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ダンテ神曲ものがたり その33


 このブログの読者に分かりやすいように暇をみて解説・写真をその2から付け加えて行きます。途中の記事の中にエジプトの伝説の鳥「フェニックス鳥」も出てきたりドルイド僧なども出てきます。これはダンテの(聖なる)喜劇である神曲が陰の政府の教科書でもあることがうかがえます。ダンテは(聖なる)ではなく単に喜劇にしたかったようです。それもそのはずその21の一番下に「オナラ」なんかも出てきますよ。

ダンテが「神曲」でDEMONSを表すため,どれほど多くの名前を使用したかはウエルギリウスにそれを使わせている。地獄篇第11歌,煉獄篇第12歌,第16歌など悪魔は話し手に応じて変化する。DEMOCRACYという単語があるが DEMONS(悪魔)+CRACY(支配)でありこれが民主主義の正体でもある。キリストは魚座の時代の架空の話であり次の水瓶座の時代にはその姿を消すが悪魔は確かに存在する。ヴェニスの商人アントニオは言う『デヴィルも聖書を引き合いにだすことがあるものだ』

 フュースリの絵を基にした版画のこの魔女たちはシェークスピアの「マクベス」に登場する三人の魔女であろう。三人の名前はラケシス(人間に一生の長さを与える),クロト(人間の存在する時間を定める糸をつむぐ),アトロポス(人間の寿命がつきたとき大バサミで糸を切る)となっている。シェークスピア「マクベス」第一幕第一場で,最初の魔女は時間の長さを決め,第二の魔女はいつどこで集まりを持つかを決め,第三の魔女は太陽が沈むことにふれてマクベスの名前をもちだし,未来への言及「すぐにさ」でもって会話を終えている。
 
 マクベス夫人曰く,さあ,短剣をお渡し。眠りこけた人間や死体なんて,絵に描いたものとなんらかわりはない。描かれたデヴィルを見てこわがるのは,子どもだけです<マクベス>


ギュスターヴ・ドレによるダンテ「神曲」の挿絵。氷の湖で,地獄の中心で苦しめられる者達を睨みつけるサタン。右手の氷の岩の上に,ダンテと導き手(古代ローマの詩人)のウエルギリウスが見える。

 それより黒の予言書の方が凄いなあ。

拍手コメント欄で推薦された歌。

それは...歴史を辿る少女と世界の物語

詠いたい詩があるんだ...辿りたい途があるんだ...
守りたい丘があるんだ...誇りたい薔薇があるんだ...
収めたい戦いがあるんだ...聴かせたい歌があるんだ...
語りたい航海があるんだ...掲げたい右腕があるんだ...

どんな時でもボクらは諦めない 歴史の彼方 遠くて近いソラ
キミとの約束 受け継がれる想い 終わらないボクらの系譜...

物心付いた時 母は既に居なかった
仄かな哀しみは 優しい子守唄...
生まれてくる前に 父も既に居なかった
確かな憎しみは 激しい恋心...

違う星を抱いて 生まれてきたボクらも現在は
同じソラに抱かれてる それなのに...それなのに...

あの頃ボクらが夢見てた 未来へ駆ける白馬を
追い駈ける影が在ることも 識らなかったボクらを乗せて
疾って往くよ...予言された終焉へと...

黒の予言書>それは「存在してはならない書物」
とある予言書崇拝教団の施設より押収された
全二十四巻から成る黒い表紙の古書

(管理人注:可能性のあるものとしてフィオーレのヨアキムかもしれない。あるいは,ナグハマディは写本しか残っていないが押収されて燃やされたその原本かも?または,Fredegarの年代記か?

 24巻を24章と置き換えれば『シオンのプロトコール』なのだが。イスタンブールのメーソンのロッジで見つかったと噂されるヘブライ語旧約聖書24巻のことを指しているのだろう。

『「旧約聖書」とはキリスト教の用語であり、ユダヤ教では、単に「聖書」と呼ぶ。
便宜上「ヘブライ語聖書」と呼ぶことが多い。
ヘブライ語聖書はキリスト教の旧約聖書とは並べかたと分類の順序が異なるが
内容は全く同じである。

ヘブライ語聖書
律法 5巻(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)
預言者 8巻
先の預言者 4巻(ヨシュア、士師、サムエル、列王)
後の預言者 4巻(イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、12預言者)
諸書 11巻
真理 3巻(詩篇、箴言、ヨブ)
5つ巻物(雅歌、ルツ、哀歌、伝道者、エステル)
その他 3巻(ダニエル、エズラ/ネヘミヤ、歴代史)

この分類では合計24巻になる。
聖書の起源を辿る場合、「律法」「預言者」「諸書」という大分類の呼び名が重要になる。』

 同じくイスタンブールのロッジで発見されたカトリックのDouay-Rheims聖書の原本

オスマン帝国バーディシャーを知りたい人は「蛮族戦闘団体と文明 その2」を参照


 これこそBlack Chronicleの正体であろうか。

 シオンのプロトコールその1から24章までの要約。

そこに記されていたのは 有史以来の数多の記録
ある種の整合性を持つ 歴然とした年代記
それを史実と認めるならば
我らの肯定してきた歴史とは何なのだろうか?

