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欧米から見た日本 その1



       欧米から見た日本より

アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』

アーネスト・サトウ(坂田精一訳)『一外交官の見た明治維新』岩波文庫青425-1~2,1960.

 アーネスト・サトウ (Ernest Mason Satow,1843~1929) は英国の外交官・日本学者で、公使館付通訳官として来日し、前後25年にわたって日本に滞在して日本語と日本文化に精通した。日本語通訳官に採用されたサトウは、北京に数ヶ月滞在した後、1862(文久2)年9月横浜に到着した。当時オールコックは不在で、ニール陸軍大佐が臨時代理公使をつとめていた。
 1863(文久3)年8月、サトウはアーガス号に搭乗して薩摩藩との戦闘に参加した。1864(文久4→元治1)年3月、オールコックが帰任した。9月、サトウはキューパー提督付き通訳官として長州藩との戦闘に参加した。12月28日、サトウは英国海軍士官を暗殺した清水清次の処刑に立ち会った。このときオールコックはラッセル外相に召還され、帰国の途に着いた後だった。
 1865(元治2→慶応1)年7月初旬、ハリー・パークス公使が着任した。サトウは江戸の公使館へ移り、パークスの輔佐のひとりに起用された。10月30日、サトウは清水の共犯者間宮一の処刑に立ち会った。11月1日、英米仏蘭の連合艦隊は幕閣との談判のため大坂に向い、サトウはパークスに随行した。
 1866(慶応2)年3月6日、サトウは日本伝習兵の観兵式を観覧した。11月26日、横浜に大火があり、サトウは書物とノートの多くを失った。12月、サトウは政治情報の収集にプリンセス・ロイヤル号で長崎に赴き、宇和島・土佐・肥後藩士らと会談した。
 1867(慶応3)年1月、サトウはアーガス号で鹿児島に赴き、英国人一行は薩摩藩の歓待を受けた。アーガス号は宇和島を経て1月11日に兵庫に入港し、サトウは西郷隆盛と会談した。4月、サトウはパークスと徳川慶喜への会談を通訳した後、画家のワーグマンとともに陸路で江戸に戻った。7月、サトウは同僚のミットフォードと新潟から金沢・福井・宇治を経て大坂まで陸路を旅行した。9月、サトウは英国水兵殺人事件の調査のため長崎に赴いた。12月、サトウは書記官に昇進した。
 1868(慶応4→明治1)年1月8日、サトウは大坂城でパークスとフランス公使ロッシュが徳川慶喜に謁見するのに同席した。2月4日、備前兵が神戸の外国人居留地を攻撃したが、英米の守備軍に撃退された。サトウは京都でこの事件の解決に当たり、3月に備前藩士滝善三郎の切腹に立ち会った。3月23日、諸外国の公使は京都で明治天皇に謁見する予定だったが、行列が二名の凶漢に襲われ、パークスは宿舎の智恩院に引き返した。3月26日、パークスが天皇に謁見し、通訳にはミットフォードが付いた。5月22日、パークスは大坂で再び天皇に謁見し、サトウはミットフォードとともに陪席した。9月18日から10月17日まで、サトウは書記官のアダムズとともに蝦夷に出かけた。
 1869(明治2)年1月5日、サトウはパークスに随行して東京で天皇に謁見した。2月24日、サトウは賜暇を得て横浜を出航し、帰国の途に就いた。
 本書 (A Diplomat in Japan) は、1921年にロンドンのシーレー・サービス会社から出版された。序文によると本書の前半はシャム滞在中だった1880年代前半に書かれたが、その後未完成のまま放り出されていた。サトウは1907年以後は英国のデボンシャイアに隠棲したが、親戚から勧められて1919年以後再び筆を進め、ようやく完成した。本書は、日本では終戦まで25年間禁書とされていた。

