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マヤ暦は5000年先まであった

http://nueq.exblog.jp/18283394/

マヤ歴はキリスト教的な終末論はないとする

http://nueq.exblog.jp/19693265/

アナレンマの8の字

http://www.hoshitabi.com/analemma/05/index.html



『アナレンマとは、同じ場所同じ時刻の太陽を、1年間重ね撮りをしたもので、8の字の形を描く。 AD2005年のアナレンマ アナレンマが8の字になり、8の字の上のマルと下のマルの大きさが違うのは、なぜか。
アナレンマが8の字を描くのは、地球の地軸が公転面(黄道)に対して傾斜していることと、 地球の公転が楕円軌道であることが要因だ。

楕円軌道のため、公転角速度が増減する。(ケプラーの第2法則)

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%AC%AC%EF%BC%92%E6%B3%95%E5%89%87&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

自転速度が一定だが、真太陽日(太陽が南中してから翌日また南中するまでの時間)は、一定ではなく変動する。 ここに均時差が生じる。均時差というのは、真太陽時と平均太陽時の差が累積したものだ。 例えば9月半ばすぎには23時間59分38秒くらい、12月下旬には24時間30秒ほどの長さとなる。 平均太陽時とは、天の赤道を一定速度で移動すると想定した平均太陽日から導いた時刻系で、日常使っている時刻だ。
均時差の変動は、真太陽時が、2月半ばに約14分の遅れ、5月初旬に約4分早く、7月下旬に約6分の遅れ、11月初めに約16分早くなる。 これが、アナレンマの東西方向の動きである。
南北方向へは、夏至の6月下旬に北へ、冬至の12月下旬に南へ、それぞれ天の赤道から23度半振る太陽の動きとなる。
この赤道から離れることで、経度方向の距離が、 赤道の緯度0度の経線の長さ1.00に対して、緯度23度半の経線の長さは約0.92になる。 平均速度より速く動く春分秋分のときは、1日前の位置より少し西にを行き過ぎ、 平均速度より遅い動きの夏至冬至のときは、1日前の位置に到達せず東側に太陽が見えるということになる。
これらの効果が複合累積して、8の字の軌跡となるわけだ。 加えて楕円軌道の近日点の位置と、どこで春分点なり冬至点なりが位置するかで、アナレンマの形状が変化するのである。

アナレンマのクロッシングポイント 8の字の、冬至から夏至に向かうラインと、夏至から冬至に向かうラインは、どこかで交差する。 その点をクロッシングポイント(Crossing point of Analemma=CPA)という。(管理人注:それが十字架か?)
現在(AD2005)CPAは、秋分・秋分より夏至寄りの 4/12頃と8/31頃である。 8の字の形は歳差のため変化する。CPAの位置は移り変わることになる。』



関連記事:伊勢神宮の「心御柱」とマヤ歴(ビデオあり

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1387


「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800)
『人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。 それは春分,秋分,夏至,冬至を決定的に暗示している。参考URL

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/42.html

これに関して「捏造された聖書」の著者バート・D・アーマン ノース・キャロライナ大学宗教学部長は同じことを述べています。

当面は以下の説を信じるとしようか

http://netallica.yahoo.co.jp/news/20121222-00000096-playboy

「世紀の計算ミス」の内容を大まかに説明すると、マヤ長期暦の1周期を約5000年としてグレゴリオ暦に換算した場合、4年に約1日増える“うるう年”を計算に入れていなかったというのだ。つまり、5000÷4=1250日もの誤差が出ており、誤差を修正すると、マヤ長期暦の終わりの日は、西暦2012年12月23日から1250日後の2015年9月3日になるというのである。

ただし、これは「人類滅亡の日」が単に3年延期になったという話にとどまらない。新たに出てきた「2015年人類滅亡説」は、思わぬ場所で波紋を呼んだのである。「マヤの人類滅亡の日」の修正に慌てふためいたのは、エジプトの研究者、それも古代エジプト暦の研究家たちだった。彼らはいったい何に驚愕したのか……。

時はいったん1970年にさかのぼる。エジプトの人々は、毎年氾濫するナイル川に悩まされ続けていた。それを解決するため、ナイル川上流に超巨大なダム、アスワンハイダムが建設された。しかし、その影響で古代エジプト文明の聖地とされていたフィラエ島のイシス神殿は半水没状態となってしまったのだ。

この神殿は、エジプト神話の女神イシスが太陽神ホルスを産んだ場所とされていて、惨状を憂えたユネスコにより、1980年に神殿はアギルキア島に移築保存されるために徹底調査されることとなった。

その結果、神殿の壁には1465体の神々が描かれていることがわかったのだが、このことがエジプト暦の研究者たちを震撼させた。

西暦550年に閉鎖されたこの神殿には、「この場所が閉鎖されれば毎年、秋分の日に一体ずつ神々の加護が失われ、すべての神々が去った年の秋分の日に世界が水没するだろう」という伝説が残っていたのだが、ナイル川の氾濫など毎年のことで、研究者たちも「神を粗末にすると報いを受ける」という伝承程度に受け止めていた。

だが、1465体の神々が描かれていることがわかり、西暦550年から毎年、一体ずつの神々が去るとすると、なんと西暦2015年の9月に世界が水没することになる。』

2012年12月22日から2001年9月11日を引くとあの時の2011年3月11日が出てくるように2015年9月3日から2001年9月11日を引くと.........2014年8月XX日が出てくるが?



