水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

思わず笑える短編集 -43- いつもの…

2022年04月28日 00時00分00秒 | #小説

 限られた範囲で使用される「いつもの…」という曖昧(あいまい)な言い回しがある。当然、その受け方は「分かりました…」と格好よく品(しな)を作り、さもプロ風に指定された物を取り出す。周囲の人にその遣(や)り取りの意味が分からないと、余計その言い回しは格好よく見える。それが、「いつもの…」である。
 不知火(しらぬい)横丁の路地裏に、いつも屋台を出すおでん屋があった。夕暮れが迫(せま)った頃、店の親父(おやじ)が提灯(ちょうちん)に灯(ひ)を入れると、決まったようにやって来る一人の男がいた。年の頃なら四十(しじゅう)半(なか)ば、その客が何をしているか・・を敢(あ)えて訊(たず)ねようとしない親父だったから、どういう男なのかまでは分からなかった。そうした関係がすでに20年以上、続いていた。そしてこの日も、その男は屋台に現れた。すでに椅子には勤め帰りのサラリーマン風の中年男が二人、冷や酒のコップを飲みながら、おでんを頬張(ほおば)っていた。
「へい、お越しっ!」
「いつもの…」
「へいっ!」
 親父は心得たようにコップを前へ置くと、棚(たな)からボトルした一升瓶を取り出し、トトトト…と八分ほど注(そそ)ぎ入れた。男はその酒を一気に飲み干した。二人のサラリーマン風の男は唖然(あぜん)としてその男を見た。取り分けて変った男とも思えなかったが、置かれた一升瓶を見ると、手を震(ふる)わせ、慌(あわ)てて背広のズボンから財布を取り出し始めた。一升瓶には[清酒 人魂]というラベルが貼られていた。
「少し冷えるようになったねえ…」
「そうですねっ! いつもの…で、いいですかっ?」
「ああ、いつもの…」
「へいっ!」
 親父は一升瓶の酒をコップへ注ぎ入れると、また馴れた仕草で皿の上に煮えたおでんを乗せ始めた。
「親父さん、勘定!」
 居たたまれなくなったような声で男二人は立ち上がった。
「そうですねっ! 今日は、¥2,000ばかしで結構ですっ!」
「おお、そうかいっ! 安いねっ!」
 落ちついた笑い口調だったが、二人の顔は青ざめていた。
「またのお越しをっ!」
 二人は走り去るように屋台から消えていった。いつもの…は、怖(こわ)いのだ。

                    完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする