https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/0029074d6e4ddb93e9c951cafe1b5c1c
有名な「パンセ」の著者パスカルは、聖書の預言を研究し、その精度の高さに驚愕しました。日本人がパンセの後半を理解できないのは、未だに聖書預言のすごさを知らないからです。旧約聖書のダニエル書には、世界の行程の預言が書かれています。ダニエルの時代から終末に至るまでの預言が、どのように過去から現在まで成就してきたかを検証しながら、終末に関する預言を調べます。
「その日,ダビデの家とエルサレムの住民のために,罪と穢(けが)れを洗い清める一つの泉が開かれる...........剣よ,起きよ,わたしの羊飼いに立ち向かえ わたしの同僚であった男たちに立ち向かえと万軍の主は言われる。
羊飼いを撃て,羊の群れは散らされるがよい......。この地のどこでもこうなる,と主は言われる。三分の二は死に絶え,三分の一が残る。この三分の一を私は火に入れ 銀を精錬するように精錬し金を試すように試す。彼がわが名を呼べば,わたしは彼に答え「彼こそわたしの民」と言い 彼は,「主こそわたしの神」と答えるであろう,と<ゼカリア書第13章>。つまりヤハウエというイスラエルの神の名の正義のもとに神は殺せと命じ絶対的封建主義的王国を造る意味なのである。
http://datasea.seesaa.net/article/474090263.html
gamenotatsujinn: ゼカリア書,ダニエル書~終わりの日の幻
投稿者:Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2020年 2月28日(金)00時03分2秒
羊飼いを撃て,羊の群れは散らされるがよい......。
この地のどこでもこうなる,と主は言われる。
三分の二は死に絶え,三分の一が残る。
この三分の一を私は火に入れ銀を精錬するように精錬し金を試すように試す。
彼がわが名を呼べば,わたしは彼に答え「彼こそわたしの民」と言い彼は,「主こそわたしの神」と答えるであろう,と<ゼカリア書第13章>。
つまりヤハウエというイスラエルの神の名の正義のもとに神は殺せと命じ絶対的封建主義的王国を造る意味なのである。
PNACは第二のパールハーバーを望んでいる
アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)
新たな真珠湾攻撃」を望んだPNACグループ
1997年6月,米国の有力な保守主義者たちは,
「二〇世紀の■歴史は危機が生ずる前に状況を整える必要があり,危機が差し迫る前に対応する必要があることを教えた。
われわれは地球規模の責務を追求するため国防費を大幅に増強すべきである」(筆者訳)
等を主張点とする「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」というグループを立ち上げた。このグループは保守強硬派をほぼ網羅し,二〇〇一年にブッシュ政権が成立するや,安全保障関係の中核を構成した。設立趣意書の署名者(S)及び会員には次ページの表の人物がいる。
この表を見ると,PNACメンバーはパウエル国務長官を除き,国務省,国防省の中核をほぼ完全に押さえている。このPNACは9・11テロの一年前の二〇〇〇年九月,PNACの数々の文書の中でも最も重要な「米国防衛再建計画」を公表した。
この文書は,米国は新たな世紀において,安全保障面で世界の指導的立場を維持するために変革に取り組むべきであると主張した後,「新たな真珠湾攻撃のように大惨事を呼びかつ他の現象を引き起こしていく事件がなければ,この変革は長いものになるだろう」(筆者訳)と述べた。
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日本に渡来したイスラエル族
『見よ,わたしはエフライムの手にあるヨセフと,その友であるイスラエルの部族の木を取り,これをユダの木に合わせて,一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」エゼキエル書37章19節
失われた十支族とユダをまた一つに戻すと予言している。現在「イスラエル共和国」を名乗っているのは,南ユダ王国のユダたち。失われた支族の帰還を願って,失われた支族=イスラエルを名乗るエフライムは,十支族の一つであるヨセフの子でマナセと兄弟である』
『エズラ第四書第13章.....「彼らは異教徒の群れから離れ,人類がいまだかって住んだことのない土地へ行き,自国では守ることの出来なかった規則をせめて守るようにとの計画を,お互いに持ち合って,さらに遠い国へ進んだ」....日本が,人類の住んだことが無い土地ではないだろうが,オリエントや欧州から見れば,それに近い感覚の島だろう』
だから日本とイスラエルが仲良くなるにはそれに沿った国家戦略が必要だということだろうが今の政治家にはイスラエル米国も含め教養が足りないのでまずは机上の空論でしかない。
河豚計画は大摩邇さんのアーカイブスに残っている
聖書物語~ダニエル
http://web.archive.org/web/20170502034437/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/143.html
『紀元前6世紀頃,バビロニア帝国が台頭し,中東一帯に勢力を拡大していた。
イスラエルは南北の王朝に分裂しており,北王朝イスラエルはすでにアッシリアに滅ぼされていたが,そのアッシリアを滅ぼしたバビロニアの王ネブカドネザルは,南王朝ユダを滅ぼし,エルサレム神殿の祭具の一部を手に入れ,ユダ王や神殿祭司たちは捕囚民としてバビロニアに連行した。
神は,捕囚民の1人だったダニエルに,幻によって「終わりの時」に起こることを示した。またダニエルは,ネブカドネザル王が見た夢を言い当て,その意味を解釈した。そのいきさつは次のとおりである。
「王様,あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で,異常に輝き,あなたの前に立ち,見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金,胸と腕が銀,腹と腿が青銅,すねが鉄,足は一部が鉄,一部が陶土でできていました。見ておられると,1つの石が人手によらずに切り出され,その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も,青銅も銀も金も共に砕け,夏の打穀場のもみがらのようになり,風に吹き払われ,跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり,全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて,その解釈をいたしましょう。
王様,あなたはすべての王の王です。天の神はあなたに,国と権威と威力と威光を授け,人間も野の獣も空の鳥も,ここに住んでいようとみなあなたの手にゆだね,このすべてを治めさせられました。すなわち,あなたがその金の頭なのです。あなたのあとに他の国が興りますが,これはあなたに劣るもの。その次に興る第3の国は青銅で,全地を支配します。第4の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが,あらゆるものを破壊する鉄のように,この国は破壊を重ねます。足と足指は一部が陶工の用いる陶土,一部が鉄であるのを御覧になりましたが,そのようにこの国は分裂しています。鉄が柔らかい陶土と混じっているのを御覧になったように,この国には鉄の強さもあります。足指は一部が鉄,一部が陶土です。すなわち,この国には強い部分もあれば,もろい部分もあるのです。また,鉄が柔らかい陶土に混じり合っているのを御覧になったように,人々は婚姻によって混じり合います。しかし,鉄が陶土と溶け合うことがないように,ひとつになることはありません。この王たちの時代に,天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく,その主権は他の民の手に渡ることなく,すべての国を打ち滅ぼし,永遠に続きます。山から人手によらず切り出された石が,鉄,青銅,陶土,銀,金を打つのを御覧になりましたが,それによって,偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり,解釈もまちがいございません。」(2章)
この像の解釈は,金の頭がバビロニア,胸と腕が銀というのはメディア・ペルシア,青銅の国はギリシャ,鉄はローマを示している。ダニエルの夢の解釈により,ネブカドネザル王は彼にバビロニア全州を治めさせ,バビロンの知者すべての上に長官として立てたが,ダニエルは友人をバビロン州の行政官に任命してもらい,自らは王宮にとどまった。
やがてネブカドネザル王は金の像を造り,すべての人々に,これをひれ伏して拝めと命じた。しかし,ダニエルと友人たちはこの像を拝まなかったため,燃え盛る鉄の炉に放り込まれた。ところが彼らは,神の守護によって燃えなかったので,彼らはバビロン州で高い位につけられた。そして,ネブカドネツァルの子ベルシャツァル王の治世元年に,ダニエルは幻を見る。
「ある夜,わたしは幻を見た。見よ,天の四方から風が起って,大海を波立たせた。すると,その海から4頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり,第1のものは獅子のようであったが,鷲の翼が生えていた。見ていると,翼は引き抜かれ,地面から起き上がらされて人間のようにその足で立ち,人間の心が与えられた。第2の獣は熊のようで,横ざまに寝て,3本の肋骨を口にくわえていた。これに向かって,『立て,多くの肉を食らえ』という声がした。次に見えたのはまた別の獣で,豹のようであった。背には鳥の翼が4つあり,頭も4つあって,権力がこの獣に与えられた。この夜の幻で更に続けて見たものは,第4の獣で,ものすごく,恐ろしく,非常に強く,巨大な鉄の歯を持ち,食らい,かみ砕き,残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって,これには10本の角があった。その角を眺めていると,もう1本の小さな角が生えてきて,先の角のうち3本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり,また,口もあって尊大なことを語っていた。なお見ていると,
