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ダンテ神曲ものがたり その21

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 1.このように橋から橋へと:[Musaは"From this bridge to the next"としたが、原文"Così di ponte in ponte"のとおり訳した。]

2.我が喜劇の語るを好まぬ事柄について:[第16章127-129「そして私のこの喜劇の/詩行によって――実にそれらが/永久の恩恵で受け入れられているのかも知れぬが、読者よ――私はあなたに誓おう」と共に、この行はこの詩の表題として十分な権威(影響力)を与えている、たとえ我々が写本としての満場一致の証拠を欠いていたとしてもだ。ベルギリウスの「わが高貴なる悲劇」(20:113)の言い回しに密接に続いて、これはこの詩における「喜劇"comedìa"」という言葉の2回目で最後の出現である。この言葉はこの詩に関して形式と主題の両方を特徴づけているが、また、20章113行と共に、『アイネイアースAeneid』のそれらと鮮明に対照をなしているのである。すなわち、この現在の章での始まりでの使用は計画的である。『俗語論』De vulgari eloquentia巻2で、ダンテは悲劇としての最高度な形式を明確にしてきた。すなわち、最も高貴で最も調和した言葉を含み、最も高度な形態(カンツォーネと11音節の詩行)および修辞学的構文を使用し、最も高貴な主題のみを歌うこと(自国語に適合されたこの含蓄的モデルはもちろんベルギリウスである)。喜劇に関して彼は「ある場合は自国語の中程度、ある場合は低級なもの」(2.4.5)を連想させた。『カン・グランデへの書簡』の中で様式(ジャンル)はそれらの着想あるいは主題の本質によって明確にされ、悲劇は「幸福に賞嘆すべく始まり、恐ろしく終わる」ものであり、喜劇は「困難をもって始まるが幸運に終わる」ものとしている(Durling:Notesより)]

7-15.広大で活気に満ちたヴェネツィア人の造船所では:中世におけるヴェネツィアVeneziaの造船所は、1104年に建てられ、ヨーロッパにおいて最も活気があり生産力のある一つであった。粘性のある瀝青(ピッチ)の大桶の周りを回転する活気を伴ったせっせと働いている造船所のイメージはこの章(および次章)の風格(トーン)を時制の種類ならびに興奮した動きとして確立している。我々はまた更に言葉で行動を模造しているダンテを見る:この忙しいシンタックス(統語論的構造)は造船所の活気を再現しているのである。

37.おーい、悪の爪一族ども:悪の爪一族(マーレブランケ)達は、この溝(ボルジア)の監督官悪魔であり、その場所では『訴訟教唆の罪を犯した人』(Barrator《法》、収賄者、41)が罰せられていて、公職における詐欺者であるその者らの身分(地位)に対する罪は教会に対するシモニスト(聖職売買人)(19章)のそれに匹敵するのである。

38-42.ここにお前等のために聖人ツィータの長老達の一人が居るぞ:聖人ツィータSanta Zitaは、13世紀に生存し聖人の列に加えられたが、ルッカLuccaの守護聖人である。この「長老達」(38)はルッカの政府役人達である。そしてその一人がボントゥーロ・ダーティBonturo Dati(41)で、現実には彼は彼等全ての中で最も悪い収賄者だったのにここでは罪の無いものとして皮肉的に引き合いに出されている。

48-51.お前聖者の顔つきを真似んじゃねえよ:この「聖者の顔つき」はルッカにある木製のキリスト十字架像である。罪人の外面は十字架上の容姿のように腕が広く投げ出されて仰向けに「手足を伸ばされて」(46)いるのである。そしてこれが悪魔の、ここ地獄では人はセルキオ川(ルッカの近くの川)でと同様な泳ぎをしないという、注意を喚起しているのである。別の言葉で言うと、セルキオ川では人が楽しみの為に泳ぎ、いばしば仰向けに(十字架像の状態で)浮かぶのである。楽しみのために泳ぐことを暗示している十字架像のイメージの用い方は21章から23章での異様な(グロテスクな)おかしさ(ユーモア)と調和している。

55-57. 其奴等はまるで料理人のように食器洗いの小僧達に:ここから始まったこの「料理する」イメージは22章の150行まで続けられ、これらの章を一つに括(くく)るいくつかのイメージの一つである。

