北カリフォルニアのお父さん

家族5人 - 北カリフォルニアに暮らす。

三男 - 2018ハイライト

2019年02月09日 | 家族
三男です。

デカくなりました。身長は、私を少し越したくらいでしょうか。とにかくよく食べて
寝ます。外食では、一人前では足らず、いつも「おとーさーん、もうひとつオーダー
していいー?」で、二人分をペロリ。自宅での食事は、次男のようなどんぶり山盛り
ご飯のお代わりはありませんが、それ以外は、次男といい勝負です。

眠くて仕方がないのは一昨年より変わりません。家の中で静かだなと思うと昼寝
です。但し、勉強は短期集中型で、現地校の宿題は短い時間でさっとこなし、
ずっといい成績を保っています。一方、日本語補習校の勉強の方はと言いますと、
先生方には本当に申し訳ありません。

さて、昨年2月以降を振り返りますと、家族の中では、三男が一番イベントが多かっ
たように思います。それでは時系列でおっていくことにします。

まず、姉妹都市交流プログラムです。私達が住む市と、日本の某市、そして息子達
三人が通った中学校が主体となり、もう20年以上も続く文化交流プログラムです。
残念ながら長男は、中学生当時、興味すら示しませんでしたが、2015年に次男が
参加し、昨年、三男の番が回ってきました。2017年の秋に中学校内で3年生のみを
対象として参加者を募集。応募者は、学校の成績と面接でふるいにかけられ、最終
的に女子生徒が4名、三男を含む男子生徒6名が選ばれました。それから、しばらく
研修があり、その後、日本の中学3年生で構成された使節団が3月下旬に学校の春
休みを利用し、アメリカを訪問、そして7月上旬に既に中学を卒業し夏休みに入って
いるアメリカの使節団が日本を訪問しました。こちらでは、日本の使節団のお世話を
させていただき、また日本では三男達がお世話になり、参加した子供達とその家族
共々素晴らしい文化交流となりました。

次に移ります。3月と7月の姉妹都市プログラムの間に、中学校(現地校)の卒業式
がありました。同じ中学を2012年に長男、2015年に次男が卒業しています。式典の
会場となったのは、長男、次男の時と同じ、学校の広い芝生の中庭。お天気は快晴。
少し肌寒くはありましたが、最高の卒業式日和となりました。三男、中学では友人も
多く、オーケストラにも積極的に参加し、楽しい3年間を過ごしたようです。長男から
始まった我が家と中学校の長いお付き合いは幕を閉じました。

そして高校入学です。アメリカの公立高校は基本的に入学試験がありません。住む
場所で進学する高校は決まります。但し、ちょっとした例外が私達が住む学区には
あり、我が家の息子達はその例外になります。2011年、長男が中学3年の秋、翌年の
夏に向けて公立高校の入学手続きが始まりました。オンラインの手続きでは、沢山の
項目をうめ、最後の方に「隣の市の〇〇高校への越境入学を希望するか?」という
欄がありました。その高校の学力レベルが高いことは以前から聞いており、あまり深く
考えず「Yes」で記入。1、2ヶ月後でしょうか「OK」の返事が届きました。完全に
予定外です。くじ運の強い長男、これもご縁と思い手続きを済ませました。入学して
3年、次男の番が回ってきました。高校は4年制であり、長男がまだ在籍中という
ことで次男は自動的に同じ高校への入学が認められ、その3年後の三男の進学も同じ。
昨年の8月より三男は、お隣の市の高校に通っています。

次にサッカーです。クラブ・サッカーでも三男には変化のあった年でした。春の
シーズンは、一昨年と同じクラブでプレーし、チーム内ではリーダー的存在になって
いました。チームの戦績はそこそこで、コーチも人格、技術、指導、全て申し分は
ありませんでした。但し、周りから刺激を受けて成長していくような環境ではなく、
本人もこのままでいいのかなと考えていたようです。先のことも考え、取りあえず、
春のシーズン終了後に、よりレベルの高い他のクラブのトライアウトを受けてみる
ことにしました。南に車で1時間ほどの、いわゆるシリコンバレーと呼ばれるエリアに
ある大きなクラブです。トライアウトでは、実際のトップチームの中に入り、1時間半
ほど一緒に練習をしました。コーチの指導、練習の密度、選手の士気、どれも非常に
魅力があり、三男は直ぐに気にいりました。コーチも三男に興味を持ってくれ、数日
して二回目、翌週に三回目のトライアウトがあり、その後、同クラブから正式に受け
入れの連絡がありました。

