温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

2021年の湯めぐりを振り返る

2021年12月29日 | 旅行記
私はもちろん、このブログをご覧の皆様も、そして世界中も、この地球上に生活するほぼ全ての人々がコロナ禍に振り回されたと言っても過言ではなかった2021年。まったく海外に行くことができず、国内にしても状況を見極めながら慎重にタイミングを図って出かけたため、思うように湯めぐりすることができなかったのですが、これは皆さんも同様のことかと思います。またコロナ禍に加えて私の場合は仕事の繁忙化によって思うように時間を確保することもままならず、今年を振り返ると新規開拓できた温泉施設数は40にとどまりました。とはいえ、数は少なくとも一つ一つはときめく記憶で彩られた個性派揃い。そこで今年最後の記事は、2021年の湯めぐりを振り返って締めくくることにします。

●新規オープンの温泉
コロナ禍にめげず、関東周辺では2021年も温泉施設が新規オープンしています。私はその中のいくつかへ訪問しました。


千葉県流山市の「すみれ」(ブログで紹介済。記事はこちら)。
露天風呂では東葛地区らしい濃厚な化石海水型温泉がかけ流され、出来たばかりの綺麗な施設でのんびり寛ぐことができました。館内には温泉に関する頓珍漢な説明が書かれていましたが、今でも掲出しっぱなしなのかしら。


川崎市川崎区の「朝日湯源泉ゆいる」(ブログで紹介済。記事はこちら)。
こちらは元々銭湯でしたが、リニューアルの際に温泉掘削に成功し、温泉施設として生まれ変わりました。かけ流し浴槽こそ無いものの、塩辛くて濃い温泉、そしてかなり深い水風呂に入れますし、サウナではロウリュウも実施されるため、温泉ファンのみならずサウナ愛好家にとっても利用価値のある施設かと思います。


埼玉県吉川市の「アクアイグニス武蔵野温泉」(ブログで紹介済。記事はこちら)。
三重県湯の山の手前にある「アクアイグニス片岡温泉」が関東へ進出。片岡温泉の良さを実感している私としては、是非とも行ってみたかった施設です。周辺の競合施設よりちょっと高く、また皆さん大好きな(私は正直無くても良い)サウナが別料金なので、人によって評価が分かれるものの、いかにも埼玉県東部らしい濃い化石海水型温泉がかけ流されており、また施設もとっても綺麗で、館内の食事も美味しく、私個人としては高評価したいところです。片岡温泉とは泉質が全く異なるので、名前は同じだけれども別施設として捉えるのが吉です。


大沢温泉「依田之庄」(来年ブログで紹介予定)。
こちらは2021年ではなく、2020年12月下旬にオープンしたのですが、私は開業1年以内に利用しましたので、新規オープンのグループへ加えさせていただきました。以前は「大沢温泉ホテル 依田之庄」として営業していましたが、廃業後は敷地内の「旧依田邸」が静岡県指定有形文化財に指定されて、史跡として一般公開されるようになり、同敷地内の西側で2020年12月に日帰り温泉入浴施設「大沢温泉 依田之庄」が新規開業しました。大きく明るいお風呂ながら、とても静かで湯量も多く、大沢温泉自体の質の良さも相俟って、大変素晴らしい入浴時間を過ごせました。ここはお勧め。


番外編として、新規オープンではないものの、先日何の予備知識も無いまま飛び込みで訪問したら、いつの間にかこの画像のような立派な露天風呂ができていましたので、ここでご紹介致します。くらくら燃える地を這って越えた峠の先で、某温泉ホテルが所有する洞窟風呂があり、そこにこの露天風呂が付帯しています。以前この場所にはもうちょっと簡素なお風呂がありましたが(立ち風呂という名前だったかな)、ご覧のようにきれいなお風呂になり、万人受けするような形になりました。その代わり日帰り料金がアップされています。この露天風呂がどこにあるのか、来年記事にする予定です(来年ブログで紹介予定)。


●貸切風呂の積極利用
コロナ禍という状況で、安心して入浴するには、貸切風呂をするのが良い方法かと思います。昨年に引き続き、今年のゆめぐりでは、積極的に貸切風呂を利用しました。


「伊豆市富戸 藤よし伊豆店」(ブログで紹介済。記事はこちらこちら
相模灘を望む大きな露天風呂を貸切利用し、しかもお風呂上りは美味しい伊豆の海の幸をいただきました。時間内なら自由に空いているお風呂を貸切れるのも良いですね。とっても気分爽快な施設でした。


伊豆高原 城ヶ島温泉「花吹雪 貸切風呂(ヒュレヒュレイセポ)」(ブログで紹介済。記事はこちら)。
日中は予約なしで日帰り利用できるのですが、施設内にあるお風呂の全てが貸切。空いていれば好きな浴室を使えます。しかも一人利用も可能。さすが人気のあるお宿だけあり、コンセプトがしっかりしており、お湯も良く、綺麗で快適な湯あみを楽しめました。おすすめ。


石和温泉「深雪温泉」貸切風呂(来年ブログで紹介予定)。
何度か宿泊している「深雪温泉」に今年も1泊お世話になったのですが、その際に貸切風呂も利用しました。そもそも大浴場だったと思しき浴室はかなり広く、しかも露天風呂もあって、贅沢な湯あみのひと時を過ごせました。やっぱり石和ではこの「深雪温泉」が良いですね。

●2週連続で草津通い
なにをとち狂ったか、今夏は2週連続で草津温泉へ出かけてしまいました。恋の病以外は何でも癒してくれる草津の湯に惹かれてしまうほど、その時の私は心身が病んでいたのかもしれませんが、良い湯にたっぷり浸かれ、しかも避暑することもでき、病んでいたらしい私の心身はしっかり健康になったのでした。今回お世話になったお宿はいずれも再訪でしたが、改めて良い湯であることを実感しました。


「草津館」(2021年の記録は来年ブログで紹介予定)
湯畑の目の前という好立地はもちろん、館内湧出の若乃湯と白旗源泉の2源泉が楽しめるお宿として温泉愛好家には夙に有名なお宿。お湯もお宿の方も、本当に素晴らしい。


「極楽館」(2021年の記録は来年ブログで紹介予定)
3室あるお風呂は全て貸切利用のため、コロナ禍でも安心して宿泊できました。特にお宿ご自慢の大日の湯源泉が実に良く、草津にしては穏やかな浴感なので、ついつい微睡んでしまいます。朝食も美味しいですよ。おすすめ。

●熱海市伊豆山の土石流災害に驚く
今年7月に発生した熱海市伊豆山の土石流災害には多くの方が驚き、特に当地に思い入れがある温泉ファンは大変嘆かれたかと思います。ニュース映像で何度も放映されたあの現場の急坂を、私は3か月前に自分の足で歩いて登り下りしていたので、まさかあの場所がこんなことになるとは、と絶句してしまいました。


自分で坂を登って入りに行った某施設の温泉露天風呂。大変眺めが良いのですが、確かに急な地形ですし、無理して開発しているなぁ、という感は否めません。今回の土石流の原因となった場所はここから東側の稜線を越えたところですが、そこで発生した土石流は一気に山を下ってこの施設へアクセスする道やその周辺民家を呑み込み、逢初橋を泥濘で覆いつくして、海に達したのでした。


上画像の施設を訪ねた翌日も私は熱海におり、相模灘を一望する某ホテルの大浴場で日帰り入浴を楽しんでいました(来年ブログで紹介予定)。
ここも熱海らしく海に落ち込む急峻な地形の上に立地しているため、その建物の最上階にある大浴場からの眺めは大変素晴らしいのですが、私が露天風呂に入っていたら、なんと目の前の相模灘をに綺麗な虹が掛かったのです。風呂に入りながら虹を眺める経験って滅多に得られず、非常に珍しいかと思います。今回被災された伊豆山の方々の生活にも美しい虹がかかることを祈念するとともに、犠牲になった方々にはご冥福をお祈り申し上げます。

●東北へあまり行けなかった・・・
私の湯めぐりではホームグラウンドと称しても差し支えない東北6県ですが、今年はあまり行けず、福島県と山形県にちょこちょこと足を運んだだけでした。あぁ悲しい・・・。


