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女神のことば

何もかも貴方に任せます 
                         
あたしには口が有りません

だから貴方に何もかも任せます

其れは人間界を動かす為に言葉が必要だからです

貴方の純粋さがあたしの拠り所です

貴方の真心が多くの人々に理解される事を禱っています




自適さんもずいぶん変わったね

自適今日

自適随筆

......其の映像の意味は、昨日のメッセージに有った、釈迦が始祖である仏教の後始末に続き、イエスキリストの後始末に付いて示して来ているのであろう。

今朝の映像では、多くの女の人達が手に袋を1つ下げて、教会に集まって来ていた。どうやら其の袋には、膝掛けか毛布の様な布が入っていた様である。何故、女子が其の様な布を持って来たかを考えると、石造りの教会は身体が冷えるので、身体が冷えない為に布を持参しているのだろう。
その理由を考えると、教会で行われる講話が長く成る事が理解できる。

何故、話が長く成るかを考えると、是まで長い間語られて来た聖書の教えに、多くの間違いが有り、其れを現代社会の常識に合った解釈に変えなければ成らないからであろう。何故なら、聖書は草原に暮らす羊飼い・放牧民族の暮らし方に付いて述べられたモノであり、北方民族や、日本の様な海に囲まれた国や、アマゾンの様な森林の中で暮らす民族には、合わないからである。

特に、此の日本は「豊葦原 瑞穂の国」と呼ばれ、稲作中心の生活で、森や水の環境が大事にされて来ており、自然が神の現れであって、イエスが謂う天の父が全てであるわけではない。其れに、旧約聖書では大地を耕して麦を栽培する兄より、羊飼いの弟の方が神の御心に適っている事に成っている。
其れでは、雨が多く、急峻な山並みが続き、羊が飼えない此の日本列島の民は、聖書の教えからすると、良い民ではない事に成ってしまうのだ。だから、世界で一番信者数の多いキリスト教の教えを、先ず書き替えなければ成らないのである。


.......今朝は、文章の題を「籠目とラーの目」か「調読と天照」、其れとも「美夜波と昼目」にしようかと想ったが、昨日の題が「神の目」で、16日の題も「神の目」と成っているのに気付いたので、昨日の題を「神の目2」として、今朝の題は「神の目3」とする事にした。

エジプト文化では、「王・ラー」の守り神としての太陽神である「ラーの目(イシス女神)」と、ミイラの棺桶に描かれている、籠に入れられた冥界の神の目「籠目・かごめ」が有る。

其の概念は、鏡を頭に着けた「イシス女神(天照神)」や、神社の「鳥居」と「高麗獅子(ライオンとユニコーン)」其れと「恵比寿・Ebisu神」と共に我が日本国に渡って来て、現在の神社の体制を作り出しており、儀式を司る神官・神主の「カド族」の存在は、「ミカド・帝・御かど」として、現在の天皇家が其の風習を伝えている。

そして、エジプト文化の「ラーの神官」である「王・ファラオ」の守護神、「太陽の船」に乗る頭に鏡を着けた「イシス女神」の概念は、日本に渡って来て昼の世界を司る「天照大神」と成り、冥界を意味する「籠目・かごめ」の方「アヌビス(オシリス・ジャッカル)」は夜の世界を司る「調読みの命・つきよみのみこと」と成っている。

・アヌビス (Anubis 、エジプト語ラテン文字転写:inpu 、古典ギリシア語: Ἄνουβις (Ánūbis)) はエジプト神話に登場する冥界の神で、リコポリスの守護神。「聖地の主人」(nb-ta-djsr)、「自らの山に居る者」(tpi-dju=f)、「ミイラを布で包む者」(imiut)などの異名を持つ。
エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていた神でミイラづくりの神であり、犬またはジャッカルの頭部を持つ半獣もしくはジャッカルそのものの姿で描かれた。これは古代エジプトにおいて、死肉を求めて墓場の周囲を徘徊する犬またはジャッカルの様子を死者を守ってくれているのだと勘違いしたと考えられたからである。また、そもそもアヌビスはセトのモデルとなった動物と同じく、ジャッカルや犬と似てはいるが現在は絶滅してしまった別のイヌ科の動物やまったくの想像上の動物であるとする説もある。その身体はミイラ製造時に防腐処理のために遺体にタールを塗りこみ黒くなるのに関連して真っ黒だった。  ~引用終了~  ウィキペディア辞典

