員会が、この寄付申し込みを受け入れるなと赤十字に通達を出した。しかし、赤十字はこの極東委員会の提案を覆し、1949年5月に秘密裡に送金を受け入れた。この寄付は横浜正金銀行がスイス国立銀行に保有していた「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。皇室はスイスの国立銀行に秘密口座を持っていたし、現在も持っている。どうして天皇が自分の名前でなく皇后名で横浜正金銀行からスイスに送金したかは不明である。

しかし、推測してみよう。2001年の評価額で約33億円の金を赤十字に寄付するということは、赤十字と何らかの秘密取引をしたとしか考えられない。寄付の数十倍ないし数百倍の秘密預金を、赤十字の名前を借りるか、その力添えでスイスの国立銀行の秘密口座に入れたということであろう。

終戦直前の8月7日、東郷茂徳(当時外相)が、赤十字の駐日代表に皇后名で一千万スイス・フランの寄付を申し入れた。赤十字は応じた。しかし、スイス政府は8月16日に英米などとの合意に基づき、日本資産を凍結した。

1949年に赤十字が英米による圧力下の日本資産凍結の圧力を覆し、一千万スイス・フランの寄付を正式に認めたということは、横浜正金銀行の天皇の「秘密口座」の資金の凍結を解除するための努力の見返りであったといえよう。正確な金額は把握できていない。前述のマニングは昭和天皇の秘密資産の一部について次のように書いている。

「天皇はハイテク電子工業とホテルへの適切な投資で得た推定五千万ドルを公認の手持ち資金として個人的に東京で貯蓄することができた。この投資を可能にしたのが、スイスにある推定30億ドルの秘密資産である。この秘密資産の一部をさまざまな一流企業に融資した天皇は、投資の機会を得て、かなりの額の利益を得たのである。」

<中略>

天皇は(表面的には皇后名であるが)、執拗にこの寄付に力をそそいだものと思われる。この紛争は1946年6月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。極東委員会はこの年の10月、「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定した。マッカーサーの決定ですべてが終わったかにみえた。しかし、赤十字はアメリカの弁護士を雇い、マッカーサーに脅しをかけた。マッカーサーは解任の動きを知る。この問題がからんでいると私は推測する。しかし、今のところ確証はない。

そしてついに極東委員会も、この問題に反対し続けた英国政府も、赤十字の工作に敗北宣言を出した。

<中略>

赤十字は私たちが考えるようなナイチンゲールの世界ではない。国際金融資本、特にユダヤ資本と深く結びついている。彼らは朝鮮戦争を仕掛けるために、天皇が必要だったのではないのか。天皇は彼らの要望に応えると約束したために、秘密資金の凍結を解除されたと推定しても、そう間違った推測とはならないであろう。


さて、私はこの項を書くためにたくさんの本を読んできた。私はポール・マニングの『米従軍記者が見た昭和天皇』を読んでいる。興味ある読者は是非読んでほしい。もう一度、この本から引用する。今までの私の推理を裏付けてくれそうである。

「1944年1月、昭和天皇は参謀総長と軍令部総長から結論として太平洋戦争に勝機はないと報告され、木戸内大臣に和平計画を立てるよう指示した。木戸は当然のことながら、この指示の意味は皇室財産を守ることが第一であり、日本を平時の状態にする準備は二番目であると理解したのである。二番目の状況を達成するには時期尚早だったができた。木戸は皇室の財政顧問でもある主要銀行の経営者たちを招集し、会議を開いた。彼らの提案で、天皇の現金が東京から銀行間無線でスイスに送金されたのである。東京にある天皇の銀行口座の残高が事実上ゼロになったが、スイスの銀行の番号口座残高が急激に増加したのだった。横浜正金銀行のスイスの支店は次に、天皇の仮名による銀行投資にドイツの信用を付け、天皇の流動資産の換金能力をさらに高めた。他の財閥の大企業経営者たちも天皇の現金の流出に気づき、アフガニスタン、トルコ、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、朝鮮、香港、満州、フランス、ドイツなどに預金していた現金を引き出し、スイスの銀行へ送金した。彼らはまた、ブエノスアイレスにある銀行の法人や個人口座の数も増やしたのである。

占領期間中、日本銀行が横浜正金銀行の業務を引き受けることになり、この結果、皇室財産の財務上の秘密が継続して保証されたのである。」

私が書いた赤十字と天皇の秘密は、このマニングの本で真実であることが理解できよう。

日本赤十字社は、現在でも、皇室が支配的立場にあることを知らねばならない。この赤十字組織が、世界を支配する勢力の一支部なのだ。マニングの本には、天皇がいかに金塊をアルゼンチンに運んだかの詳細な内容も書かれている。