書の記述は未来にまで及び 一つの相違に
複数の学説を芽吹かせ 蟲惑の論争を咲かせる
その最大の論点は 近い未来この世界が
終焉を迎えるという<史実>...

何処までが味方で何処からが敵だ?
そこを見誤ると歴史に屠られる
各々で勝手に境界を敷いてる
白地図に刻むは争いの軌跡だ
嗚呼...狭い...ここは何て狭い世界だ...

敵は全部殺すんだ 盟友よそれで一時安心だ
(幸セカイ? 嗚呼...シアワ世界? 死逢ワ世界? ソレデ...幸セカイ?)
けれど味方も敵になるんだ ならば先手打って殺すんだ
(幸セカイ? 嗚呼...シアワ世界? 死遭ワ世界? ホント...幸セカイ?)
しかし敵は無くならないんだ だから怯えながら暮らすんだ
(幸セカイ? 嗚呼...シアワ世界? 死逢ワ世界? ソレデ...幸セカイ?)
されどそれを繰り返すだけだ それが幸せを掴む途だ
(幸セカイ? 嗚呼...シアワ世界? 幸セヲ掴ム途ダ...)

 幸セカイ?=作家藤本義一氏は言う。『女の化粧は一種の詐欺である』と。

間違ってる そんな論理は 間違ってるんだ
この世界を 売ろうとしてる 奴らがいるんだ
気付くべきだ 気付いたなら 戦うべきだ
たった一羽 時風に向かう 白鴉のように

あの頃ボクらが夢見てた 未来へ託した地図を
描き換える影が在ることも 識らなかったボクらを超えて
疾って往こう...予言にない<ハジマリ>へと...

物心ついた時 母は既に居なかった...
病死だとボクに告げたのは
孤児であるボクを引き取り養育した組織だった
組織には似たような奴らが何人も居た
やがて組織に疑問を抱いたボクらは組織から逃亡した...


   (注)詩人バラッド

 注:オトマン帝国が世界国家であった時の正教キリスト教(本体)ユーゴスラヴ族の英雄バラッドのこと。

『書の魔獣』の歌詞ってな~~に?




            ドルイドの巫女

 ダンテのオナラとはつながりがないのですが(先日画像をアップできなかったのでアップしておきます)上の二人の博士は,ようするに,WHO(世界保健機構)は人殺しと言っているのです。

 ジンバブエでのコレラ菌散布で味をしめハイチでもやっているようです

 細菌の質と量を保つためTISSUE CULTURE(組織培養)で増殖を行い不定胚で品質を一定にする。

癌が治っては困る集団は存在するのです。

例えば生体水治療もそうです

ケイ・ミズモリさんのこの本は一度読まれてはどいうでしょうか。

 『超不都合な科学的真実 もうからない重要な発見はすべて潰される』

【目次】(「BOOK」データベースより)
1 隠蔽された不都合な医学的大発見(ガン、エイズを治癒させる究極のワクチンが握り潰された!?―治癒率99%の治療法が医薬品業界に与えた衝撃/不死身の生物ソマチッドはいかに医薬品業界を震撼させたか―万病に効く免疫強化製剤の開発過程で行われた妨害工作)/2 改善されない不都合な食文化の超真相(現代の食品を支える電子レンジが危ない?―疑われる栄養素の変質と人体への悪影響を検証する/ガン、心臓発作、脳卒中治療の重大な欠陥を炙り出す―“万病のもとは食生活”に着目の横田学説が封印された理由)/3 エネルギーを巡る政財界の不都合な関係(北米東部一帯を襲った大停電は計画的に起こされたのか―マインド・コントロール電磁波兵器実験という疑惑/誰が電気自動車を殺したのか―石油業界、政界、自動車業界を結ぶ危険な関係)/4 不都合なコミュニケーション・メカニズムを解明する(西洋医学の常識を覆すバイオ・アコースティックスとは―治療法が確立されていない病気、怪我への有効性を探る/言葉に秘められた魔力「リバース・スピーチ」の謎を追う―心理分析から人類の意識改革まで進化するか)/5 自然界から贈られた不都合な未来科学の発見(昆虫から授かった超先端テクノロジー―未知なるエネルギー“反重力”のメカニズムとは/自然との共生が人類の未来を切り開く―想念や感情のコントロールを経て愛のある進化へ)

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
ケイ・ミズモリ(ケイミズモリ)
医療、科学、環境、米国情勢など、「知」の周縁部を探究するジャーナリスト・翻訳家。早稲田大学卒業後、約11年の米国滞在を経て、現在は横浜在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