「蔵王国際ホテル」(来年ブログで紹介予定)。
なかなか足を運べなかった東北ですが、私が大好きな蔵王で、お盆休みに辛うじて1泊することができました。近江屋旅館グループらしいコンセプトが随所に感じられるホテルで、お湯もスタッフの対応も良く、同行者曰く大変素晴らしく再訪したいとのことでした。


蔵王温泉「かわらや」
蔵王に来たらここは外せません。何度入ってもこのスノコのお風呂は最高。


郡山市「ホテルバーデン」宿泊者用大浴場(来年ブログで紹介予定)。
晩秋の某日、会津磐梯山を登山したのですが、その前日に泊まったのが郡山市「ホテルバーデン」でした。郡山南インター付近は知る人ぞ知る温泉郷であり、特にこの「ホテルバーデン」や「バーデン温泉」は湯量豊富で良いですね。ちなみに翌日の下山後はこの近所の「月光温泉大浴場」にも入っています。なお私が郡山の温泉で一番好きなのは「月光温泉大浴場」なのですが、果たしていままで何回入っているのかしら・・・。


●あの震災を扱う2つの常設展示
あの震災から10年は経ち、記憶が徐々に風化してゆく中で、私は春の某日にいわき湯本温泉で泊まりながら、福島県浜通りで新設された震災や原子力災害に関する二つの常設展示施設を訪ねました。


いわき湯本温泉の旅館「古滝屋」の一室を改造して3月12日にオープンした「原子力災害考証館」。
宿泊客が減って使わなくなった部屋を転用したんだそうです。


お部屋の中央には、子供の靴や服、道具、そして劣化した写真などを、復元した瓦礫とともに展示しているのですが、これは福島第一原発傍の民家で被災した家族が、数年後に自分たちで捜索して見つけ出した娘さんの遺品とのこと。どうやら遺骨もその時に発見されたらしく、ご家族の気持ちを思うと言葉を失います。
また一角には東電へ賠償金請求する書類が積まれているのですが、その分厚さ、複雑さ、難しさ、難解さを目にして、思わずため息が出てしまいました。
この他、室内にはたくさんの関連書籍が置かれており、手に取って目にすることができます。余計な説明を敢えてしない代わりに、自分で見て手に取ってもらうことで訪問者に考えてもらおうという意図だと思われます。改めて自分の不勉強を痛感し猛省したのでした。

私は以前、熊本県水俣市の民間施設「相思館」を訪ねたことがあり、この部屋の展示を見学した時には「相思館」と非常に似た感覚を覚えたのですが、それもそのはず、この展示を設けたお宿のオーナーさんは「相思館」に影響を受けて今回オープンさせたのだそうで、お部屋も、展示物の一つ一つも、たしかに小さいかもしれませんが、被害者や生活者の側に立脚しており、見る人の心に訴えかける力がとても強く、被災者の声や心が如実に伝わってくるのです。そして女の子の遺品が、女の子の寂しさ、悲しさ、そして親の無念さ、怒り、やるせなさ、国や東電に対する怒り、理不尽さ、無理解を端的に示しているようでした。更には多くの被災者の心情(亡くなった方の気持ちを含め)を代弁する象徴的な存在でもあるのでしょう。


続いて、常磐線で湯本から北上し、双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」へ。
さすがに公的な施設だけあって、大きく見やすく、分かりやすく、館内で説明してくださるスタッフの方も親切にかつ心を込めてお話ししてくださいました。開館当初は東電や国に対する批判はご法度だとか箝口令が敷かれているとか展示は撮影禁止だとか、いろいろな締め付けがあったらしく、方々から批判されていましたが、私が訪ねた時にはそのような締め付けは緩くなっており、撮影も可能でしたし、批判が許されないような雰囲気でも無かったような気がします。しかし・・・


原発立地を象徴するこの看板を、何の説明も無いまま建物の裏手にひっそりと置いているところに、当施設の姿勢が端的に表れています。確かに縛りは弱くなったのかもしれませんが、でもやっぱり全方位外交的であり、感情的なものは排除され、どのような立場で来館者に訴えたいのかわからず、玉虫色な決着を目指そうとしているような雰囲気を感じずにはいられません。公的機関なので致し方無いのかもしれませんが、「原子力災害考証館」を見学した私には、何だかモヤモヤした感情が残ったのでした。

以前私は水俣病のことを深く知るため、水俣を訪ねたことがあります。上述した民間施設「相思館」は水俣病の患者の立場で細かく展示しており、一方で水俣市立の「水俣病資料」は綺麗で分かりやすいが心情的なものが伝わってこない、という両者の違いを実感したのですが、今回福島浜通りでオープンした二つの展示施設に関しても全く同じ感想を抱きました。とはいえ、どちらかについて良し悪しを評価するつもりはなく、寧ろ両方を訪問し、そこで見て感じて、自分なりの考えを持つことが大切なのでしょう。


「東日本大震災・原子力災害伝承館」見学後は、周辺を散歩。他の被災地では既に撤去されているようなものも、ここではまだ残っているんですね。まるで時計の針が止まっているかのよう。

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以上、今年一年を振り返りました。

新年は果たして再び自由な旅をすることができるようになるのか。あるいは進展が無いままなのか。
どうなることやら見当がつきませんが、ともかく、本年も拙ブログをご覧くださり誠にありがとうございました。
新年も宜しくお願い申し上げます。

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南部縦貫鉄道 七戸駅でレールバスに逢う

2019年01月14日 | 旅行記
※今回記事は温泉と関係ありません。あしからず。

前々回およびその前の記事では、青森県七戸町の温泉を取り上げました。現在七戸町には東北新幹線の「七戸十和田駅」が営業しており、町の玄関口としてビジネスや観光のお客さんに利用されていますが、1997年までは南部縦貫鉄道という零細規模の私鉄が運行されており、東北本線野辺地駅を起点とするローカル列車の終着駅が七戸駅でした。
廃止から20年以上の歳月が流れ、当時の線路は殆ど撤去され、往時の様子を偲べる光景はあまり残っていませんが、七戸駅だけは廃止された当時のままの姿で保存されているらしいので、当地を温泉巡りした際に立ち寄ってみることにしました。



まずは車で七戸駅前へ。くすんだ色合いの古い駅舎が哀愁を漂わせていますが、廃止から20年近くが建つ今日でも「南部縦貫鉄道」の文字がいまだに大きく掲げられています。国道4号沿いを中心として、近年町内にはロードサイド型の大きな店舗が次々に建つようになりましたが、いまでは鄙びて見えるこの駅舎も、昭和の頃まで遡ると町内屈指の大きさを誇る建築物ではなかったかと思われます。駅前の広い空地は、かつて駅前広場として使われていたスペースなのでしょう。私が訪れた時にも、この駅前には十和田湖エリアにある温泉宿の看板が残っていました。


 
駅舎のドアが開いていたので中へ入ってみますと、かつて待合室だったと思しき空間には、当時の運行管理に使われていた備品類がたくさん展示されていました。


 
かつての備品類とともに、列車が走っていた当時の写真もたくさん展示されており、さながら博物館のようでした。
駅の出札窓口は駅見学の受付窓口となっており、現在は七戸町観光協会の方が対応してくださいます(土曜・日曜の10:00~16:00)。私が訪ねると、窓口のスタッフの方が私に声をかけ、わざわざ表へ出てきて「レールバスを見ませんか」と案内してくださいました。

レールバスとは、かつて南部縦貫鉄道で旅客を運んでいた小型の気動車。鉄道車両にもかかわらず、バスを思わせるような小型車体であり、かつ実際にバス用の部品を流用することによって製作コストの抑制を図っています。日本では戦後間もない頃に国鉄が地方の閑散路線へ投入し、民鉄では北海道と東北で1社ずつ導入されました。その1社が南部縦貫鉄道です。たしかにコスト抑制という目的は果たされたのかもしれませんが、輸送力が弱く車体の耐久性も劣るために導入実績が少なく、運用された路線でも早々に撤退していきました。その中で南部縦貫鉄道だけは旅客輸送の主役として、路線の廃止まで35年以上もレールバスの運行を続けてきました。いわば南部縦貫鉄道の顔がレールバスなのです。その顔に逢えるというのですから嬉しいではありませんか。