もう少し具体的に、赤十字国際委員会(ICRA、本部ジュネーブ)について書くことにしよう。では、アダム・レポーの『ヒットラーの秘密銀行』から引用する。

「赤十字国際委員会が各国諜報機関から、スパイを潜入させる標的として狙われたのは当然のことだった。大戦中でも枢軸国、連合国を問わず自由に越境して、救援活動ができる国際的組織だったからだ。また、情報収集も任務のひとつで、職員たちは双方の捕虜や軍指導者たちに対する質問権を与えられていた。」

『ヒットラーの秘密銀行』から、もう一つ引用したい。ナチス資産について書かれているが、ドイツの枢軸国日本の姿もみえてくる。

「英米仏三国は1945年8月、スイスに預けられているナチスの資産の所有権を主張するもスイス政府の対応ぶりは相変わらずのものだった。三国の主張はどんな法律を根拠とするものか理解に苦しみ、また連合国によるドイツ占拠の事実は『ドイツ国境を越えて法的効力を持つことはほとんどない』という言い逃れに終始した、とSNBの報告書は記している。

「スイスに預けられたナチス資金」を「スイスに預けられた天皇の秘密資金」と置き換えるならば、私が書いてきたことが事実であることが理解できよう。『ヒットラーの秘密銀行』には、スイスの銀行について書かれている。日本に関係する記事に触れておこう。国際決済銀行(BIS)がスイスにある。この銀行が、ナチスと日本と戦争中も取引を続けた。では引用する。(管理人注:ヒトラーの祖父はソロモン・ロスチャイルドでありスターリンの父はエドモンドロスチャイルドであることを考慮すれば全てが繋がってくるであろう)

「BISの総裁はアメリカ人トーマス・マッキトリック、ゼネラル・マネージャーはフランス人ロジェ・オボワン、ゼネラル・マネージャー代理はドイツナチ党員のパウル・ヘクラーだった。大戦中の理事には、ライヒスバンク副総裁で後に戦死とされたエミール・プール、同総裁のヴァンター・フンク、その他ロンドン、ブリュッセル、ローマ、日本から派遣された銀行家たちが顔を揃えていた。(略)ベルリンにとっては好都合なことに、戦時中のBIS総裁は、ナチスの略奪金塊の主要ルートだったスイス国立銀行の総裁エルンスト・ウェーバーだった。(略)第一次世界大戦の敗戦国ドイツが連合国に対して負っていた賠償金をヤング案に基づいて回収することを目的に、数カ国の中央銀行が1930年5月に設立した銀行だったのである。ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行など世界の主要金融機関が共同出資し、これらの国々および日本が理事を送り込んだ。(略)BISの設立資本金は五億スイスフランで、ベルギー国立銀行、イングランド銀行、フランス銀行、ライヒス・バンクという中央銀行五行によって保証されることになった。これに日本の代理を務める日本銀行団、およびモルガン銀行、ファースト・ニューヨーク銀行、ファースト・シカゴ銀行から成る米国銀行団も参加した。」

ここまで書いてきて、戦争というものが、金融と深く結びついていることが理解できたはずである。BISとスイス国立銀行は深く結びついている。私の推測の域を出ないが、天皇はスイス国立銀行に「皇后名」で、BISに「天皇名または仮名」で、最低二口の秘密口座を持っていたと思われる。マニングの推定「35億ドル」以上ではなかろうか。35億ドルでは少な過ぎる。

<中略>

日本の作家で井上清の名を挙げた。2000年に濱田政彦の『神々の軍隊』がでた。この本の中で濱田は天皇の秘密資金に触れている。引用する。私のこれまでのストーリーを追認するものである。

「皇室は蓄えた資産をモルガン商会を通して海外で運用していたが、金塊、プラチナ、銀塊などスイス、バチカン、スウェーデンの銀行などに預けられていた。(略)中でも国際決済銀行、通称“バーゼルクラブ”は、世界の超富豪が秘密口座を持つ銀行で、治外法権的な存在であった。(略)内大臣木戸幸一は、日米英戦争末期の昭和十九年一月、日本の敗北がいよいよ確実になると、各大財閥の代表(銀行家)を集め、実に660億円(当時)という気の遠くなるような巨額の皇室財産を海外に逃がすよう指示した。そこできれいな通貨に“洗浄”されたが、その際に皇室財産は、敵対国にばれぬようナチスの資産という形で処理された。スイスは極秘裏にナチスに戦争協力していたので、ナチスの名のほうが安全だったわけである。(略)皇室とバチカンとフリーメーソンの関係をたどっていくと、世界の闇が明らかになってくると思われる。おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない。M資金の闇は深い。」