今朝のメッセージの映像で、私が始めに夜の道を歩いて居たのは、冥界の王である「アヌビス」の御魂であり、「聖地の主人」「自らの山に居る者」の立場の者であったのだろう。そして、映像に出て来たプロの書道家は、エジプト文化の書記長と同じ役割を持っている人間を意味しているのであろう。
エジプトの書記長が、何故「マントヒヒ」や「朱鷺・とき」の姿をした「トト神」とされているのか、其れは人間の目では捉えられない世界を、見なければ成らない意識を意味しているからであろう。

そして、其の世界は密教の世界に通じており、マントラ・真言に拠って「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の世界が動く事や、中国の習慣である七夕で、竹に短冊に願い事を書いて下げる事と同じ世界なのであろう。
そして、其れがヨーロッパのロゴスの世界や、呪文の世界に通じているのである。

今朝のメッセージの映像には、書道家が居た夜の世界の次に、昼間の世界が現れて、止まっている大きなバスが「ひるめ・昼目」関係が有る事が示されて来た。
其の映像の意味は、人間が活動する昼間の世界は太陽に関係が有り、此の地球の生命は、緑豊かな森林に支えられているので、荒廃している土地に皆で植林を行えとの理・ことではないだろうか。其れが、人類にとって最大のテーマであるとの事ではないだろうか。

其の様に考えると、昼間人間がすべき事は地球の緑を護る事が第一であり、他の経済活動は二の次であると言う事に成る。其れは、日本の伝統を伝える天皇が、山に木を植え、水を護り、田植えをして稲刈りをし、其の米を食べる時は禊ぎ祓いをして、先祖の霊魂を呼び戻して、一晩中直会・なおらいをする事で伝え残されている。
其の事を、国民が、再び思い起こさなければ成らない時が来ているのであろう。


........確かに、松下政経塾は、第一期生に高校卒の「林英臣」氏が居るだけで、他は大学卒業であり、世間の実体験を得ないまま政経塾に入って、知識だけを詰め込み、弁論の技術やマスコミ対応に長けているだけで、人格が完成していない事は確かである。其の証拠に、現在政治の中核を占めて来ている政経塾の人達には、是と言った個性も人間的魅力も無い。
其れは、誰が見ても、総理大臣の器に相応しい人間がいない事で理解できる事である。

其れを考えると、仏教界にも、キリスト教界にも、政治界にも大人物が居ないと言うか、「タオ・道」や「ダルマ・法」を会得した、王道(すめらのみこと)を歩く者がいない事が明らかである。

政治家や精神指導者は、国民の歩く道と言うか、進むべき道・レールを敷く事が役割である。其の道が、日本だけではなく、アメリカ国やヨーロッパまで失われてしまい、現在・いま世界は、混迷の中に引きずり込まれて行きつつある。
其の事を「何とかしろ」との事が、此処数日のメッセージなのであろう。


自由の意味

今朝のメッセージの映像には、様々な人達のパフォーマンス・芸が映し出されて来た。私は、大きな高いに樹木に絡んで下がっている1本の蔓に掴まって、梢まで登って行ったが、他の人達は岩場で様々な行を行ったり、海で泳いだり、踊りの稽古をしたりと、好きな場所で好きな事をやって居た。

其れは、皆が、社会の枠組みと言うか、柵・しがらみから脱出している事を示していた。其処には、学歴とか身分の差は何も無く、自分の能力と言うか、実力だけが表されていた。
其れは、人間が個人的に自由に成って、社会制度の恩恵や、保障などを受け取れなく成ったら、自分の体力と、智慧で生きて行くしか、他に道が無い理・ことを示唆している。

自由の概念は、英語には二つ有るらしい。1つは「リバティ・liberty」権力から自由である事。自由に振る舞える。の意味で、もう1つは「フリーダム・freedom」で、何でも自由に出来る。との概念である。
今朝のメッセージの映像に現れた人々は、其の両方に適った行動をしていた様である。

インドの釈迦は、人々を自由にさせる為に「出家」を進めているし、ナザレのイエスは「私に付いて来なさい」と云って、弟子を世間や家族から切り離している。しかし、現在の仏教やキリスト教は、世間と言うか社会構造の中にどっぷりと浸かっているので、釈迦やイエスの訓えを護っている事には成らない。

現在の日本の教育制度は、幼児の頃から家庭から切り離し、他の場で他人の情報を詰め込まれるので、其々の血筋の個性・家風が保たれないまま、大人に成り、自分の考えや夢が無くなってしまっている。そして、政府やマスコミに都合の良い方向へ操られ、自分の意識・判断力が働かない状態に陥ってしまっているのである。其れも、1つの自由の無さである。

