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ダルの入札

2011年12月14日 16時09分03秒 | 野球

これは決裂するでしょうね。

本人もある程度想定済みじゃないでしょうか・・・

ということは・・・

クロダに注目が集まります。

 

明日・・・ダルの方向が決まり

遅くとも20日くらいには、ハッキリするんでしょうか?

クロダが帰国してからと言われてますから もっと先なのか?

いずれにしても・・・カープ球団の上層部は、全てを知っているんでしょうが・・・

(実は・・・栗原と広瀬が残留したときに、カープ復帰で決まってました・・・なんて言わないでしょうけど…)


トライアウトの現実

2011年12月14日 15時00分09秒 | 野球

他球団を戦力外になった選手には、

当然のように各チーム編成の目は冷ややかである。

 

しかし

各球団に届くと言われる身上調査のようなもの・・・

その中から目ぼしい選手に疑いがなければ、トライアウトでの動きで最終確認が行われ、すぐに契約の運びになるらしい。

トライアウトは2回行われるが、1回目で全てが決まり、2回目は本当に付録にすぎない。

それが・・・テレビ局に利用される物語と化す理由でもある。

 

戦力外通告を受ける選手には、いろいろな物語があるのは事実。

監督の好みで解雇されるものから始まり、チーム編成上で解雇されるもの・・・

学閥で 今後のチーム編成において解雇しても、将来球団が負うリスクの少ないものまで、いろいろな条件が加味される。

中には 女性関係トラブルの多発や、チーム内での暴力沙汰に窃盗・・・そのような球団内で穏便に処理する代わりに 解雇を条件とされる選手もいる。

 

喜田GO・・・今年トライアウトを受けた、カープOBのひとり。

彼の合格は間違いないと言われた。

カープ在籍中には、スイングスピードは栗原よりも上とも言われた。

それなのに・・・現在まで引き合いがない。

彼の獲得に躊躇された原因・・・

これは4球団を渡り歩き、最後に所属したのが弱体化した横浜で、結果を出せなかったのが大きいのではなかろうか。もしそれなりのチームに所属していれば、結果は違ったかもしれない。

(ファームでの練習態度もしかり・・・)

ある球団の編成に所属する人が、「戦力外になった選手は、野球のセンスだけでなく その他の点も査定される。それが何かは言えないが・・・」

実績があり、チームに必要不可欠な存在であれば、目をつぶってもらえるが 年齢を重ねていくなかで力の衰えや、チーム編成から はじき出されるのがプロ野球の世界。

その裏で・・・野球以外のことで査定されるのは時代の流れか・・・それともいまの社会情勢なのか・・・

昔のよきプロ野球の時代は・・・今は死語になっている。


トライアウトの現実

2011年12月14日 11時50分38秒 | 野球

合同トライアウト・・・

「他球団を戦力外になった選手は獲得しない」

カープの川端編成部長の声である。

 

しかし・・・視察に訪れた。

 

この合同トライアウト・・・

戦力外になった選手や

もう一度プロの門をくぐりたい元選手を対象に

開かれているイベントである。

 

コメントにもあったが、一部テレビ局の視聴率稼ぎに利用されていることは

日刊ゲンダイ紙にも掲載された。

 

さてこのトライアウト・・・

参加者名簿とは別に、選手の諸々が書き込まれた内容のものが

12球団関係者に渡される。

その中には・・・野球とは関係ないことまでが記載されていると聞かされた。

 

名前は出さないが、数年前のトライアウトでの某投手・・・(カープではない)

現役時代の実績は申し分なし。

しかし戦力外になった年・・・一軍で登板したのは数試合のみ。

オフにまさかの戦力外通告を受けた。

年齢的にもまだできる・・・

本人は相当なショックを受けたようである。

 

実はこの選手をマークしていた4球団、年俸をにらみトレードの可能性を探っていた。

しかし戦力外の通知に驚き、身辺を調査すると・・・

「チーム内にあって協調性がまったくなし。常に単独行動。本来はチームを引っ張り模範になるべきだが、他の選手からの人望もなし。このまま置いても いい影響は起こらない」という結果が出た。

これはトライアウト参加者名簿にも記載されていたらしい。・・・つづく


所詮は他人事なんだよな・・・原監督

2011年12月14日 09時24分44秒 | 野球

巨人のドラフト上位候補だった村田「縁があった」

 

     ◇村田 巨人入団発表

 村田が日大から横浜入りした02年ドラフト。第1次原政権の巨人は村田も獲得候補としていたが、投手補強を最優先にしたため自由獲得枠で木佐貫(亜大)、久保(東海大)を獲得した。

 「その時は気持ちを押し殺して横浜に行きましたけど」と振り返る村田に、監督は「野球人生ってのはまだ長い。しっかり時期が来ればFAっていうのがあるというような話をしながら、理解をいただいた時に感激したのは覚えている」と当時を懐かしんでいた
原監督へ・・・他人にそう言えるのであれば、甥の菅野にもそうアドバイスしてやれば良かったのに・・・浪人は勿体ない人生だよな。