王座が据えられ
『日の老いたる者』がそこに座した。
その衣は雪のように白く
その白髪は清らかな羊の毛のようであった。
その王座は燃える炎
その車輪は燃える火
その前から火の川が流れ出ていた。
幾千人が御前に仕え
幾万人が御前に立った。
裁き主は席に着き巻物が繰り広げられた。
さて,その間にもこの角は尊大なことを語り続けていたが,ついにその獣は殺され,死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが,それぞれの定めの時まで生かしておかれた。
夜の幻をなお見ていると,
見よ,『人の子』のような者が天の雲に乗り
『日の老いたる者』の前に来て,そのもとに進み
権威,威光,王権を受けた。
諸国,諸族,諸言語の民は皆,彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。
わたしダニエルは大いに憂い,頭に浮かんだこの幻に悩まされた。そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると,彼はそれを説明し,解釈してくれた。『これら4頭の大きな獣は,地上起ろうとする4人の王である。しかし,いと高き者の聖者らが王権を受け,王国をとこしえに治めるであろう。』更にわたしは,第4の獣について知りたいと思った。これは他の獣と異なって,非常に恐ろしく,鉄の歯と青銅のつめをもち,食らい,かみくだき,残りを足で踏みにじったものである。その頭には10本の角があり,更に1本の角が生え出たので,10本のうち3本が抜け落ちた。その角には目があり,また,口もあって尊大なことを語った。これは,他の角よりも大きく見えた。見ていると,この角は聖者らと闘って勝ったが,やがて,『日の老いたる者』が進み出て裁きを行い,いと高き者の聖者らが勝ち,時が来て王権を受けたのである。
さて,その人はこう言った。
『第4の獣は地上に興る第4の国
これはすべての国に異なり
全地を食らい尽くし,踏みにじり,打ち砕く。
10の角はこの国に立つ10人の王
そのあとにもう1人の王が立つ。
彼は10人の王と異なり,3人の王を倒す。
彼はいと高き方に敵対して語り
いと高き方の聖者らを悩ます。
彼は時と法を変えようとたくらむ。
聖者らは彼の手に渡され
1時期,2時期,半時期がたつ。
やがて裁きの座が開かれ
彼はその権威を奪われ
滅ぼされ,絶やされて終わる。
天下の全王国の王権,権威,支配の力は
いと高き方の聖なる民に与えられ
その国はとこしえに続き
支配者はすべて,彼らに仕え,彼らに従う。』
ここでその言葉は終わった。わたしダニエルは大層恐れ悩み,顔色も変わるほどであった。」(7章)
ダニエルが見たこの幻は,先にネブカドネザル王が見た幻とよく似ているため,一般には同一のことを示していると解釈されている。すなわち,第1の鷲の翼が生えた獅子のような獣=バビロニア,第2の3本の肋骨を口にくわえる熊のような獣=メディア・ペルシア,第3の背に鳥の翼が4つあり頭も4つある豹のような獣=ギリシャ,第4の10本の角を持つ獣=ローマ,という解釈である。そう解釈すれば,その後に覇権を握るのはキリスト教会ということになり,その統治は永遠に続くということになる。
しかしながら,ダニエルが先にネブカドネザル王に解釈したものと同一の幻をみたのであれば,ダニエルが大いに憂い,頭に浮かんだこの幻に悩まされたりするだろうか。大層恐れ悩み,顔色も変わるほどになるだろうか。
また,新約聖書には,イエスが最高法院で裁判を受けたとき,祭司長,長老,律法学者たち最高法院の全員に向かって,「あなたたちは,人の子が全能の神の右に座り,天の雲に囲まれて来るのを見る。」と言ったと記されている。これは,ダニエルのみた幻を引用して自身が何者であるかを語ったものである。であるならば,ダニエルが見たこの幻は,イエス以降のことも語っている幻であり,イエスが十字架後に再び来られる際にかかわるものである。つまり,この幻は,イエスの十字架後から「終わりのとき」に至るまでの間に起こることことを示したものということになる。
そうであるならば,この幻を解明するに当たって重要なことが,ダニエル書10章に記されている。そこには,ペルシアの天使長,ギリシャの天使長,イスラエルの天使長ミカエルが登場する。これらの地の王国にはそれぞれ天使長がついているのである。ダニエルと同時代の預言者エゼキエルの書では,4つの生き物=天使が,車輪の形で地上に興る国々に影響していることが示されており,預言者ゼカリヤの書でも,4つの戦車(それぞれ白い馬,赤い馬,黒い馬,まだらの馬に率いられている)が地上に興る国々に向かって出て行く姿が示されている。ヨハネの黙示録では,この馬が出て行く順番が変わっている。つまり,4つの獣や馬に象徴されているものは,地上に興る4つの大国を示しており,時代によって同じような国の登場が繰り返されたり,あるいは順番を変えて登場したりすることを示している。そうすると,ダニエルが見た獣の幻は,イエスが登場するまでに地に興ったバビロニア・ペルシア・ギリシャ・ローマのような地の支配者が,イエスが再臨される際に再び地の支配者として,順番を代えて登場することを示している。
イエス以前に4匹,イエス以後に4匹であるが,イエス以後の4匹のうち1匹は,ヨハネ黙示録に「かつていたもの」と書かれており,その総数は7つとなる。
また,第4の獣ローマに10人の王が立ち,そのあとにもう1人の王が立つ。彼はいと高き方に敵対して語り,いと高き方の聖者らを悩まし,時と法を変えようとたくらみ,聖者らは彼の手に渡され,1時期,2時期,半時期がたった後に,裁きの座が開かれて天下の全王国の王権,権威,支配の力がいと高き方の聖なる民に与えられ,その国はとこしえに続き,支配者はすべて,彼らに仕え,彼らに従う。
「1時期,2時期,半時期」とは,イスラエル暦の1年360日の360年×3・5だと1260年である。ユダヤ暦では1年は354日か355日で閏年が383~385日である(19年に7回,閏年がある)。
さて,ダニエルはベルシャツァル王の治世第3年にも,また幻を見た。
「わたしダニエルは先にも幻を見たが,その後,ベルシャツァル王の治世第3年に,また幻を見た。その幻の中にあって,見るとわたしはエラム州の都スサにおり,ウライ川のほとりにいるようであった。目を上げて眺めると,見よ,1頭の雄羊が川岸に立っていた。2本の角が生えていたが共に長く,1本は他の1本より更に長くて,後ろの方に生えていた。見ていると,この雄羊は西,北,南に向かって突進し,これにかなう獣は1頭もなく,その力から救い出すものもなく,雄羊はほしいままに,また,高慢にふるまい,高ぶった。
これについて考えていると,見よ,西から1頭の雄山羊が全地の上を飛ぶような勢いで進んで来た。その額には際立った1本の角が生えていた。この雄山羊は先に見た川岸に立っている2本の角のある雄羊に向かって,激しい勢いで突進した。みるみるうちに雄山羊は雄羊に近づき,怒りに燃えてこれを打ち倒し,その2本の角を折ったが,雄羊には抵抗する力がなかった。雄山羊はこれを地に投げ打ち,踏みにじった。その力から雄羊を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが,極みで角は折れ,その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て,非常に強大になり,南へ,東へ,更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし,その万軍,つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし,踏みにじった。その上,天の万軍の長にまで力を伸ばし,日ごとの供え物を廃し,その聖所を倒した。また,天の万軍を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ,真理を地になげうち,思うままにふるまった。わたしは1人の聖なる者が語るのを聞いた。またもう1人の聖なる者がその語っている者に言った。『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』
わたしダニエルは,この幻を見ながら,意味を知りたいと願っていた。その時,見よ,わたしに向かって勇士のような姿が現れた。すると,ウライ川から人の声がしてこう言った。『ガブリエル,幻をこの人に説明せよ。』彼がわたしの立っている所に近づいて来たので,わたしは恐れてひれ伏した。彼はわたしに言った。『人の子よ,この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。』彼がこう話している間に,わたしは気を失って地に倒れたが,彼はわたしを捕らえて立ち上がらせ,こう言った。『見よ,この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。お前の見た2本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王である。また,あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。その額の大きな角は第1の王だ。その角が折れて代わりに4本の角が生えたが,それはこの国から,それほど力を持たない4つの国が立つということである。
4つの国の終わりに,その罪悪の極みとして
高慢で狡猾な一人の王が起こる。
自力によらずに強大になり
驚くべき破壊を行い,ほしいままにふるまい
力ある者,聖なる民を滅ぼす。
才知にたけ
その手にかかればどんな悪だくみも成功し
驕り高ぶり,平然として多くの人を滅ぼす。
ついに最も大いなる君に敵対し
人の手によらずに滅ぼされる。
この夜と朝の幻について
わたしの言うことは真実だ。