日本の商人も、往々同様な手段で相手に返報されたが、不正行為を差引きすれば日本の方がはるかに大きかった。そんなわけで、外国人たちの間に、「日本人と不正直な取引者とは同義語である」との確信がきわめて強くなった。両者の親善感情などは、あり得べくもなかったのである。 (上巻, p. 21)
何度繰りかえして言っても、とにかく大名なる者は取るに足らない存在であった。彼らには、近代型の立憲君主ほどの権力さえもなく、教育の仕方が誤っていたために、知能の程度は常に水準をはるかに下回っていた。このような奇妙な政治体制がとにかく続いたのは、ひとえに日本が諸外国から孤立していたためであった。ヨーロッパの新思想の風がこの骨格に吹き当たったとき、それは石棺から取り出されたエジプトの木乃伊ミイラのように粉々にこわれてしまったのである。 (上巻, p. 42)
私は、日本語を正確に話せる外国人として、日本人の間に知られはじめていた。知友の範囲も急に広くなった。自分の国に対する外国の政策を知るため、または単に好奇心のために、人々がよく江戸から話をしにやっていた。私の名前は、日本人のありふれた名字(訳注 佐藤)と同じいので、他から他へと容易につたわり、一面識もない人々の口にまでのぼった。 (上巻, p. 194)
黒山のような群集が、どこへ行っても私たちのあとからついてきて、衣服にさわったり、いろいろな質問を発したりしたが、それらの態度は至って丁寧だった。私は、日本人に対する自分の気持が、いよいよあたたかなものになってゆくのを感じた。 (上巻, p. 219)
また、彼らは、天皇ミカド(訳注 孝明天皇)の崩御を知らせてくれ、それは、たった今公表されたばかりだと言った。噂によれば、天皇ミカドは天然痘にかかって死んだということだが、数年後に、その間の消息に通じている一日本人が私に確言したところによると、毒殺されたのだという。この天皇ミカドは、外国人に対していかなる譲歩をなすことにも、断固として反対してきた。そのために、きたるべき幕府の崩壊によって、否が応でも朝廷が西洋諸国との関係に当面しなければならなくなるのを予見した一部の人々に殺されたというのだ。 (上巻, p. 234)
私はいつも、日本の舞踏、というよりもその身振りに、はなはだもって感心しないのだ。日本の踊りは、多少とも優美な(あるいは不自然に気取った)肢体の動作によって、三絃のリュートの伴奏で唄われる唄の文句を表現するのである。 (上巻, p. 244)
翌日、越前の首都で、人口四万の福井に着いた。この町も街路が清掃されていた。晴れ着を着た見物人が列をつくって店先に並んでいたが、そのありさまはあたかも席料を出してイギリス議会開院式に臨席する女王を拝観する時の光景に似ていた。私はまだ他のどこにおいても、こんなに大勢の美しい娘たちのいる所を見たことはなかった。 (下巻, p. 29)
私たちには、さして高官でもない伊藤のような人物がこうした二役の兼任に適していると考えられたり、また一般の人民が容易にそれらの人間に服従するということが奇妙に感じられたのだが、私の日記にも書いてあるように、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。 (下巻, pp. 140-141)
天皇ミカドが起立されると、その目のあたりからお顔の上方まで隠れて見えなくなったが、しかし動かれるたびに私にはお顔がよく見えた。多分化粧しておられたのだろうが、色が白かった。口の格好はよくなく、医者のいう突顎プラグナサスであったが、大体から見て顔の輪郭はととのっていた。眉毛はそられて、その一インチ上の方に描き眉がしてあった。 (下巻, p. 199)

グラバーと幕末

長崎に来たグラバー

明治維新特集

アーネスト・サトウの滞在中の政治状況


この写真は記事とは関係ありませんが韓国の女性は容姿端麗だね。その上生命力が強いのです。時として在日を軽く見る狭量な日本人の将来が心配です。

Ernest M. Satow, A Diplomat in Japan

 Ernest Mason Satow (1843~1929) was a British diplomat and Japanologist who stayed in Japan for twenty-five years in total. His first stay was since September 1862, as an interpreter at the British legation in Yokohama. Satow worked for several ministers including Rutherford Alcock and Harry Parkes, and he interpreted meetings with the Shogun and the Emperor. His most famous book A Diplomat in Japan was prohibited translating into Japanese until the end of the World War II.

