タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

帰ってきました!&4月のブログインデックス

2023年04月30日 | 徒然なるままに

無事に四国から帰ってきました。往路は明石大橋から四国に渡ったので、帰路は瀬戸大橋(写真)をチョイス。また違った趣の景色を楽しみました。人間の力はスゴいですね。よくもまぁこんなモノを造れたなぁ…。

朝8時に松山のホテルを出発して、自宅に到着したのが午後7時前。途中休憩や食事タイムを含んでですが、11時間のドライブはさすがに疲れました。明日はもう1日休みを取っているので、ゆっくり休みたいと思います。四国の話題については、もう少し記事にするかもしれません。

4月も今日でお終いですね。今月のブログインデックスを整理しておきます。今月は「お花見」の話題が多かったですね。

帰ってきました!&4月のブログインデックス(2023年04月30日)
卯年の卯之町(2023年04月28日)
走りに走った800km!
(2023年04月27日)
山菜の季節です!(2023年04月26日)
昭和30年代の訪問魚屋の記憶(2023年04月25日)
魚や元(GEN)(2023年04月24日)
今年も日曜は「おはようマラソン」!(2023年04月23日)
竹林活用への道(2023年04月21日)
ハナミズキ(2023年04月20日)
地方の王国(2023年04月19日)
カットマン(2023年04月18日)
ゴースト・マンティス(2023年04月17日)
庭を彩る春の花(2023年04月16日)
東横の新潟濃厚味噌ラーメン(2023年04月15日)
シン・仮面ライダー(2023年04月14日)
それを言っちゃぁ…おしまいよ!(2023年04月13日)
細いけど初物のウドが採れた!(2023年04月12日)
水木しげるの戦争マンガ(2023年04月11日)
タラの芽(2023年04月10日)
今年の初タケノコ!(2023年04月09日)
戦争を描いたマンガ(2023年04月08日)
今年のお花見⑥~八百政家のしだれ桜~(2023年04月07日)
今年のお花見⑤~悠久山は長岡市民の憩いの場~(2023年04月06日)
二重らせんのスイッチ(2023年04月05日)
今年のお花見④〜福島江の桜〜(2023年04月04日)
今年のお花見③〜工業高校の桜〜(2023年04月03日)
今年のお花見②〜信濃川の土手〜(2023年04月02日)
今年のお花見①~ビッグスワン~(2023年04月01日)

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卯年の卯之町

2023年04月28日 | 徒然なるままに

愛媛県西予市に来ています。

こここに卯之町(うのまち)というJRの駅があるんですが、今日は用があってここに行ってきました。今年は卯年ということもあり、全国で唯一「卯」の文字が使われている駅名ということで、PRをしていました。

ウサギのオブジェとかウサギの絵馬とか、ウッディーな駅舎とマッチして、なかなか趣きがありました。無人駅でしたけどね。

さて、通夜も無事に終わり、明日は葬儀です。故人をしっかり見送りたいと思います。

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走りに走った800km!

2023年04月27日 | 徒然なるままに

今朝、出勤して早々に職場で妻からの連絡を受け、すぐに自宅に戻って急いでさまざまな準備をしました。週末のさまざまな段取りや調整をし、10時半過ぎに自宅を出発しました。まぁ覚悟はできていたので、あせりはそれほどありませんでしたけどね。そこからはひたすら、走りに走りました。

サービスエリアで休憩をはさみながら、北陸自動車道から名神高速へ。さらに明石大橋へと進みます。そしてついに本州を離れました。

四国に入り、まだまだ走り続けます。自宅を出発して10時間ちょっと。ついに目的地のある愛媛県に入りました。走りに走った800km。明日もう100Km走って目的地に到着です。明日が通夜で明後日が葬儀。明日の昼間はちょっとゆっくりできるかな?昼過ぎに「新幹線+飛行機」組と合流します。

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山菜の季節です!

2023年04月26日 | ふるさと長岡・嗚呼!田舎暮らし

この時期にわが家の周りをグルッと回ると、いろいろと食材が手に入ります。いわゆる「山菜」ってヤツですよね。これまでにも、フキノトウ、タラの芽、タケノコ(まぁこれは山菜ではないけど)など、春の味覚を堪能してきました。このブログでも話題にしましたね。

 

わが家にもフキノトウ! - タケ・タケ・エヴリバディ!

昨日までの暖かさとは打って変わって、今日は冷たい空気に身体が冷え切る1日となりました。既に薄い春のコートに切り替えていたボクは、震えながら職場の駐車場から建物ま...

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タラの芽 - タケ・タケ・エヴリバディ!

昨日に引き続いてタケノコの様子を見に竹林の方に足を向けたら、なんとタラの芽が顔をのぞかせていました。おぉ!ちょうど採り頃ですね。ちょっと高い位置なので脚立を持っ...

