英雄百傑外伝 ―英傑達の休息―
第二夜『凶児と呼ばれた豪傑、戦火の凶兆に大義を示す』
「…!」
シュクラの死の後。
丁重にシュクラを葬ったスワトは、その死に際に言っていた書を取って見て驚いた。
凶児ということで、赤子の自分を捨てたのも同じと考えていた両親が残した、その筆跡には、スワトの大よその家計図と、代々受け継がれてきた、その役目が書いてあった。
スワトは知った。
己が成すべき役目と、己がこれから進むべき道を。
およそ100年前。
時の宰相ゴーロギーン達の専横から皇帝を救った時の英雄ガムダにつき従う、歴戦の豪傑スオウの血を引くスワト一族に課された役目。それは、もし天下の乱れが見えたとき、どのような事があっても自ら立ち上がって、大儀の下に信帝国とその一族を助けるという大役であった。
書の巻末には、義を重んじるスワト一族の系譜と、その誇るべき死に様が詳細に書いてあった。多勢に囲まれながらも諦めず、英雄に付き従って、武運拙く散って行った一族の者たちの末路の数々。
忠義、役人でもない一平民の一族達が残した、その呆れるほど強い愛国心の現れは武人としてのスワトの心を打った。見ず知らぬの皇帝や民のため、信帝国の治世の平和のために戦い、死んでいった一族の名前を見て、スワトは目頭が熱くなるのを感じた。
「おおお…!それがしが豪傑の系譜の末裔…!叔父上…お任せくだされ!それがしが、この国を平和にしてみせまする!」
スワトは、思わず書を握りつぶすほど力強く腕を震わせた。
そしてスワトは、シュクラの残した家財を金に替えて、大陸にはびこる悪を退治しに旅に出た。
今、信帝国に抗う全ての悪に対して、スワトは裸一貫、腕一つで立ち向かっていった。
役人も手こずる100人の山賊を相手を一晩で捕らえたり、河を根城に暴れまわる軍隊崩れの江賊団を小船一つで壊滅させたり、街の者に嫌がらせをする役人をこらしめたり、旅人や百姓を襲う盗賊たちを、その類まれなる腕力と身体能力の数々で次々と伸していった。
方々で噂される、その力を聞いて、役人や賊を問わず用心棒にと誘われたが、スワトはその全てを断った。彼の先祖、英雄に付き従ったスオウもそうであったように、あくまで平民として、人の成し得ぬ悪を退治する生活を送った。
帝国という太陽の影に増え続ける賊退治の旅は、3年にも及んだ。
――――――――――
そして、帝国暦201年、冬。
スワトは旅人や商人達から、天下にはびこり始めた頂天教という邪教の者たちの噂を聞き、事前にその事を知らせようと、南郡の太守へと直訴に向かった。血気盛んな彼は、今帝国内がどうなっているのかも知らず、後先の事も考えずに、ただ駆けた。
スワトは、少ない情報を基に昼夜を問わず走り、大よそまともな武器も持たず、素手で南郡の治安の悪い都市を駆け抜けた。だが流石に各地の賊退治をしながら、武器も馬も無く走るのは、脅威の身体能力を持つスワトでも難しかった。
その間に南郡は頂天教の魔の手が忍び寄り、言葉巧みに太守と結託した頂天教軍が、今や今かと帝国に叛旗を翻そうと居城を取り巻いていた。
そんなことも知らずにスワトは駆け抜け、ついに南郡の太守の住む居城へと付いた。
そして、城から太守が出てくるのを見計らうため、城の近くの森へ住み着いた。一度、太守の居城の衛兵に掛け合ったが、まるで相手にされなかったため、太守が外へ出かけるのを見計らって、直談判をしようと思ったからである。
三日三晩の後、待ちに待ったスワトに絶好の機会が訪れる。
硬く閉ざされた城門から、太守を乗せた馬車の一団が出るのが見えたのである。
木々の影から見えた馬車の一団を追って路上を走りながら、その一団に飛び込んだスワトは、両膝を大地につけて屈み、手を大きく広げて馬車を止めた。
「頼もう!馬車をお止めくだされ!かかる無礼はご容赦くだされ!」