   丸山ワクチン公式サイト


フェニックス鳥が500年に一度自ら火の中に飛び込むようにこのアステカの女神の化身マゲイは100年に一度だけ花を咲かせるという。それは記事にもしたチラム・バラムの預言どおりでもある。

              天地創造

 このことを信じなければならない。ここに,われわれの父なる神がわれわれに残された高貴な石(TUN)がある。ここに初めの食事があり,われわれ首長たちが神に現れてもらうために飲むバルチェ酒がある。彼らが彼らの真実の神,高貴な石を崇めるのは正しい,なぜならは真実の神,われわれの主なる神,天と地の主,真実の神はおられるのだから。だが初めの神々は滅び,それらの神々の御言葉は終わった。この世の贖罪が成就し,天と地を祝福する真実の神がふたたび生まれたとき,天主を祝福するために,初めの神々は衰弱された。おお,マヤの民よ!汝らの崇敬が衰えたら,その信仰から汝らの心を背けよ。

 13の神がカンヘル(龍)の標章を取られたとき,一度大洪水が起こった。やがて大地の崩壊の後,黄色い<こまうぐいすの雄>シブ・ユユムが飛んできてとまり,その後バカブの四柱の神が立ち上がるとき,天は落ちてくるであろう。天は地に落ちなければならないだろう。それからバカブの神々は豊饒の白いケイバの樹を北に植えた。世界の破壊の微(しるし)である天の柱(ワオム・チェ=ケイバの樹)が打ちたてられたが,それは豊饒の白いケイバの樹であった。つぎに豊饒の黒いケイバの樹が,胸が黄色いピツォイ鳥をとまらせ,黄色いシブ・ユユム鳥や黄色い臆病なムト鳥をとまらせるため,西に植えられた。豊饒の緑のケイバの樹が国の真ん中に植えられたが,それは世界の破壊の微(しるし)であった。

 大地が生まれるとき,八千回の十三倍足す七が,大地の誕生の過程の総和であった。大地は神々のために存在した。「二日間の玉座」「三日間の玉座」が宣せられた。それから<十三の神>の涙が始まった。この神の治世の間,神々は泣き続けた。それは赤い統治の時代であった。

 三ヶ月の間,カトウン三アハウの太陽が違った方向からのぼりつずけたとき,大きな不幸がやって来た。三年の後,それはカトウン三アハウにおける正しい位置に戻るであろう。その後,外来者がやってきていた。不幸の重荷はカトウン十三アハウの全ての年の間,持ち運ばれた。...............................

だがこのカトウンの預言(ことば)が終わるとき,神は大洪水をもたらすだろうし,それがこの世の終わりとなるだろう。真実の神,天と地を創り,地上のすべての生命を創られた真実の神ハハル・クが,その力と能力につつまれて天降ってこられるだろう。見よ,その神は地上に正義を取り戻すため,善者と悪者のため,勝利者と捕虜のために天降ってこられるだろう。

http://web.thn.jp/den/den_hp_pdffiles/041224.pdfをHTML変換して取り出した興味ある記事があります。

自転軸の傾斜と極移動の違いとは

「惑星の傾斜と極移動とは同じ現象ではありません。惑星の自転軸が傾斜する現象は,地軸移動と呼ばれています。
一方,極移動とは,地軸の傾斜角度は変化しません。南北が完全に逆転したとしても,地軸の傾斜角度はもとのままで天体だけが反転する現象です。
海洋地質学の研究者たちは,根気のいる調査によって,チャーチワードなる人が提唱した幻のムー大陸が実在しそうにないことを証明しつつあります。
もし地球の自転軸に意識を集中させれば,今から30年後までに起こる可能性の地軸の傾斜傾向と,その解決策が見つかると思います。

私がしばしば記す地球の自転軸の傾斜とは,地軸の傾きが23.4度以上傾いている現状45度,60度,あるいは180度傾く現象を指します。この時,同時に極の反転も起きる可能性が高い。私たちが住む太陽系の他の惑星も,勿論このような現象を体験しています。今のところ隣の惑星の火星だけが極移動と考えられる現象を示しています。それ以外の惑星は,自転軸の傾斜があったと考えられる。小学校低学年の児童のように思考すれば,地球も過去に自転軸の傾斜が発生したことを明白,と感じるでしょう。
現在の地球の地軸が(注:赤道に対して)23.4度傾いている事実。(90度ー23.4度=66.6......それによって四季がもたらされているのは本当の神はきっといるのでしょう)

南極大陸を覆っている氷と,シベリアから冷凍状態で発見されたマンモスなどの動物は,地球の過去に生じた地軸の傾斜によるものと感じられます。また日本近海では,奄美大島から南西諸島にかけて,この島々を乗せている琉球海嶺の二箇所に,深さ1000メートルから1300メートルに及ぶ断層が発見されています。周囲の深さは200メートル。この断層だけが,1000メートル級の深海です。

そして調査の結果,この地質上の分断は今から約24000年前に生じたことが判って,それまでは陸地であったことも判りました。またこの当たりでは,与那国島などに海底遺跡が発見されています。ここで注意しておいてもらいたいことがあります。

それは,惑星の自転軸の傾斜や極移動は,地球の自然界の周期活動の一つにすぎないということです。地球に悪がはびこったので神様が地球人を滅ぼそうとしているのではないのです
 

管理人注:こういうポール・シフトは過去に何回も起こっていることで一応覚悟だけははしておいた方がいいでしょう。ではどういう覚悟かというと.....