しかし,お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。』
わたしダニエルは疲れ果てて,何日か病気になっていた。その後,起きて 宮廷の務めに戻った。しかし,この幻にぼう然となり,理解できずにいた。」(8章)
この幻は,かつてのペルシアとギリシャの戦いとその後に登場するローマを示している。バビロニア帝国は徐々に衰退し,ペルシアのキュロス王は前549年にメディアを,ついでリディアを征服し,前539年にバビロンに迫り,前538年には旧バビロニアのほぼ全域を支配下に治め,西方アジア全域の支配者になった。
キュロスは,アッシリアやバビロニアと違って支配国に対しては寛容政策をとり,前583年に全捕囚民の解放と帰還許可を公布した。キュロスによる解放は,そのはるか昔にイザヤによって預言されていた。また,預言者ハガイ,預言者ゼカリヤらの預言に基づいて,ダビデ王国に属する総督ゼルバベル,祭司ヨシュアを指導者とするユダヤ人がエルサレムに帰還した。故国の荒廃は予想以上にひどく,異教の影響を強く受けていた現地の民衆は彼らを歓迎しなかった。かつてのユダ王国はサマリヤの総督の支配下にあり,彼らは神殿の再建を喜ばず,そのため着工もできなかった。しかし,預言者ハガイとゼカリヤの励ましにより前516年,何とか神殿の基礎を再建した。この再建運動は独立運動を伴っていたが,ゼカリヤ書によると,未遂か失敗に終わったようである。彼らは,ペルシアからの独立よりも,捕囚期間中に勝手に移住してきた異教徒やサマリヤに対処しなければならなかった。また,捕囚地からすべての人が帰国したわけではなかった。その地に定着して経済的に成功した者は帰還を望まなかったし,独立を求めて東の地へ移住していった民もいた。
この頃,聖書の新しい編纂がなされた。その完成したものが現在の5書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)で,これを捕囚の地から持ち帰ったのがエズラとネヘミヤである。ネヘミヤがアルタクセルクセス1世(ダレイオス)の好意でペルシア政府任命の知事としてエルサレムに帰還し,持ち帰った五書を公布し,民衆はこれを受諾することを誓約した。ちなみに,捕囚期以前の「律法」は,現代の「申命記」の12章~26章までと,28章で,学者はこの部分を「原申命記」と呼ぶ。その他の部分は捕囚時代に付加された。ヨシヤ王の時代に祭司ヒルキヤが神殿で見つけた書物も,この「原申命記」であるとされる。
ネヘミヤやエズラが預言者と共にサマリヤ人の妨害を排除して,苦難のうちに城壁を修復して都を整備したのが,前445年とされる。捕囚時代に終止符を打ち,再建への第一歩を踏み出したのはこのときであろう。しかし,その準備は捕囚の民によってなされていたのである。その準備に最も尽力したのは預言者エレミヤであった。「お前たちは(捕囚の地で)家を建ててそれに住み,畑を作ってその産物を食べよ。」(29・5)とのエレミヤの預言に従い,主の民は捕囚地で埋没してしまうことなく(他国から捕囚されてきた民のほとんどは埋没してしまった),むしろ捕囚地で商業力をつけ,現代の財閥のような力をつけていった。そのため彼らはペルシア帝国にとって,決して小さな存在ではなかったのである。そして主の民は,エレミヤやイザヤの預言によって,神殿と国の再建に強い希望を抱いていたのである。神の預言はその後も,エゼキエル,ダニエル,ハガイ,ゼカリヤへと引き継がれていき,神は捕囚の地にある主の民に希望と進むべき道を示し続けたのである。
やがて,マケドニア(ギリシャ)のアレキサンダー王がキッテム(キプロス)から兵を挙げ,ペルシアとメディアの王ダレイオスを粉砕し,ヨーロッパからアジアに及ぶ覇権を確立する。そしてアレキサンダー王は,紀元前333にエルサレムを踏みにじった。
しかし紀元前323年に彼が倒れると,彼の4人の武将たちが分割統治するようになった。その中から,紀元前301年にエジプトのプトレマイオス朝がパレスチナを支配する。その後,紀元前198年には,パレスチナはシリアに支配される。その間,パレスチナの民たちは苦難の中でエルサレムの町と神殿を再建する。しかし紀元前175年頃に,シリア地方を支配していたアンティオコス・エピファネスが,ようやく再建されたエルサレムを略奪した。
ユダヤではアロンの後継である正当な大祭司オニア3世がエルサレム神殿を守っていたが,その弟ヤソンとヘレニズム派がシリア王アンティオコスに賄賂(わいろ)を送り,卑劣なやり方で大祭司職を奪い,ユダヤにギリシャ文化を取り入れた。しかし,そのヤソンも,神殿総務長シモンの兄弟メネラオスがヤソンより多い賄賂をアンティオコスに贈って大祭司職を金銭で買って,亡命を余儀なくされる。メネラオスは前大祭司オニア3世を謀殺し,ここにアロンの後継でない大祭司が立つのである。その後,ヤソンとメネラオスの争いが起こるが結局,アンティオコスとメネラオスが勝利し,神殿は「ゼウス・オリュンポスの宮」となり,祭壇にはゼウス像が建てられるのである。紀元前167年のことであった。
エルサレム神殿に異教の祭壇を 築き,「憎むべき破壊者」の偶像を建てた。これにより,日ごとの供え物は廃され,聖所は倒された。多くの民が律法を捨てて支配者に追従したが,マタティアやマカバイらが神殿を奪還する。やがて,ローマが覇権を掌握し,ギリシャによる分割統治時代は終わりを告げた。その後,イエスが到来するのである。
先の幻で, 『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』とある。聖書による「神の1日は人間の1年」から,日が暮れ,夜の明けること2300回,すなわち2300日はイスラエル暦2300年と換算できる。
2300年の起算となるのは,「雄山羊(ギリシャ)はこれを地に投げ打ち,踏みにじった。その力から雄羊(ペルシャ)を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが,極みで角は折れ,その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て,非常に強大になり,南へ,東へ,更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし,その万軍,つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし,踏みにじった。その上,天の万軍の長にまで力を伸ばし,日ごとの供え物を廃し,その聖所を倒した。」とある,そのときである。アンティオコス・エピファネスがエルサレムを略奪した紀元前175年頃からイスラエル暦で2300年後に聖所があるべき状態に戻るとすれば,それまでの間,聖所はあるべき状態ではなく,「終わりの時」は聖所があるべき状態に戻る前に来る。ガブリエルによると「この幻は終わりの時に関するもの」だからである。「終わりの時」とは,サタンが支配する世が終わることであり,そのときは「聖所があるべき状態に戻るとき」よりも前に訪れる。
「終わりの時」の様子は,『ヨハネ黙示録』に記されているが,2匹の獣が登場してから,その「終わりの時」を迎える。「時を経た蛇」である竜から42ケ月のあいだ活動する権威を与えられた「海の中から上ってくる獣」と,小羊の角に似た2本の角があって,竜のようにものを言う「地中から上ってくる獣」が,その2匹の獣である(ヨハネ黙13章)。そして獣の上には「大淫婦バビロン」がまたがっている。
これについて更に詳しく解明するために,ダニエル書には,もう一つ重要な幻が記述されている。
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ダニエルは,ベルシャツァル王の治世の時,ベルシャツァル王が見た「壁に字を書く指の幻」の解き明かしたことにより,王国を治める者のうち第3の位を与えられていた。その後,王国を継いだのは,メディア人ダレイオス(アルタクセルクセス)であった。ダレイオス王はダニエルに王国全体を納めさせようとしたが,それを妬んだ大臣や総督はダニエルを陥れようとし,ダニエルはライオンの洞窟に投げ込まれることになった。しかしダニエルは何の害も受けず,ダニエルを陥れようとした者たちが代わってライオンの洞窟に投げ込まれ,彼らはライオンに骨までかみ砕かれた。そのダレイオス王の治世第1年のこと,ダニエルは断食し,主なる神に祈り,罪を告白し,神の聖なる山について,主なる神に嘆願し続けていた。そのとき,ガブリエルが飛んで来て近づき,ダニエルに触れ,こう言った。
「ダニエルよ,お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時,御言葉が出されたので,それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り,この幻を理解せよ。
お前の民と聖なる都に対して
70週が定められている。
それが過ぎると逆らいは終わり
罪は封じられ,不義は償われる。
とこしえの正義が到来し
幻と預言は封じられ
最も聖なる者に油が注がれる。
これを知り,目覚めよ。
エルサレム復興と再建についての
御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで
7週あり,また,62週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。
その62週のあと油注がれた者は
不当に断たれ
都と聖所は
次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり
終わりまで戦いが続き
荒廃は避けられない。
彼は1週の間,多くの者と同盟を固め
半週でいけにえと献げ物を廃止する。
憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」(9章)
「1年は1日」に換算すると,70週はイスラエル歴490年となる。聖書では,神が6日間で創造の業を終えられ,7日目に安息したことにより,7日目を安息日として聖別して,これを守る。また,7年目は安息年とされて種まき・刈り入れを休み,前年に収穫したもので食糧をまかなった。さらに7年を7度重ねる49年目を大安息年とし,その翌年の50年目を「大ヨベル(解放)の年」とし,借財や奴隷は解放された。70週は,大ヨベル(49年)×10である。
