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聖書ものがたり・EXODUS(出エジプト記)

          旧約聖書略解


聖書にはモーゼの生涯の中間部がありません。幼児の彼が捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期です。この中間部を埋めるには古代の歴史家フィロンやヨセフスの著作です。フィロンはキリストと同時代のヨセフスは50年後ローマ人によるエルサレムの破壊を見た人です。彼らは大昔の聖書である死海文書を読むことの出来た人々である。人間を治めるのは神の律法(トーラー)であるのかそれとも独裁者の意のままか。国民は神の所有物か,それとも自由か。これは今でも争われている問題です。三千年前の尊い教えに忠実であろうと努めました。それがモーゼの五書です。(パラマウント映画十戒を製作・監督したセシル・B・デミルの冒頭の言葉より)(管理人注:死海文書はクムランの11の洞窟で発見された。  イスラエル建国と前後して1947年~1956年にかけて。それを胡散臭いと感じている人は少なくないだろう)。

モーゼは羊の群れを先導し「神の山」に来た。

        窓の外はイスラエル

私がBen-Gurionを訪ねるように言われ始めて面会した。しょっぱなから彼は私にこう言った。『まずひとつだけあなたに申し上げよう。世界がイスラエルや我々についてとやかく何を言おうが構わない。重要なことはただ一つである。それは,我々がここ祖先の地に生存できることである。そして我々はアラブに対してユダヤ人を殺戮するならば高い代償を払わなければならないということを示さなければ我々は存続できない』, と。(Ariel Sharon)

 キリスト教はヘレニック文明の衰退によって引き起こされた精神的苦悩の中から生まれた。キリスト教の根はユダヤ教とゾロアスター教であるがこの二つもバビロニア文明とシリア文明の衰退の結果生じたものである。

 聖書をお持ちなら(書店で買えますよ)コリント人への第一の手紙第15章35~38,42~45,47節の中の四つの考え方を読まれた方がよいでしょう。つまりそのモチーフの中に『捨て子物語』があるからです。イエスの物語はモーゼのみならずゼウス,ホルス,キュロスなどの捨て子物語のありふれた型と一致する。しかし,それからが福音書で述べる引退ー復帰のモチーフが別な形で現れてくるのです。

紀元二世紀初頭のMarcionは徹底したパウロ主義者で,ユダヤ教と旧約聖書を否定しルカ福音書とパウロ書簡のみを聖書の正典として異端者で,19世紀初頭の詩人ブレークはMarcionと同じく宇宙は愛の神ではない別の神によって創造されたと考えた。この二人はこの謎の解決として,世界の創造を,人間を愛さず,また人間に愛されない神の行為とみなした。救い主である神は愛によって人間の魂を獲得するが,造り主である神はただ律法を課し,律法に対する形式的違反に残酷な罰を加えるだけである。この神をMarcionはモーゼのヤーウエと同一視し,ブレークはUrizenと名づけNobodaddyとよんでいる。神がその任務を完全に果たさないことは周知の事実であり,この任務不履行は無能のせいか,悪意のせいか,どちらかでなければならない。

 明らかに,世界の罪と世界の苦痛との間には,理解できる関係は存在しない。本当は,神の愛が人間の自由の根源であり,創造行為を発現させる自由が,それと同時に罪の入り込む門戸を開くのである。あらゆる挑戦は,神からの呼びかけとも取れるし,また,悪魔のささやきとも取れる。創造主と救世主の同一性を擁護するならば,これを真実であると証言するキリスト教の経験は,近代西欧科学によって支持された。融和しがたい二つの神の顕現を調和させようとする,魂の世界の中で将来神によって占められる位置を母親が占めていた幼児初期の段階において,将来の聖者や学者が自己の道徳的個性をはじめて獲得しようとした際に,すでに潜在意識的精神を苦しめたものであることがHuxleyの著書「Evolutionary Ethics,the Romances Lecture」1943年によって明らかになったので紹介しよう。

 「赤ん坊が......生後二年目.....の初めに自己....と外部の現実世界との区別をしはじめるとともに,外界を代表し,子どもに対する外界の影響を仲介するようになるのは母親である。しかしながら,母親は,次第に発達してゆく幼児の意識の上に,二つの相反する様相を取って現れる。母親は子どもの主たる愛情の対象であり,子どもの満足と安全と平和の源である。だがそれと同時に,母親は権威であり,子どもの上に不可思議に置かれていて,子どもの新しい生命がある一定の方向に向かって外界を探り求めようとするときに,その衝動をほしいままに妨げる主たる源泉でもある。幼児の衝動の阻止は,衝動を妨げる権威に対する怒りと憎しみと破壊欲(心理学的には攻撃的態度)を生ぜしめる。しかし,この憎まれる権威が同時に,愛される母親なのである。かくて幼児は,最初の葛藤に直面する。二組の相容れない衝動が同一の対象に向けられ,しかもその対象が幼児を取り巻く世界の中心なのである」