「う、何だ貴様は!全車とまれー!」
馬車の一団は、進路を遮るように入ってきたスワトを前に足を止めると、馬の手綱を握っていた鎧をつけた衛兵達が、いきなり鉄色に輝く剣を抜くと、およそ20人ほどの兵士がスワトを囲む。
「その衣服、賊か!物乞いか!それとも人間の言葉を話す物の怪の類か!いずれにしても、太守様のお乗りになる馬車の一団を止めて、ただですむと思うなよ!」
「なんと?!それがしが賊でござると申すか!」
兵士が思うのも無理は無い。
三日三晩着込んで汚れた衣服を着けて、熊のような風体の大男のスワトを見れば、どう考えても賊に連なる不審者以外の何者でもなかった。ジリジリとスワトとの間合いをつめていく衛兵達の後ろ、最後列に止まった馬車からは、白と黄の二色に分かれた冠をかぶった南郡の太守の顔がチラチラと見え隠れし、何か何かと覗き込んでいた。
スワトは、太守の顔と、囲う兵士達を見て一度平伏すると、こう言った。
「それがしは信帝国への忠義を忘れぬ者!京東郡のスワトにござる!物の怪や賊の類などでは決してござらぬ!太守殿に良い情報を持ってまいったでござる!是非とも馬車をお降りになり、それがしの話をお聞きなされ!」
「黙れ!太守様の馬車を止めて何をするかと思えば、貴様のような下賎の平民が良い情報だと!?そんなことに太守様が耳をお貸しになるはずが…」
スワトの顔の横で剣をちらつかせながら喋る兵士の後ろで、野太い声が聞こえる。
「ほっほっほ、よいよい。この馬車の一団に一人で飛び込むとは余程の覚悟。それにその身なりは、どこぞで待っていた証ではないか。どれ、話を聞こう。スワトとやら」
兵士を割って入ってくる、小太りの太守の姿。
スワトは太守に、南郡に迫る頂天教軍の危機を伝えようと、自分なりの言葉で精一杯に説明した。街の噂程度の話から、行商人、旅人に教えてもらった話、役人から聞いた確たる情報筋、近年起こり始めた天変地異の類を利用して、即位したばかりの新帝を倒そうと目論む頂天教軍の事まで。
「…という次第でござりまする…」
スワトは剣をちらつかせる兵士の横で、悠々と太守に語りかけた。
「ううむむむむ…そ、そそ、それは、うむ…うむ…まことに、うむ。良い情報じゃ、うむ」
しかし、話を聞いた太守の様子はおかしかった。
髪を縛り、冠をかぶった額からはダラダラと汗が流れ、顔は不思議とキツい程の苦味を走らせていた。一直線に見つめるスワトの真面目な視線を太守が感じれば感じるほど、その顔の苦味は増していった。
「太守様、どうされました、その汗」
「い、いやなんでもない。なんでもないのじゃ」
剣をスワトの方に向けながら、いつもと違うおかしな態度と、太守の顔から流れる異常な量の汗を見て、さして暑くもない日だというのに何故?と思う周りの兵士達。太守は焦っていた。
そう、なぜならこの時すでに太守は、頂天教軍と密約を交わし、帝国に叛旗を翻す事を心に決めていたからだ。今日もその算段をしようと、郊外の砦へと出かける途中であった。
だが、警備をする兵士達はその時、太守の思惑を知らされていなかった。忠義に厚い信帝国の兵士ならば、謀反と知れば例え太守であろうと、帝国への反逆の罪で殺さねばならなかった。そうしなければ今度は法律によって自分達まで殺されてしまうからだ。
太守は、兵士達の顔色を伺いつつ、スワトにこう言った。
「の、のうスワトとやら。頂天教というのは聞いた事はないが。そなたが言うように、まさか帝国に弓引くような者ではあるまい。わしは決して彼らを庇うわけではないが、その、なんだ。不確定な知らせにわしが動くというのも、のう…」
「何を申すでござるか!遅くなってから動いても駄目でござる!」