ちょっとグラハム・ハンコック氏の地表のズレについて考えてみよう。地球の回転の場合,地理極が5,000キロも位置を変えてしまうからだ。古代マヤの預言書ではすでに四回の極の移動を経験している。カレンダーはリセットされ,BC3113年6月12日再び始まった。そして 2012年12月23日アハウではリセットは決してされないかもしれない。それは極移動ではなく180度の極の反転になるからだ。一応ウエゲナーの大陸移動説やプレートテクトニクス理論など,中学生のほうが詳しい。

 かつて極の逆転はあった。そのショックで南側に延びていたインド大陸はユーラシア大陸へのめり込み,その結果ヒマラヤ山脈は形成された。地球の公転方向は現在と同じであったが,自転方向は現在と逆行し,南極は北極,北極は南極にあった。内核の自転方向は地球の自転方向と同じで,当時の一日は48時間であった。現在は球殻は回転速度を二倍にあげたため,24時間となっている。しかし今度は180度の極の反転と,あわせて彗星の異常接近とが重なり,唸りをともなって2/3が海底に沈むことになるかも。 


 Black Chronicleより

古き遺跡より発掘されし 黒き書物
それは歴史を覆す…否
その全てを肯定する 最悪の予言書…

色褪せた紙 くすんだ文字
古代語で書かれた目次
最後のページ…「審判者の来訪」…

──序章「殺戮への前夜祭」──

昨日 多くの父達が死んだ…
今日 多くの母達が死んだ…
明日 多くの子供達が死ぬだろう…

一つのパンを奪い合う者
一つの椅子を奪い合う者
一つの王冠を奪い合う者
一つの栄光を奪い合う者

「息の根を止めろ、邪魔する者は全て消せ!」

闇だ 深い闇だ 歴史の闇だ 誰かが笑っている
何故僕らは 仲間同士で殺し合っているんだ…

書に刻まれし魔物
黒い秩序に従い 歴史を辿る調べ
時は 寸分の狂いもなく
針の上を滑り堕ちるように
ただ 最後のページめがけて…

──最終章「終焉の海に漂う箱舟」──

逃げろ やってくるぞ
最期を告げる鐘の音 終焉の洪水だ
幾多の記憶 歴史を飲み込んで尚
その魔物は止まらない…

ノアの洪水跡については聖書ものがたり・創世記参照

世界はノアを探している…
(拙稿;ギルガメシュ叙事詩参照のこと

その記事のコメントに女子大生からコメントがありました。

『投稿者:瀬尾玲子
2007/7/2 2:25
達人さん,はじめまして
女子大4年生です。ギルガメシュがウトナビシュティムに会って聞いた言葉=大洪水の話が,聖書の「ノアの箱舟」の原型であることを知り,晴天の霹靂のような驚きと喜びを感じており,聖書のゼミで一本勝ちしました。教授は驚いていましたが,教授も知らないことでした。ありがとうございました。』と.......でも教授が知らないとは!!!

 一部抜粋:『フワワと天の牛を殺したために,エンキドウは神々により,近いうちに死なねばならぬと宣告をうける。12日間の病ののち,悲嘆にくれたギルガメシュに見守られつつ彼は最後の息を引き取った。彼は永遠の生命を求め始めた。これまでただひとり,古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが,不死を得たということをギルガメシュは知っていた。彼はその住まいをたずねて旅にのぼる。ついにたずねあて,永遠の生命の秘密をたずねる。だが,ウトナピシュティムの答えは彼を落胆させるものであった。ここで昔あった大洪水のことが物語られる。エア神(バビロニア創生神話エマヌ・エリシュよりの言葉によってウトナピシュティムは四角の船を造り,危険から逃れることが出来た。永遠の生命については,それを送ってくれた神々の決めたことで,彼のあずかり知ることではないというのであった。

しかしながら,大洪水の記述はギリシャ神話にも見られるのである。詳しくは,ヘシオドムの神統記をご覧ください。聖書にあるゴフェルの木はオーク材のことで,当時はなかったとされる。創世記第6章(洪水)に登場する『ネフィリム』は旧約聖書の起源が、シュメール神話にあることが簡単に分かる。

 旧約には長さ300アンマ,幅50アンマ,高さ30アンマとある。アンマとはひじから中指の先までの長さで約45センチ。ということは,長さ135メートル,幅22.5メートル,高さ13.5メートルになる。 アララト山の痕跡がこの長さ,幅,高さであれば,本物と言えよう??。