 Huxleyは続ける。「原初的な愛は原初的な憎しみに,最初の罪悪感の重荷を負わせることによってそれを征服する」と。そして「母親がいなければ,強い愛情が一人の人間の上に集中されるということがない。そのような愛がなければ,互いに相容れない努力の葛藤はなく,罪悪感は生まれてこない。そして,そのような罪悪感がなければ効果的な道徳意識は生じない(同書110ページ)」と。


モーゼをブログ内検索すると18件出てきます。

 後に記すNumbers(民数記),Deuteronomy(申命記)のエジプトからMOABへの記述の半数以上が不正確であり,セシル・デミル監督が言うように,幼児のモーゼが捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期という中間部分がないというのも不思議です。

 By the Brink of OLD NILE。そこへ,ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りてきた。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は,葦の茂みの間に籠を見つけたので, 仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり,しかも男の子で,泣いていた..............。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」<EXODUS・出エジプト記2:4~10>

 モーゼがひとりシナイ山に登ることを述べたシリア社会の神話のうち『人間は人間性を棄てて,アリストテレスのことばを借りていえば「獣か神か」どちらかにならなければならない』ということが示されている。モーゼはヤーウエに召され,ヤーウエと交わるために山に登る。召されるのはモーゼひとりであって,ほかのイスラエルの子らは,離れているように命ぜられる。しかしヤーウエがモーゼを山の上に呼んだ目的は,再びモーゼを,山に登り,神と直接言葉(ロゴス)を交わすことのできなかったほかの人々に新しい掟を伝える使者として,山から降らせるためであった。

  写真は「パピルスの籠」。ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は,一人残さずナイル川に放り込め。女の子は皆,生かしておけ」......しかし,もはや隠しきれなくなったので,パピルスの籠を用意し,アスファルトとピッチで防水し,その中に男の子を入れ,ナイル河畔の葦の茂みの間に隠した。(出エジプト記第2章1~3節)

ファラオの娘。多くの専門家はEXODUS(出エジプト記)が書かれたのは紀元前1447年としている。もしそうであるならば赤子のモーゼを助けたのはエジプトの歴史上最も名の知れた「Hatshepsut」という女性になる。

紀元前1550年から6世紀はエジプトでの崇拝の対象はkarnakのAmun寺院であった。Hatshepsut王女の宮殿はこの先にあった。

 エジプト人はそこで,イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き,重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオのために物資貯蔵の町(Treasure cities),ピトム(Pithom)とラメセス(Raamses)を建設した。しかし,虐待されればされるほど彼らは増え拡がったので,エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し,粘土をこね,煉瓦を焼き,あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。(出エジプト記第1章11~14節)

 ファラオはヨセフの兄弟たちに言った。「お前たちの仕事は何か。」兄弟たちが「あなたの僕であるわたしどもは,先祖代々,羊飼いでございます」と答え,更に続けてファラオにこう言った。「私どもはこの国に寄留させていただきたいと思って,参りました。カナン地方は飢饉がひどく,僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください。」(創世記第47章3~4節)

 ファラオは更に,ヨセフにツァフェナト・パネアという名を与え,ON(オン)の祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻として与えた。ヨセフの威光はこうして,エジプトの国にあまねく及んだ。(創世記第41章45節)

 ベツレヘム(Bethlehem)のオリーブオイル取引所
 
 さて,ミディアンの祭司七人の娘がいた。彼女達がそこへ来て水を汲み,水ぶねを満たし,父の羊の群れに飲ませようとしたところへ,羊飼いの男達が,娘達を追い払った。モーゼは立ち上がって娘達を救い,羊の群れに水を飲ませてやった。(出エジプト記第2章16節)

 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し,エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。(出エジプト記第16章1節)

心に知恵を持つ女性は皆,自分の手で紡ぎ,紡いだ青,紫,緋色の毛糸および亜麻糸を携えて来た。(出エジプト記第35章25節)

 モーゼはイスラエルの人々に言った。「見よ,主は,ユダ族のフルの孫,ウリの子べツァルエルを名指しで呼び,彼に神の霊を満たし,どのような工芸にも知恵と英知と知識を持たせ,金,銀,青銅による細工に意匠をこらし,宝石をはめ込み,木に彫刻するなど,すべての細かい工芸に従事させ,さらに,人を教える力をお与えになった。(出エジプト記第35章30~34節)

エジプトの神々。左は太陽王ラー,右はOSIRIS。余りにも有名だ。。「偉大な家」を意味するファラオは,エジプト王として人間でありながら神と崇めらた。生存中は太陽神ラーの子として,人間に生まれ変わったハヤブサの神ホルスであるとされ,死後は冥界の主オシリスとされた。 

 いなご(LOCUSTS)は、エジプト全土を襲い,エジプトの領土全体にとどまった。このようなおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。いなごが地の面をすべて覆ったので,地は暗くなった。(出エジプト記第10章14~15節)

 BLOOD UPON THE LINTEL.出入り口の上の横木は血で塗られる。「これが主の過越(すぎこし)である。その夜,わたしはエジプトの国を巡り,人であれ,家畜であれ,エジプトの国のすべての初子を撃つ。また,エジプトのすべての神々に裁きを行なう。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は,あなたたちの徴(しるし)となる。血を見たならば,わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき,滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(出エジプト記第12章11~13章)

