人によって長閑(のどか)さの感じ方は異(こと)なる。少しの雑音で、「チェッ! 五月蠅(うるさ)くって、仕事になりゃぁ~~しないっ!!」などと大仰(おおぎょう)に騒ぎ立てる人もいれば、騒音が飛び交う繁華街のベンチに座り、「この喧騒(けんそう)感が落ちつくなぁ~。妙に仕事が捗(はかど)る…」と呟(つぶや)きながら筆を進める人など、人というのは実に様々だ。要は、長閑さを感じる感覚の違いなのである。どうでもいいことだが、私の場合は後者である。^^
とある公園の一角に敷設されたベンチで、一人の老人が秋を満喫(まんきつ)している。そこへ別の老人がどこからともなくスゥ~っと現われ、同じベンチに座った。
「やあ! いつもの方でしたか…」
「そろそろ秋ですかな?」
「はあ…」
互いに名乗らずにいることを建前にしているのか、二人は互いを意識することなく、公園に植えられた木々の紅葉を愛(め)でた。
「この長閑さが堪(たま)りませんなっ!」
「秋を愛でるには長閑さが欠かせません…」
「はいっ!」
というのは口実(こうじつ)で、実はこの時間近くになると、必ずと言っていいほど毎日、ロバのパン屋さんが公園を通るからだった。二人は必ず、そのパンを買い求め、持参した魔法瓶のコーヒーで食すのが楽しみだったのである。長閑さが分からない二人には、長閑さなど、どぉ~~でもよかったのである。
長閑さは分からない不確かな感覚で、楽しめばいいという、ただそれだけのお話である。^^
完