「エルサレム復興と再建についての御言葉」は,預言者ハガイの書や預言者ゼカリヤの書に記されている。「ハガイ書」には,ダレイオス王の第2年6月と7月に主の言葉が臨んだと記されているから,「エルサレム復興と再建についての御言葉が出され」たのは,紀元前520年である。その7週後は,ネヘミヤやエズラが預言者と共に危機のうちに神殿の広場の堀の再建に着工している(完成したのが紀元前445年)。そして「ゼカリヤ書」にはこう書かれている。
「主の言葉がわたしに臨んだ。『帰還した捕囚の中から,ヘルダイ,トビヤ,エダヤの家族から,贈り物を受取りなさい。あなたはその日のうちに,ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。銀と金を受け取り,冠をつくり,それをヨツァダクの子,大祭司ヨシュアの頭に載せて,宣言しなさい。
万軍の主はこう言われる。
見よ,これが“若枝”という名の人である。
その足もとから若枝が萌えいでる。
彼は主の神殿を建て直す。
彼こそ主の神殿を建て直し
威光をまとい,王座に座して治める。
その王座の傍らに祭司がいて
平和の計画が2人の間に生ずる。
冠はヘレム,トビヤ,エダヤ,およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして,主の神殿に置かれる。遠方からも人々が来て,主の神殿の建築に携わる。』」(6章)
この幻に登場する大祭司ヨシュアは,来るべき若枝,すなわち古くから預言者によって言われてきた「ダビデの若枝」=救い主の予型として戴冠しているのである。この幻のとおりに神殿は再建されたが,その後,シリアのアンティオコス・エピファネスに略奪される。そして,その時からさらに62週=434年後は,ユダヤ歴1年360日を西暦1年365日に換算すると428年後となり,紀元26年である。主イエス誕生の正しい年が紀元前4年ならば,紀元26年は主イエス30歳の年で,この年はイエスが洗礼ヨハネから洗礼を受けた年に当たる。だとすれば,それは単なる水の洗礼を意味していたのではなく,洗礼ヨハネが主イエスに戴冠した年なのである。あの7週の後に大祭司ヨシュアに戴冠した(油を注いだ)のと同じことが,聖霊による戴冠というかたちで,62週後に成された(油注がれた)。油注ぎとは本来,神の霊が注がれることであり,神による戴冠である(サムエル記,他)。
救世主たる主イエスが来られる前,神殿は危機のうちに46年かけて再建されていた。そしてイエスは「不当に断たれ,その70年後に,都と聖所はローマによって荒らされた。このローマはやがてキリスト教を公認し,ローマ教皇が統治するようになるが,ダニエル書には「その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられない。」と記されている。そして「彼は1週の間,多くの者と同盟を固め,半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」との記述が続くわけだが,70週のうち7週と62週を過ぎると残るは1週=7年である。キリスト教会は,ここに登場する「彼」が油注がれた者のことで,イエスが7年間で多くの者と同盟を固め,そのうちの3年半でいけにえと献げ物を廃止したのだと解釈する。しかし,だとしたら,どうしてその後に「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」という言葉が続いているのであろうか。また,主イエスは決して多くの者と同盟を結んだとは言えないし,同盟という言い方もおかしい。「彼」がイエスなら,同盟ではなく「契約」とすべきである(神は聖書の中で「同盟」を忌み嫌っておられる)。
この「彼」は明らかに,「次に来る指導者」を指しており,その次に来る指導者が都と聖所を荒らしたのであり,だからこそ,その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられないのであり,「彼」こそが1週=7年の間,多くの者と同盟を固め,半週=3年半でいけにえと献げ物を廃止したのであり,「彼」こそが「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすもの」であり,「彼」が座すことによって,ついに定められた破滅が荒廃の上に注がれるのである。
では,イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とは誰か。「次に来る指導者の民」とはいかなる集団なのか。彼らが神の都と聖所を荒らした張本人である。 彼らによって,その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられない。そして「彼」は多くの者と同盟を固め, いけにえと献げ物を廃止した者である。そして,憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。
これを解明する重要なヒントが,ダニエル書の最後に記されている。
「終わりの時までこれらの事は秘められ,封じられている。多くの者は清められ,白くされ,練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが,目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され,憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いである。」(ダニエル12章)
先の幻の解釈,つまり「 『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』」との幻の解釈では,聖所はまずギリシャから4国に分裂した国の1つによって,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられた。そして,その後に主イエスが登場した。天の聖所は,主イエスの十字架後に登場する「次に来る指導者」=いけにえと献げ物を廃止した者の民によって再び荒らされるのである。
主イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とその民は,いけにえと献げ物を廃止した。主イエスと12使徒は,イエス生前から律法を守り,イエスはエルサレム神殿を「父の家」と呼んで参詣していた。イエス十字架後も,12使徒は律法を守り,エルサレム神殿に参詣しているので,彼らは日ごとの供え物を廃していない。しかし,パウロは律法を捨て,日ごとの供え物を廃し,異教ローマの習慣に迎合した。そして,ローマ教会はそのパウロに習った。そして,12使徒の教会はローマによって滅ぼされ,異教ローマと迎合したローマ教会が,カトリック教会となり,カトリック教会はやがてローマの国教となり,紀元後700年代には教会に偶像を建て始めた。
神の像を刻んでそれを礼拝することは偶像崇拝としてユダヤ教でもキリスト教でも伝統的に禁じられてきたが,会堂の建設等と共にイエスやマリアの像を掲げ,それを礼拝するようになったのである。彼らはエルサレムにも教会を設け,偶像を建てた。それに対してユダヤ教徒やイスラム教徒から偶像崇拝だとの批難が起こり,イスラム教徒はイスラエルとヨーロッパに侵入する。そしてイスラム教徒は,708年にエルサレム神殿に「岩のドーム」を完成させたのである。その支配は現在も続いている。
やがて教会内部で偶像の是非をめぐって論争が起こった。シリア出身の東ローマ皇帝レオ3世は,726年に聖像禁止令を発布し,勅令によりすべての聖像の破棄を命じたが,ダマスコのヨアンネスは「キリストは神であると共に人でもあるのだから,人となった神キリストの人間を描くことなら可能である」とし,コンスタンティノポリスの総主教ゲルマノス1世も,教皇グレゴリウス3世も,聖像禁止令に反対した。787年,東ローマ皇帝レオ4世の皇太后イレーネによって招集された第2ニカイア総会議で,聖像の崇拝と礼拝を区別し,崇拝の対象としては聖像を認め,聖像に燈明を献じ,香を焚くことが容認された。これは東西両教会が認めた全教会会議の最後の総会議であった。聖餐(せいさん)式で聖別されたパンとぶどう酒がキリストの身体と血になるという「化体説」が出たのも,この頃である
つまり,700年代にローマ・キリスト教会が偶像を建て始めた頃,708年にイスラム教徒がエルサレム神殿に「岩のドーム」を完成させ,エルサレム神殿はその後,カトリック教会の十字軍と,イスラム教徒によって,踏みにじられ,荒廃がもたらされるのである。
ダニエル書の最後には,こう書かれている。
「ダニエルよ,もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ,封じられている。多くの者は清められ,白くされ,練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが,目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され,憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いである。終わりまでお前の道を行き,憩いに入りなさい。時の終わりにあたり,お前に定められている運命に従って,お前は立ち上がるであろう。(ダニエル12:9~13)
注がれた者が不当に断たれ(主イエスの十字架後),都と聖所が次に来る指導者の民によって荒らされ,「彼」が1週の間,多くの者と同盟を固め,半週でいけにえと献げ物を廃止してから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いであるという。主イエスの十字架から1週+半週後は,イスラエル歴490年+245年=735年後で,キリスト教会が偶像を建立した頃にも合致するし,イスラム教徒によるエルサレム神殿の聖所の破壊の頃にも合致し,日ごとの供え物が廃止されたこととも合致する。そこから1290年が定められており,1335年に至る者は,まことに幸いであるという。
