幽霊パッション 第三章 水本爽涼
第八十八回
『課長、僕です!』
上山は席にどっしりと座った瞬間だったので多少、戸惑った。
「おお! 君か!」
上山は思わず声を大きくしてしまった。
「えっ? どうしました、課長!」
戻ったばかりの出水が係長席から思わず振り返って、そう訊(たず)ねた。
「んっ? いやあ~、なんでもない、なんでもない。独り言だよ、独り言…」
「そうですか…」
怪訝(けげん)な表情を露(あらわ)にしながら、出水は前を向いて元の姿に戻った。
「今は拙(まず)いだろ! しばらくしたら抜けるから、あとになっ」
机上に視線を落したまま、上山は思わずヒソヒソ声にトーンを下げ、霊魂平林に呟(つぶや)いた。
『あっ! そうでしたね。じゃあ、屋上で…』
「いや、すぐ抜けるから廊下でなっ」
上山は、ほとんど聞きとれないほどの声で吐いた。左斜め前方の係長席に座る出水が、どうも目敏(ざと)いから、要注意! という意識が、余計に上山の声を小さくさせたのだ。
『分かりました…。それじゃ!』
我が身の変化を、すぐにでも伝えたい霊魂平林だったが、そこはそれ…、上山が困るのは十分、心得ているから、素直に引き下がってスゥ~っと消えた。ただ、霊魂になっても格好よく消える術(すべ)は忘れていないようで、霊魂の霊尾をピクッ! と逆(さか)立てるとパッ! と瞬時に消えた。
「何かあったのか…」
ボソッと呟いたあと、上山は決裁の書類に目を遣(や)った。そして何気なく席を立つと、「ちょっと、トイレ…」と出水に云い、課のドアを出た。