 箱舟を造るノア(システナ礼拝堂)

方舟に乗り込んだのは ノアとノアの妻、ノアの三人の子のセム、ハム、ヤフェト と その妻子たち。7組の儀式に使う動物のつがい、1組の不浄な動物のつがい、そして7組のとりのつがい であった。

 アダムからイエスまでの血統図

 以上は矢島文夫氏のギルガメシュ叙事詩(絵も)からの一部要約であるが,おやっとされたと思います。すでに長谷川三千子氏の和辻哲郎文化賞受賞作「バベルの謎」で紹介したように,聖書の「ノアの方舟」にでてくる大洪水はまさしくギルガメシュを素材として出来上がったものであることは,疑問の挟みようがない。バベルの塔はジグラットでありこれは記事にした。この叙事詩が記された粘土板の一部,大洪水の物語が刻まれた部分は大英国博物館で見ることが出来る。この叙事詩は「すべてを見たる人」と呼ばれたが,本来はシュメール人に起源を発することが判明してきている。またすべてを見たる人=エジプトの万物を見通す目に通じるものである。』

      本物のバベルの塔跡

 ノアの方舟に関する資料その1

 ノアの箱舟に関する資料その2

 マルコ・ポーロの東方見聞録の中にも!!

我らの救世主は 最初から箱舟の中
闇に沈んでゆく世界を嘲笑い
黒い書を片手に 幾千の罠を投げ掛ける…
それでも僕達は諦めなかった
本当の 最後のページを探すことを


 これが最後のページです

ノアは地上が傾くのを見て,破滅の時が遠くないことを知り,悲壮な声で叫び声をあげた。「地上に一体何が起ったというのだ。地上は悲しみにふくらみ,激しく震えている」<ENOCH書>より

 エチオピアエノク書

 「第10章」から抜粋(注:エチオピア正教会ではこのエノク書が含まれています
《その後、大いなる、聖なる至高者(ヤーウェ)は語りかけ、アルスヤラルユルをラメクの子(ノア)の所に遣わすに先立って、こう言われた。「私の名によって彼に、『身を隠せ』と言え。また、来るべき終末(世の終り)を彼に明示せよ。全地は滅亡するのだ。大洪水が起って全地に及び、地上にあるものは滅び失せるのだ。今、彼が難を逃れ、彼の子孫が世々代々生き残れるように彼に指示せよ」。主はまた彼ラファエルに言われた。「アザゼルの手足を縛って暗闇に放り込め。-略―審判の大いなる日に、彼は炎の中に放り込まれるのだ。-略―全地はアザゼルのわざの教えで堕落した。一切の罪を彼に帰せよ」。また神はガブリエルに言われた。「父なし子や不義の子、姦通の子らをねらい、姦通の子、寝ずの番人が生ませた子を人間の中から滅ぼし去れ。―略―どうせ長い寿命ではないのだから。-略―彼らは永生を望み、各人500年の寿命を希望しているのだが」。神はミカエルに言われた。「シュミハザとその同輩で女達とぐるになり、ありとあらゆる汚らわしいことをして自堕落な生活をした者達にふれよ。-略―すべて快楽の(虜となっている)魂と、寝ずの番人の子孫を滅ぼせ。―略―一切の乱暴を地上からなくせ。一切の悪行は消え失せ、正義と道理の木が生え出でよ。―略―」》

これは、ノアと洪水という過去の出来事を通して、終末や最後の審判の世界、つまり未来を語っているのであります。そして、書記者が現在であり、即ち、過去・現在・未来が一つになって語られているわけです。ここでの神、至高者は人間くさい荒っぽい神に表現されていますが、この天使に命令する神の似像は、ヤーウェ神というよりは、ダビデに近く、思想もダビデの考えが反映されたものであります。


 いわゆるノアの洪水と聖書に記されている洪水は紀元前3000年にバビロンの近くのKishで起こったことが1929年の調査で判明した。

 2012年12月21日というタイミングで、私たちのいる太陽系は銀河系の一定の位置を通過する。そして、銀河の中心と太陽と地球はその日に一列に並ぶ。ノアの洪水時の様子は知りたいところだ。

洪水になる前は,ノアが箱舟に入るその日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていた。そして,洪水が襲って来て一人残らずさらうまで,何も気づかなかった。<マタイによる福音書24章38~39節>


