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ダンテ神曲ものがたり その24

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1-18.新しく生まれし年の季節、そのとき太陽が:この第24章の始まりの人目を引く映像imageは多くの批評家達によって全体としてこの章にほとんどまたは全く関係の無い「離れわざ」tour de force[fr. = feat of strength or skill]であると受け入れられてきている。しかしながら、その変わっていく比喩的表現(描写)imageryにおいてそれはこの章と次章との「突拍子もない変身」the fantastic metamorphosesのための気配を用意していると信じる。その直喩においては、ある百姓が、間違って白霜を雪だと信じて、最初は怒ったようになり、それから、惑わされたと気が付くと、落ち着きを取り戻して羊を牧場の外へと連れ出すのである。一つの観点からはこの百姓は巡礼者ダンテのようでありベルギリウスはその田園地方のようである:

ちょうどそのようにわたしは、ご主人様の顔が
困惑した様子をたたえておられるのを見て、心を失っていました。
すると急き立てるように慰めがわたしの傷を癒すために来ました。
                                 (16-18)

このようにダンテは、ベルギリウスが落ち着きを取り戻したと分かると、百姓が「世界がそんなにも短い時間で/その顔を変えてきている」と「再び見る」時のように(13-14)、うれしいのである。しかし別の観点からするとこの百姓はベルギリウスである。なぜなら彼が白霜を雪だと信じたのは、ちょうどベルギリウスが悪の尾野郎(マーラコーダ)のうそを信じたようにである。怒っている百姓が、「そんなにも短い時間で」落ち着きを回復するように、そのようにベルギリウスもまたそうするのである。巡礼者は、この場合においては、百姓が牧場の外へ連れ出した羊のようである。なぜなら、ベルギリウスが、彼の落ち着きを取り戻して、巡礼者を岩の坂の上へと急き立てるのである。
 このように直喩の要素になぞられたこの二つの表象(似姿=形姿figure)は、第7のボルジアでの泥棒達がするように、変身(した姿)を経験するのである。しかしダンテの変身の巧みな前兆はこれで終わりはしないのである。その直喩それ自身の中でその田園地帯が白い霜の溶け去るようにある変身をしている。原文(イタリア語)においては、押韻それ自体においてさえ、同様な変化をほのめかす単語がある。なぜならここではダンテが両方の意味に取れる押韻をふんだんに使っているのである。同様の音で同一に綴られる二つの単語はしかし異なった事柄を意味するのである。一例が(始めの24行に少なくとも3つの例がある)11行と13行に見出される:

      Come 'l tapin che non sa che si faccia;(ぶつぶついい、不幸者よ、なす術を知らずして) 11
・・・・・・・・・・・
veggendo il mondo aver cangiata faccia;(再び見ると世界がその顔を変えてきている)  13

11行の"che si faccia"は"what to do"「する何か」(「なす術」)を意味し、ここの"faccia"は動詞"fare"("do")の接続法現在形であるが、一方13行の" aver cangiata faccia"は"has changed its face"「その顔を変えてきている」の意味で、ここでの"faccia"は名詞の「顔」である。このようにこの引用部分での単語それ自体が変身をしているのである。
 この直喩は実際に「離れわざ」tour de forceであるが、離れわざはその複雑で「突拍子もない変形」fantastic transformationの前兆となって来るのである。

20.山の麓で:第1章の山であり、この連続した旅を読者に気付かせる言及である。

31. それは外套を身に着けた者にとっては道なんてものではありませんでした!:前のボルジアの偽善者のようである。

34-40.しかもわたしたちが登るその土手が:[土手の高低差についての説明のためにMusaがわざわざ説明図を挿入している。この絵は原文にはもちろん無いものである。おそらく言葉では説明しきれないだろうと絵を挿入したのであろう。蛇足になるが言葉で説明してみよう。巡礼者ダンテが不安になってあきらめていたのは(35-37)、橋が水平にあるものとして巡礼者ダンテが歩いてきているために、第6のボルジアの入り口の土手の高さと出口の高さが一緒だと思い、いま導者に抱きかかえられて滑り降りてきた高さと距離を自分の足で登るのは並大抵ではないと考えているのである。しかし、詩人ダンテが次に補足説明をしているように、橋はコキュトスに向かって、斜め下にぶら下がるように架けられており、崩壊した橋の残骸を上るのは、実際にはほぼ水平の移動になり、大変なのは、一つ一つの砕けた石を越えることだけがしんどいのである。ベルギリウスはそのことをよく熟知しているので、「さあ、そのそこの岩をしっかりとつかみ給え」と、巡礼者を先に登らせて行くのである。ここではただ岩がぐらぐらしているので注意するだけでよいのである]

