高橋のブログ

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【カーキ色のユートピア 「リンツ第三帝国ブルックナ管弦楽団」(11)】

2019-05-01 08:41:13 | 日記

※現在のリンツ・ブルックナー管とは別のオーケストラです。
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 アメリカ軍の進駐後、リンツに残った帝国管の団員は「フィルハーモニカ管弦楽団」もしくは「ブルックナー管弦楽団」」という名で小さなオーケストラを創設した。
アメリカ軍の兵士達のために演奏を行う楽団で、団員は20数名。室内管弦楽団であった(このオーケストラが現在のリンツ・ブルックナー管弦楽団の前身となった)。
大曲の演奏は勿論不可能、指揮を務めたのはエルンスト・ドホナーニであった。
しかし、彼はハンガリー政府から戦争犯罪人として挙げられたため、音楽生活から締め出しを受けた。

 L・G・ヨッフムはミュンヘンにいた。ここにある放送局で帝国管弦楽団を再興させようと努力していたが、それは出来なかった。
また帝国管の残部の大半はまだザルツカンマングートにいた。
5月、バート・アウスゼーに「バート・アウスゼー交響楽団」が創設された。

トロンボーン奏者のヴェルナー・ドスは当時を次のように回想する。

「一時期、ペーター・クロイダーが我々のオーケストラの指揮者だった。しかし彼はやがてアメリカ軍によって活動を禁じられてしまった。
それからはニコ・ドスタルがシュタイアマルクの全ての都市を回る演奏旅行に随行した(その時の客演にはテノールのヨハンネス・ヘースタースなど素晴らしい演奏家がいた)。
その間、かつての帝国管弦楽団のヴァイオリニスト.ルドルフ・オーメがオーケストラをリードした。」


 しかし、この団体は夏期のみの特設楽団という性格のものであったため、彼らの一部は別のオーケストラを創設しようと試みた。
北西ドイツフィルの母体の創設には若干名の帝国管弦楽団団員が加わった。

 もはや帝国管弦楽団のメンバーが一同に再会し、活動することはなくなったのである。


 1959年、L・G・ヨッフムはハンス・クレッツィ宛てに書かれた手紙の中で次のように語っている。

「ある種の悲しみと共に、私はあの時代について思い起こす。
戦いと日々に増す窮乏、そして迫り来る崩壊にも関わらず、大きな破局の前に、最後に我ら西洋の文化の価値を情熱的に示すことが出来たことは、私にとって喜びであった。
私は今でも信じている。
たとえ我々のやったことが、内外的に困窮のさなかにある同胞を、ただ芸術によって慰める以上のことではなかったにしても、やはり当時の我々の仕事には
意味を見出すことができるはずであると。」

 原文終了

(続)
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