~ 極楽浄土へ行きたい・・? ~
前日、お墓参りをしてきました。
霊園なんですが、また、墓終いできれいに並んでいるお墓が、一段と歯抜けになって来ていますね。
お墓参りで先祖供養という何百年の永き風習が、この現代から徐々に考え方が変わって来ているように思えますね。
結局、亡くなった人たちの為と言いながら、残った人たちが供養と言う自分たちの気やすめでやっているのかもしれません。
故人が生きている時には感じなかったのが、亡くなると、もっと何かをしてあげればよかったのに・・・っと云う後悔が気やすめ供養をしているんでしょうね・・・私の場合は・・・
さて、そう云ったお盆の季節に、誰もがもれなく死を経験する際に、「極楽浄土へ行きたい・・」っと云う、古来からの信仰を作った「源信」の展を観てきました。
源信は、942年奈良で生まれ、比叡山で修業をつんだ僧侶。
興味深いのは、「六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)」などを用い、「往生要集」で具体的な死後の世界を説いた絵などが面白いですね。
主に地獄の話が多いですが、そこで、「極楽浄土」へ行ける信仰が始まったんですね。
当時の民衆は、極楽浄土を信じ、死ねばそこへ行きたいと願ったんですね。
庶民は、死ねば最終的に極楽浄土で永遠に過ごす夢を信じて生きていたんですね。
決して、地獄には行きたくないとも思った事でしょう。
それが、この源信の狙いだったんではないでしょうかね・・・?
私は、宗教やこの極楽浄土は信じないんですが、「阿弥陀如来來迎図」のように、死んだら大勢の菩薩さまや如来さまが迎えに来てくれたら、一人寂しく死んでも、さぞかし不安なく導き連れて行ってくれるだろうな・・っと、死の不安もなくなるような気がします。
そこなんですね、この信仰が民を虜にする由縁なんですね。
本当は49日を経てから・・・つまり、閻魔さんの裁判が終わって極楽へ判決が決まった時なんですね・・・そう甘くはない・・・
宗教って、何百何千年も人々に根着き、努力しても何の御利益もなく、精神論だけで現代まで人の心を虜にするのは、現代科学や物理を生み出した人間とは思えないですよね。
科学や理論を信じているが、まだ未知なる自然界の営みが解明されていない事への不安が、宗教へ走らせるんでしょうね。
人間の弱さを巧みに突く宗教、報われなくても、それは、自分の修業が足りないんだ思わせるのが宗教の負のスパイラル現象なんですね・・・東洋西洋問わず同じです。
でも、嘘でもそう信じる事が、自分にとって楽になる、希望が持てるっと、生きる気力が生まれるのも宗教ならではの事で、「信じる者こそ救われる」っという言葉の由縁なのかもしれません。
じっくり鑑賞すると3時間くらいかかりましたね。
意外とこの展なのか、たまたまの旅行客なのか中国の人が多く鑑賞してましたね。
熱心に青年たちが、中国語で話し合っているグループもいました。
書物の展示などは、漢文なので私たちはよくわからないですが、彼らは理解出来るんでしょうね。
自国の中国からの仏教伝来が、どのように日本で広まったのかも興味があるんではないでしょうか?
普通はこの館は、17時で閉館なのですが、お盆時は19時迄で、金土は21時までと、博物館にしては珍しく遅くまでやるのに驚きます。
「正倉院展」などは長蛇の列でなかなか前に進めないくらいですから、遅くまでの時間設定が必要なのかもしれません・・・・ただし、基本は普通の博物館のように17時迄で、HPで確認が必要ですね。
19時前に館を出ると、毎年この時期に行われるイベント「なら燈花会」が始まります。
何千何万?と用意したカップにロウソクを灯します。
十年前くらいにも来た事があるんですが、昔と比べると外国人の多さに驚きますね。
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