濱田政彦の書いていることは間違いない。ただし、「おそらく戦後の皇室がえらく貧乏にみえるのは、その資産を戦後の日本復興に使ったからなのかも知れない」には全く賛成できない。私は昭和天皇が戦後も、マニングが書いているように蓄財作戦に熱中していたと思っている。天皇家の秘密資金の一部がM資金となり、多くの人々を悩ませたのである。

マーク・ゲインの『ニッポン日記』には天皇の財産について詳しく書かれている。だがここではすべて省略する。初版本に書かれたことが、再版本では省略されているとのみ書く。1946年3月24日、マーク・ゲインは天皇の埼玉行幸を描いている。

「天皇はただ一人で晝食をとった。天皇以外の我々は、冷たい飯と悪臭鼻をつく大根の漬物と、その紡績会社から出された刺身の小片を口に押し込んだ。窓からみると、女工たちが列をなして並んでいたので話をしようと思って戸外に出た。彼女等は恥ずかしそうにクスクス笑うだけで誰も答えてくれそうになかった。が、とにかく彼女等は「十五歳」‐最低就労年齢-で、一日九時間半働き、一日三円ないし五円

支払われていることを聞き出した。そこへ天皇が出て来たので、彼女等は最敬礼をし、支配人の号令一下、万歳を唱えた。それから彼女等の専制君主を見ようと首を伸ばすのであった。」

当時の女性の日給は一日九時間半働いて一日三円ないし五円。1945年8月15日から約半年たっているので、インフレが進んだ後だから半年前はもっと安い。たぶん一円から三円であろう。

計算機を手にして、当時の天皇がどれくらいの金を持っていて、海外の秘密口座に入れたかを計算されよ。そうすれば、その金額の天文学的数字がクローズアップされる。

それでは読者にヒントを一つ与えよう。1945年10月にGHQが発表した皇室財産の内容は書いた。「土地・建物・木材・現金・有価証券(美術品・宝石は含まない)は37億2000万円。」木下道雄(元侍従次長)の『側近日記』が昭和天皇の死去の翌年の1990年に出版された。この本の解説は伊藤隆(当時東大教授)であった。彼は次のように書いている。

「ところで終戦直後の天皇家の財産は37億5000万円だった。日銀物価価格統計により現在の貨幣価値の311倍で換算すると7912億円である。」

この数字の十数倍近くをスイス銀行に送り込んで終戦工作に天皇は入ったのである。敗戦前の国家予算は100億円を切っていた。天皇は自らの生命を守るためと、このスイスの秘密預金を維持し、さらに増やすために戦後工作に入るのである。天皇の「キリスト教入信」対策は、この二つの大事なものを守りぬくべく実行された。国民は依然として雑草のような民草であった。

これが大東亜戦争を天皇が仕掛けた第一の原因だと分かるだろう。

それでもあなたは、天皇陛下にむかって「天皇陛下バンザーイ」と叫ぶのであろうか。それとも、広田弘毅のように「天皇陛下マンザーイ」と叫ぶのであろうか。


原発で騒がせているシーメンスはナチの会社

キリシタンと奴隷売買

天皇とロザリオ249~257ページ

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があれぱの話だが」。
(以上で「天皇の回ザリオ」からの引用を終ります)

わたしはこれまで各種の日本キリシタン史を学んで来ましたが、この『天皇のロザリオ」を読むまでは、「奴隷」の内容について知りませんでした。しかし、こういう事実を知ったからには、同じキリスト教徒として真摯な態度で語り継いで行きたいと思います。

なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414~417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。

そして、「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武カの格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としているかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416〉と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。

秀吉は準管区長ガスパー・コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。(以上上の阿修羅の記事から転載させていただきました)

GASPAR COELHOという人物とは?

