水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

困ったユーモア短編集-88- 勝負と試合

2017年07月07日 00時00分00秒 | #小説

 勝ち負けを争(あらそ)って決着をつけるのが勝負である。試合も、結果として勝ち負けを決するのだが、勝負とは一線を画(かく)する。では、どう画するのか? だが、勝負は勝ったり負けたりすることに拘(こだわ)りがあり、困ったことに、何がなんでも勝たないと気が済まない・・という修羅そのものの性質だ。ところが試合は、技量を争うことにより、結果として勝ち負けが決するという性質のものだ。むろん、試合の場合も負けたくてするものではないから、やる以上は相手や相手チームに勝ちたい…という一念の行為であることには違いはない。だが、両者には目に見えない根本的な差異があるのだ。それが分かっていて冷静に対する者には、自(おの)ずと勝利の女神が微笑(ほほえ)む訳である。いい試合を冷静に心がける者やチームは勝ち、冷静さを失い、勝つことに固執(こしつ)する者やチームは、いつのまにか負けている・・というのがこの地球上で起きる事象である。このことは国家と国家の争いからスポーツや棋士の対戦まで、すべてに共通している。勝負の場合、負けるが勝ち・・ということも当然あり得る。国家対国家の戦争がその具体例で、勝った国は半永久的に戦うことから逃(のが)れられない。負けた国は平和になるから、実質的には争いの絶えない修羅から抜け出せ、勝利した・・とも言える。
 勝った方は相手を言うがままに操(あやつ)れるし、好きなものを手に入れるだろう。だが、それは勝ったことに果たしてなるのか? それは否(いな)である。
「いや! それは僕の…」
「なによっ! これは私のでしょっ!」
 朝から宮尻家では兄と妹の兄弟喧嘩が勃発(ぼっぱつ)していた。止めに入ったのは、今年で95になる祖父である。95とはいえ、まだまだショボくなく、現役バリバリで筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)のご老人だ。
「お二方(ふたかた)、無益(むえき)な争いはやめなされ…」
 悟りきった仙人のような口調でそう言われ、兄も妹も沈黙せざるを得なかった。
「お二方は何をそのように争っておられるのかな?」
 二人が静まったのを見て、祖父はふたたび厳(おごそ)かな口調で言った。
「お兄ちゃんが私が大切にしている色玉を…」
「なに言ってんだっ! それは僕がお前に貸してやってたんじゃないかっ! 元々、僕のだっ!」
「違いますっ! 私のですっ!」
 二人の前には、瑠璃色をしたガラス玉が一つ置かれていた。
「まあまあまあ、お二方…」
 祖父は二人を宥(なだ)めながら、その玉を見た。
「ああ、これなら私も二つ三つ、持ってますぞ。一つ進呈(しんてい)いたしましょう。この勝負、いやこの試合は引き分けといたしますが、それでよろしいかな? お二方」
 二人に異論など、あろうはずがなかった。こうして、宮尻家の兄弟争いは骨肉の勝負的争いとはならず、円満な引き分け試合で終結した。めでたし、めでたし…。

                         


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