マヤ歴のサイクル

http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/cat29/post_169.html

マヤ歴ハズレだな~

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1317

管理人注:イシス神殿(フィラエ神殿)

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B9%E7%A5%9E%E6%AE%BF%EF%BC%88%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%82%A8%E7%A5%9E%E6%AE%BF&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

絵で見るイシス神殿

http://cocoguru.fc2web.com/sub3e1.html

空前の滅亡ラッシュ

http://news.livedoor.com/article/detail/7278251/

エジプト暦、インド暦の終りとも一致

「終末説」のもとになったのは、マヤの暦のひとつ「長期暦」だ。西暦に換算すると紀元前3114年に初年の基準の日が設定され、以後5125年を1サイクルと数える暦で、12年12月21日がちょうどサイクルが完結する日にあたるとされていた。

ところが21日、人類は滅亡しなかった。なぜなのか。期待を裏切られた人には朗報というべきか、マヤ暦の終りの日付が実は間違っていたとする説がはやくも出てきた。

有力なのは、2012年ではなく2015年だったという説だ。マヤ暦を西暦に換算するために学術的に使われてきた対照法が誤りで、うるう年を考慮していないというのだ。アメリカのマヤ学の権威も認めている。そこで、うるう年を含めて新たに計算すると、マヤ暦の終りは2015年9月3日になるそうだ。

さらに、これがエジプトの「滅亡伝説」と時期をだいたい同じくするとして注目されている。エジプトのフィラエ島のイシス神殿の壁には1465体の神々が描かれていて、「この場所が閉鎖されれば毎年、秋分の日に1柱ずつ神々の加護が失われ、すべての神々が去った年の秋分の日に世界が水没するだろう」という伝説がある。神殿は550年に閉鎖された。以降毎年1柱ずつ神々が去っているとすると、2015年の秋分の日(9月23日前後)に世界が水没することになる。

また、フランスの科学ジャーナリスト、モーリス・シャトランによれば、2020年3月20日がマヤ暦の終わりで、オリオン座ベテルギウスの超新星爆発をきっかけに、人類が滅亡するという。この日付はインドのスーリヤ寺院に残されたインド暦の終わりとも一致していて、「破壊神カルキが1つの時代を終わらせる」と予言されているそうだ。
「いつになったら滅亡するんだよおう早くしろよ」

この他にも「滅亡論」はたくさんある。いくつか時系列順にまとめると、以下のようだ。

2015年9月 マヤ暦の終り、エジプトの伝説
2017年 旧約聖書・ダニエル書の予言
2020年3月20日 マヤ暦とインド暦の終り
2030年 聖徳太子「未然本紀」の予言
2060年 ニュートンの予言
3797年 ノストラダムスの予言範囲の終り
45億年後 プーチン露大統領の予言

こうした雨後の筍のように出てくる滅亡論に、ネットでは、「空前の滅亡ラッシュ、俺達の終末はこれからだ!」「いつになったら滅亡するんだよおう早くしろよ」「どうでもいいから早く滅亡しろよ」といった書き込みがされている。

フォトンベルトは嘘だった?

http://nueq.exblog.jp/18283426/

このように「 マヤン・カレンダー 」なるものは、

 マヤの文明を破壊し尽くしたスペインの司祭ディエゴ・デ・ランダ
   ↓
 ランダ司祭の資料を基にマヤ文明を解明した
 ハルマケドン文明史観のエリック・トンプソン
   ↓
 トンプソン資料とフンバツ・メンの話しと自身のチャネリング情報を基に
 「 マヤン・カレンダー 」を創ったホセ・アグエイアス

と云う流れの中で捏造された 「 ホセ・カレンダー 」 なのです。
そして日本でこの 「 ホセ・カレンダー 」 を広めたのが、元電通社員と云うのも気になるところです。

そして何より重要なのは、2008年に初来日した、マヤ神官の長老が「 ホセ・カレンダー 」を否定し、「 マヤ暦 」は別にあるし、そこには終末はない。 と発言している点です。

そして、「 フォトン・ベルト 」については、閾ペディアことのは の「 フォトンベルト物語 」に、1981年、オーストラリアのUFO研究会誌に掲載されたシャーリー・ケンプと云う一人の女子大学生の記事『 フォトンベルト物語(The Photon Belt Story) 』から始まり、10年後の1991年、オーストラリアの有名な神秘系雑紙「ネクサス」(オーストラリアにおける『ムー』のような雑誌)に再録さて広まっていった。 と、紹介されていますが、一般的にはやはり1996年にインターネット上を駆け巡った「 ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したフォトンベルトなる写真 」が発端です。 そしてその写真を発表したのがオーストラリアの天文学者とされていますが、本人は確かそのことを知らなかったように記憶しています(なにせ随分前のことなので間違ってたらごめんなさい。間違ってるとはつまり、知らなかったのではなく、その天文学者なるものが消息不明だったかもしれない。と云うことです。)

フォトンベルト物語

http://www.kotono8.com/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E7%89%A9%E8%AA%9E
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