もしも自分が突然死を迎えたとき 納得して死ねるかと改めて考え直してみたときに自分は本当にそういう生活をしていないじゃないか.....
私は奉仕の精神や善意などで行くのではない。私個人の生き方を修正するためのはなはだ身勝手な理由に過ぎないんだ。菅谷昭
ナターシャさんの歌は......
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1791017.html
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから
ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー
男の個と女の個について
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/307.html
ピーターラビットの作者を映画化した中に主人公のミス・ポターに結婚話が出てきた時,母親がちょっかいを出してきた。ポターは母親にこう言います。「This has nothing to do with you,mother」このことはあなたに一切関係がないことなのですよ,と。つまり女という個と男という個の関係だから母親などが口をはさむ余地はないということなのです。生きてゆくには人生のパラダイム(座標軸)が必要であり立脚地を自分で組み立てる必用があるのですが日本の場合障害が多すぎるようです。とくに圧倒的多数を占める無知な親とバランスを欠いたリーダーと温もりのない社会のためにね。
『夫婦でも日本みたいに融合しない。親子でももちろん融合しないし,師弟も融合しない。親は自分の責任を尽くして生きてきたのだから,あとから来た子供は,その子供自身の生活なのだから,その生活を自分で営んで,またその次に出てくる子供から離れて一人で死んでいくわけです。そうであるからこそ,ヨーロッパには本当の恋愛が可能なのです。
日本人には本当の恋愛が非常に少ないということです。すぐに親がでてくる。すぐに先生がでてくる。ことに,すぐ友人がでてくる。そのために本当の恋愛は日本では成立しない。恋愛は男の個と女の個との関係です。ですから,孤独ということがなかったら恋愛なぞ,絶対にありえないのです。孤独において成立したもの以外は,多かれ少なかれ,みんな仲人口です。究極において個を貫けないという要素によるものです。』
管理人注:親子でも子どもの心のヒダに絶えず入ろうとして少しでも傷が見つかると舐めようとする。いわゆる傷の舐めあいなどをしているから12歳で止まってしまうのです。だから子どもは親に嘘をつくようになる。親だから言えないこともあるのです。高校生,大学生の男女の悩みは何ですか?五木寛之の「青春の門」をお読み下さい。そんなもん自分で乗り越えるしかないのです。子どもは多様な才能をもっているので色々なものを与えてみる?どんでもないことです。首根っこひっつかまえて教えないと後で後悔することになります。親は子どもに好かれなくてもいいのですよ。油断していると子どもに殺されますよ。
フジ子へミングさんもそうでしたね.....
http://web.archive.org/web/20080304100211/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/154.html
子供の教育は「子供は生まれながらに潜在的な才能をもっているのだから,必要なものを全て与えれば勝手に才能を発揮する」と,こういう考えもある。
でもフジ子さんの母は容赦をしなかった。首根っこを掴まえて,嫌がるフジ子をピアノの前に坐らせたのだ。母と娘は友達になんかなる必要は無い。嫌われたっていいのです。真剣勝負で育てられたから,今のフジ子さんはあるのだと想います。
フジ子さんは今言います。
私の人生にとって一番大切なことは,小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり,野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。と
事実フジ子さんは余計なお金は要らないと,ほとんどを寄付しています。下北沢の母が残した家に帰ってきた時死ななかったのは,猫にエサをあげる人間がいなくなるもんね。これが芸術家なのでしょうか。現在は巴里と日本で半々の暮らし。波乱に富んだ数奇な運命のもとで,神は悲痛をプレゼントし,成功と挫折を繰りかえさせた。そして,ついに神の待ち望んでいた日が来たのです。下の母の贈り物は感動的で素敵ですね。一番下に挙げた二冊の本はぜひ買って読んでみてください。それはまるでエディット・ピアフの物語と同じですね。
日本の真相
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1937
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