 
まずは駅舎から出て、以前旅客の皆さんが歩いたはずの動線を辿って、かつての駅構内へ出ました。行き止まりの線路2本にそれぞれホームが設置されています。



線路やホーム、そして腕木式信号機に至るまで当時のまま。目を瞑るとガタンゴトンというジョイント音が聞こえてきそうです。列車がやってきても不思議ではない雰囲気に、私は心をすっかり奪われて、その場に立ち尽くしてしまいました。



ホームの隣に機関庫があります。観光協会の方に裏のドアを開けてもらい、機関庫の中へとお邪魔します。


 
裸電球が暖色系の淡い光を照らす薄暗い庫内には、グリスの匂いがふんわり漂っていました。
現在、南部縦貫鉄道の一部車両はボランティアの方々によって動態保存されており、この機関庫内でその作業が行われています。私が訪問した日も東京からやってきた方が作業着をまとい、工具を握っていらっしゃいました。また年に数回は実際に旧七戸駅構内で車両を動かすのですが、その際に使われたと思しきヘッドマークが作業場の前に提げられていました。


 
庫内では複数の車両がお休みしています。
手前側に止められている青い車両は機関車。2両あり、1台は昭和37年の開業時に導入されたD451。もう1台は秋田の羽後交通からやってきたDC251。沿線の天間林村から砂鉄を輸送する計画があり、その貨物輸送の担い手として導入されたのがD451でしたが、砂鉄による製鉄の計画が頓挫してしまったため、実際のところ砂鉄輸送はあまり行われず、活躍の機会は少なかったそうです。


 
秋田からやってきたDC251は、マニア的には面白い車両です。というのも、駆動輪がロッド式なのです。蒸気機関車では当たり前ですが、ディーゼル機関車ですとあまり見当たらず、現在動けるロッド式の機関車は、津軽鉄道や関東鉄道に残っている非常に古い車両ぐらいではないでしょうか。このDC251は車体のカバーが開けられ、中のエンジンが見られるようになっていました。



機関車の隣のラインには、国鉄から譲渡されたキハ104(国鉄時代はキハ10 45)が大きな図体を休めていました。いや、一般的な鉄道車両と同格の大きさなのですが、小さな車両ばかりのこの鉄道では相対的に大きく見えてしまいます。


 
高度経済成長期に設計・製造された国鉄車両が履く台車といえばコイルバネ台車。このキハ10もその例外ではありません。保線状態が良くなかったと思しきこの路線では、走行中に結構揺れたのではないでしょうか。いや、揺れるほどスピードを出さなかったのかも。
また戦後の国鉄気動車に標準装備されたDMH17エンジンもしっかり搭載されています。戦前に基本設計が行われ、改良が加えられながらも昭和50年代まで製造され続けた、恐ろしいほどのロングラン製品であり、千葉の小湊鉄道などではいまだに現役です。戦後日本の鉄道界を支えた功労者であると同時に、日本鉄道界のディーゼルエンジン開発が世界に比べて遅れてしまった原因のひとつでもあり、それゆえ毀誉褒貶の大きな存在なのですが、カランカランというDMH17独特のアイドリング音は、ローカル路線を旅した昭和の人間の記憶にしっかり刻まれているはずですから、その音を耳にすると昔日の旅の記憶が呼び覚まされ、きっと旅情を駆り立てられることでしょう。



そして、南部縦貫鉄道の顔。レールバスの登場です。
この日は機関庫の扉を開けてくださったので、良い状態で撮影することができました。



開業時に導入された2両のレールバスが、ボランティアの手により丁寧に動態保存されています。いかにも昭和らしい丸みを帯びたモノコック車体の意匠がかわいらしいですね。



バスのように幅が狭くて天井が低い車内には、ビニルクロス張りのロングシートが向い合せに設置されており、その上には網棚も設けられています。窓は2段式ながら開閉できるのは下段だけで上段はHゴムで嵌め殺されている、いわゆるバス窓というタイプですね。天井や壁を留める無数のリベットが昭和を感じさせます。



内開きの折り戸式ドアもバスそのもの。


 
運転台の後ろには、かつての料金表が掲示されていました。また車端部にはキハ102の表記と「富士重工 昭和37年」の銘板が残っていました。この車両を製造した富士重工(現スバル)は、1980年代に入って再びレールバスの開発に取り組み、第三セクターを中心にして全国各地の鉄道会社で採用されていきましたが、その後富士重工自体が鉄道車両の製造から撤退しています。



運転台。
左のレバーがスロットルレバー、右の出っ張りがブレーキ弁ですね。一般的に日本の鉄道車両は、左側へ偏った位置に運転台がセッティングされていますが、このレールバスは中央に設置されているんですね。



このレールバスで特徴的なのが、クラッチを操作してギアを変えること。一般的な鉄道のディーゼル車両は液体変速機を採用しているため、クラッチは必要ありませんが、この車両はMTの自動車と同じくクラッチを踏んだ状態でギアを変えるのです。このため運転にはコツが要り、熟練した運転士でないと操作に難渋したものと思われます。
この画像では見にくいのですが、スロットルレバーや計器類がある下の空間にクラッチぺダルがあり、その右側には長いクラッチレバーが立ち上がっていて(※)、ギアチェンジする度に、クラッチを踏んでレバーを操作していたんだそうです。
(※)展示時はレバーが取り外されていました。


 
2両並ぶレールバス。1980年代以降に開発された第二世代のレールバスですら、もう全国から姿を消してしまった今日。レールバスが2両並ぶ姿が見られるのは奇跡としか言いようがありません。
その中の1両であるキハ101は、上述のキハ10と連結していました。車体の大きさの差は歴然としており、親と子供ほど違うことが一目瞭然です。


 
サボ(※)に書かれた「七戸←→野辺地」の文字は、南部縦貫鉄道の起点と終点を示しています。現役時代は全列車が起点と終点を往復し、途中で折り返す列車は無かったそうですから、このサボをぶら下げて走る意味があったのかどうか・・・。
(※)行先表示板のこと。サイドボードの略。
車体へ直に書かれた表記によれば定員は60名。上述のキハ10は92名だそうですから、その3分の2程度であり、現在の路線バスよりも少ない収容数です。しかも晩年は40名程度に制限されていたそうですから、同じ区間を旅客輸送するならこの車両よりもバスで運行した方がはるかに効率的ですね。廃止も止むを得なかったのでしょう。


 
台車は、鉄道では一般的なボギー式ではなく、いまどきの貨車でも採用されていない二軸式です。車体の長さが10メートル程度なので、ボギー台車にしちゃうと床下スペースを台車に占領され、機器類が配置できなくなってしまうのですね。



エンジンは日野のバス用エンジン。上述のキハ10に搭載されている国鉄標準のDMH17エンジンに比べてはるかに小型ですね。かわいらしい車体にはこのエンジンで十分だったのかもしれません。

私の訪問時、レールバスたちは機関庫内でお休みしていましたが、年に何回かはボランティアの手により旧七戸駅構内を走り、特定日には体験乗車もできるんだとか。詳しくは「南部縦貫レールバス愛好会」のウェブサイトをご覧ください。

ネット上には現役時代の様子を捉えた動画がいくつも上がっていますが、ここではその中から2つをご紹介します。

レールバスの元祖 南部縦貫鉄道キハ10【レイルリポート #26 Classics】


なつかしの南部縦貫鉄道(乗車)前篇


ボランティアの方々が手弁当で車両を整備し、そして企画運営を行い、町の観光協会の方が親切丁寧に対応してくださっているからこそ、南部縦貫鉄道は廃止後もその姿を留め、新たな元号を迎えることができるのですね。関係している皆様に敬意を表するとともに、応援する意味で、旧七戸駅から立ち去る際には複数の切符類を購入させていただきました。今度は是非動いているレールバスに会ってみたいものです。

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谷川岳の西黒尾根から土樽へミニ縦走 2017年8月 後編

2017年09月08日 | 旅行記
前回記事「谷川岳の西黒尾根から土樽へミニ縦走 2017年8月 前編」の続編です。



(↑地図をクリックすると拡大されます)
(昭文社『山と高原地図 谷川岳(2017年版)』の一部をコピーした上で加工。本記事に関係ない部分はモザイク処理しています)