短い夏のシーズンオフは、次男のハイライトでも触れた大学のサッカーキャンプに
参加しました。三男、大いに刺激になったようです。キャンプ開始時に、90名の
参加者を6つのチームに分け、次男、三男、そして次男の昔からのチームメートの
3名は、同じチームに振り分けてもらいました。午前は6種類に分けられた練習を
6つのチームがローテーションを組んで消化。午後は、キャンパスツアーや推薦
入学に関するセミナー、夜のセッションは、練習試合となりました。参加者の殆どは
高校のSenior(4年生)、Junior(3年生)で、三男の体格は見劣りはしませんが、
練習試合では、三男はさすがにひいていました。但し、息子達のチームは、三男や
他の年下のプレーヤーを無視することなく、パスを回し、いいプレーに対しては声を
かけたりと、雰囲気はとても良く、総当たり戦の練習試合はキャンプを通して全勝
だったようです。練習試合で活躍した訳ではありませんが、三男、少し自信をつけて
帰ってきました。

後、カバーしておかなくてはならないのは、日本語補習校とバイオリンでしょうか。
日本語補習校では、三男の学年の男子生徒が一人去り二人去りでどんどん人数が
減っていき、女子生徒が大多数となりました。そして3月に次男が卒業。三男は、
日本語補習校をやめたくて仕方がないようでした。一方、人数が少ない分だけ男子
生徒の結束は強くなり、誰もが仲間にささえられて続いているようです。そろそろ
日本語補習校の中学卒業も近づいてきました。三男の高校進学は怪しいですが、
様子をみようと思います。

最後はバイオリンです。中学のオーケストラでは一昨年よりコンサートマスターを
仰せつかり、実力は認められていたようですが、次男の同じ時期と比べますともう少し
努力が必要だったかなと思います。取りあえず、最後まで取り組み、無事に3年間を
終えました。個人レッスンはずっと続いており、家内も私も、高校では、長男、次男に
続き、三男もオーケストラにと信じ込んでいました。残念ながら、本人にその気は
ありませんでした。選択科目は音楽ではなく美術を選びました。


それでは写真です。





姉妹都市交流プログラム。日本の使節団が中学校に到着しました。顔写真を含め、参加者
の情報は双方、事前に書類で受け取っていました。これは、両グループ、初めてのご対面
となるレセプションの写真です。メンバー達は、皆直ぐにうちとけ、楽しそうにコミュニ
ケーションをとっていました。(三男、日本語を話すただ一人のメンバーとして、重宝
がられていました。)




中学校、市役所、警察署、消防署への表敬訪問は、当然スケジュールの中に組まれていま
したが、丸一日をテーマパークで過ごす日が設けられていました。




キャーキャー。




キャーキャー。




キャーキャー。




キャーキャー。

これは別の日の夜で、テーマパークではありません。息子達が昔から大好きなジャンピング
です。汗だくになって遊びました。




日本の使節団の滞在も後半です。皆でボーリングに行きました。一投ごとにあちこちから
歓声とため息。




その後は、ビーチに繰り出しました。実は、ここは、私達親子がいつもサーフィンで行く
ビーチです。水を見た途端、ここでも全員、キャーキャー。




あっという間の5日間でした。メンバーに1枚ずつ支給された白いTシャツに寄せ書きです。
いい想い出を沢山つくることが出来ました。




いよいよ空港へ出発。4ヶ月後に日本で再会出来ますが、日本の女の子組は、涙のお別れ
でした。




中学オーケストラ。選抜カルテットです。




これが、中学最後のオーケストラ・コンサートとなりました。息子達3人がお世話になりました。




そして、7月。再び姉妹都市交流プログラムです。今度は、アメリカの使節団が日本を
訪れました。充実した1週間を過ごし、San Francisco 空港に無事到着。誰もが一生の
思い出となる体験をしてきたようです。この後、あるメンバーは日本が忘れられず、
San Francisco の日本街を散策したそうですが、本人曰く「なんか違うんだよなー。」
だったそうです。