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今年の初タケノコ! - タケ・タケ・エヴリバディ!

まだ4月の上旬だというのに、わが家の竹林にタケノコが顔を出し始めました。今年は桜の開花も早かったけど、タケノコも早いようです。例年よりも2週間くらい早いんじゃな...

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で、今はどうなっているかというと、タケノコはいよいよ本格的な収穫シーズンがやってきていますし(今年は『隔年の出ない年』ですが)、真っ盛りなのはウド(独活)です。まぁ山ウドと違って太さやボリューム感には欠けますが、独特の香りと味を夫婦2人で楽しむには、竹林の周りに生えてくるモノで十分です。

こんな感じで採ってきたヤツを、新鮮なうちにキンピラにしたり穂先を天ぷらにしたりしていただきます。

あぁ…これこれ。春の香りです。ボクはタラの芽なんかより、ずっとウドの方が好きです。

他にも、こんなモノが採れますよ。

ボクらは「こごみ」とか「こごめ」とかって呼びますが、正式には「クサソテツ」っていう山菜です。アクや臭みがなく調理にも手間がかからない、とても万能な山菜です。ボクはマヨネーズと醤油で食べるのが好きですが、うちの女房なんか「虫(ムカデか?)みたいで嫌!」って言ってます。

続いてはこれです。

ボクらは「木の芽」って呼んでいますが、アケビの新芽です。独特の苦味が好きな人にはたまらない味で、酒(もちろん日本酒です)のつまみにはもってこいです。まぁ大人の味ですよね。子どもは絶対に好みません。

さっと茹でて鰹節と醤油でいただいたり、

卵黄を添えて(居酒屋に行くとうずら卵だけど、自宅は鶏卵です)いただいたり、大人の味を楽しみました。たまらんなぁ…

最近ボクがいただいている日本酒は、池浦酒造(長岡市和島地域)の「和楽互尊(わらくごそん)超辛酒」です。山菜には辛口が合いますね。お酒の名前の「和楽互尊」については、少し語りたいこともあるのでまた今度

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昭和30年代の訪問魚屋の記憶

2023年04月25日 | 徒然なるままに

昨日の記事で「出雲崎の魚や”元”」について書きましたが、書きながらボクが小学校に上がる頃の昭和30年代の記憶が蘇りました。随分前に女房にこの話をしたとき、「え~?信じられない!」「何時代の話?」ってビックリされた記憶も思い出しました。

まずはこのエピソードを理解するために、わが家と海の位置関係を確認しておきましょう。わが家は昭和31年の市町村合併で三島郡から長岡市に合併した地域にあり、海のある出雲崎町の海岸線までは中永峠を経由して17kmほどあります。ボクは高校時代に夏休みの地学の野外学習で自転車で海まで行ったことがありますが、峠越えはけっこう大変だったのを覚えています。

さて、昭和30年代のボクの記憶、小学校に入学する頃の話です。わが家に年に何回か、出雲崎の魚屋さん(今考えると、漁師さんだったかもしれません)が魚を売りに来ることがありました。今で言う「魚の訪問販売」ですが、当時わが家に来る出雲崎の魚屋さんは、自転車でやって来ました。自転車の後ろの荷台には魚を入れる木箱が何段も積み重なっており、そこには氷詰めになった鮮魚が入っていました。と言っても当時は発泡スチロールではなく木箱なので、当然氷は溶けてきており「氷水(場合によっては水)に浸された生魚」の状態になっていました。

続いてのシーンが、ボクの記憶にある驚くべき光景です。女房に話したら「信じられない!」「縄文時代じゃないんだから!」と驚かれた場面です。その魚屋さん(たぶん漁師さん)から魚を受け取った祖母が、その代金をどうやって支払っていたと思います?なんと!台所の米びつの中から、升で量ったお米を魚屋さんに渡していたのです。そうです、魚の代金を米で支払う「The 物々交換」ですよ。江戸時代か?いや縄文時代か?

まぁ、海魚の捕れない山間部の住民(わが家)と、海岸部の米が手に入りにくい地域の住民が、互いの特産物を交換し合う「物々交換」っていうのは、人類の歴史の中で自然に発生した「経済的生活の基礎的行為」です。ですが人類はとっくに「貨幣」という便利なツールを発明して、文化的な生活を手に入れる術を知っていたわけです。それなのに、昭和40年に近いこの頃のボクの記憶に「物々交換」が残っているというのは、やっぱりスゴいことですよね。

このエピソードって、やっぱり孫たちの世代にも伝えておくべきかな?「どうしてスマホ決済しなかったの?」なんて言われるかもね。

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