水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-62- 自然と強制

2017年06月11日 00時00分00秒 | #小説

 物ごとが進む場合、首尾よくいった結果は同じでも、そのプロセスが自然にそうなった場合と強制され、そうなった場合とで分かれる。強制されてなった場合は、自(みずか)らではなく何物あるいは何者かの外的な強制によって、そうなったのだから、いわば無理強(むりじ)いされた・・ともいえる。世の中の事象は自然とそうなるのがいいに決まっているが、シビアな現実はそれを許さず、強制力をもって、かろうじて治安が保たれているのが現状だ。法律、規則、ルールの類(たぐい)は、すべて強制である。まあ、ルールの場合は、この強制がなければ、試合や競技自体が成立しなくなるから少し意味を異(こと)にするのだが…。
「都代富(とよとみ)さん、どうしても、ですか?」
「ええ、これ以上、待ちましても、この地では、もはや美味(おい)しいステーキは食べられますまいっ! ははは…」
 友人の兎久側(とくがわ)に都代富は毅然(きぜん)と断言して笑い捨てた。
「と、なれば、いよいよ強制しかありませぬなっ!」
「ええ。もはや、待つだけ待ちましたからな。自然とそうならぬ以上、致(いた)し方(かた)ありますまいっ!」
 そこへコーヒーカップを運んで現れたのが、これも友人の喫茶店の主(あるじ)、先納(せんのう)である。
「そうなされ…」
 先納にそう言われ、都代富と兎久側は静かに頷(うなず)いた。三人とも歴史好きだけに、時代言葉で話すのが常(つね)となっていた。
 大軍勢ならぬ大金を懐(ふところ)にして、二人が高級ブランド牛生産地、方丈(ほうじょう)へのステーキ征伐(せいばつ)ならぬ堪能(たんのう)の旅に出かけたのは、それから数日後のことであった。自然ではなく、こちらから出向く強制である。結果は語るべくもないだろう。二人は征伐ではなく、堪能(たんのう)して帰途についたのである。

                            完


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