中学校の卒業式。




アメリカの卒業式ではお馴染みの「Honor Cord」です。それぞれの科目で成績優秀者に
のみ事前に手渡され、卒業式当日、首にひっかけて卒業ガウンの前にたらします。軍隊で
言えば勲章のようなもので、卒業生のステータスシンボルとなります。三男、なんとか
もらう事が出来ました。




校長先生、来賓、卒業生代表のスピーチが終わると、クラスごとに担任の先生が一人ずつ
生徒の名前を読み上げ、卒業生はステージ横のスロープより壇上に進み、校長先生と握手を
して証書を受け取ります。おきまりの流れです。三男の首には、Honor Cord に加え、
ファンドレイジングで予約販売された生花のレイ。売り上げは全て学校にいきます。




「ウッシャー!」 

サッカーです。 春のリーグ戦が始まりました。 




この頃からヘアバンドを着用するようになりました。




「俺のボールやっちゅーねん。」といった会話は一切なかったそうです。日本語補習校の
仲の良い友人です。リーグ戦で、彼が所属するチームとの試合がありました。三男のこの
頃のポジションは、センターフォワードかウインガー。友人はセンターバックで、試合の間、
何度となくマッチアップがありました。




日本語補習校では、毎年6月に2週間の夏期集中があり、中高部ではその間に数少ない
イベントの一つ、球技大会が開かれます。三男、バスケットボールの試合です。次男も
卒業生のボランティアとして参加しました。




大学のサッカーキャンプです。3泊4日の日程は、夏期集中と重なってしまいました。3日
ほど補習校を欠席してキャンプに参加しました。受け付けで手続きが終わり、参加者は、
ミーティング会場に向かいます。




さすがに大学の施設は大きいです。サッカー専用フィールドは、芝のコンディションも良く、
お金をかけて管理されています。




キャンプのスケジュール。




夏にクラブを移籍しました。ポジションは右のウインガーで定着です。本人は気に入ってます。




新しいチームの練習は週3回。そのうち2回は、Caltrain で、片道1時間をかけて通います。
練習場は、駅を降りて徒歩5分。歩いていては、練習開始時間ぎりぎりとなってしまうため、
駅と練習場の間は、写真のスケートボードで移動します。かかる時間はたった1分。本人、
楽しんでいます。




8月より高校生になりました。中学の仲の良かった仲間達とは離れて高校生活のスタート
です。周りは知らない生徒ばかり。入学してから数ヶ月は、高校を直ぐにでも転校したいと、
ブーブー毎日、不平不満ばかりでした。小言が減ってきたのは、冬の高校サッカーの
シーズンが始まる前の11月あたりです。丸一週間あるトライアウト(入部テスト)を受けた
結果、「Jr. Varsity」(下級生チーム)ではなく、次男がいる 「Varsity」(上級生チーム)
に受け入れられました。チームでたった一人の Freshman(1年生)プレーヤーであった
ことが嬉しかったようです。高校に対する不満はなくなりました。




バイオリンのリサイタルです。中学のオーケストラは卒業、高校では音楽から離れ、長男、
次男のように青少年オーケストラに入ることもありませんでした。個人レッスンだけは、
この先も続けるそうです。




次男は、日本語補習校を卒業し、土曜日はフリーになりましたが、青少年オーケストラの
練習で日曜日の午後は完全につぶれます。長男は、プロジェクトが入りますと、週末でも
大学に行くことが多くなりました。週末に息子3人が揃っていることは少なくなり、
サーフィンは、もっぱら長男か三男のどちらかと二人で行くことが殆どとなりました。
この写真は、三男が新しく長めのボード(7フィート6インチ)をおろした時のものです。




三男の机。高校と言えども宿題は殆どコンピューターを使わなくてはなりません。


以上写真でした。

長男、次男よりもイベントが多く、三男だけかなり長くなってしまいました。


次は家内のハイライトとなります。