 1. 王の軍旗前進せり、ここ冥府に:原文は"Vexilla regis prodeunt Inferni"でラテン語である。賛歌"Vexilla regis prodeunt"『王の軍旗前進せり』は6世紀のポワティエPoitiers[フランス西部の町]の司教であるヴェナンツィオ・フォルトゥナートVenantius Fortunatusによって書かれたもので、この賛歌は教会の祈祷書に属している。ここでは「王の」"regis"という単語に「冥府の」"Inferni"という語が付け加えられることによって風刺的にもじられている(パロディ化されている)["vexilla"は"vexillum"の複数形である。なお、ダンテの意図(以下に説明)を考えると日本語訳としては「王の軍旗前進せり、ここ冥府に」と、"inferni"を副詞的に訳出した方がよいと判断した。すなわち、原文の並びでダンテは「王の軍旗前進せり」を最初に強調し、読者にまず「十字架」を印象付け、次に「冥府の」と修飾して「神の旗ではない」ことを印象付けているのである。そして次行の「われらのすぐ近くに」で本来は軍旗が現れない場所をさらに特定している[名詞の後に修飾語を置くイタリア語(英語でも)と、名詞の前に修飾語を置く日本語との違いが言葉の流れの意味付けを逆転する例である]。聖金曜日に歌われたこの賛歌は十字架の顕現を予期している。聖金曜日の夕方に旅を始めたダンテはウェルギリウスの言葉でルシフェルの眺めを準備される。それは「濃い霧」の中で「風車」のように現れる。引き合いに出された旗はルシフェルの翼である。このパロディ化された行の皮肉的な本質とその効果は明白である。最初の3語「王の軍旗前進せり」で読者は十字架という言葉で考える準備をさせられる。それはキリストを通した人類の贖罪の象徴である。しかし4語目の「この冥府に」という言葉で読者は突然にいまある地獄の現実を、そして更に、ルシフェルの直接の存在と悪魔の擬人化ならびにキリストの愛の対照を成す物を呼び起こされるのである[この賛歌を【資料34-1】に示す]。

10. 降りて見ると、わたしは氷の下で固まった魂の上に立っていました:氷の中で堅く固定されたさまざまの姿勢のこれらの罪人たちは完全な不動と伝達不能の光景を呈している。彼等が別の時間を埋葬されてきているのにもかかわらずにである。沈黙はコキュトスの第4のこの区域(117行で裏切り者ユダに因んでジュデッカと名づけられた)で支配的であり、そこは神のためないしは彼等の従者のための愛情の思いやりがすべて消滅せられてきているそれら魂たちの氷のように冷たい住居なのである。

18. かつてはいかにも美しかったその被造物:その堕落の前にはルシフェルは天使の最も美しい者であると神によって支持された。奢りが創造者に対するルシフェルの反乱を引き起こして彼の天からの追放を促進したのである。この最初の(最高の)裏切り者は、ほかの罪人と同様に、氷の中で固定されて苦しみを蒙っている。彼は涙を流しているのである。

20. これがあの者なり、これがディースであるぞ:古代において冥府の神プルートーンPlutoはしばしばここでルシフェルに適った名前の「ディース」[ラテン語で"dis"または"dite"は「富める」意味の形容詞]として言い表されてきた[『地獄偏』では、「ディース」は「サタン」と「下地獄の街」との両方を指摘している(第8章68行、「アイネーイス」6:127参照:【資料34-2参照】)。ラテン語で"lucifer"は「光り輝いている」という形容詞である。悪魔の呼び方については【資料34-3】参照]。

38-45. 一つの頭が三つの顔を持っているとは!:ダンテはルシフェルの頭を三位一体の曲解された(堕落した)相似として示している。この三つの別々の顔の象徴的な真意は多く論争されてきている。多くの注解者たちはこの色(赤、黄、黒)が三つの知られた大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)を思い描いていると信じているが、それらが三位一体にふさわしい属性に対照法的に相似しているべきだというのがもっと論理的であると思われる(第3章5-6参照:「神の全能が我を創造し、かつ最高の知恵が主なる愛と結合せし」)。それゆえに、最高の知恵が無知(黒色)によって、神の全能が無能(黄色)によって、主なる愛が嫉妬(赤色)によって対比されるべきであろう。

46. それぞれの顔の下で二つの力強い翼が伸ばされていて:ルシフェルの全体像は天使のようなもののパロディである。本来はケルビムCerubim(智天使)の階級[第27章【参考】天使の階級参照]に属していて、それは地獄においてさえ六つの翼を保有している。ここでは、それらの天国のような羽毛を持っていないけれども、それらは蝙蝠の羽のように見える(中世における悪魔の翼の標準的な描写である)。サタンの暗闇における巨大だが無力な姿はまた、動き回っている光の小さくて極少量の点としての神の像と対比されるかも知れない。

56.麻と亜麻の繊維をかき集める(砕麻機のような):[原文は、"a guisa maciulla"で、「砕麻機の形状をして」であるが、「マキュッラ」"maciulla"はトスカーナ方言で「麻打ち機、砕麻機」である。それは「(麻や亜麻を)木質の茎から分離させる」機械である。Musaは、"like those that rake the hemp and flax"と訳し、機械よりも道具の"rake"(レーキ、くまで)を用いている。ここでは両者を併記し、特徴付けるために「砕麻機」にマキュッラとルビを振った。なお、動詞の"maciullare"は「貪り食らう、噛み砕く」の意味がある]