話は地震にもどりますが現在「ちきゅう」は駿河湾にいるそうです


 上の記事の中で5月28日のHAARPなのですが下の銃の乱射があった時と同じバフォメットが出ていますね。


つい最近米国で銃の乱射事件がありました。その時間帯のHAARPはバフォメットです。米国での事件を線で結ぶとバフォメットの角。日本での猟奇殺人事件を線で結んでみるといいだろう。必ずバフォメットの角になっている。


現在のちきゅう号の位置

今後の予定
・6月18日~7月3日:検査及び補修後の試験航海(駿河湾)


ここのブログへのアクセス者は40歳をピークにしたピラミッド型で男性は33%,67%が女性という解析結果が出ている。

3.11を当てた松原照子さんという女性

2月16日の問題の記事をRSS受信してみたところ、ヘッダの送信日時は「Date: Sat, 12 Mar 2011 10:54:52」となっている。しかもRSSは新設されたカテゴリーからではなく「2月16日の記事」というカテゴリーからの受信なので、カテゴリー新設が更新日時の変動の原因とは考えにくい。ちなみに2月16日のニュースフィードを見ても他の記事の更新日時は変動ないのに、問題の記事の更新日時だけがやはり震災後の日付になっている。
http://shohweb.com/?m=20110216&feed=atom
ここまで来ると改ざんどころか、記事自体を震災後にねつ造した疑惑がいっそう深まるばかり。

コメント一覧

tatsujin
記事の写真に相撲取りのような大室寅之祐が出てきますがこれはすり替わった天皇でもだれでもありません。北朝鮮のスパイ鬼塚英昭にやられたということです。
tatsujin
かえでさま

ベラスコの関連記事です

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1170.html
tatsujin
かえでさま

>ベラスコからあれだけの情報を得ていながら原爆の投下を許してしまった.....

ベラスコは原爆は投下されたのではないことを当然知っていました。高橋五郎氏も知っていますが言わないだけです。
demetaaro
疑問追求を繰り返してこそしてこそ真実が見えて来る。
昨年、これが真実だった!と確信を憶え
本当の事を知ってもらおうと友人達にメールで送りました。
結果、数名から二度とメールをくれるな!
あなたは日本人ですか?
その他、怒りとお叱りの返事がきました。
気まずい人間関係が出来てしまい、私は間違った事を伝えたのだろうか?
1年程悩みました。達人の記事の考証結果を読み、溜飲が下がりました。
ありがとうございました。
これからも、健康に留意しながらご指導をお願いいたします。
かえで
数年前に「ベラスコ」の番組を見て、「よく放送できたな」という感想を持ちました。
そして地元長崎の美術館に「須磨コレクション」と称してスペイン美術・絵画が寄贈(在スペイン公使の須磨弥吉郎、ベラスコを使っていた)され展示されている意味が何んとなくわかったような気がしました。
長崎に縁もゆかりもない須磨が(子供もいなかったようだが)なぜ長崎に?
それは、ベラスコからあれだけの情報を得ていながら原爆の投下を許してしまった懺悔の気持ちがあったのではないかと感じました。
長崎で所有しているスペインの美術品は本国に次ぐものだと思います。
須磨弥吉郎という人物も、この人は何なんだ?と思わせます。
tatsujin
>大変勉強になりました。

ここのブログは自分で考えるためのヒントに過ぎません。
大変勉強になりました。
世界の支配者構造の中で天皇家とはどのあたりの地位にいるのでしょうか?
また、神社、仏閣との関連性等知りたい事がたくさんです。
日本人とはいったいなんなのでしょう‥
tatsujin
Oさん
ありがとう。

>管理人様が仰る通り日本人は覚醒しないとダメです。

まさに慧眼。ここのブログは人口の0.005%が読んでいるのですがもう少し増えてほしいです。

何を隠そう私も2008年1月に米国へ行っていろいろ見るまでノー天気でしたよ,マジで。
いつもありがとうございます。
今日から始まった天皇の話、とても悲しいです。しかし真実を受止めることが大事と思っています。
愛子内親王の出番はまだ先のことでしょうか?
私は以前管理人様が記事にされたことがある、NYダウと日経平均のバカラ換算を毎日しています。
毎日データを採っていると意味ありげな数字がままあります。
昨夜のNYダウは、整数部と少数点以下に分けると合計値は18.13となりました。
これはドルの終わりを示唆しているのでしょうか。
共和党がアメリカをデフォルト追い込もうとしている記事もあります。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2011/06/post-2158.php

管理人様が仰る通り日本人は覚醒しないとダメです。
この重大な局面で能天気にお笑いや韓流ドラマやスターに流されているようでは奴等の思う壺です。
変人と思われようとまずは自身が勉強を続け、仲間に働きかけが出来るようになりたいと思っています。
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