 
【10:50 オキノ耳(谷川岳山頂・標高1977m) 出発】
10:25にオキノ耳に到着。本来なら360度の大パノラマが展開されているはずなのですが、この時の山頂は完全に雲の中。景色どころか、目の前の様子ですら掴めません。不貞腐れた私は岩の上に腰を下ろし、リュックから取り出したコンビニのおにぎりを頬張ってしばし休憩しました。本当はこの頂上でバーナーを使ってお湯を沸かし、温かいご飯を食べようと画策していたので、そのための器具一式も担いできたのですが、今回の山行ではこの谷川岳に連なる一ノ倉岳や茂倉岳といった山々をピークハントしながら群馬新潟の県境を越えて、新潟県側の土樽に下り、JR上越線の土樽駅から1日6本しか運転されない水上行の普通電車に乗って、自分の車を留守番させている群馬県側の土合まで戻らなければなりません。できれば土樽駅15:24発の水上行き電車に乗りたい。これを逃すと18:07発の最終電車まで待ちぼうけを食らうことになります。登山地図に記された標準タイムに基づいて計算すると、11:10までにオキノ耳を出発しないと、15:24発の電車に間に合いません。しかもこの悪天候ですから、標準タイムより時間を要することを想定しなければなりません。となれば、ここで悠長にお湯を沸かしている時間は無さそうです。何のために重い荷物(バーナーなど)を背負ってきたのかという虚しさ、そして苦労して登ってきたのに眺望というご褒美に微塵もありつけないという無念さに心が折れかかったのですが、自分に課したミッションをクリアすべく、己の心に鞭を打って、タイムリミット(11:10)の20分前に山頂を出発することにしました。


 
谷川岳を登る登山者の多くは天神尾根のピストンであり、オキノ耳で折り返してしまうので、山頂から北側は登山者が激減します。ひと気が無く、しかも分厚い雲に包まれた山稜の稜線上はちょっと不気味。もしここで遭難しても誰も気づいてくれないのかも。そんな不安を抱きながら、両側がストンと落ちている上越国境の尾根上を辿って北上します。前方視界はひたすら雲の中。


 
でもこの山稜は高山植物の宝庫。眺望は楽しめませんが、可憐な花々が我が心を慰めてくれます。


 
【11:00 富士浅間神社奥の院】
登山道を跨ぐ鳥居と小さな祠が祀られている富士浅間神社奥の院を通過。なおこの神社の中宮は、麓の谷川温泉にあるんだとか。
鳥居を過ぎたあたりで、少し雲が流れ、重畳する稜線の奥まで目視できるようになりました。


 
雲が切れた稜線東側の谷を眺望してみると、谷底を流れる湯檜曾川の谷が、直下の雪渓から落ちる一ノ倉沢と直角に交わっていました。そして雪渓の真上には、ロッククライミングの聖地である衝立岩がものすごい高度差で垂直にストンと落ちていました。一般的に川と川はY字形に合流するものですが、急峻な地形ゆえこのあたりの沢は直角に合流しているんですよね。その雪渓からさらに右へ視線を移すと、切り立った険しい尾根が谷川岳の山頂に向けて続いていました。この尾根は、私が先ほど登ってきた西黒尾根なのでしょう。よくもあんな険しい尾根を登ってきたものだと、その景色を眺めながら自分で自分を褒めたくなりました。


 
【11:18 ノゾキ】
稜線上を辿っていると、道の右側に「ノゾキ」と書かれた杭を発見。その名が示すように杭のところから下を覗いてみましたが、見えた景色は先ほどのものと同じでした。ノゾキといっても、別に卑猥なものが見られるわけではありません。けだし衝立岩を覗くならここがベストだよ、ということなのでしょうか。


 
谷川岳と一ノ倉岳の中間地点は鞍部になっており、標高が若干低くなるためか、比較的背の高い樹木の茂る箇所がありましたが、そこをすぎると再び笹原が広がり、一ノ倉岳のてっぺんに向かうキツい登りが始まりました。


 
その登りの途中で来た道を振り返ると、面白い現象が目の前で発生していました。私が歩いている登山道は、太平洋側(群馬県)と日本海側(新潟県)を隔てる三国山脈の稜線上に設けられているのですが、この時は南東から吹く湿った風の影響で、風が山に当たる太平洋側で白い雲が発生しており、稜線を挟んだ反対側の日本海側ではその風の影響を受けていないため、雲が無く、山裾に広がる緑がクリアに見えたのでした(右(下)画像)。上の左(上)画像では、向かって左側が太平洋側、右側が日本海側なのですが、稜線を挟んだ左側の太平洋側で雲が上向きに発生している一方、右側の日本海側では雲がなく、風の影響を受けていないことが一目瞭然です。この時は南東の風が吹いていたので、このような形になったわけですが、季節が変わって冬になれば、上述の関係が逆転して日本海側から北西の風が吹き、それにより日本海側の新潟県で雪雲が発生して豪雪になる一方、太平洋側の群馬県では晴天続きの空っ風が吹き続けるのでしょう。こんなにわかりやすく気象と地形の関係がわかるのも、登山の面白さのひとつかもしれません。



そんな気象現象を面白がることができたのも束の間。いままで小雨交じりの分厚い雲があたりを覆っていたのに、登りの途中で急に雲が晴れ、頭上に真夏らしい灼熱の太陽が現れて、鋭い陽光を我が体に浴びせ始めたのです。ついさっきまで降っていた雨のために足元はぬかるみ、また滑りやすい岩場も続くため、体力の消耗はもちろん、精神的なダメージが激しく、そんな状況で急激に暑くなったため、正直なところ、心の中で半べそをかき、ここで引き返したくなりました。でも、せめて一ノ倉岳のピークは踏んでおきたい、そんな気持ちで自分を奮起し・・・



【11:45 一ノ倉岳・頂上(標高1974m)】
重い体を引き摺るようにして何とか一ノ倉岳の頂上へ到達。緊急避難場所用の小さなシェルターがあるこの山頂からは中芝新道が分岐していますが、私は分岐せずに道なりに真っ直ぐ進みます。ここまでの登りで体力をかなり消耗したため、ゆっくり休んで体力を回復させたかったのですが、標準タイムに基づく計算では、ここを12:00までに出発しないと、土樽駅15:24発の電車に間に合わないので、疲労困憊の体を休ませることはできません。直射日光を浴びた登りでペースが落ち、時間の貯金が減ってしまったようです。仕方なく5分だけ、休んで先を急ぐことにしました。


 
滑りやすい登りで私を苦しめた灼熱の太陽は、頂上に至ったところで再び厚い雲に隠れ、それに伴い眺望も失われてしまいました。山の神様は私に嫌がらせをしているとしか思えません。でも一ノ倉岳から先の道は起伏が少なく、また尾根の幅も広がって道自体が歩きやすくなったので、これ以上体力が奪われることはありませんでした。また路傍に咲く可憐な花や、蜜集めに精を出す蜂たちの健気な姿に、折れかけていた私の心は救われました。


 
【12:05 茂倉岳・頂上(標高1978m)】
雲の中を伸びる坂道を登って、今回最後のピークとなる茂倉岳の頂上に到達です。道しるべが立っているだけの質素な頂上からは、蓬ヒュッテ方面と土樽方面の2方向に道が分岐していますが、私は後者を進みました。電車の時間が迫っているので、ここでは休憩していません。


 
それにしても、お盆休みだというのに、このルートには登山者の姿がほとんどいない。オキノ耳を出てからすれ違った、あるいは追い抜いた登山者は、計3人で、いずれも私と同じく単独行の男性です。こうしたひと気の少ない渋い山域には、一匹狼が似合うのでしょう。
頂上から茂倉新道という登山道を下って、土樽を目指します。笹薮に覆われて足元が見えにくい道ですので、滑らないよう注意しながら進みました。


 
【12:17 茂倉岳避難小屋】
茂倉岳の山頂から10分ちょっと下ったところで雲の中から姿を現したのは、茂倉岳避難小屋。避難小屋にしては立派な造りです。トイレもあるので、寝具と食料を持ち込めば余裕で夜を明かせるでしょう。