其の様な環境で育った人間が、真面な教育者や政治家に成れる譯・わけが無いのである。其れは、現在の政治家の有り様を見ていれば明らかである。

今度の総理大臣は、松下政経塾の第1期生であり大臣の中にも政経塾の生徒が何人も居て、衆参の国会議員には総勢38人も居るとの事である。
私は、23年くらい前に松下政経塾の幹部にお会いした時に、其の方に「礒邉さん 良い人物が居たら紹介して下さい」と頼まれた事が有る。其の理由は、松下幸之助先生が60億円の資材を継ぎ込んで「政経塾」を創設したのは、日本国の未来を託す為だったのだが、現在政経塾に入塾する生徒は、最初から皆政治家に成る目的で来ているので、松下幸之助先生が考えていた大物が育たないとの事であった。其の方が危惧していた事が、いま現実化して来ている様である。

今日は、9時40分に大洲市を出発して、岡山に向かい午後1時に岡山市のレストランで10名が集まる事に成っている。其の事が、今朝のメッセージに関係が有るのかも知れない。

                    平成23年9月8日

                         礒邉自適

選民

今朝のメッセージには、屋久島で「大山祇神・おおやまつみかみ」の祭祀を続けている「大山邦博氏」の姿が映し出されて来た。
そして、私は、其の大山邦博氏の写真が印刷された葉書に宛名を書いて居た。処が、其の葉書の中に違う顔の写真が混ざっているので、其の葉書を大山邦博氏に見せると、「其れは 兄弟の写真だ」と云うので、私は其の葉書を全部取り除いていた。

其の映像の意味は、大山祇神の働きが始まるので、其れを関係者に通知しろとの事であろう。しかし、兄弟の中であっても働きが異なるので、混ぜるなとの事ではないだろうか。

其の事に関係が有るのかどうかは判らないが、今朝はPCに向かうと、女神の声が告げられて来た。其れは、次の様な物である。(女神の言葉)

何もかも貴方に任せます 
                         
あたしには口が有りません

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其れは人間界を動かす為に言葉が必要だからです

貴方の純粋さがあたしの拠り所です

貴方の真心が多くの人々に理解される事を禱っています


http://moon.ap.teacup.com/20060103/333.html


此の女神の言葉からすると、「大山祇神」とは女性神の働きなのかも知れない。
私達は、「須佐之男尊・すさのおのみこと」の妻である櫛稲田姫が「大山祇神」の孫娘であり、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の妻が「大山祇神」の娘の「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ」であると聞いているので、「大山祇神」は男性であると想っている。

しかし、良く考えて見ると、屋久島で大山祇神が動き出した時に現れた神は女性神であったし、「癒森さん」が屋久島入りした時に姿を現した神も女性神であった。其れに、私が27年前此の世界に入った時に、私の肉体に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げた白龍は、後の白山菊理姫であった事が判明した。

其れ等の事を考えると、白山菊理姫・白山権現の働きが憑依した男性が「大山祇神」と呼ばれる男性であると言う理・ことに成るのではないだろうか。
其の様に考えると、「白山菊理姫・白龍」がマヤ文明の「ククルカーン・括る神」やアステカ文明の「ケツァルコアトル」と同じ物であり、其の龍体は宇宙の事象を司る雌の働きであると言う事に成る。
だから、其の憑依体として男性・雄を選ぶのであろう。

「大山祇神・おおやまつみかみ」とは「大きな山の巳」との意味である。其の「巳・大蛇・龍神」が女神であるなら、ピラミッド・三室山(巳むろ山)に七回半螺旋で巻き付くのも理解されて来る。其れは、ピラミッドが「リンガ・男根」の代わりだからである。其の様に考えると、世界中に伝わっている7回半トグロを巻く「大蛇・龍神」と「リンガ・山・ピラミッド」の関係性が明らかに成って来る。

私は、今回八ケ岳に来て八ケ岳山麓には、3万年前に人類がナウマンゾウや鹿等を狩りながら生活していた事を知った。3万年前だと、約1万年前に起きた氷河期より前の時代である。其れを考えると、1万年前の氷河期にインドネシアやニューギニア等の島々の海面が100m以上下がって、大陸(ムー)であった時に住んで居た人々の中には、日本列島から下って行った人々が居た可能性がある。

そして、其の人々が、温暖化で再び黒潮に乗って日本列島に戻って来たのではないだろうか。其の様に考えると、東南アジア・インド・日本・エジプト・マヤ・アステカに、山や木に七回半トグロを巻く蛇神の存在が共通している事が理解できる。其れは、嘗って存在したムー大陸を文明の基礎としているからであろう。