聖書にはこう書かれている。
「その日,その時は,だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。」(マルコ13・32)と。
しかし,主イエスはその言葉の後に,こう続けている。
「気をつけて,目を覚ましていなさい。その時がいつなのか,あなたがたには分からないからである。それは,ちょうど,家を後に旅に出る人が,僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ,門番には目を覚ましているようにと,言いつけておくようなものだ。だから,目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか,夕方か,夜中か,鶏の鳴くころか,明け方か,あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て,あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは,すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ13:33~37)
イエスが言われた「その日,その時」とは,「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを,人々が見るとき」のことである。それは世の終わりの苦難の後のことであって,世の終わりの苦難のときは,それよりも前に来るのである。
ヨハネ福音書には,年を経た蛇,竜とかサタンとか呼ばれる「全人類を惑わす者」が,自分に残されたときが少ないのを知って地と海に降ることが記されている。「終わりのとき」には,彼は「その日,その時を知る」のである。そして彼は自分の権威を「獣」に与え,全人類を支配するために様々なことを行う。
目覚めていて,この獣と竜がすることを読み解けば,彼らが「世の終わりのとき」にすることが見えてくるのである。
イエスは言われた。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は通じる門は広く,その道も広々として,そこから入る者が多い。しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7・13~14)』
ハルメンの笛吹きがフリードリッヒ・ヴィルヘルム王のプロシア声をまねると,それまでぼんやり立っていた大衆は,機械的ににわかに動き出す。このようにして大衆に行わしめる展開によって,ちゃんと大衆についてこさせることができる。しかし,大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,しばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらない。
『紀元前6世紀頃,バビロニア帝国が台頭し,中東一帯に勢力を拡大していた。
イスラエルは南北の王朝に分裂しており,北王朝イスラエルはすでにアッシリアに滅ぼされていたが,そのアッシリアを滅ぼしたバビロニアの王ネブカドネザルは,南王朝ユダを滅ぼし,エルサレム神殿の祭具の一部を手に入れ,ユダ王や神殿祭司たちは捕囚民としてバビロニアに連行した。
神は,捕囚民の1人だったダニエルに,幻によって「終わりの時」に起こることを示した。またダニエルは,ネブカドネザル王が見た夢を言い当て,その意味を解釈した。そのいきさつは次のとおりである。
「王様,あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で,異常に輝き,あなたの前に立ち,見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金,胸と腕が銀,腹と腿が青銅,すねが鉄,足は一部が鉄,一部が陶土でできていました。見ておられると,1つの石が人手によらずに切り出され,その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も,青銅も銀も金も共に砕け,夏の打穀場のもみがらのようになり,風に吹き払われ,跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり,全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて,その解釈をいたしましょう。
王様,あなたはすべての王の王です。天の神はあなたに,国と権威と威力と威光を授け,人間も野の獣も空の鳥も,ここに住んでいようとみなあなたの手にゆだね,このすべてを治めさせられました。すなわち,あなたがその金の頭なのです。あなたのあとに他の国が興りますが,これはあなたに劣るもの。その次に興る第3の国は青銅で,全地を支配します。第4の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが,あらゆるものを破壊する鉄のように,この国は破壊を重ねます。足と足指は一部が陶工の用いる陶土,一部が鉄であるのを御覧になりましたが,そのようにこの国は分裂しています。鉄が柔らかい陶土と混じっているのを御覧になったように,この国には鉄の強さもあります。足指は一部が鉄,一部が陶土です。すなわち,この国には強い部分もあれば,もろい部分もあるのです。また,鉄が柔らかい陶土に混じり合っているのを御覧になったように,人々は婚姻によって混じり合います。しかし,鉄が陶土と溶け合うことがないように,ひとつになることはありません。この王たちの時代に,天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく,その主権は他の民の手に渡ることなく,すべての国を打ち滅ぼし,永遠に続きます。山から人手によらず切り出された石が,鉄,青銅,陶土,銀,金を打つのを御覧になりましたが,それによって,偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり,解釈もまちがいございません。」(2章)
この像の解釈は,金の頭がバビロニア,胸と腕が銀というのはメディア・ペルシア,青銅の国はギリシャ,鉄はローマを示している。ダニエルの夢の解釈により,ネブカドネザル王は彼にバビロニア全州を治めさせ,バビロンの知者すべての上に長官として立てたが,ダニエルは友人をバビロン州の行政官に任命してもらい,自らは王宮にとどまった。
やがてネブカドネザル王は金の像を造り,すべての人々に,これをひれ伏して拝めと命じた。しかし,ダニエルと友人たちはこの像を拝まなかったため,燃え盛る鉄の炉に放り込まれた。ところが彼らは,神の守護によって燃えなかったので,彼らはバビロン州で高い位につけられた。そして,ネブカドネツァルの子ベルシャツァル王の治世元年に,ダニエルは幻を見る。
「ある夜,わたしは幻を見た。見よ,天の四方から風が起って,大海を波立たせた。すると,その海から4頭の大きな獣が現れた。それぞれ形が異なり,第1のものは獅子のようであったが,鷲の翼が生えていた。見ていると,翼は引き抜かれ,地面から起き上がらされて人間のようにその足で立ち,人間の心が与えられた。第2の獣は熊のようで,横ざまに寝て,3本の肋骨を口にくわえていた。これに向かって,『立て,多くの肉を食らえ』という声がした。次に見えたのはまた別の獣で,豹のようであった。背には鳥の翼が4つあり,頭も4つあって,権力がこの獣に与えられた。この夜の幻で更に続けて見たものは,第4の獣で,ものすごく,恐ろしく,非常に強く,巨大な鉄の歯を持ち,食らい,かみ砕き,残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって,これには10本の角があった。その角を眺めていると,もう1本の小さな角が生えてきて,先の角のうち3本はそのために引き抜かれてしまった。この小さな角には人間のように目があり,また,口もあって尊大なことを語っていた。なお見ていると,
王座が据えられ
『日の老いたる者』がそこに座した。
その衣は雪のように白く
その白髪は清らかな羊の毛のようであった。
その王座は燃える炎
その車輪は燃える火
その前から火の川が流れ出ていた。
幾千人が御前に仕え
幾万人が御前に立った。
裁き主は席に着き巻物が繰り広げられた。
さて,その間にもこの角は尊大なことを語り続けていたが,ついにその獣は殺され,死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた。他の獣は権力を奪われたが,それぞれの定めの時まで生かしておかれた。
夜の幻をなお見ていると,
見よ,『人の子』のような者が天の雲に乗り
『日の老いたる者』の前に来て,そのもとに進み
権威,威光,王権を受けた。
諸国,諸族,諸言語の民は皆,彼に仕え
彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。
わたしダニエルは大いに憂い,頭に浮かんだこの幻に悩まされた。そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると,彼はそれを説明し,解釈してくれた。『これら4頭の大きな獣は,地上起ろうとする4人の王である。しかし,いと高き者の聖者らが王権を受け,王国をとこしえに治めるであろう。』更にわたしは,第4の獣について知りたいと思った。これは他の獣と異なって,非常に恐ろしく,鉄の歯と青銅のつめをもち,食らい,かみくだき,残りを足で踏みにじったものである。その頭には10本の角があり,更に1本の角が生え出たので,10本のうち3本が抜け落ちた。その角には目があり,また,口もあって尊大なことを語った。これは,他の角よりも大きく見えた。見ていると,この角は聖者らと闘って勝ったが,やがて,『日の老いたる者』が進み出て裁きを行い,いと高き者の聖者らが勝ち,時が来て王権を受けたのである。
さて,その人はこう言った。
『第4の獣は地上に興る第4の国
これはすべての国に異なり
全地を食らい尽くし,踏みにじり,打ち砕く。
10の角はこの国に立つ10人の王
そのあとにもう1人の王が立つ。
彼は10人の王と異なり,3人の王を倒す。
