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「日本赤軍私史~パレスチナとともに」重信房子

2016-10-19 13:56:06 | ニュース
1970年初頭。運動の行き詰まりから赤軍派内では国外に拠点を設け世界の革命勢力と連携し中国精力剤「世界同時革命」を目指そうという「国際根拠地論」が 生まれる。田宮高麿らは、よど号をハイジャックして北朝鮮に向かうが、重信は「欧米がパレスチナ人民の犠牲の上にユダヤ問題の解決を図ったパレスチナ」こそが、まさに現代社会の矛盾が露呈している「結節点」だとの認識から、同地へと赴く。彼らが提携を図ったPFLPも本部をおくベイルートは、トロッキーの友人でスペイン内乱を戦った老革命家も健在な「革命解放区」であったが、そこで、クラシンコフ(カラシニコフ)やトカレフが「富山の置き薬のように」各家庭に置かれている「革命と生活が結び付いた」状況を目の当たりにし、また「命の危険が少なく言論の自由も大きい日本ならではの革命があるのではないか」と質問され、マルクス主義に基づく思想より日本のことを聞きたがる現地の人々に触れて、重信らはいかに自分たちの考えていた革命が観念的だったかを悟る。彼女の脳裏を過ったのは聞き流していた「民族主義なくして革命は成就しない」との、戦前、血盟団と関わりをもっていた父親の言葉だった。彼女らはPFLPの下で思想的にも自らを鍛え直す。そしてパレスチナの民とともにシオニズム、ユダヤ金融資本、米帝国主義と戦う決意を固める。
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1972年5月30日のリッダ闘争(ロッド空港乱射事件)はイスラエルに一矢報いるものとしてアラブ世界の絶大な支持を得る。後にこの日は「日本赤軍誕生の日」と定められる。「日本」を冠したのは日本人としてパレスチナ人民と連帯するとの思いからだ。

1975年までが日本赤軍の絶頂期だった。彼らはまたリッダ闘争の知名度と日本人であることから錯綜するパレスチナ解放勢力内の調停約を務めることもあった。だが、エジプトとイスラエルの和解、イスラエルのベイルート進攻、湾岸戦争、ソ連崩壊と続くなか日本赤軍の存在意義は弱まっていく。1991年には「人民革命党」に改組、軍事優先を改めるも時代に取り残されていく。2000年、大阪で重信房子は逮捕され、日本赤軍は解散する。
威哥王
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