3、仮面ライダー笑(GERAO)
螺旋状の緑と黒の光が、御山の体の隅々を覆っていく。
光が通ったあと、人間の顔は消え、浮き上がってくる大きな真紅の眼。
そして形成される緑の頭部、黒い輪郭、銀色の仮面(マスク)。
黒光りした胸と肩、脚部についた甲虫を思わせる硬い装甲。
尻尾のように首からスラッと伸びた白色のマフラーが、硝煙と血とオイルに混ざった死臭の風にたなびく。
「俺は人々の笑顔を守るために戦う戦士。仮面ライダー……笑(GERAO)!」
仮面ライダー笑(GERAO)と名乗った御山の体からは、変身後の膨大な熱量を排気するために、黒いスーツから蒸気があたりに漂っていた。
「キシャア!!」
異形の者への変身が完了した仮面ライダー笑に、増殖を終えて無数となった蜘蛛のバケモノが飛びかかっていく。
前、後、右、左、上、下。ありとあらゆる方向、ありとあらゆる死角から、バケモノの鋭利に尖った牙、毒に塗れた巨大な爪が鈍く光り、バケモノのその殺意は全ての死を誘う。
だが、悠然と左手をバケモノに構えて笑はこう言った。
「ヴァンダライズ」
その瞬間、上段に構えられた左手に隠れ、腰に当てられていた御山の右の拳が激しく上空に向けて振り上げられた。
振り上げられた拳から繰り出される辺りを巻き込む嵐のような緑色の渦巻状のエネルギー流が、襲い掛かる蜘蛛たちの勢いを削ぎ、そしてコンクリートの大地にひびを入れるほど強い突き抜けるエネルギーの潮流は、そのまま上空に蜘蛛たちを放り投げる。
「ライダー……ジャンプ!」
低く唸る笑の声と共に、そのカラダは一瞬にして高層ビルを飛び越える程の跳躍をした。
「ヴァンダライズ……ライダー……パンチ!」
エネルギーの潮流に浮き上がる蜘蛛のバケモノよりも高い位置に到達した笑は、今度は左手を空中にかざし、再び空中に先程と同じエネルギーの潮流を作った。
何もない大気の流れの中に存在するエネルギーの壁を蹴り、今度は地上に向けて姿勢を急反転させた笑は、地上に向けて右の拳を出すと、その反動蜘蛛のバケモノの中心に飛び込んでいった。
まるで自然の流れがそうであるように、笑の動きには無駄がなく。
人間の尺度で量られた地球の物理法則など、そこには存在しなかった。
上空に突き抜けるエネルギーの潮流と、地上に向かって重力に逆らうような急加速の潮流に突き出された笑の拳には、その周囲数十メートルを巻き込み、引き千切り、対象物を破壊する竜巻のような強大なエネルギーが生まれていた。
「ギェエエエアアア!」
衝撃エネルギーに耐え切れず、空中で無残に悲鳴をあげながら爆発する蜘蛛のバケモノたち。それは、あたかも彼らが食し、惨殺した被害者の人間たちのようだった。
「……ハッ!」
空中でカラダを捻り、やや音を立てて着地した笑は、休む一呼吸も置かず、眼前に広がるバケモノの群れにすでに飛び込んでいた。
笑から繰り出される手刀、回し蹴り、正面蹴り、正拳、肘打ち、裏拳。
遠目から見る人間が肉眼で捉える事のできる限界ギリギリの速度。
バケモノ数十体に囲まれながらも、そんな猛スピードで繰り出される攻撃。
エネルギーの波を含んだ笑の拳や蹴り、そのどれもがバケモノにとっては致命の一撃だった。
笑が人間であった時のそれよりも早く、それよりも強く、気づけば四散し爆発するバケモノの死体は百数体を数えていた。
「……まさか秘密結社Dの計画が、裏切り者の仮面ライダーに邪魔されるとはな」
炎上する街並みを見下ろす高層ビルの屋上から、全身黒に染まった謎の女がつぶやく。
「だが……確かにあんな低知能のケダモノに、Dが開発した仮面ライダーは倒せない。また……あんなケダモノに倒されても我がDのライダーシステムの優位性が薄れてしまう結果になる。せめてあのケダモノを使って裏切り者のデータを回収するとするか」
静かに燃える怒りでも、密かで乾いた笑いでもない。
ただただ平坦で冷徹なつぶやきを淡々と続ける謎の女は、路上に広まるバケモノたちに向かって、左手をあげた。
「プロリフェレ・スパイダー。増え続けた意味と強さを、一つとなって確かめろ。……ジーン・シンセサイザー!」
謎の女の左手に握られた黒色の水晶球から放たれた無数の光は、蜘蛛のバケモノたち一匹一匹に命中すると、その存在は地上から消え、水晶球の中に吸い込まれていく。
「……これは」
増殖し、数百を超えるバケモノが、光とともに忽然と目の前から消える光景を見て、笑は何かを悟った。
「新たに生まれ変わるがいい。蜘蛛怪人(デ・ヒューマノイド)ユニスパイダス」
大方のバケモノを回収した水晶球を、謎の女は高層ビルの屋上から重力に任せて大地に落とす。
ガラスが砕け散るような大きな音がしたが、水晶球の破片は散らばることなく消えていく。
「グルルルッ……」
黒い光が辺りを照らすと、大きな熱量を伴う蒸気と共に、そこには蜘蛛と人間を合成したような異形の怪物が、肌に感じることが出来るほどのおびただしい殺意を態度に潜めて現れていた。
「ジーン・シンセサイザー……お前もまたDに操られた合成怪人ということか」
笑の濁る口調は、その異形の怪人に向けられていたが、どこか自分に投げかけるような悲しげなものであった。
秘密結社Dの開発した遺伝子合成器『ジーンシンセサイザー』