38. もっとも低くぽっかり開いている井戸に向かって傾いているからには:すなわち、地獄のもっとも低い部分であるコキュトスCocito, Cocytu[嘆きの川]へ向かっているのである。

47-48.何となれば、衝撃を和らげて座り:ベルギリウスの言葉の無作法で(田舎者丸出しの)、格言的な調子に注意せよ。彼は出だしの直喩において彼が比べられている百姓がしそうなように語っているのである。

55.さらに険しい階段をこれらにもましてわれら上らねばならん:ベルギリウスはルシフェルの足とその上への登りを示唆している。34章82-84参照。

84. そいつ等の思い出は未だに私の血を凍らせています:[第1章6行「それを思い出すと私の過去の恐怖を全て呼び戻す」を想起させるが、Musaが"thought"と訳している「思い出」は、原文では、"pensiero"(thought、考え、思考)と"memoria"(memory、記憶、思い出)と違っている。しかし、Musa同様訳者も当初どちらも「思いつき」と和訳した。というのは巡礼者が神曲の執筆時点には存在するわけがないので、この行は詩人ダンテが執筆しながら、これらを設定したことに自分自身で恐怖を感じていると思われたからである。この物語では巡礼者が詩人に過去の出来事を語っているのであるが、語りながら恐怖が思い出されてきているのである]

85-90.リビアの沙漠もすべてもはや誇りとはさせん:リビアRibyaと紅海近くの他の国(エチオピアEthiopiaとアラビアArabia)は何種類かの獰猛な爬虫類を産み出すことで有名であった。ダンテによってここで触れられているもの全ては「ファルサリアPharsalia」(Ⅸ,700ff)に記述されていた。ルカヌスLucanによれば、ケリドロchelidroは煙の跡形を残し、イアクロiàculoは空中を突進し遭遇したものなら何でも突き刺す。ファラオfaraoneは尾で地面に溝を掘る、ケンクロcèncroは砂地に波型の跡を残す、そしてアムピスバイナanfisibènaは二つの頭を持ち、一つが互いの端にいる。[訳文ではそれぞれに、煙蛇、槍蛇、溝蛇、波蛇、双頭蛇と名づけた]【資料24-1参照】

90.紅海によって欺かれる沙漠と合わさっても:[原文、英文ともに「紅海のそばにある」なので、全くの誤訳であるが、紅海対岸のアラビアを強調する意味でそのまま採用した。Dantesqueとは思えないだろうか?]

92.人々が驚かされ、裸にされ:泥棒達。

93.血玉髄(エリトローピア)をみつける望みもなく:民族伝承によれば、血玉髄は多くの価値のある石として信じられていた。それは蛇に噛まれた跡を治療しそれを運んでいる者を人に見えなくさせるというものであった。ボッカッチョBocaccioがこのエリトローピアで自分自身を見えなくさせようと考えた男の話を物語っている(デカメロンⅧ,3)。【資料24-2参照】

100. どのOやIも彼のIが燃え焦がされるように早くは:この文字OとI(筆記体の”O”と”I”)は一筆書きで書かれることができる。このように、この描写されている行動が大変速いのである[原文は、"Né OI sì tosto mai né I si scrisse/com' el s'accese e arse"で、二つ目の”I”は「彼」だが、一瞬にして燃え焦がされる罪人の形を文字の"I"によりよく喩えた感じがよくでているので、「彼のI」と訳した]