過越祭(Passover)の食事はいつも定められている。「そしてその夜,肉を火で焼いて食べる。また,酵母を入れないパンを苦菜(Bitter herbs)を添えて食べる。(出エジプト記第12章8節)

 主の過越祭りである。いそいで食べよう。「肉は生で食べたり,煮て食べてはならない。必ず,頭も四肢も内臓も切り離さず火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。(出エジプト記第12章9~10節)

 Wady Tumilat(エジプトで最も肥沃な土地)つまり西にあるゴシェン(GOSHEN)はかつてイスラエルの領土であった。

 ベツァルエルとオホリアブ,および知恵と英知を主から授けられ,聖所の建設のすべての仕事を行なうに必要な知恵を与えられた。心に知恵のある者は,すべて主が命じられた通り,作業に当たらねばならない......次ぎに山羊の毛を使って11枚の幕を作り,幕屋を覆う天幕とした。(出エジプト記第36章1節,14節)

真夜中になって,主はエジプトの国で全ての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで,また家畜の初子もことごとく撃たれたので,ファラオと家臣,またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので,大いなる叫びがエジプト中に起こった。(出エジプト記第12章29~30節)

このオアシス経由で(モーゼに引率された)イスラエルの民はシナイへ向かったのかも知れない。Wady Feiranの椰子の木に囲まれ,緑豊かなこの近くのはRephidim(レフィディム)という所には人が飲む水はなかった。

 「主の命令により,イスラエルの人々の共同体全体は,シンの荒れ野をを出発し,旅程に従って進み,レフィディムに宿営したが,そこには民の飲み水がなかった。民がモーゼと争い,「我々に飲み水を与えよ」というとモーゼは言った。「なぜ,わたしと争うのか。なぜ,主を試すのか」(出エジプト記第17章1~2節)


 いわゆるクレオパトラの針と呼ばれるオベリスク(Obelisk)はペアーになっておりひとつは,ロンドン・テムズ川の船着場(Thames Embankment)の前にありもう一つはニューヨークにある。


 血流の人たちには(特にアブラハム)馴染みが深いバビロニア王ハムラビ(2123~2081BC)法典。モーゼの律法と類似している。上の法典は1901年Susaで発見された。ハムラビ法典(Legend of Hammurabi)は彫刻されていてハムラビ王が太陽王Shamashから法典を受けとる様子である。聖書は預言者以前に,モーゼという人物のいたこと,さらにその前にアブラハムという人物のいたことを伝えている。注目すべきは,預言者やキリストと同じ歴史的背景のなかにアブラハムとモーゼを置いている点である。モーゼの出現はエジプトの新帝国の衰退と同じ時期であり,アブラハムの出現はシュメール社会の世界国家が,しばらくの間,ハムラビによって再興されたのち,いよいよ滅亡しようとする最後の時代と同時期であるとされる。

コメント一覧

sophy93
エジプト全土を7年の飢饉から救ったヨセフの事を知らない圧制者によって苦しめられていたイスラエルの民が、モーセという救い主によって奴隷状態から自由にされるという物語。

初めの過越祭の起源は、エジプト全土の長子を撃つという神からの裁きを通過する為のもの。モーセという救い主の初めも殺人から始まっている。

ファラオの心を頑なにしたのは、神だと書かれています。 何故? ご自分の権限と威力を表明するためではないのか。その為には簡単に殺戮を行う。

モーセの出生時にもキリストの出生時にも、幼児の惨殺の記録がありますが、ここでも人間一人の命などどうでも良いような神の姿が現われています。

この残酷な神と依り頼むべき憐れみの神との融和に関して、ハックスレイが述べている事に、私は疑問を感じます。

確かに人間はその初めに、自分の生存を左右する絶対的な権限と愛情を委ねるしか方法のない、母親という存在に出会う。原初的な愛と原初的な憎しみが同じ対象に向けられることになる。絶対的な愛と絶対的権威と両方を持った存在。このヤーウェの神も同じという事ですが、ハックスレイの「そのような愛がなければ、互いに相容れない努力の葛藤はなく、罪悪感は生まれてこない。そして、そのような罪悪感がなければ効果的な道徳意識は生じない」という言葉に対し、私は、罪悪感が人間に道徳観念を生み出すため必要不可欠なものであるとは思いません。根源的に埋め込まれる罪悪感など謂れのない罪の意識だろうと感じます。親の都合による禁止令などが、人間を毒する劣等感と罪悪感の組み合わせを生じさせ、人間を蝕むのではないかと思うのです。

ヤーウェの神の正当性はアダムとエバの物語で初めに強調されています。神はアダムに全て良い物しか与えていなかったのに、人間は罪を犯したと。だから、人間を打ち懲らす事が必要なのだというように。でも、私は違うと思います。確かに人間は悪に染まり易いものですが、人間にとって重要なのは溢れるほどに注がれる真の愛情であると。
California
あっという間にアメリカが無くなるとの事に不安が増大しました。
色々と不安要素はある物の何とかなるのではないかと感じてたので。
米国で生活していると実感が湧きません。
油断禁物ですね。
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