生物や有機物、その他様々な物質の遺伝子、生体エネルギーを、その質量を問わず合成させ、異形の怪人を誕生させる装置。
それは仮面ライダー笑にとっても、謎の女にとっても既、知の技術であった。
そう。
秘密結社Dで改造された人間、そのライダーシステムを纏う仮面ライダーという存在も。
そうであるように。
「ギャァァルッッッ!!」
感傷に浸る笑の隙を突くように、気づけばユニスパイダスと呼ばれた蜘蛛怪人は、すでに手の届く射程にいた。
「くっ!」
蜘蛛型だった時のやや鈍重な動きとは違い、節足動物特有の瞬発力に富んだ恐るべきスピードで、ユニスパイダスの六本の腕から繰り出される爪の攻撃をかろうじてかわす笑。
後退、前進、左右の移動を繰り返して、その攻撃の空間をあけようと思う笑だったが、怪人の複眼による動体視力によって、笑の動き自体が読まれピタッと粘着するように休まずその場で攻撃を繰り返される。
受けては、流し、また違う場所へ移動。という、一括りの動作を繰り返すのがやっと。
先ほどまでの余裕が嘘のように、ユニスパイダスへ反撃の機会は見えてこない。
「ギィィルルッ!」
人間の手技、足技に、節足動物の瞬発力。
複眼による動体視力。
そして振り抜けるたびに風に乗って感じる怪人のおびただしい殺意は、人間である前に戦士である笑の思考を動揺から冷静に引き戻すのには、そう時間のかかるものではなかった。
「素早い攻撃に……こちらの動作が読まれても……」
振り払う攻撃を避けるために笑が屈むと、左手を怪人向かって構えた。
「ギィィィィルッ!」
「止める方法はあるッ!」
笑の頭部を狙いに同時に振り下ろされるユニスパイダスの六本の腕を、右手に握った拳で打ち返し、
「ヴァンダライズ!」
右手の拳から放たれる巨大なエネルギーの潮流によって襲いかかる六本の腕そのものを打ち上げ、
「ライダー……チョップ!」
切り裂く!
「ギィィィィィルゥ!!」
水平方向に放たれた笑の力強く素早い手刀があっという間に、ユニスパイダスの腕を胴体から離し、手刀に含まれた余剰のエネルギーが、切り離されたその腕を一瞬で爆発させる。
「ギィィィ!」
節足動物では感じるはずのない痛覚は、怪人になってしまったことで激痛となり、ユニスパイダスはたまらず悲鳴をあげた。
だが、激痛に耐えながらも、思考はケダモノであった頃よりは働いていた。
笑が発生させた巨大なエネルギーの潮流によって空中へと持ち上げられ、防御困難になった姿勢の制御用に、尻から後方の建物の壁に粘着性の高い糸を吐いて、次に来る攻撃を複眼で予測し避け、そしてあわよくば笑に向かって、糸の伸縮の反動を利用した致命の一撃を……と考えていたのだ。
その機転はケダモノであった頃の比ではない。
生物としての知恵と激痛、そのメリットとデメリットの併合は、まさにDの創りだした合成怪人の傑作であった。
「ライダー……パンチ!」
複眼の正確な予測から見えた直線的な笑の拳は、ユニスパイダスの胴体を狙ったが、その拳は寸前のところでかわされた。
「ギィィィィルゥゥッ!」
かわされ、バランスを崩したように、そのまま重力に引かれアスファルトの地上へと膝をついて着地する笑。
その笑の背後には、大きく振り子のような動きでを遠心力を得て、糸の伸縮を最大にして自ら離し、最大の武器であるギラついた牙をむき出しに襲いかかるユニスパイダスの姿があった。
牙を突き立てる場所は首から背中、人間にとって最も弱く、脆い頚椎を狙い、その牙の生えた口は少なからず笑みがこぼれていた。
勝利はすでに自分のモノに、と確信していたユニスパイダス。
だが、その確信を持つ者が、そこにもう一人いた。
「腕を亡くしたお前が攻撃を避けることも、俺の急所を狙うこともわかっていた……」
笑は着地に失敗したと思われた姿勢から、ベルトに手をかざし、
「人間だからな。俺も半分は人間だからな。その思考も、行動も、もちろん弱点もわかる」
屈んだ状態で、立ち上がり左足に力を込め、
「だからお前の苦しみも痛みも、ここで終わらせてやる」
すべての力を右足に乗せて、背後から迫るユニスパイダスへと、
「……ライダー……キック!!」
放った!
ドォン!
背後から加速をかけてきたユニスパイダスのカラダは、その場で反転する笑の極限まで高められたカウンターキックによって左右に分断され、その質量のまま爆散した……。
「フッ、以前よりも力が増している、という確認はできた。どうやら仮面ライダーとして成長はしているようだな、あの男も。だが我らが秘密結社Dを裏切った貴様の行為。決して許されるものと思うなよ……」
高層ビルから見下ろしていた黒い衣装の謎の女は、不敵な笑みを残しつつ、その場から霧のように消えていった。
「……」
無言のまま変身を解き、仮面ライダー笑は、人間『御山サクヤ』の姿に戻った。
辺りは依然として火災や人のうめき声があがっていたが、バケモノの居なくなった街に興味がないと言いたげな彼は、ただ一人地上に置いた自らのバイクに乗り、一路封鎖されていない国道へと向かった。
「……俺は戦い続ける……人々の笑顔を守るために……!」
バイクのメット越しに伝わる、鋭い御山の眼光と人間としての決意。
その裏に隠れて、仮面ライダーとしての背中は何処か哀愁が漂っていた。