67-70.放任を破るありとあらゆる騒音狂乱で:[この暗喩はベルギリウスの自信(自信過剰か?127-35参照)を引き立たせるのに役立っている。こじきの臆病さとは大違いである。それは抑圧と暴力の様々な形姿formを強調する続き物の一つである――無慈悲な敵に直面した無防備の場面:無装備の敗北した歩兵達(94行)、捕獲されたカワウソ(22章36行)、そして猫に囲まれたネズミ(22章58行)である。Favatiが示しているように(1965)、悪魔を橋の下から現すことで、ダンテは悪魔達の物入りでおかしみに満ちた不思議な劇で悪魔がステージに登場する(舞台などの)跳ね上げ戸をほのめかしている(Durling:Notes)]

76.其奴等がいっせいに叫びました:「悪の尾野郎を行かせ!」:悪の尾野郎(マラコーダ)はこのボルジアでの悪魔の主導者である。「悪の尾」と名づけられた悪魔がこの章を放屁で終わらせる(139)のは意義深い。

94-96. 私は休戦協定にある戦士らを見たことを覚えている:ダンテの個人的な記憶は1289年のルッカとフィレンツェからのゲルフ党軍隊によるカプローナ(ピサ近郊アルノ川の要塞)の包囲攻撃に関係がある。(要塞を)明渡して、「休戦協定」が出されたピサ軍兵士が、敵の行列を通り過ぎて行くのである。この巡礼者の現在の心境がこの怖がっている兵士のそれに似通っているのである。ここで始められた軍隊の比喩的描写(表現)は次章まで続く。

112-14.五時間そこら経つと千と:西暦34年の聖金曜日におけるキリストの死は、悪の尾野郎によれば五時間で、1266年昔の昨日起こったことになる――「今日」は1300年の聖土曜日の朝である。次のボルジアを超える橋がキリストの磔に続く地震によって粉々に壊されたけれども、悪の尾野郎はベルギリウスと巡礼者にこのボルジアを越える別の橋があると告げている。このうそは、悪魔のための代弁者によって注意深く計画されていて、過剰に自信に満ちて、信用しているベルギリウスと(少なくともこの章では)導者よりは賢明である用心深いお荷物のために落とし穴をしつらえているのである。127-32行参照。23章の注解140-41も参照のこと。
 118-23. 前衛および中核には、翼曲がり野郎と霜踏み野郎:悪魔の名前の意味は彼等の両面価値性すなわちおかしさと恐ろしさの両方を補強している。彼等がベルギリウスと巡礼者に恐れを起こさせる一方で、彼等の言葉と態度は大概の部分で軽くそしてこっけいなのである。名前の多くは翻訳できるが彼等のグロテスクな出現の多くを失ってしまう[しかし、【資料21-1】でも比較したように英語では文字の擬似性からグロテスクな感じが出てこないかもしれないが、日本語に直すと漢字の特異さで、意味の理解と不可解の両方が表現できると思われる。いずれにせよ、イタリア語だけでは意味が分からず注記が必要であるので、本訳書のようにイタリア語のルビを振って併記する方法は一考かもしれない(英語では不可能であろう)。またダンテ自身も22章で「彼等の其々がその名前に合うように唱道しているのでした」(39)と述べているように、名前と行動が一致しているのである]。ある批評家たちはダンテがこの悪魔を通して1300年代のフィレンツェとルッカの魔術師達を笑い者にしていると言い出している。例えば、マンノ・ブランカは、1300年のフィレンツェの市長でその部下達がマーレ・ブランケ(「悪いブランカ達」)と確かに呼ばれていたかも知れない。当時のフィレンツェの修道院長の一人がラッファカーニと命名された――それは悪魔の名グラフィアカーネにぴったり合っているのである。

139.すると首領は尻の穴の軍隊ラッパで吹き返したのでした:この章はこの下品だがこっけいな記録で閉じられるが、それはこのボルジアの基本的に茶番劇である本質を暗示していて、地獄編の残りとは大いに違っている。次章において我々はこれら悪魔と罪人達が奇怪な(一風変わった)競技で楽しんでいるのを見る、そして我々が楽しむべきものはむしろその規則(ルール)であり特例ではない。
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