60. 時々はその背中が丸裸にされた:[Musaはここでも"rake"を使っているが、原文は"che talvolta la schiena rimanea de la pelle tutta brulla"で、「丸裸」が打ってつけの訳である]

61-63. 「そこの上のあの魂は大抵を耐えておるが」:銀貨30枚の代わりにキリストを裏切っていて、ユダは他の二人の魂よりも大きな罰を耐え忍んでいる。ルシフェルの口の中での彼の位置は第19章での聖職売買人のそれを思い起こす。さらには、ルシフェル自身が同じ様子で現れるであろう(「上のほうに広げている二本の脚」90)、そしてその時ダンテとウェルギリウスが地球の中心を通り過ぎていて地獄を去ろうとしているのである。その聖職売買人達は、その時、彼等の行為(キリスト教教会への反逆)と肉体の空間的な配置の両方において、神とキリスト教に対する最も重要な反逆者を予示(予想)している。第19章最終注解参照。

65. 黒い顔で垂れ下がっているのがブルトゥスなる:マルクス・ブルトゥスMarcus Brutusは、陰謀に加わるようにカッシウス(67)によって惑わされるように説得されたが、ユリウス・カエサルの暗殺に荷担した。地獄における最後の光景で巡礼者が神ないしは世界的権威者(すなわち教会とローマ皇帝)に対する裏切り行為を許したそれらの亡霊を見るべきことは適合している。これは、少なくともこの歌章において、根源的な主題(教会と皇帝)の頂点を供給している。

67. ほかの一人はカッシウスなり、其奴は未だに逞しい:カイウス・カッシウス・ロンギーヌスCaius Cassius Longinusはカエサルに対する陰謀の別の一員であった。「未だに逞しい」とカッシウスを描写することで、ダンテは、彼が明らかに、キケロが"adeps"(lat.太っ腹)と呼んだルキウス・カッシウスLucius Cassiusと混同されてきたことを示しているのである。

68. しかしまもなく夜がこよう:[矢内原注:1300年4月9日の夕方。初め地獄に入ったときには復活祭の前夜4月8日の夜でありました。ダンテは24時間地獄の中にいたのです]。

 『管理人注:黄色い部分の4月8日の夕刻に地獄への旅に立ち....... とありますが管理人が「Behold A Whitehorse」で記事にした2008年のX-DAYの予定は4月8日=地獄への旅立ちを意味していた。幸い我々はそれをとりあえず免れることが出来たが.......このダンテの神曲は(聖なる)喜劇が原題であるようにその筋が好む箇所が多く出てくる。米国の6~24の州を壊滅させる地獄への旅立ち=彼らにとっては喜劇なのです。ですからダンテを読むに際してこのことを頭に入れてお読みください。』

 (管理人解説)人の世の旅路の半ば(注:聖金曜日にあたる1300年の4月8日の夕刻に地獄への旅に立ち,凡そ一昼夜を費やし,復活祭前夜に当る翌9日の日没直後,再び地上の人となった),ふと気がつくと,私はまっすぐな道を見失い,暗い森に迷い込んでいた。(注:ペトロの手紙Ⅱ第2章15節には「彼らは正しき道を離れてさまよい歩き,ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです.......」とあり,また箴言第2章13節以下に「彼らはまっすぐな道を捨て去り,闇の道を歩き.......」とある。訳は寿岳文章氏。

75. 絡まる毛と凍った皮膚との間を進まれました:[矢内原も疑問を投げかけているが、すべてが凍っているコキュトスなのに二人の詩人が歩ける隙間があるのである。実は基本的に神から凍らせているのはルシフェル自身だけで、コキュトス自体はルシフェルが翼で吹いて凍らせているのある。よって、実際に凍っているのは彼の大腿部(もも)から上で、しかも腰から大腿部の部分、すなわち重力の中心にあたる部分はコキュトスの水が及んでいないので凍りもない。「地下地獄──狼の罪」参照]

