何が分からないって、これだけ短編集を書いていれば、分からなくなるのが作品名である。^^ どういうことか? といえば、同じ作品名があったんじゃないか? と、しばし戸惑(とまど)う場合がある・・ということだ。^^ そうこうして書き始めを躊躇(ちゅうちょ)していると、肝心の書こう! としていた内容を忘れてしまうのだから救いようがない。^^ だがこれが妙なもので、トイレの中で、ふと思い出すから、尾籠(びろう)な話で始末が悪い。トイレだから尾籠そのものなのである。^^ で、どうするか? を種明(たねあ)かしすれば、[○○○2]として完成させる訳である。^^ 今までの作品名に、[○○○2]とした作品が幾つかあったと思うが、全(すべ)てその類(たぐ)いだから、ご容赦(ようしゃ)を願いたい。^^
とある美術館である。芸術の秋ということもあり、多くの入場者で賑(にぎ)わっている。ただ場所柄(ばしょがら)か、館内は閑静(かんせい)そのものだ。そんな中、入場者の二人の男がヒソヒソ話(ばなし)をしている。
「この作品はフェリーボートのナントカいう画家の模写なんでしょ?」
「シィ~~ッ! 小さな声でっ!」
「すみません…」
「…フェリーボートじゃない。確か、フェリーチェ・フィチェレッリが描いた『聖プラクセディス』のことでしょう」
「そう! その方!!」
「シィ~~ッ!!」
「すみません。へへへ…フェルメールも、なかなかやりますねっ!」
「やるかどうかは別として、作品名は同じです…」
「はあ…作品名は、ですね?」
「ええ…」
二人は『聖プラクセディス』を見続け、その後、会話は途絶(とぜつ)した。
作品さえよければ、誰が書こうが、作品名がなんであろうが、どうでもいい訳である。このことは、世の全てのことに言えるようだ。^^
完