小屋の裏手には水場もあるようですが、水を得るためには薮の中を進まねばならないため、面倒になった私は水を汲むことなくその場を後にしました。


 
地形図によれば茂倉新道は尾根に沿って伸びており、土樽方面へは下り一辺倒であるように記されています。たしかに急な下りが果てしなく続くのですが、行けども行けども行く手の視界を濃霧が遮っているため、道の先がどうなっているのか、どのあたりを目標にして歩けば良いのか、まったく見当がつきません。しかも罠のように迷い道しやすい箇所がいくつかあったため、いま自分が進んでいる道が正しいのか不安が募ります。



滑りやすい箇所にはロープが張られていたのですが、こうした人工物によって、自分が歩いている道が正しいことを確認できるので、その都度安堵しました。


 
ひたすら急な下りの連続ですから膝に負担がかかるのですが、そればかりか、滑らないよう踏ん張るために爪先も痛くなってゆきます。途中で軽く藪漕ぎをしたり、登山靴がズッポリ沈むぬかるみや水たまりを通過しながら・・・


 
【13:12 矢場の頭(標高1490m)】
茂倉岳避難小屋から約50分、休憩することなく我武者羅に降り続けると、目の前に道標が現れました。ここは「矢場の頭」というポイントらしく、地形図を見る限り、非常に見晴らしが良さそうな立地なのですが、相変わらず周囲は濃霧に覆われているため、景色なんてちっとも望めません。足元に咲く小さな花だけが心の拠り所です。繰り返すように、電車の時刻の関係で今回の登山ではタイムリミットがあります。計算によれば、この矢場の頭を13:20までに出発しないと、私が乗りたい電車には間に合いません。滑りやすい下りでモタモタしてしまったため、この地の到着が13:12になってしまい、時間の貯金をすっかり費やしちゃいました。ここで休憩できる時間はわずか8分以内なのですが、脚の一部に痛みが発生していたため、時間いっぱいの8分間休憩し、13:20に腰を上げて再び下り始めました。


 
 
茂倉岳から矢場の頭までは笹薮の道でしたが、矢場の頭から下は樹林帯に突入し、鬱蒼と茂る大木の間を縫うように急な坂が続きます。しかも大樹の太い根が道の行く手を阻むのでとても歩きにくく、ある時は根を跨いだり、またある時は根をよじ登ったりと、アクロバティックなシーンの連続です。この茂倉新道は一筋縄では下らせてくれません。


 
木の根っこに邪魔されながらも屈せずに下ってゆくと、やがて植生が針葉樹から落葉広葉樹に変化し、それに伴い道も歩きやすくなりました。ところどころで粘土質がむき出しになっている箇所に出くわしたのですが、ありがたいことに、そのような場所にはロープが張られているので、それを掴みながら慎重に下って行きました。親切にロープを用意してくださっている関係者の方々に感謝申し上げます。


 
標高が1000mを切るあたりで、路傍に境界石が立ち始めました。頭を赤く塗られたその境界石には「日本道路公団」と彫られています。どうやらこの直下には関越道の関越トンネルが走っているようです。また、耳をすますと遠くの方から車の行き交う音が聞こえて来ます。関越トンネルの出口もここから近いのでしょう。でも音は聞こえども、その高速道の姿がちっとも見えてこない。山小屋は見えてからが遠いと言いますが、関越道に関しても似たようなことが言えるのでした。


 
関越トンネルの真上は非常に美しいブナの原生林。空気がとても美味しく、葉を透かして届く日の淡い光も実に秀麗。ブナの美林は疲れきった私の心身に活力を与えてくれました。


 
滑りやすい粘土質の坂を、ロープを頼りに下ってゆくと・・・


 
土樽駅の方向を指し示す道標が現れ、やがて道が平坦になって・・・


 
【14:45 茂倉新道・終端(標高693m)】
駐車場を兼ねた広場に出て、登山道(茂倉新道)の終端にたどり着きました。怪我することなく無事下山できたことに心から安堵。そして、自分の足で山脈を跨いで、太平洋側から日本海側へ越えられたことに満足。
ここから先は舗装路を約25分ほど歩いてJR土樽駅へ向かうだけです。矢場の頭では残り時間がほとんどありませんでしたが、その後は順調に時間を回復したらしく、タイムリミットより15分早く下山することができました。


 
道路の先には関越道の高架が見え、数多の車が行き交っていました。ようやく文明社会に戻ってこられたぞ。


 
途中で蓬峠方面への道と合流。その先には「安全登山の広場」と称する広場兼駐車場があり、登山届を投函するポストが設けられているほか、この山域の登山道整備などに尽力した高波吾策氏の銅像が建てられていました。また広場の向かいにある水場では、冷たくて美味しい湧き水がたくさん落とされていましたので、喉が渇ききっていた私はそこでグビグビ喉を鳴らしながら大量の水を体内へ補給させてもらいました。


 
【15:10 土樽駅到着(標高599m) → 15:24発水上行き普通列車に乗車】
魚沼地方の美味しいコシヒカリを育ててくれる魚野川の上流を越え、無事、電車出発時刻の14分前にJR土樽駅へ到着することができました。土樽駅は無人駅であり、券売機もないため、運賃は車内で車掌さんに直接現金で支払います。今回私が辿ったコースはお盆休みとは思えないほど登山者が少なかったのですが、長岡方面からやってきたE129系4両編成の水上行き普通電車は、お盆休み且つ青春18きっぷシーズンであるため、全ての席が埋まるどころか多くの乗客が立っており、そんな車内の光景を目にすることでこの日がお盆休みであったことを実感したのでした。


 
【15:33 土合駅(標高665m)】
私が8時間を要して越えてきた道のりを、JRの電車は清水トンネルであっという間にくぐり抜け、わずか9分で群馬県側の土合駅に戻ってきました。文明の利器って本当に素晴らしいですね。土合駅では電車と記念撮影をする多くの家族連れで賑わっていたのですが、綺麗な格好をしているみなさんとは対照的に、電車から降りる私はぬかるみを歩き続けてきたため足元が泥だらけ。一人だけ異様な姿をしていたため急に恥ずかしくなり、楽しそうな家族づれを横目に足早に駅から立ち去りました。



【15:50 土合口駐車場】
そして土合駅から歩くこと約15分で、出発地点である駐車場に戻ってきました。もうクタクタ、ヘトヘト。自分の車の前まで来た時、思わずその場でしゃがみこんでしまいました。
今回の山行は高低差も距離自体もかなりヘビーでしたが、その分、達成感はひとしお。天候には恵まれませんでしたが、克己心を養うができました。でもこんな登山は今度どれだけできることやら・・・。それどころか、温泉巡りも今後果たしてどれだけできるのか・・・。私に大きな影響を与えてくれた谷川岳を再び登ることにより、いろいろな意味で克己心を発揮し、自分を取り巻く環境と向き合いながら、趣味に対する姿勢を見つめ直さねばならないと確認したのでした。


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谷川岳の西黒尾根から土樽へミニ縦走 2017年8月 前編

2017年09月06日 | 旅行記
※今回記事に温泉は登場しません。あしからず。

このブログを書き綴りはじめた2009年当初、拙ブログは当然ながら誰からも見向きもされなかったので、執筆している私としては自分の備忘録として何の気負いもなく割り切って続けることができたのですが、その翌年の2010年、ある記事をアップしたことをきっかけにグーグル検索経由のアクセスが急増しました。その記事とは、群馬県と新潟県の上越国境に聳える谷川岳へ初めて登った時の記録「登山初心者の登山記 その2 2010年夏 谷川岳(天神尾根コース)」です。