「し、しかしのう。わしも帝国の一郡を預かる太守の身じゃ。攻められ、降伏し、その外的やらに懐柔されることもあるまい。そ、そうじゃ。急いて今すぐ滅ぼさずとも、危ないと判れば、その内に帝が軍をお使いになろう。なにより我が郡の兵とて、もとはと言えば帝の兵。易々とは動かせぬぞ」
「何を仰られるか太守殿!それがしは国を思う一存で言ってるでござる!死をいとわぬ烈士を前にしてそのような態度!無礼ではありませぬか!そのように日和見では…ま、まさか太守殿は、もうすでに頂天教軍に丸め込まれておるのではござるまいな!」
スワトの言葉に一瞬ビクッと震える太守。
にこやかに見せていた不自然な笑顔は、一瞬崩れて焦りの表情に変わった。
「ま!まっまま、まあまあ待たれい。そのように大声で言うでない…兵士に聞こえてしまうじゃろうが。そ、そうじゃこれをやろう」
太守は着物の懐に手を伸ばすと、その手に麻袋のような何かを握って、スワトの目の前に差し出した。
「なんでござるか、これは」
「ほっほっほ、ほれ、どうじゃ。金じゃぞ。見れば長旅の様子ではないか。これで美味い物でも食って英気を養われよ。だから今日ここであった事は黙っておいてくれ。ワシも何かと噂を立てられるのは嫌だからのう。さっ、ささっ、忘れよ忘れよ。そして受け取られよ」
「…ッ!?」
「ほれほれ遠慮するな。そなたとて嫌いではあるまい?ほれ金じゃ。金じゃ。金は天下の回り物。ここでもらっておいて損は無いぞ。それにこれは賄賂ではない。お主の情報をわしが買ったのじゃ。成功報酬じゃ。気にするでない」
「…太守!」
「よいよい。わしは心が広い。それにその金も平民を襲う賊から巻き上げたものじゃ。帝の金ではない。わしの金じゃ」
「ぐぬ…!!!!」
余りの無礼さにスワトは頭の先からつま先まで怒りに怒った。ズイズイとスワトの前に大量の金の入った麻袋を差し出して、ついにはポイと大地に投げ捨てる太守。手元から落ちた瞬間、ジャラジャラと金貨の当たる猥雑な音がスワトの耳を通っていく。スワトは、金の音と太守の態度に震え始めた全身を押さえることが出来なかった。
沸々と怒るスワトに対して、いそいそとその場から逃げるように太守は兵士達を下がらせて馬車に騎乗させると、ただその場に平伏するスワトをチラチラと眼で確認しながら、小さく呟いた。
「馬鹿めが。政治を知らぬ田舎者め。何が忠義じゃ。何が烈士じゃ。信帝国はもう終わりじゃ。わしの野望が、ああいう忠義ぶった奴に邪魔されるのは、実に迷惑なものじゃのう」
太守の放った言葉がスワトの耳に聞こえる瞬間。
ブンッ!!
「ぎやあああああ!」
スワトは平伏した態勢から一気に詰め寄り、太守の頬と腹に強烈な拳の一撃を放ったのだ!
賊退治に鍛えられた拳は、唸るような音をたてて空を裂き、小太りの太守の体を虚空に踊らす。放物線を描くように飛ぶ太守の体は、血が飛び、骨は折れ、壊れかけた人形のように大地へと落ちていった。
「ああ、太守様!」
「なんてことをするんだこの獣め!」
「おのれ!全員で奴をひっとらえろ!」
再び馬車を降りてきた兵士達に取り囲まれて、スワトは無抵抗にその場に跪くと、兵士たちの藁を油に浸して出来た丈夫な縄を首や胸、足に巻かれ、巨大なスワトの体の顔以外の部分は、何重もの太い縄で縛り上げられた。
「ひ、ひぃひぃ。いでで、いだいいだい!」
「太守様!大丈夫でございますか!」
太守は激痛に声をあげたが、すでに殴られた頬の部分は皮が破け、血が噴出し、唇は痛みに震えて、とても喋れる状況ではなかった。兵士を纏める兵士長は、太守の容態の余りの悪さに動転し、半数の兵士と供に太守を馬車に乗せると、城へと向かわせた。そして、太守を殴ったスワトに対して、剣をちらつかせながらこう言った。
「ええい、こやつめ!なぜあのように太守様を殴った!」
縄に縛られながら顔だけ出ていたスワトは、兵士長の質問に大声で答えた。
