生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

神の国はどこに

2020-11-02 04:54:21 | 日々の暮らし

「神の国は君たちの中にあるんだよ」
(聖書ルカ17-21)
 
神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。
 神の国とは、神の思いが実現するところ。
それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよという言葉です。
苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。
お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。
その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。
 空海も同じような事を言ってました。
 「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる。」と
 丹田とはへそ下で気力が集中する所です。
 神の国はあなたの中にあるのです。   

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魂は時空を超える

2020-11-02 04:52:53 | 日々の暮らし

いろんな稽古事にある言葉。
「学ぶとはまねること」があります。信頼し尊敬している人を目標にまずはまねることが早く上達するからです。
私は書の道で歴史上の人物を学びました。その人は中国の書の神様でいまだに誰もがまねることができない崩し字がありました。
100文字の詩の中に真ん中に突如と現れているのです。しかも、そこまで行くには墨をつけ足していないのです。一気にその字まで書いてから、墨をつけて続きを書くのです。難解中の難解です。
私はその字に来ると手が勝手に動き出していました。あ!私の手ではない。私は魂を肌に感じました。そうか、こんなに早い筆使いなんだと知りました。
70代以上でないと書けない枯れた字。私は28才で書いた。魂が私を選んでくれた。その後奈良の通りすがりのお坊さんが私に手を合わせるのです。聞くと私から後光が射さしていると。感謝しました。

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良寛と樹木希林

2020-11-02 02:44:49 | 日々の暮らし

私はイタリア、アッシジの聖フランシスコと日本の僧侶、良寛が大好きです(共に共通点が多い、フランスカトリック教会資料)。
晩年の樹木希林さんがたどり着いた境地に
「うらを見せ おもてを見せてちるもみぢ」
    (良寛)
「裏から始まるところがすごい。
年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」
     (希林)

また、良寛の次の句も好んだ。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に
「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で行き続けることなんじゃないかしら」
     (希林)
お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。
釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。
だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。困らせる人は己を磨く上で必要だ」と説いた。
すると、希林さんは
「くっくっ」と笑いながら言ったという。
「そういえば提婆逹多は私にとっての裕也ね」と。

「死ぬことは
誰かの心の中で生きること」
素敵な言葉に感謝。

 


 

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