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生きてこそ、立て直せる

2016年12月07日 | 人生

日本では、自殺の問題に対する取り組みが、まだまだ甘いようです。

たとえば、西欧のキリスト教社会では、宗教教育において「自殺は悪である」と教えられているので、「死にたい」と思っても、「自殺したら、天国に行けないのではないか」と考えるわけです。

 

ところが、日本の場合には、「死ねば終わりだ」と考えている人も数多くいますし、あの世を信じている人であっても、「死ねば、この苦しみがなくなる」と考えている人もいます。

 

自殺者は必ず地獄に行くのでしょうか。

答えは、「百パーセント、地獄に行く」ということはなく、「地獄、もしくは地獄以前の段階にいることが多い」ということです。自分が死んだことが分からずに、地上に執着して、地上の人と同じように生活している人や、あるいは、地縛霊となって、自分が死んだ場所などに漂っている人が、数多くいるのです。

 

特に、真実の世界のことを知らずに死んだ場合は、天国に還ることは非常に難しいですし、そういう人は、天使たちが行って説得しても、受け入れないのです。

 

人間は、この世に生き、幸福を求めて、さまざまな努力をしています。また、幸福を得るための教えも説かれています。しかし、不幸体験というものは、どうしても避けられません。

 

その不幸体験のなかで、人は自殺をするわけです。

たとえば、病気を苦にして死ぬ人もいます。

 

最近は高齢者の自殺も増えています。「体の具合が悪く、家族に迷惑をかける」「生きがいがない」というようなことで自殺をする高齢者もあとを絶ちません。

 

若い人の場合には、恋愛感情のもつれや結婚問題、離婚問題などで自殺する人もいます。

また、不況が続くと、経済問題での自殺があります。

 

それから、パーセンテージとしては低いですが、名誉を理由とする自殺もあります。政治家などの場合は、何か事件に巻き込まれたり、不名誉なことが起きたりしたときに、名誉の死を選ぶ人もいます。

 

このように、自殺には幾つかの原因がありますが、いずれにしても、この世で生き抜くのがあまりにも下手な人が多すぎるようです。自分自身や他人に対して、あまりにも完全を求める完全主義的傾向が強く、その潔癖性のあまり、死に急ぐ人が多いように思うのです。

 

しかし、自分自身のことをよく考えてみるならば、完全な人、完璧な人などいないことが分かるはずです。

 

それは、言ってみれば、毎日、「新しく購入した服や下着でなければ着られない」と言っているようなものでしょう。服や下着は、汚れても、洗濯をし、クリーニングをすれば、また着ることができるのです。それは、まったくの新品ではありませんが、それを新品同様にきれいなものだと思って着ていくのが普通の生き方です。

 

それと同じように、あまりに自分を美化し、窮屈にし、縛り上げてはいけないのです。

 

「最後は破滅すればよい」という論理は、やはり避けるべきです。生きてこその人生であり、生きてこそ、立て直しもできるのです。過去に失敗が多かったとしても、やり直しは可能なのです。

 

「自分にも他人にも、完璧を求めすぎない」 (仏法真理)

 

---owari---


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