谷川岳とは言わずもがな日本百名山のひとつであり、アクセスの手軽さや峻厳な景色の美しさが大いなる魅力となって、老若男女を問わず人気の集めている有名な山岳です。そんな山を、当時はまだ登山初心者で且つ不摂生と運動不足によって衰えきっていた情けない私が、登山のノウハウもろくに知らない状態で単独行での登頂にチャレンジ。無事たどり着いた頂上で食べたおにぎりの美味さとパノラマの素晴らしさに感動して、以来登山にはまるようになりました。そして、その時の感動を個人的な備忘録としてこのブログに登山記を書き綴ったのですが、「谷川岳」という人気の山、そして「初心者」というワードが世間の需要とマッチしたのか、2011年の夏登山シーズン頃から、その記事だけが異様なヒット数を弾き出すようになり、それにつられて他の記事の閲覧数も増えていきました。備忘録として無責任にブログを書いていた私としては、世間様に評価されるようになって嬉しい半分、ちゃんとした文章を書かなければという責任を負って面倒臭さを覚えるようにもなったのですが、なんだかんだでブログを続けるモチベーションになり現在に至っております。つまり、谷川岳は私に登山の魅力を教えてくれたのみならず、拙ブログの存在意義を飛躍的に向上させてくれた立役者なのでもあります。

今年(2017年)8月のお盆休みは、諸般の都合で宿泊を伴うような旅に出ることができなかったのですが、その代わり日帰りでどこか登山しようと画策し、その目的地として思いついたのが谷川岳です。正直なところ、いろんな事情があってこのブログもそろそろ潮時を迎えつつあるように感じているのですが、そんなタイミングだからこそ、私とこのブログに大きな影響を与えてくれた谷川岳に登って、気持ちの整理をつけたくなったのです。
2010年に登ったときには、麓からロープウェイを使って一気に標高を稼ぎ、そこから谷川岳登山のメインルートである天神尾根をピストンするルートを辿りましたが、あれから色々な山を登ってそこそこ経験を積んだ今の私にとって、天神尾根コースは優し過ぎますから、もっと登り甲斐があって且つ日帰り可能なルートを辿ってみたくなりました。そこで今回選んだのは以下の道程です。

 土合口 → 西黒尾根 → 谷川岳頂上(トマの耳・オキの耳) → 一ノ倉岳 → 茂倉岳 → 土樽駅 → JR上越線に乗車 → 土合駅 → 土合口


(↑地図をクリックすると拡大されます)
(昭文社『山と高原地図 谷川岳(2017年版)』の一部をコピーした上で加工。本記事に関係ない部分はモザイク処理しています)

 つまり群馬県側の土合口から、日本三大急登と称されている「西黒尾根」を登って谷川岳頂上へ向かい、頂上で県境を越えて新潟県に出て、一ノ倉岳や茂倉岳とつづく山脈の稜線を辿り、茂倉岳から土樽まで下って、土樽駅から電車で群馬県側の土合へ戻るという循環ルートです。一応、山脈上の3つの山頂を踏破するので、ちょっとした縦走の形にもなります(そのためタイトルではミニ縦走と表記させていただきました)。これなら登り甲斐がある上、短いながらも縦走ができ、踏破する距離も長いため、充実した山行が楽しめるはずです。しかも日帰りが十分可能です。ただし、今夏の関東地方は天候不順による長雨でアウトドアには不向きな日が続いており、この日も天候が非常に気掛かりでしたので、天気がこのルートを踏破できるか左右するカギになるだろうと思われました。
雲行きを心配しながら早朝に自宅を出発し、関越道を飛ばして、群馬県側の登山口である土合へと向かいました。

なお記事は時系列に従い記載しております。キャプションに記した標高は地理院地図に基づいています。

登山日:2017年8月某日(お盆休み期間中)
天気:曇り(時折小雨)
人数:一人(単独行)


 
【6:30 土合口 谷川岳ロープウェイ駐車場 出発】
まずは土合口の拠点である谷川岳ロープウェイの駅からちょっと離れたところにある駐車場に車をとめました。この青空駐車場は、日中は料金を徴収されるらしいのですが、私が到着した早朝6:30には無料で駐車できると看板に表示されていたので、登山口まで若干歩くものの、ここで車を留守番させ身支度を整えて出発することにしました。



【6:35 谷川岳ロープウェイ土合口駅を通過】
青空駐車場から徒歩5分でロープウェイの土合口駅を通過です。天神尾根へ向かうロープウェイは既に運転されており、登山者を山の上へと運んでいました。前回谷川岳へ登った時にはこの文明の利器で一気に標高を稼ぎましたが、今回はこれに乗らず、自分の脚力で上まで登ります。


 
【6:38 谷川岳登山指導センター(標高762m)】
ロープウェイ駅からクランク状の坂道を上がったところには谷川岳登山指導センターがありますので、施設内に設けられているポストにあらかじめ記入しておいた登山届を投函しました。なおここのポストには用紙も用意されているので、この場で記入することもできます。また施設前には水場もありますから、ここで給水することも可能です。


 
【6:45 西黒尾根登山道 スタート】
国道291号は登山指導センター前で一般車両通行止め。その先も舗装されているものの、国道とは名ばかりの狭隘な林道然とした道が続きます。そんな道をしばらく進むと、左手に俄然現れるのが西黒尾根の登山道。ここから本格的な登山がスタートします。鬱蒼と茂る樹林帯の中をひたすら登ります。


 
【6:53 水場】
まだ標高が低いので蒸し暑く、早くも汗まみれになってしまいました。真夏の登山はすぐに体力を消耗してしまいます。そんな登山者の苦悶に山の神様は救いの手を差し伸べてくれるらしく、登り始めて数分のところで水場があり、さっそくここでゴクゴク飲んで喉を潤しました。


 
【7:00 高圧電線の鉄塔(標高926m)】
樹林帯の途中で高圧電線の鉄塔の下を通過します。ここだけは茂みが刈られているので、特に南方向の見晴らしが効きましたが、でも空には鉛色の雲が立ち込めており、ちょっとでも機嫌を損ねると泣き出しそうな感じです。


 
【7:27 小さな道標】
さらに登ると路傍に小さな道標が立っていました。これによれば土合へ1時間、谷川岳山頂まで3時間とのこと。この道標の先でも視界の広がる箇所があり、晴れていれば山頂方向を望むことができるのでしょうけど、この時は真っ白な雲が視野を遮り、谷川岳の山頂と思しき姿が、勢いよく流れてゆく雲の切れ間にチラチラと見え隠れするばかり。今日はこのまま眺望を楽しめずに終わってしまうのでしょうか。


 
お盆休みなのである程度の賑わいを期待していましたが、とても人気のある山とは思えないほど、この日の西黒尾根コースには登山者の姿が見られません。この時も樹林帯をひたすら登る途中で先行する老夫婦2人と単独行の男性の計3人を追い抜かしましたが、僅かそれだけです。日本三大急登と称されるようなコースですから、みなさん回避するのでしょうか。往きかう人が少なく踏み荒らされる心配が少ないためか、登山道の真ん中では、タマゴタケが真紅の大きな傘を開いてました。


 
【8:03 樹林帯を抜ける】
湿気が多くて蒸し暑い樹林帯の登山は発汗が止まらず、しかも汗が蒸散しにくいので、全身ビショビショになり、かなりストレスが溜まります。登り始めて1時間半弱でようやく樹林帯を抜け、低い灌木が山を覆うゾーンへと植生が変化しました。真夏の登山なので樹林帯の中ではアブの襲来を覚悟し、事前にハッカ油などで対策しておいたのですが、どういう訳かこの日は虫に襲われることがほとんどなく、虫の鬱陶しさに悩まされずに済んだ点はラッキーでした。


 
天神尾根のロープウェイ駅が見通せる斜面の岩場で腰を下ろし休憩。


 
西尾尾根は花の宝庫。花の盛りを過ぎているお盆でも、可憐な花々があちこちに咲いていました。


 
【8:13 鎖場】
西黒尾根では3〜4ヶ所ほど鎖場があり、滑りやすい蛇紋岩の岩場に鎖が垂らされているため、注意して通行しないと危ないよ・・・。書籍やネットの情報ではそのように書かれていました。その急な傾斜こそ「日本三大急登」たらしめているのでしょうけど、少なくとも私が登った実感では、さほど危険性を覚えませんでした。このルートの鎖場で注意すべきは、どうしても足元のグリップが効きにくい雨天時、そして滑落の可能性が大きい下りの時なのでしょうね。今回の私のように、岩の表面が乾いていて、しかも登りである場合は、登山経験者ならば恐れるに足りません。