今朝のメッセージで、葉書を出す相手が誰であるかを探ると、社会主義の労働者の様に、国・政府から給料を貰う事が目的で生きている人達は排除されていた。其れは、神の存在を信じ、神の役に立つ為に、命を掛ける人々ではないからである。其れは、公務員だけではなく、普通の会社員であっても、宗教団体の虜に成って、自己認識が無い人々も同様である。

葉書を出す相手は、想像力が有り、自分自身が働いて、人々に布施・尽くす事を大事・大切と考えている人々である。其れが、神の意志に通じる生き方であるとの事だろう。

其れに、昨日のメッセージで青銅製の鎌・武器が岩山の祭祀場に有った事と関係が有り、人間の役割は神具を創造する事にあるらしい。だから、千手観音菩薩などの仏像の手に様々な道具が握られているのである。
其れは、人間は神の手足として、様々な活動をしなければ成らないからである。

其の理・ことが、日本語の「八百萬神・やおよろずのかみ」との言葉の意味であり、使命や、運命・さだめや、ミコトモチの言葉の語源なのであろう。

しかし、道具を創りだす事が人間の役割であっても、原子力発電の様に、何万年も生命に害を与え続ける放射能廃棄物を放置する事は、神の意志に反する行為である。其れは、人類を始め、多種多様な生命を地球に創造した神を、冒涜する事に成るのではないだろうか。

人間が此の世に存在する目的と言うか、存在条件は、自分の起こした罪穢れは、自分の手で後始末する事が原則である。其の原則に反しているのが、現在の原発関係者や経済界の人々である。

其れに、現在アメリカでは作物の遺伝子操作をして、其の土地の条件に有った作物が絶滅する作戦を実行している。其れは、自分の会社だけの金儲けの為である。其れこそが、神・宇宙の法・道に反する行為である。
其の行為を止めない限り、人類は10%も存続を許されないのではないだろうか。
「遺伝子操作の目的」http://8705.teacup.com/jiteki129/bbs/965

今朝の映像には、交差点に向き合う形で車が進入して来て、双方の車が道を譲らず、車の頭が接触して、お互いがアクセルを踏み込むので、車のバンパーが曲がり、ボンネットが跳ね上がってしまった。
双方の運転手が車から降りて顔を見ると、知り合いである事が判り、壊れた車の修理代を保険請求しようと言う事に成った。

其の行為も、神の法・道に反する事である。其れは、元を1つとする人類は皆仲良くすべきであり、戦いをしては成らないと言う理・ことである。
其れに、自分達の起こした不始末を、保険会社・神・天に押し付ける事など「言語道断・げんごどうだん」である。

原発事故の後始末や、遺伝子操作された作物の花粉に汚染された自然界の植物は、二度と自分の遺伝情報には戻れなく可能性が有るらしい。其れに、アメリカでは家庭菜園を営んでいた老婦が逮捕されて刑務所に入れられたり、インドでは借金をしてアメリカの遺伝子操作された種子を買わされて、作物が収穫されず自殺した人が13年間で20万人を超えているそうである。

そんな世の中を、「どうにかしろ」と任されても私は迷惑である。しかし、自分の7人の子供と3人の孫の事を考えると、そうも、謂っては居られない。
子供さえ居なければ、「人間の罪は 人間を創ったお前の罪である。勝手にしろ」と反発する事も出来るのだが、其れが出来ないのが私の立場である。何しろ、自分の子供達は、全員向こうの世界に拉致されたままなのである。

大体、私が此の世に生まれた事自体が、神の計画であり、此処までの意識・認識を持たせられたのも神の計画の範疇なのであろう。
其の様に考えると、私は此の儘、成り行きに任せて生きて行くしか、他に道は無いのであろう。

しかし、神の代理として、選民をしなければ成らないのは、私にとっても苦痛である。其の苦痛から逃れる対策を先ず考え出さなければ成らない。
ただ、「アーメン」とか「ナーム」と唱えるだけでは、事は済まないのであろう。

先ず、8月3日空に成ると言うアメリカ政府の金庫がどうなるのか。今日22日に、議会を新しい企画が通過しなければ、世界経済が崩壊する事に成るらしい。其の工程も、神が人間の意識をコントロールしていての出来事であれば、其の解決の糸口も神の手の中に有るのだろう。そうであれば、私は、神の次の手法を探るしかない。

昨日は、午後10時10分に愉伽さんから電話が有り、ビジョンに70歳くらいの徳の高い男性が現れ、其の男性に従って私と歩いて居たとの事である。其の男性が、8年前に亡く成った私の師であれば、確かに生きていれば70歳である。其れを考えると、今朝のメッセージには無庵師匠も絡んでいるのかも知れない。                                 
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