水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

ユーモア時代小説 月影兵馬事件帖 <9>誠(まこと)から出た嘘(うそ)から出た誠

2022年01月13日 00時00分00秒 | #小説

 お芳の置屋の帰りである。いつもなら、屋敷へのご帰還なのだが、今朝は出仕だから、湯漬けを沢庵でかっ食らって飛び出す他はなかった。少し風が和(やわ)らぎ、冬の終わりを告げる名残雪がチラチラと風花で舞っていた。兵馬は腕組みをしながら、いつものように漫ろ歩いて奉行所へと歩を進めた。足元を見れば、今日は間違いなく草履が左右にある…と、兵馬は馬鹿馬鹿しく思った。片草履では、同僚である与力の堀田主税に揶揄(からか)われるだろうし、内与力の狸穴(まみあな)の叱責(しっせき)は覚悟せずばなるまい…と兵馬は思えたから、足元へ眼をやったのである。卯の刻だから、辺りは暗く、まだ白んでいなかった。いつものことで朝一の出仕は兵馬に珍しいことではなかった。ただ、こうした場合は、昼までの空腹が辛くなった。
「月影さま、今朝はお早い出仕で…」
「おはようございます。ご苦労様です…」
 門前を掃いていた下男の与助とは、初出仕以来の古い顔見知りだった。与助は疾(と)うに五十の坂を越えていた。
「あの…少しよろしいでしょうか?」
 与助が奉行所の中へ入ろうとする兵馬を呼び止めた。
「…なんでしょう?」
 兵馬は訝(いぶか)しげに立ち止まった。
「奉行所が建替えられるとお聞きしたのですが、それは誠(まこと)でございましょうか?」
「ああ、そのお話でしたか。身共も、誰ぞに聞いたような…。そうそう! 雀長屋の長太がそう申しておりましたな。なんでも、職人頭の一人として普請を仰せつかったとか…」
「そう、お言いで?」
「はあ、まあ…。それとなく訊(き)いておきましょう。しかし、なぜ、そのようなことを?」
「他意はございません。私もすでに齢(よわい)五十半ば。であれば、そろそろこの辺(あた)りが退く潮時かと…」
「いやぁ~、まだまだ、これからではございませんか」
 口先では慰めの積もりだったが、よくよく考えれば、それもそうだな…と、兵馬は口にしたあと、しみじみと思った。
 奉行所の昼時である。同僚の堀田主税といつもの三傘屋で親子丼と味噌汁で済ますのが兵馬の日課となっていた。
「お前、その話、誰から聞いた?」
「いや、それが思い出せねぇ~んだよ」
「規模は知らねぇ~が、誠の話のようだな…」
「そうか、誠か…」
「ああ…」
 店を出ると、通り近くに植えられた梅の老木が、花蕾(はなつぼみ)を大きく咲かせようしていた。だが、この話には裏があった。地方農民の季節労働者を一手に取り仕切る人足問屋と、こともあろうに奉行所差配の老中が結託した話で、奉行所は建替えするほど老朽化はしていなかったのである。兵馬はその裏情報を友人の旗本、土屋 監物(けんもつ)から入手したのである。
「そうか…。黒幕は老中か…」
「ああ、お前が相手になる輩(やから)ではない。悪いことは言わん、諦(あきら)めろっ!」
「このようなとき、素戔嗚(スサノオ)さまが現れてくれたらのぉ~」
「今、なんぞ申したか?」
「んっ!? いや、なんでもない…」
「そうか…」
 土屋は訝(いぶか)しげに兵馬を窺(うかが)った。
「ははは…引っ括(くく)るのは、ど偉い大物だ。これは…俺の手の出る相手ではない、誠から出た嘘から出た誠の話だ、ははは…」
 土屋と別れた兵馬は、全(すべ)てがややこしく、馬鹿馬鹿しくなった。飲んで一切を忘れようと、お駒が待つお芳の置屋へ歩を進めた。

             完


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明暗ユーモア短編集 (38)残りもの

2022年01月13日 00時00分00秒 | #小説

 私達が小さい頃は、物資が必ずしも豊富とは言えない終戦後の時代だった。そうなれば当然、食べ物の好き嫌いは言えない。嫌いなものを食べないでいると、「食べてしまわな、次のオカズ作らへんでっ!」と、母が怒っていたのが思い出される。で、嫌々(いやいや)食べているうちに嫌いでなくなってしまったのは不思議といえば不思議である。今になって思えば、誠に有難い話なのである。そこへいくと、何でも食べられる飽食の今の時代に育つ子供達に好き嫌いが多いのは、可哀相という他はない。食べられず残った残りものからすれば、暗い気分にもなることだろう。好きなものはチヤホヤされて食べられるから、そりゃ明るい気分になろうというものだ。残りものからすれば、いい気はしない。^^
 とある大衆食堂である。一人のサラリーマンが昼食を食べようと店の暖簾(のれん)を潜(くぐ)った。
「ぃらっしゃいっ!!」
 店主の威勢(いせい)のいい声が飛ぶ。
「親父さん、いつものっ!」
「また烏賊墨(いかすみ)定食ですか、蛸岸(たこぎし)さんっ! …作れといわれりゃ、まあ、作りますがねっ! 今日は生憎(あいにく)、残りものの烏賊しか入ってないんですよ…。まっ! 三日前ですから、大丈夫だとは思いますが…」
「三日前だろうと一週間前だろうと、そんなこたぁ~構やしません。僕は烏賊墨定食を食えりゃいいんですからっ!!」
 蛸岸は力んで店主に断言した。
 残りものでも、好きなら明るく喜び勇んで食べられるのである。ただし、食あたりで暗い気分になっても知りません。^^

                   完


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