 
鎖場を登りきると、一時的に雲が晴れ、湯檜曾川が流れる直下の谷あいを見下ろすことができました。また尾根の北側には小さな雪渓が残っていました。


 
さらには、湯檜曾や水上方面も一望できたのですが、周囲の稜線上は厚い雲で覆われており、すっきり爽快なパノラマを楽しむことはできません。景色は諦め、再び尾根の上をたどって先に進みます。


 
【8:25 鎖場】
再び眼前に鎖場が現れました。長年にわたって登山者が踏ん張ってきたためか、鎖が垂れている岩の表面は白っぽく変色しています。この鎖場は足をかけられるような場所が少ないので、腕力に頼まないと滑っちゃうかもしれません。


 
【8:30 ラクダの背(標高1516m)】
鎖場を越えてしばらく進むと、霧の中から「ラクダの背」と縦書きされた杭が現れました。その名前から想像するに、この辺りの尾根の稜線はラクダのコブみたいな凹凸があるのかもしれませんが、あまりに霧が濃いため稜線の全容がわからず、ただ何となくその姿を想像するほかありませんでした。いや、自分でその尾根を歩いているのだから稜線の起伏を把握できても不思議ではないのですが、この辺りまで登ってくると、息が切れ、喉が渇き、ただ目の前の坂を登ることで精一杯ですから、ラクダのようになっていたのか、ちょっとも憶えていないのです。


 
【8:37 厳剛新道分岐(標高1495m)】
ラクダの背から若干下ると厳剛新道が分岐する鞍部に至ります。なお現在の厳剛新道は崩落箇所があり、滑りやすい箇所も多いため、不安の方は西黒尾根を通行するようにという旨の注意書きが、分岐点の標識に掲示されていました。


 
可憐な花々に励まされながら頂上を目指します。


 
雲が晴れたと思った次の瞬間、たちまちかき曇って元に戻ってしまうのが山の天気。「ラクダの背」から先の尾根上では、より一層視界不良がひどくなり、まさに五里霧中。数十メートル先すら判然としません。登山というものは、苦しい登りの先に素晴らしい景色を望めるからこそ頑張れるのですが、今回は景色というご褒美に与れないまま、頂上を目指すことになりそうです。もっとも、真夏のこの時期に晴れていたら直射日光による体力消耗が激しいでしょうから、それは無いだけマシなのかもしれません。岩にペイントされた黄色い印を頼りに先へ進みます。


 
荒々しいこの岩場は氷河の跡なんだとか。引き続き黄色い目印を辿って岩をよじ登ります。


 
山頂に近づくほど私の余剰体力は減ってゆきますが、それと反比例するかのように、高くなればなるほど活況を呈するのが高山植物の花々たち。辺り一面お花畑状態なのです。この日は景色に期待できませんが、そのかわり花々が私に元気をもたらしてくれ、私を奮起させてくれる素晴らしいご褒美になってくれました。


 
【9:50 ザンゲ岩(標高1825m)】
ザンゲ岩と称する岩の横を通過。オーバーハングしている巨大な岩が、あたかも懺悔しているように見えるのかな。
さて、このザンゲ岩を過ぎたあたりで勾配が緩やかになり・・・


 
笹薮に覆われた快適な道を進んでゆくと、雲の中から見覚えのあるモニュメントが姿を現しました。


 
【10:05 天神尾根ルートと合流】
そのモニュメントの下で、谷川岳登山で最も人気のあるメジャーコース「天神尾根ルート」と合流します。登山者の少ない西黒尾根と違い、天神尾根は人の姿が多く、今日は登山者が多いお盆休みであることをここに至ってようやく実感しました。「肩の小屋」を横目に先へ進み・・・


 
【10:12 谷川岳頂上・トマの耳(標高1963m)】
西黒尾根を登り始めてから約3時間半で、谷川岳に2つある頂上の一方であるトマの耳に到着しました。でも頂上一帯は完全に雲の中。周囲を見回したところで何にも見えません。ここが高いところなのかも判然としません。かといって、迂闊に崖の上から身を乗り出して足を滑らせたら、山の下へ転落して私の人生はそこでオシマイ。天国と地獄、どちらに近いのかよくわかりません。


 
このトマの耳では、天神尾根コースを利用してきた人が多くの休憩していたため、私はここで休憩をせずに先へ。


 
トマの耳とオキの耳を結ぶ稜線上も花々の宝庫。私がこの区間を歩いていると、小雨がパラパラと降ってきましたが、全身が濡れることなんて気にすることなく、途中で何度も花々にカメラを向けつつ、足取り軽くオキの耳へと向かいました。


 
【10:25 オキの耳(標高1977m)】
もうひとつの頂上であるオキの耳にたどり着きました。さて、ここで私は腰を下ろし、雨具を纏いながらおにぎり等を頬張って栄養補給し、しばしの間、体を休めます。雲の流れは早く、先ほど降り出した小雨は数分で止み、上空の雲の隙間からは僅かながら青空も覗いていました。もし雨が本降りになったら、土樽方面への縦走を諦め、天神尾根を経由してロープウェイで土合へ戻るつもりでしたが、雨がやんだので、一か八か、この先にそびえる一ノ倉岳や茂倉岳を経て、当初の予定通り、新潟県の土樽へ縦走することにしました。
いま私は谷川岳の頂上にいます。でも、土樽へ向かうとなると、距離的には全体の3分の1を消化したにすぎません。土樽からは1日6本しか運転されないJR上越線の電車に乗って、自分の車をとめている土合へ戻るつもりです。6本とはいえ、実際の下山後に乗れる可能性があるのは2本だけ。ということは、電車の時刻に間に合うよう、土樽へ下山しなければなりません。果たしてこの先、雨に見舞われることなく無事下山し、電車に乗ることができるのでしょうか。

次回(後編)へ続く
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ワタシ的2016年の温泉十傑

2016年12月30日 | 旅行記
早いもので2016年も明日でおしまい。本年最後の当記事では、毎年末の恒例となっている今年巡った温泉のベスト10を決めて、一年を締め括らさせていただきます。何を以て十傑としているか、その判断基準は極めて曖昧なのですが、強いて言うなら、備忘録で確認しなくても今年入ったことをはっきりと回顧できるほど強く印象に残っている温泉ということになるでしょうか。なお、訪れた温泉に序列をつけることなんて、とてもじゃないけどおこがましく畏れ多いことですので、昨年同様、ランキングという形式はとらず、北から南へ緯度順に並べてまいります。

今年は東北・九州・海外という3エリアに分かれる傾向にあり、しかも東北は再訪問が多い一年でした。一方、このブログに関しては、相変わらず記事の渋滞が解消されておらず、訪問のペースに記事の更新が追いついていないため、今回取り上げた10湯のうち半分はまだ掲載できておりません。十傑を選ぶつもりが、来年の予告編になっている有り様です。また訪問時期から半年以上遅れて記事をアップしているため、掲載済みの温泉も、その殆どが下半期に掲載したものとなっています。しばらくはこの傾向が続くため、来年もブログに求められる記事の情報鮮度は劣ったままですが、あしからずお許しください。


●青森県板柳 あすなろ温泉の家族風呂(宿泊)
(来年掲載予定)
 
拙ブログでも何度か取り上げているアブラ臭マニアの聖地「あすなろ温泉」。今年は家族風呂の部屋に泊まってみました。大浴場はもちろん、家族風呂も再訪問なのですが、宿泊は今回が初めてです。宿の婆ちゃんは、温泉風呂付きの部屋を指定する客はマニアだと心得ているらしく、私が予約の電話を入れたところ「王林で良いよね」とこちらの意図を汲んで話を進めてくれました。そうです、私は「王林」という部屋に泊まりたかったんです。アブラ臭に包まれながら極楽気分の一夜を過ごしました。


●岩手県 須川高原温泉
(来年掲載予定)
 
栗駒山の山腹にある超有名な温泉。拙ブログではまだ取り上げておりませんが、私個人としては立ち寄りでこれまで何度か訪れており、今年は初めて宿泊利用することにしました。有名無名を問わず、良いものは良いですね。夜の大日湯で、星空を仰ぎ見ながらの湯浴みは最高だったなぁ。