108-11.五百歳に近づかば:ダンテはヴァンニ・フッチVanni Fucciの複雑な変身を不死鳥la fenice, phoenixのそれになぞらえている、それは、言い伝えによれば、五百年に一度ごとに炎で自身を焼き尽くすのである。その灰からは一匹の虫が生まれ、三日以内に再びその鳥に発育するのである。ここでの「賢人たち」(106)(原文はsaviで、「詩人たち」「学者や詩人」とも訳されている)[また、原文はgran saviで「偉大な」という形容がなされているが、Musaは単に"philosophers"と訳している]はおそらくオビディウスOvid, Publius Ovidius Nasoやブルネット・ラティーニBrunetto Latiniであり、二人ともに不死鳥について書いた【資料24-3参照】[「乳香」incensoとは主にアフリカ東部産のカンラン科ニュウコウ属Boswelliaの木から採る芳香性のゴム質の樹脂で、宗教儀式で香としてたくものである。"incenso"は「"censo"(香炉)に入れる物」の意味である。「香油」amòmoとはここではラテン語の"amõmum"からきた単語で「東方の香辛料(調味料)」、日本でのシソである。英語では"balm"と訳され、カンラン科ミルラノキ属Commiphoraのメッカバルサムノキで芳香性の樹脂を採る。バルサンである。「甘松香]nardoはラベンダーもしくは(香料植物の)コウスガイヤである。日本ではナルドまたはカンショウ(甘松)である。「没薬」(「もつやく」と読む)mirraはミルラで、アフリカ、アラビア産のカンラン科植物の樹脂から採った香料、薬の材料である]

112-17.発作を起こした人が倒れ、なぜかを知らずに:てんかんの発作の間、その犠牲者が悪魔に取り付かれているとは一般に信じられてきたものである。このことに加えて、ダンテはさらに合理的な説明をしている。それは、その者の血管のある封鎖[閉塞]が人間の身体の正しい機能を抑制する[窒息させる]というものである(114)。

122. そして彼が答えました:[非常に丁寧な言葉で答えるヴァンニ・フッチに注意のこと。巡礼者が「なぜならわたしは彼が血の気の多い憤激の男だと知っていました」(129)と訝っているのである。そしてこの巡礼者の言葉を耳にしても血の気の多い憤激さを「装うとは」しなかったのである(130)]

125-29.私は雑種のようだったのです。私はヴァンニ・フッチです:ヴァンニ・フッチは、ラッザーリのフッチオFuccio de' Lazzariの私生児で[雑種のようだった]、ピストイアの黒党の好戦的な指揮官であった。彼の「血の気の多い憤慨の男である」(129)評判はよく広がっていた。実際は、巡礼者が彼を見つけて驚いているがしかし暴力の他の亡霊達(第12章)と一緒にはプレゲトーン(火の川)に沈められていない。

138-39.私は祭器祭服室の財宝を盗みました:1293年ごろにピストイアPistoiaで聖ゼーノZenoの教会に在る聖ヤーコポIacopoの財宝が盗まれた。その盗みで不正に告発された(139)(そしてそのために処刑されかけた)人物はラムピーノ・フォレーシRampino Foresiであった。後ほど、事実が明るみに出て、共謀者の一人であるモンナMonnaのヴァンニが死刑に処せられた。ヴァンニ・フッチは、しかしながら、逃れ、そして1295年に殺人と他の暴力行為で刑を受けたけれども、彼は1300年に死ぬまで何とか自由にやってのけたのである。

143-50.最初ピストイアがそこの黒党をすべて奪い去られるであろう:ヴァンニ・フッチの預言が不明瞭なものを残しているが、その最良の説明は次のようである。ピストイアの白党員が1301年5月黒党を攻撃した。そのピストイア黒党はフィレンツェに逃れ、フィレンツェ黒党と共に、1301年11月にヴァロアのカルロCharles of Valoisの助けでその町の政治体制を受け継いだ。145行のマグラ渓谷はモロエッロ・マラスピーナMoroello Malaspina(「稲妻」)の領土であり、彼は首領として1302年ピストイアに向けフィレンツェとルッカの軍隊(黒党か?)を先導した。彼が「覆われた」この「厚くて前兆となる雲」はピストイア人であり、モロエッロに驚いて「ピチェーノの原」近くの町サッラヴァッレSarravalleの戦いで彼を包囲したのである。包囲されたけれども、モロエッロが何とか軍隊を再編成し敵を散らしたのである。
 この気象学的描写の使用はダンテの時代の科学の特有のものであった。
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