Ernest Satow, A Diplomat in Japan, 1921. (Internet Archive)
http://www.archive.org/details/diplomatinjapani00sato

Now and then a Japanese dealer would get paid out in kind, but the balance of wrong-doing was greatly against the native, and the conviction that Japanese was a synonym for dishonest trader became so firmly seated in the minds of foreigners that it was impossible for any friendly feeling to exist. (pp. 22-23)
The daimio, it cannot be too often repeated, was a nobody; he possessed not even as much power as a constitutional sovereign of the modern type, and his intellect, owing to his education, was nearly always far below par.* This strange political system was enabled to hold together solely by the isolation of the country from the outer world. As soon as the fresh air of European thought impinged upon this framework it crumbled to ashes like an Egyptian mummy brought out of its sarcophagus. (p. 38)
I was beginning to become known among the Japanese as a foreigner who could speak their language correctly, and my circle of acquaintance rapidly extended. Men used to come down from Yedo on purpose to talk to me, moved as much by mere curiosity as by a desire to find out what foreign policy towards their country was likely to be. Owing to my name being a common Japanese surname, it was easily passed on from one to another, and I was talked about by people whom I had never met. (pp. 156-157)
An immense crowd followed us everywhere, examining our clothes and asking all manner of questions, but behaving with the utmost civility. I felt my heart warm more and more to the Japanese. (pp. 175-176)
They also conveyed to me the news of the Mikado's death, which had only just been made public. Rumour attributed his decease to smallpox, but several years afterwards I was assured by a Japanese well acquainted with what went on behind the scenes that he had been poisoned. He was by conviction utterly opposed to any concessions to foreigners, and had therefore been removed out of the way by those who foresaw that the coming downfall of the Baku-fu would force the court into direct relations with Western Powers. (pp. 185-186)
I have always thought Japanese dancing, or rather posturing, extremely uninteresting. It is a sort of interpreting by more or less graceful (or, as one may look at it, affected) movements of body and limbs, of the words of a song chanted to the accompaniment of a kind of three-stringed lute. (p. 193)
Next day we reached Fukui, the capital of the province, a town of about 40,000 inhabitants. Here again the streets had been cleared ; spectators in their best were seated in rows in the shops, and looked just as if they had paid for their places, like the people who go to see the Queen open Parliament. I never saw so many pretty girls together anywhere. (p. 246)
It seemed curious, we thought, that a man of certainly not very high rank should be thought fit for this double post, and that the common people should be ready to obey him, but the Japanese lower classes, as I noted in my diary, had a great appetite for being governed, and were ready to submit to any one who claimed authority over them, especially if there appeared to be a military force in the background. Ito had the great recommendation in his favour that he spoke English, a very uncommon Japanese accomplishment in those days, especially in the case of men concerned in the political movement. It would not be difficult, owing to the submissive habits of the people, for foreigners to govern Japan, if they could get rid of the two-sworded class, ... (pp. 326-327)
As the Mikado stood up, the upper part of his face, inchiding the eyes, became hidden from view, but I saw the whole of it whenever he moved. His complexion was white, perhaps artifically so rendered, his mouth badly formed, what a doctor would call prognathous, but the general contour was good. His eyebrows were shaven off, and painted in an inch higher up. (p. 371)



日本から見たイサハキでの米軍

コメント一覧

こんばんは。
本論からずれてすみません。
今日の日経平均のカバラ換算です。
極めて異様な値になっています。 何らかのサインでしょう。

始値: 9980.16 ・・・ 33 → 6
高値: 10005.75 ・・・ 18 → 666
安値: 9940.47 ・・・ 33 → 6
終値: 9965.09 ・・・ 38 → 11

終値の11は7月4日(本日)のことか、7月11日のことなのか?
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