自炊棟の浴室「霊泉の湯」は熱くて透明度が高く、外気との接触や温度低下などによって白濁している露天風呂「大日湯」や大浴場のお湯とは違って、シャキッとした浴感がたまらなく気持ち良く感じられました。


●静岡県 石部温泉 いでゆ荘
(10月31日掲載)
 
なぜここを今年の十傑に選んだのか、その具体的な根拠を挙げよと言われても、何と申し上げたら良いのか困るのですが、とにかく私のフィーリングにピタッと合ったんです。強いて言うなら、伊豆の片隅で澄んだ良心と出逢えた喜びと申しましょうか。東京圏で暮らす温泉ファンはどうしても箱根や伊豆を敬遠してしまいがちですが、探せばまだまだ良い温泉があるということを改めて実感させられた一湯でした。こちらは一時期休業していたものの、復活して営業を再開させた経緯もありますので、応援の意味も込めて十傑に選出させていただきました。


●新潟長野県境 姫川温泉 ホテル國富翠泉閣
(9月17日掲載)

施設の規模とお湯の良さは反比例するという法則は、温泉巡りをしている者にとっての常識ですが、こちらはその常識を見事に覆してくれる素晴らしい温泉でした。広くて立派な館内にお邪魔すると、立ち寄り入浴にもかかわらず丁寧に接客してくださいました。


 
チャペルを思わせる浴場では、温泉がふんだんにかけ流されていました。一方、北アルプスを臨む露天岩風呂も実に爽快。山懐に抱かれながらの湯浴みは最高でした。親類や友人知人に勧めたくなるお宿です。


●某所の超有名野湯
(11月28日掲載)
 
九州にある超有名野湯。このブログをご覧になっているマニアな方ならおそらく皆さんご存知かと思います。
天候に恵まれ、最高の野湯日和でした。


●鹿児島県霧島市 旅行人山荘
12月4日5日7日8日掲載)
 
自分のちょっとした記念日に宿泊した霧島エリアの有名旅館。山裾を見下ろす露天風呂からは、錦江湾越しの桜島を一望することができ、その壮大な景色には心を奪われました。


 
貸切露天風呂も秀逸。この時は一番人気の「赤松の湯」とCM撮影で使われたことのある「もみじの湯」に入ることができました。


●台湾・桃園市 嘎拉賀(新興)温泉
3月25日27日掲載)
 
台湾の山間部にある秘湯。滝がまるごと温泉という実にワイルドでダイナミックな野湯です。滝に打たれるもよし、滝壺で湯浴みするもよし、そして…



滝のみならず付近の岩盤からも温泉が自噴しており、あちこちに湯だまりができていますので、そこに入ってもよし。台湾の自然の素晴らしさを改めて実感しました。


●インドネシア(ジャワ島) ティルタサニタ温泉群
(来年1月末か2月上旬に掲載予定)

環太平洋火山帯に含まれるインドネシアは火山が多く、それゆえ温泉の宝庫でもあります。
首都ジャカルタの南部にはボゴールという都市がありますが、その郊外のティルタサニタには面白い温泉が点在しています。上画像のような眺めの良い温泉露天風呂(有料施設)があったり…


 
その露天風呂からちょっと歩いた田んぼの中に、俄然として現れるテーブル上の石灰華ドームがあったり…。しかもその石灰華丘の上には温泉が自噴しており、ちょうど人が入れるサイズの穴が開いていて、そこで入浴することができるんですよ。素晴らしい野湯でした。


●インドネシア(ジャワ島) レンガニス温泉
(来年掲載予定)
 
1955年にアジアアフリカ会議が開催されたことで知られるバンドゥンの南部には火山が連なっており、そんな火山の麓に位置する地熱地帯のひとつがレンガニスです。日本では地熱が露出しているところを地獄と呼びますので、日本風に命名するならレンガニス地獄となるでしょうか。ここは温泉が豊富で、あちこちから湯けむりと共に大量の温泉が湧出しています。そんな温泉を集めて打たせ湯にしたり、あるいはお湯を溜めて露天風呂にしたりと、温泉を存分に楽しめるようになっていました。ここは日本人の温泉ファンでも存分に楽しめるかと思います。


●インドネシア(バリ島) バニュウエダン温泉 ミンピリゾート・ムンジャガン
(来年掲載予定)
 
観光客の喧騒とは縁遠いバリ島西部にある自然豊かなリゾートホテル「ミンピリゾート・ムンジャガン」。こちらは自家源泉を有しており、利用客は温泉に入浴できます。宿泊客向けのパブリック温泉槽はマングローブが生い茂る入江のほとりに設けられており、静かな環境の中で麗しい景色を眺めながら、のんびりと湯浴みすることができました。また温泉槽の隣には普通のプールもありますから、温泉で体が火照ったら、プールで泳ぐのもよし。無色透明で綺麗に澄んだお湯からはほんのりとタマゴ臭が香り、アルカリ性泉らしい滑らかな浴感が得られます。ちょっと熱めの湯加減なので、日本人でも満足できるかと思います。



ちょっと高い料金設定になっているコテージタイプの部屋に泊まると、部屋に露天風呂が付帯していますので、滞在中はいつでも好きな時に自由なスタイルで湯浴みができるんですね。この時ばかりは奮発して、この露天風呂付きのお部屋に泊まりました。新婚旅行で泊まるような天蓋ベッドつきの部屋を一人旅で泊まるんですから、つくづく自分が奇特な性格であることを痛感します。でも自分だけの温泉なんですよ。しかもお湯は完全掛け流し。バリ島にはリゾート施設がたくさんありますが、掛け流しの温泉露天風呂が付いている部屋はごく一部に限られるのではないでしょうか。パブリック用温泉槽よりもはるかに硫黄感が強く、お湯の持ち味を存分に味わうことができました。


 
 
「ミンピリゾート・ムンジャガン」はダイビングやシュノーケリングでも有名。リゾートの船着場からボートで30分ほど沖合に進んだムンジャガン島のまわりには珊瑚礁は広がっており、私はシュノーケリングで魚達と戯れたのですが、まさに竜宮城にいるかのような夢のようなひと時を楽しませていただきました。もちろん泳いだ後は温泉でその疲れを癒します。これぞ極楽。
あぁ、また南の海に潜りたいなぁ…。年末の寒さを忘れるべく、常夏の海を思い出して現実逃避を試みたのですが、温泉ブログなのにシュノーケリングのネタで一年の最後を締めくくるという、実にまとまりのない内容となってしまいました。


改めて言うまでもありませんが、ここ数年の温泉界では休廃業が相次いでおり、今年も各地で名湯が過去帳入りしてしまいました。拙ブログで取り上げた、あるいは私が訪問した直後に幕を下ろした温泉も幾つかあり、そうした報と接する度、永遠の別れとわかっていてもそう簡単に割り切れない未練を重ねてきました。しばらくはこの傾向が止まらないどころか、むしろ増加に拍車がかかる気配すらありますが、新年はそうした悲しい報が少しでも減ることを祈っております。

おかげさまで拙ブログは今年も多くの方にご覧いただきました。いままで私は閲覧数というものを意識してこなかったのですが、ここ数年、湯巡りをしている時に「あ、ブログの方ですよね」と私のことを言い当ててくださる方が増えるようになり、少しづつながら皆さんにご覧いただいていることを実感しております。
このブログは、ただ単にオツムの弱い私が自分の湯巡りの備忘録として書き始めたのがそもそもの端緒であり、開設から数年経過した今でも、その姿勢は変わっておりません。やがて記事の数が蓄積されてゆくにつれ、何らかの機能や役割を持たせられたら良いなと色気を覚えたこともありますが、才覚の無い私にはそれを実行に移すことができないまま今日に至っており、「鶏鳴狗盗」という中国の故事が意味するところを信じて、道楽者の記録の数々が、いつか思いがけない形で何らかの役に立つかもしれないという見込みのない希望を抱きながら、日々の現実逃避を兼ねて、来年もブログの執筆に取り組んでまいります。

今年も不束な拙ブログにお付き合いくださり誠にありがとうございました。
皆様もよい年をお迎えください。
新年は1月2日より更新を再開します。

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