 狼の罪はダンテものがたり その3参照

79-81. その人の頭をディースの毛むくじゃらの脚部へと向けられて:ウェルギリウスが、巡礼者を彼の背に載せて、ゆっくりとルシフェルの毛深いからだの下へと進んで、ある地点(宇宙の中心で、したがって地球の重力の中心)に到達すると、そこからはルシフェルの腿部(もも)が始まるが(76)、彼はルシフェルの脚部(すね)の方向に頭の方向を変えてから「上方へと」登り始めなければならないのである。ウェルギリウスがルシフェルの身体の上で彼自身の位置転換を実行した方法は以下の如くである:彼がももに到達した時に(その時は一方の手が胸毛にしがみついているままで)彼は頭を横に動かしももにある毛を別の手が掴めるまで下方へ移動し――それから(今や引力の転換に助けられて)最初の手を離して彼が起こし出していた半転を完成させ、それからは人が登るようにして前進したのである。
 偶然だが、Musaが訳しているように、この「脚部(すね)」をルシフェルに属するものとして79行を誰も訳していない。例えば、壽岳:「その頭を、今まで脛(すね)のあった位置へ運び」、平川:「頭を脚の位置に引っくり返した」、Dorothy L. Sayers:"Turned head to where his feet had been"、Durling:"turned his head to where he had his shanks"で、他もほぼ同様であり、「すね」をウェルギリウスに属するものとして訳している。原文は、"volse la testa ov' elli avea le zanche"で逐語訳すると、「頭を彼がすねを持っているところへと向けた」である。実際、不明瞭でもない、もしも翻訳者がイタリア語における主格代名詞の使用に気をとめていればだが。起こっているに違いないことはあらゆる翻訳者が先行している分別のない翻訳者を真似てきたことである。しかし実情は、"zanche"をウェルギリウスに属させることによって彼等は芸術分野において罪を犯してきただけでなく(この嘲笑的で軽蔑的な語がウェルギリウスの高貴な身体に適応されたのだ!)、ここで意図された明白な象徴的意義(シンボリズム)を損なってしまっているのだ:"zanche"は「神曲」においては二度しか使われていない。一度目はニコラウスの脚への言及であり(第19章:「そこは脛で思い悩んでいる者のところでした」45;原文:"di quel che si piangeva con la zanca")、また一度はこの章においてである。疑い無く、かくのごとく文字通りに結び付けられた二組の脚はニコラウスとウェルギリウスのものではなくてニコラウスとルシフェルのものである。それらの両方が地面から突き出ている彼等の脚を巡礼者の目に見せているのである[以上はMusaがいかに「神曲」に通暁しているかの証しであり、Musaの他の翻訳者に対する手厳しい批判である。そして著者がそのテキストとしてMusaを選んだ理由でもある。なお日本語訳の工夫として、身体の部位を表す語を用いた。すわわち、大腿部(もも)、臀部(しり)、脚部(すね)であり、それらが同一人物(すなわちルシフェル)の部位である印象を与えた。Musaは明確に(原文には無い)「ディースの毛むくじゃらの」と修飾することでこの「すね」がウェルギリウスのものではないことを強調している]。

96. すでに太陽の三時課半ばに近付きたり!:この時間は聖務日課の8定時課の一時課(午前6時)と三時課(午前9時)の間のほぼ中間であり、すなわち、午前7時30分である。夜(「しかしまもなく夜がこよう」68)から昼(96)への急速な変化は旅行者が地球の中心を通り過ぎ、このように北半球から12時間進んでいる南半球へと移動した結果である。

107-108. そこはわれがまず、地球の芯を貫通したる堕落の/毛深い卑劣漢に掴みし場所なり:第6章22行、注解13-22参照。

112-15. 今汝は陸地により覆われている側の:ルシフェルの身体は、最初天から南半球へと頭から落ち、地球の中心へと貫通して、そこで彼が閉じ込められて(拘束されて)留まっているのである。彼が南半球(「こちら側」121)を貫通して落ちる前は、それは陸地で覆われていたが、その陸地が「その者の跳び込む挙動によって恐慌を起こされ」て、海の下へと沈んで北半球(「われらの半球」124)へと移ったのである。しかしその陸地が地球の中心で突然に「烈しく聳え」て(126)、ルシフェルの脚の上で「大洞を成」して、そして南半球で唯一の陸地である「煉獄の山」を形成したのである(「かの山嶽が、こちら側に積み重ねられ」た125)。

127-32. 何処彼処の下にとある空間があり:煉獄の山を形成するために烈しく聳えた陸地の下の何処かの場所に「とある空間があり」(127)、そこを通って流れが走り、そしてウェルギリウスとダンテがかの山嶽の麓へ辿りつこうと登らんとするのはこの空間を通ってである。この「空間」はベルゼブ[ルシフェル]から程遠くなくてその墓の際限にある(128)。すなわち、ルシフェルの「墓」の本質を成す自然の地下牢の端で、地球の中心から外周へと通行人に対して入り口を提供し、天国から地獄への落下時にルシフェルによって創造され、開かれた、とある「空間」があるのである。


139. そしてわたしは初めて出てもう一度星々を見たのでした:巡礼者は、地獄における天体の眺めを否定したが、今やそれらを再び眺めているのである。彼の旅が今取るであろう方向は上向き、すなわち「星々」が地上にいる我々にとって合図であるところの神の王国に向かってである。原文では3編の全てが"stelle"「星々」で終わっているが、調和がとれていて神に向かっての上方移動としての概念を増強しており、「神曲」の中心的主題と動機の強さがこめられている[この星々は朝方のものであるから彼らは7時半からあくる朝の5時半ごろまでほぼ20時間をかけてこの空洞を登ったことになる]。
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