金曜夕方以降、いろいろ忙しくて、日曜も既に午後4時。いろいろ資料作りもうようやく一息。
久々に1958m」べーム・BPO盤を
1958年録音とは思えない音質の良さ。また飽きさせない演奏。
ニーチェの作品からインスピレーションを得て作曲とのことだが、ニーチェは私は数作しか読んだことがない。
どうも哲学書は苦手。
大学でも「哲学」の講義はつまらなく「なぜ、机は笑わないのか?」とかそういう話。
ニーチェでは「ツァラツゥストラ」以外では「善悪の彼岸」「この人を見よ」程度か。
ニーチェはワーグナー等、音楽家との交流はかなりあったが、哲人、ショーペンハウアーとの交流もあった。
ショーペンハウアーの
「人間の人生は、まるで振子のように、苦悩と退屈の間を往ったり来たりして揺れている。」
という言葉は有名だが、ここの「苦悩」「退屈」という語は1905年のビネー法第30問に登場する。「苦悩と退屈の相違を述べよ」という問い。
最終問題だ。
これは確証はないが、ビネーはショーペンハウアー著の「意志と表象としての世界」を読み、そこで既述の「人間の人生は~」から
ヒントを得たのではないか?と勝手に思っている。
久々に1958m」べーム・BPO盤を
1958年録音とは思えない音質の良さ。また飽きさせない演奏。
ニーチェの作品からインスピレーションを得て作曲とのことだが、ニーチェは私は数作しか読んだことがない。
どうも哲学書は苦手。
大学でも「哲学」の講義はつまらなく「なぜ、机は笑わないのか?」とかそういう話。
ニーチェでは「ツァラツゥストラ」以外では「善悪の彼岸」「この人を見よ」程度か。
ニーチェはワーグナー等、音楽家との交流はかなりあったが、哲人、ショーペンハウアーとの交流もあった。
ショーペンハウアーの
「人間の人生は、まるで振子のように、苦悩と退屈の間を往ったり来たりして揺れている。」
という言葉は有名だが、ここの「苦悩」「退屈」という語は1905年のビネー法第30問に登場する。「苦悩と退屈の相違を述べよ」という問い。
最終問題だ。
これは確証はないが、ビネーはショーペンハウアー著の「意志と表象としての世界」を読み、そこで既述の「人間の人生は~」から
ヒントを得たのではないか?と勝手に思っている。