彼はいと高き方に敵対して語り
いと高き方の聖者らを悩ます。
彼は時と法を変えようとたくらむ。
聖者らは彼の手に渡され
1時期,2時期,半時期がたつ。
やがて裁きの座が開かれ
彼はその権威を奪われ
滅ぼされ,絶やされて終わる。
天下の全王国の王権,権威,支配の力は
いと高き方の聖なる民に与えられ
その国はとこしえに続き
支配者はすべて,彼らに仕え,彼らに従う。』
ここでその言葉は終わった。わたしダニエルは大層恐れ悩み,顔色も変わるほどであった。」(7章)
ダニエルが見たこの幻は,先にネブカドネザル王が見た幻とよく似ているため,一般には同一のことを示していると解釈されている。すなわち,第1の鷲の翼が生えた獅子のような獣=バビロニア,第2の3本の肋骨を口にくわえる熊のような獣=メディア・ペルシア,第3の背に鳥の翼が4つあり頭も4つある豹のような獣=ギリシャ,第4の10本の角を持つ獣=ローマ,という解釈である。そう解釈すれば,その後に覇権を握るのはキリスト教会ということになり,その統治は永遠に続くということになる。
しかしながら,ダニエルが先にネブカドネザル王に解釈したものと同一の幻をみたのであれば,ダニエルが大いに憂い,頭に浮かんだこの幻に悩まされたりするだろうか。大層恐れ悩み,顔色も変わるほどになるだろうか。
また,新約聖書には,イエスが最高法院で裁判を受けたとき,祭司長,長老,律法学者たち最高法院の全員に向かって,「あなたたちは,人の子が全能の神の右に座り,天の雲に囲まれて来るのを見る。」と言ったと記されている。これは,ダニエルのみた幻を引用して自身が何者であるかを語ったものである。であるならば,ダニエルが見たこの幻は,イエス以降のことも語っている幻であり,イエスが十字架後に再び来られる際にかかわるものである。つまり,この幻は,イエスの十字架後から「終わりのとき」に至るまでの間に起こることことを示したものということになる。
そうであるならば,この幻を解明するに当たって重要なことが,ダニエル書10章に記されている。そこには,ペルシアの天使長,ギリシャの天使長,イスラエルの天使長ミカエルが登場する。これらの地の王国にはそれぞれ天使長がついているのである。ダニエルと同時代の預言者エゼキエルの書では,4つの生き物=天使が,車輪の形で地上に興る国々に影響していることが示されており,預言者ゼカリヤの書でも,4つの戦車(それぞれ白い馬,赤い馬,黒い馬,まだらの馬に率いられている)が地上に興る国々に向かって出て行く姿が示されている。ヨハネの黙示録では,この馬が出て行く順番が変わっている。つまり,4つの獣や馬に象徴されているものは,地上に興る4つの大国を示しており,時代によって同じような国の登場が繰り返されたり,あるいは順番を変えて登場したりすることを示している。そうすると,ダニエルが見た獣の幻は,イエスが登場するまでに地に興ったバビロニア・ペルシア・ギリシャ・ローマのような地の支配者が,イエスが再臨される際に再び地の支配者として,順番を代えて登場することを示している。
イエス以前に4匹,イエス以後に4匹であるが,イエス以後の4匹のうち1匹は,ヨハネ黙示録に「かつていたもの」と書かれており,その総数は7つとなる。
また,第4の獣ローマに10人の王が立ち,そのあとにもう1人の王が立つ。彼はいと高き方に敵対して語り,いと高き方の聖者らを悩まし,時と法を変えようとたくらみ,聖者らは彼の手に渡され,1時期,2時期,半時期がたった後に,裁きの座が開かれて天下の全王国の王権,権威,支配の力がいと高き方の聖なる民に与えられ,その国はとこしえに続き,支配者はすべて,彼らに仕え,彼らに従う。
「1時期,2時期,半時期」とは,イスラエル暦の1年360日の360年×3・5だと1260年である。ユダヤ暦では1年は354日か355日で閏年が383~385日である(19年に7回,閏年がある)。
さて,ダニエルはベルシャツァル王の治世第3年にも,また幻を見た。
「わたしダニエルは先にも幻を見たが,その後,ベルシャツァル王の治世第3年に,また幻を見た。その幻の中にあって,見るとわたしはエラム州の都スサにおり,ウライ川のほとりにいるようであった。目を上げて眺めると,見よ,1頭の雄羊が川岸に立っていた。2本の角が生えていたが共に長く,1本は他の1本より更に長くて,後ろの方に生えていた。見ていると,この雄羊は西,北,南に向かって突進し,これにかなう獣は1頭もなく,その力から救い出すものもなく,雄羊はほしいままに,また,高慢にふるまい,高ぶった。
これについて考えていると,見よ,西から1頭の雄山羊が全地の上を飛ぶような勢いで進んで来た。その額には際立った1本の角が生えていた。この雄山羊は先に見た川岸に立っている2本の角のある雄羊に向かって,激しい勢いで突進した。みるみるうちに雄山羊は雄羊に近づき,怒りに燃えてこれを打ち倒し,その2本の角を折ったが,雄羊には抵抗する力がなかった。雄山羊はこれを地に投げ打ち,踏みにじった。その力から雄羊を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが,極みで角は折れ,その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て,非常に強大になり,南へ,東へ,更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし,その万軍,つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし,踏みにじった。その上,天の万軍の長にまで力を伸ばし,日ごとの供え物を廃し,その聖所を倒した。また,天の万軍を供え物と共に打ち倒して罪をはびこらせ,真理を地になげうち,思うままにふるまった。わたしは1人の聖なる者が語るのを聞いた。またもう1人の聖なる者がその語っている者に言った。『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』
わたしダニエルは,この幻を見ながら,意味を知りたいと願っていた。その時,見よ,わたしに向かって勇士のような姿が現れた。すると,ウライ川から人の声がしてこう言った。『ガブリエル,幻をこの人に説明せよ。』彼がわたしの立っている所に近づいて来たので,わたしは恐れてひれ伏した。彼はわたしに言った。『人の子よ,この幻は終わりの時に関するものだということを悟りなさい。』彼がこう話している間に,わたしは気を失って地に倒れたが,彼はわたしを捕らえて立ち上がらせ,こう言った。『見よ,この怒りの時の終わりに何が起こるかをお前に示そう。定められた時には終わりがある。お前の見た2本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王である。また,あの毛深い雄山羊はギリシアの王である。その額の大きな角は第1の王だ。その角が折れて代わりに4本の角が生えたが,それはこの国から,それほど力を持たない4つの国が立つということである。
4つの国の終わりに,その罪悪の極みとして
高慢で狡猾な一人の王が起こる。
自力によらずに強大になり
驚くべき破壊を行い,ほしいままにふるまい
力ある者,聖なる民を滅ぼす。
才知にたけ
その手にかかればどんな悪だくみも成功し
驕り高ぶり,平然として多くの人を滅ぼす。
ついに最も大いなる君に敵対し
人の手によらずに滅ぼされる。
この夜と朝の幻について
わたしの言うことは真実だ。
しかし,お前は見たことを秘密にしておきなさい。まだその日は遠い。』
わたしダニエルは疲れ果てて,何日か病気になっていた。その後,起きて 宮廷の務めに戻った。しかし,この幻にぼう然となり,理解できずにいた。」(8章)
この幻は,かつてのペルシアとギリシャの戦いとその後に登場するローマを示している。バビロニア帝国は徐々に衰退し,ペルシアのキュロス王は前549年にメディアを,ついでリディアを征服し,前539年にバビロンに迫り,前538年には旧バビロニアのほぼ全域を支配下に治め,西方アジア全域の支配者になった。
キュロスは,アッシリアやバビロニアと違って支配国に対しては寛容政策をとり,前583年に全捕囚民の解放と帰還許可を公布した。キュロスによる解放は,そのはるか昔にイザヤによって預言されていた。また,預言者ハガイ,預言者ゼカリヤらの預言に基づいて,ダビデ王国に属する総督ゼルバベル,祭司ヨシュアを指導者とするユダヤ人がエルサレムに帰還した。故国の荒廃は予想以上にひどく,異教の影響を強く受けていた現地の民衆は彼らを歓迎しなかった。かつてのユダ王国はサマリヤの総督の支配下にあり,彼らは神殿の再建を喜ばず,そのため着工もできなかった。しかし,預言者ハガイとゼカリヤの励ましにより前516年,何とか神殿の基礎を再建した。この再建運動は独立運動を伴っていたが,ゼカリヤ書によると,未遂か失敗に終わったようである。彼らは,ペルシアからの独立よりも,捕囚期間中に勝手に移住してきた異教徒やサマリヤに対処しなければならなかった。また,捕囚地からすべての人が帰国したわけではなかった。その地に定着して経済的に成功した者は帰還を望まなかったし,独立を求めて東の地へ移住していった民もいた。
この頃,聖書の新しい編纂がなされた。その完成したものが現在の5書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)で,これを捕囚の地から持ち帰ったのがエズラとネヘミヤである。ネヘミヤがアルタクセルクセス1世(ダレイオス)の好意でペルシア政府任命の知事としてエルサレムに帰還し,持ち帰った五書を公布し,民衆はこれを受諾することを誓約した。ちなみに,捕囚期以前の「律法」は,現代の「申命記」の12章~26章までと,28章で,学者はこの部分を「原申命記」と呼ぶ。その他の部分は捕囚時代に付加された。ヨシヤ王の時代に祭司ヒルキヤが神殿で見つけた書物も,この「原申命記」であるとされる。