「あの太守には三つの罪がある!」
「なんだと!」
「今、天下が賊のために乱れようとしているときに、あの者はそれがしの言葉も聞かず!そればかりか口封じのために麻袋に金を包んで賄賂をよこしたでござる!武家の自尊に対して余りにも無礼ではないか!」
「む…」
「もう一つ!あの者は平民を襲う賊から奪った金だから賄賂ではないなどと言ったでござるが!元を正せば汗水を流した平民の金!平民の金を太守が巻き上げたのも同じこと!それで私腹を肥やすなど言語道断ではないか!」
「た、たしかに」
「そして最後の一つ!あの者は最後に忠義と信帝国を蔑んだ!帝国の禄を食みながら、そのように恩義を忘れたような態度!帝国に組せず、ただ大義のために動く平民のそれがしが一番許せぬのは、受けた恩義を仇で返すような、あの者の腐った心でござる!」
「む、む。なんという忠義の心じゃ」
兵士長は帝国に対する愛国心と忠義溢れるスワトの言葉の数々を聞いて、段々太守のほうが悪いように感じてきてしまった。今は兵士をやっている彼も平民出で、元々は賊に襲われる百姓の生まれであった。だからこそスワトの言葉が身近に感じられたのかもしれない。
「さあ斬られよ!それがしは義に生きる者!不義に生きるぐらいなら死を選ぶぞ!」
兵士長は迷った。
愛国心満ち溢れるこの者を今すぐ処刑する事も出来た。だが、帝国に仕えて幾数年。近年まれに見るこの忠義の者を殺すには忍びない人物でもあると感じていた。そして兵士長は考えると、他の兵士に向かってスワトを馬車の荷台に乗せさせ、こう言った。
「この者は罪を犯したが、太守も喋れず、我々が罪を裁くのも難しい。よって、こやつは京東郡の出身だと言うのだから、罪は京東で裁かれるのがよろしい!太守には後で知らせをしておく。我らは早速、京東に向けて出発するのじゃ!」
「ははーっ!」
荷台に乗せられたスワトは、ちらりと見える兵士長の穏やかな顔を見て、叫ぶようにこう言った。
「兵士長殿!命を救ってもらったこの恩義、それがしスワト、一生忘れませぬぞ!それがしの恩義をもって、いつかお返しするでござる!」
「黙れ大罪人が!忠義は忠義!罪は罪じゃ!お前のような罪人に、信帝国の兵である、わしが恩義など与えるものか!黙って牢に行くがよろしい!」
そう言う兵士長の表情は、罪人を憎む怒りに満ちたようで、どこか誇らしげであった。
スワトに投げかけられた兵士長の口ぶりは、まるで彼を育ててくれた亡き叔父シュクラの臨終の言葉にも似ているようにスワトには感じられた。
こうしてスワトは、大義の言葉に呼応した愛国心に溢れる兵士長のおかげで殺される事も無く、馬車の一団に連れられながら京東の牢に向かった。
――――――――
五日の後、牢に入れられたスワトは、汚く冷たい獄中に入れられると、一心不乱に眼をとじて瞑想し、沙汰を待ちながら硬い石畳の上で、何ヶ月も居座った。その間に体力が衰えぬように、牢の石壁を相手に体を動かしながら、スワトは脱獄の機会を狙っていた。
そんなある日、牢番たちの世間話を聞いたスワトは、その内容に思わず愕然とした。
南郡の数郡が結託し、大きな勢力を築き、頂天教軍教祖アカシラの下、その後ろ盾となって帝国に叛旗を翻した事。そしてその中で数百の郡兵を纏め上げて、立派に戦った兵士長が武運拙く殺された事を。
スワトは、寒さも明けた牢の外の夜の星空を見て一言呟いた。
「まだ死ねぬ。あの兵士長の恩義に答えるために。そして叔父上に言われたように、それがしは強く生きねばならぬ。この世に信帝国に逆らう悪がある限り、大義と忠義をもってして、この力を帝へ捧げるのだ!」
信帝国暦202年春。
今ここに凶児と呼ばれた希代の豪傑が、恩義を受けた者たちの忠義と大義を背負い、信帝国にかかる巨大な暗雲を前に、時を待ち、静かに立ち上がろうとしていた。