ネヘミヤやエズラが預言者と共にサマリヤ人の妨害を排除して,苦難のうちに城壁を修復して都を整備したのが,前445年とされる。捕囚時代に終止符を打ち,再建への第一歩を踏み出したのはこのときであろう。しかし,その準備は捕囚の民によってなされていたのである。その準備に最も尽力したのは預言者エレミヤであった。「お前たちは(捕囚の地で)家を建ててそれに住み,畑を作ってその産物を食べよ。」(29・5)とのエレミヤの預言に従い,主の民は捕囚地で埋没してしまうことなく(他国から捕囚されてきた民のほとんどは埋没してしまった),むしろ捕囚地で商業力をつけ,現代の財閥のような力をつけていった。そのため彼らはペルシア帝国にとって,決して小さな存在ではなかったのである。そして主の民は,エレミヤやイザヤの預言によって,神殿と国の再建に強い希望を抱いていたのである。神の預言はその後も,エゼキエル,ダニエル,ハガイ,ゼカリヤへと引き継がれていき,神は捕囚の地にある主の民に希望と進むべき道を示し続けたのである。
やがて,マケドニア(ギリシャ)のアレキサンダー王がキッテム(キプロス)から兵を挙げ,ペルシアとメディアの王ダレイオスを粉砕し,ヨーロッパからアジアに及ぶ覇権を確立する。そしてアレキサンダー王は,紀元前333にエルサレムを踏みにじった。
しかし紀元前323年に彼が倒れると,彼の4人の武将たちが分割統治するようになった。その中から,紀元前301年にエジプトのプトレマイオス朝がパレスチナを支配する。その後,紀元前198年には,パレスチナはシリアに支配される。その間,パレスチナの民たちは苦難の中でエルサレムの町と神殿を再建する。しかし紀元前175年頃に,シリア地方を支配していたアンティオコス・エピファネスが,ようやく再建されたエルサレムを略奪した。
ユダヤではアロンの後継である正当な大祭司オニア3世がエルサレム神殿を守っていたが,その弟ヤソンとヘレニズム派がシリア王アンティオコスに賄賂(わいろ)を送り,卑劣なやり方で大祭司職を奪い,ユダヤにギリシャ文化を取り入れた。しかし,そのヤソンも,神殿総務長シモンの兄弟メネラオスがヤソンより多い賄賂をアンティオコスに贈って大祭司職を金銭で買って,亡命を余儀なくされる。メネラオスは前大祭司オニア3世を謀殺し,ここにアロンの後継でない大祭司が立つのである。その後,ヤソンとメネラオスの争いが起こるが結局,アンティオコスとメネラオスが勝利し,神殿は「ゼウス・オリュンポスの宮」となり,祭壇にはゼウス像が建てられるのである。紀元前167年のことであった。
エルサレム神殿に異教の祭壇を 築き,「憎むべき破壊者」の偶像を建てた。これにより,日ごとの供え物は廃され,聖所は倒された。多くの民が律法を捨てて支配者に追従したが,マタティアやマカバイらが神殿を奪還する。やがて,ローマが覇権を掌握し,ギリシャによる分割統治時代は終わりを告げた。その後,イエスが到来するのである。
先の幻で, 『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』とある。聖書による「神の1日は人間の1年」から,日が暮れ,夜の明けること2300回,すなわち2300日はイスラエル暦2300年と換算できる。
2300年の起算となるのは,「雄山羊(ギリシャ)はこれを地に投げ打ち,踏みにじった。その力から雄羊(ペルシャ)を救い出すものはなかった。雄山羊は非常に尊大になったが,極みで角は折れ,その代わりに4本の際立った角が生えて天の四方に向かった。そのうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て,非常に強大になり,南へ,東へ,更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし,その万軍,つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし,踏みにじった。その上,天の万軍の長にまで力を伸ばし,日ごとの供え物を廃し,その聖所を倒した。」とある,そのときである。アンティオコス・エピファネスがエルサレムを略奪した紀元前175年頃からイスラエル暦で2300年後に聖所があるべき状態に戻るとすれば,それまでの間,聖所はあるべき状態ではなく,「終わりの時」は聖所があるべき状態に戻る前に来る。ガブリエルによると「この幻は終わりの時に関するもの」だからである。「終わりの時」とは,サタンが支配する世が終わることであり,そのときは「聖所があるべき状態に戻るとき」よりも前に訪れる。
「終わりの時」の様子は,『ヨハネ黙示録』に記されているが,2匹の獣が登場してから,その「終わりの時」を迎える。「時を経た蛇」である竜から42ケ月のあいだ活動する権威を与えられた「海の中から上ってくる獣」と,小羊の角に似た2本の角があって,竜のようにものを言う「地中から上ってくる獣」が,その2匹の獣である(ヨハネ黙13章)。そして獣の上には「大淫婦バビロン」がまたがっている。
これについて更に詳しく解明するために,ダニエル書には,もう一つ重要な幻が記述されている。
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ダニエルは,ベルシャツァル王の治世の時,ベルシャツァル王が見た「壁に字を書く指の幻」の解き明かしたことにより,王国を治める者のうち第3の位を与えられていた。その後,王国を継いだのは,メディア人ダレイオス(アルタクセルクセス)であった。ダレイオス王はダニエルに王国全体を納めさせようとしたが,それを妬んだ大臣や総督はダニエルを陥れようとし,ダニエルはライオンの洞窟に投げ込まれることになった。しかしダニエルは何の害も受けず,ダニエルを陥れようとした者たちが代わってライオンの洞窟に投げ込まれ,彼らはライオンに骨までかみ砕かれた。そのダレイオス王の治世第1年のこと,ダニエルは断食し,主なる神に祈り,罪を告白し,神の聖なる山について,主なる神に嘆願し続けていた。そのとき,ガブリエルが飛んで来て近づき,ダニエルに触れ,こう言った。
「ダニエルよ,お前を目覚めさせるために来た。お前が嘆き祈り始めた時,御言葉が出されたので,それを告げに来た。お前は愛されている者なのだ。この御言葉を悟り,この幻を理解せよ。
お前の民と聖なる都に対して
70週が定められている。
それが過ぎると逆らいは終わり
罪は封じられ,不義は償われる。
とこしえの正義が到来し
幻と預言は封じられ
最も聖なる者に油が注がれる。
これを知り,目覚めよ。
エルサレム復興と再建についての
御言葉が出されてから
油注がれた君の到来まで
7週あり,また,62週あって
危機のうちに広場と堀は再建される。
その62週のあと油注がれた者は
不当に断たれ
都と聖所は
次に来る指導者の民によって荒らされる。
その終わりには洪水があり
終わりまで戦いが続き
荒廃は避けられない。
彼は1週の間,多くの者と同盟を固め
半週でいけにえと献げ物を廃止する。
憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」(9章)
「1年は1日」に換算すると,70週はイスラエル歴490年となる。聖書では,神が6日間で創造の業を終えられ,7日目に安息したことにより,7日目を安息日として聖別して,これを守る。また,7年目は安息年とされて種まき・刈り入れを休み,前年に収穫したもので食糧をまかなった。さらに7年を7度重ねる49年目を大安息年とし,その翌年の50年目を「大ヨベル(解放)の年」とし,借財や奴隷は解放された。70週は,大ヨベル(49年)×10である。
「エルサレム復興と再建についての御言葉」は,預言者ハガイの書や預言者ゼカリヤの書に記されている。「ハガイ書」には,ダレイオス王の第2年6月と7月に主の言葉が臨んだと記されているから,「エルサレム復興と再建についての御言葉が出され」たのは,紀元前520年である。その7週後は,ネヘミヤやエズラが預言者と共に危機のうちに神殿の広場の堀の再建に着工している(完成したのが紀元前445年)。そして「ゼカリヤ書」にはこう書かれている。
「主の言葉がわたしに臨んだ。『帰還した捕囚の中から,ヘルダイ,トビヤ,エダヤの家族から,贈り物を受取りなさい。あなたはその日のうちに,ツェファンヤの子ヨシヤの家に入りなさい。彼らはバビロンから帰ったばかりである。銀と金を受け取り,冠をつくり,それをヨツァダクの子,大祭司ヨシュアの頭に載せて,宣言しなさい。
万軍の主はこう言われる。
見よ,これが“若枝”という名の人である。
その足もとから若枝が萌えいでる。
彼は主の神殿を建て直す。
彼こそ主の神殿を建て直し
威光をまとい,王座に座して治める。
その王座の傍らに祭司がいて
平和の計画が2人の間に生ずる。
冠はヘレム,トビヤ,エダヤ,およびツェファンヤの子の好意を記念するものとして,主の神殿に置かれる。遠方からも人々が来て,主の神殿の建築に携わる。』」(6章)
この幻に登場する大祭司ヨシュアは,来るべき若枝,すなわち古くから預言者によって言われてきた「ダビデの若枝」=救い主の予型として戴冠しているのである。この幻のとおりに神殿は再建されたが,その後,シリアのアンティオコス・エピファネスに略奪される。そして,その時からさらに62週=434年後は,ユダヤ歴1年360日を西暦1年365日に換算すると428年後となり,紀元26年である。主イエス誕生の正しい年が紀元前4年ならば,紀元26年は主イエス30歳の年で,この年はイエスが洗礼ヨハネから洗礼を受けた年に当たる。だとすれば,それは単なる水の洗礼を意味していたのではなく,洗礼ヨハネが主イエスに戴冠した年なのである。あの7週の後に大祭司ヨシュアに戴冠した(油を注いだ)のと同じことが,聖霊による戴冠というかたちで,62週後に成された(油注がれた)。油注ぎとは本来,神の霊が注がれることであり,神による戴冠である(サムエル記,他)。
救世主たる主イエスが来られる前,神殿は危機のうちに46年かけて再建されていた。そしてイエスは「不当に断たれ,その70年後に,都と聖所はローマによって荒らされた。このローマはやがてキリスト教を公認し,ローマ教皇が統治するようになるが,ダニエル書には「その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられない。」と記されている。そして「彼は1週の間,多くの者と同盟を固め,半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」との記述が続くわけだが,70週のうち7週と62週を過ぎると残るは1週=7年である。キリスト教会は,ここに登場する「彼」が油注がれた者のことで,イエスが7年間で多くの者と同盟を固め,そのうちの3年半でいけにえと献げ物を廃止したのだと解釈する。しかし,だとしたら,どうしてその後に「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに,定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」という言葉が続いているのであろうか。また,主イエスは決して多くの者と同盟を結んだとは言えないし,同盟という言い方もおかしい。「彼」がイエスなら,同盟ではなく「契約」とすべきである(神は聖書の中で「同盟」を忌み嫌っておられる)。
この「彼」は明らかに,「次に来る指導者」を指しており,その次に来る指導者が都と聖所を荒らしたのであり,だからこそ,その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられないのであり,「彼」こそが1週=7年の間,多くの者と同盟を固め,半週=3年半でいけにえと献げ物を廃止したのであり,「彼」こそが「憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすもの」であり,「彼」が座すことによって,ついに定められた破滅が荒廃の上に注がれるのである。
では,イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とは誰か。「次に来る指導者の民」とはいかなる集団なのか。彼らが神の都と聖所を荒らした張本人である。 彼らによって,その終わりには洪水があり,終わりまで戦いが続き,荒廃は避けられない。そして「彼」は多くの者と同盟を固め, いけにえと献げ物を廃止した者である。そして,憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。
これを解明する重要なヒントが,ダニエル書の最後に記されている。
「終わりの時までこれらの事は秘められ,封じられている。多くの者は清められ,白くされ,練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが,目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され,憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いである。」(ダニエル12章)
先の幻の解釈,つまり「 『この幻,すなわち,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられるというこの幻の出来事は,いつまで続くのか。』彼は続けた。『日が暮れ,夜の明けること2300回に及んで,聖所はあるべき状態に戻る。』」との幻の解釈では,聖所はまずギリシャから4国に分裂した国の1つによって,日ごとの供え物が廃され,罪が荒廃をもたらし,聖所と万軍とが踏みにじられた。そして,その後に主イエスが登場した。天の聖所は,主イエスの十字架後に登場する「次に来る指導者」=いけにえと献げ物を廃止した者の民によって再び荒らされるのである。
主イエスの十字架後に登場した「次に来る指導者」とその民は,いけにえと献げ物を廃止した。主イエスと12使徒は,イエス生前から律法を守り,イエスはエルサレム神殿を「父の家」と呼んで参詣していた。イエス十字架後も,12使徒は律法を守り,エルサレム神殿に参詣しているので,彼らは日ごとの供え物を廃していない。しかし,パウロは律法を捨て,日ごとの供え物を廃し,異教ローマの習慣に迎合した。そして,ローマ教会はそのパウロに習った。そして,12使徒の教会はローマによって滅ぼされ,異教ローマと迎合したローマ教会が,カトリック教会となり,カトリック教会はやがてローマの国教となり,紀元後700年代には教会に偶像を建て始めた。
神の像を刻んでそれを礼拝することは偶像崇拝としてユダヤ教でもキリスト教でも伝統的に禁じられてきたが,会堂の建設等と共にイエスやマリアの像を掲げ,それを礼拝するようになったのである。彼らはエルサレムにも教会を設け,偶像を建てた。それに対してユダヤ教徒やイスラム教徒から偶像崇拝だとの批難が起こり,イスラム教徒はイスラエルとヨーロッパに侵入する。そしてイスラム教徒は,708年にエルサレム神殿に「岩のドーム」を完成させたのである。その支配は現在も続いている。
やがて教会内部で偶像の是非をめぐって論争が起こった。シリア出身の東ローマ皇帝レオ3世は,726年に聖像禁止令を発布し,勅令によりすべての聖像の破棄を命じたが,ダマスコのヨアンネスは「キリストは神であると共に人でもあるのだから,人となった神キリストの人間を描くことなら可能である」とし,コンスタンティノポリスの総主教ゲルマノス1世も,教皇グレゴリウス3世も,聖像禁止令に反対した。787年,東ローマ皇帝レオ4世の皇太后イレーネによって招集された第2ニカイア総会議で,聖像の崇拝と礼拝を区別し,崇拝の対象としては聖像を認め,聖像に燈明を献じ,香を焚くことが容認された。これは東西両教会が認めた全教会会議の最後の総会議であった。聖餐(せいさん)式で聖別されたパンとぶどう酒がキリストの身体と血になるという「化体説」が出たのも,この頃である
つまり,700年代にローマ・キリスト教会が偶像を建て始めた頃,708年にイスラム教徒がエルサレム神殿に「岩のドーム」を完成させ,エルサレム神殿はその後,カトリック教会の十字軍と,イスラム教徒によって,踏みにじられ,荒廃がもたらされるのである。
ダニエル書の最後には,こう書かれている。
「ダニエルよ,もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ,封じられている。多くの者は清められ,白くされ,練られる。逆らう者はなお逆らう。逆らう者はだれも悟らないが,目覚めた人々は悟る。日ごとの供え物が廃止され,憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いである。終わりまでお前の道を行き,憩いに入りなさい。時の終わりにあたり,お前に定められている運命に従って,お前は立ち上がるであろう。(ダニエル12:9~13)
注がれた者が不当に断たれ(主イエスの十字架後),都と聖所が次に来る指導者の民によって荒らされ,「彼」が1週の間,多くの者と同盟を固め,半週でいけにえと献げ物を廃止してから,1290日が定められている。待ち望んで1335日に至る者は,まことに幸いであるという。主イエスの十字架から1週+半週後は,イスラエル歴490年+245年=735年後で,キリスト教会が偶像を建立した頃にも合致するし,イスラム教徒によるエルサレム神殿の聖所の破壊の頃にも合致し,日ごとの供え物が廃止されたこととも合致する。そこから1290年が定められており,1335年に至る者は,まことに幸いであるという。
聖書にはこう書かれている。
「その日,その時は,だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。」(マルコ13・32)と。
しかし,主イエスはその言葉の後に,こう続けている。
「気をつけて,目を覚ましていなさい。その時がいつなのか,あなたがたには分からないからである。それは,ちょうど,家を後に旅に出る人が,僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ,門番には目を覚ましているようにと,言いつけておくようなものだ。だから,目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか,夕方か,夜中か,鶏の鳴くころか,明け方か,あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て,あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは,すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ13:33~37)
イエスが言われた「その日,その時」とは,「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくるのを,人々が見るとき」のことである。それは世の終わりの苦難の後のことであって,世の終わりの苦難のときは,それよりも前に来るのである。
ヨハネ福音書には,年を経た蛇,竜とかサタンとか呼ばれる「全人類を惑わす者」が,自分に残されたときが少ないのを知って地と海に降ることが記されている。「終わりのとき」には,彼は「その日,その時を知る」のである。そして彼は自分の権威を「獣」に与え,全人類を支配するために様々なことを行う。
目覚めていて,この獣と竜がすることを読み解けば,彼らが「世の終わりのとき」にすることが見えてくるのである。
イエスは言われた。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は通じる門は広く,その道も広々として,そこから入る者が多い。しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7・13~14)』
ハルメンの笛吹きがフリードリッヒ・ヴィルヘルム王のプロシア声をまねると,それまでぼんやり立っていた大衆は,機械的ににわかに動き出す。このようにして大衆に行わしめる展開によって,ちゃんと大衆についてこさせることができる。しかし,大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,しばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらない。
おまけ
シュメール語古事記などを読むまでもなくシュメール人が日本に渡来したのではなく古代日本人がもともと住んでいた土地であり彼らがシルクロードを使って日本に戻って来たのであろうと推測するのは乱暴か?その人たちはサンカと呼ばれていた人たちでなないだろうか?
約束の地か征服した地か
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