インド歴史・文明館 9 (現代インド文明の特徴5)

2017-07-01 07:12:36 | 論文

現代インド文明が世界文明に貢献できるものとして、経済発展に伴って生じてくるかもしれない新しい宗教が挙げられるかもしれません。現代中国文明のそれとしては官僚制とのからみで五権分立、ハイブリッド化された官僚制、直接民主制を挙げましたが、現代インド文明のそれは精神的、宗教的なものになるように思われます。かってコーサラ、マガダ国の時代にクシャトリア、ヴァイシャ勢力が力を増し、経済が発展していた時代に中国における「諸子百家」のような「六十二見」が現れ、その風潮の中から、仏教やジャイナ教が誕生しましたが、現代中国文明がその経済躍進期に新思想を生み出せなかったのは、政治が自由でなかったからであるのに対し、インドにはその自由が多分にあるかと期待されるからであります。またインド文明においては女性の活躍も見られるかもしれません。

 

かってのバラモン教の位置にあるのが、ヒンズー教であるとすれば、それに対し経済的躍進を背景に新宗教が生じ、それが多元性、平等性を唱えるようなものになっていくのではないでしょうか。そしてそれは世俗と精神の対立の問題も含むと同時に、世界文明にも大きな影響を与えるようになっていくように思われます。すなわちキリスト教、イスラム教に対して影響を与える何かが現代インド文明から生じてくる原因になるのかもしれないということであります※。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一神教的性格を持ち、兄弟のような関係であり、地中海とその周辺をめぐる世界のさまざまな宗教、精神文明の集約、到達点であったのに対し、ヒンズー教、仏教はインド以東の精神文明の原点として、多元教的性格を持っています。インド文明は一神教的世界に対する防波堤であると同時に、インド文明内部においても経済的躍進と共に中産階級の躍進がなされることにより、その宗教、精神文明はより、進化していくかと思われます。その趣向するものはおそらくは仏教的な平等主義に近いものでありますが、同時に西洋的な影響をも受けた、遁世的でなく、積極的な哲学や人権思想を含むものになるように思われます。

 

またその多元性は、世界文明のあり方にヒントを与えるようになっていくと思われます。その際、「カースト」という考え方は興味深いものに変わっているかもしれません。カーストが垂直的な縦の関係でなく、それぞれ一つの共通の価値観(宗教)の世界と考えるのなら、インド文明風に考えれば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教もそれぞれカーストということになります。カースト内では宗教、精神文化が尊重されるし、カースト間の問題についてはインド文明風に解決されるが、これが今までの縦の関係や清浄のあり方とは別のものになっていく、あるいはカースト内における個人の取り扱いについて、人権思想はどこまで取り込まれていくか、そういうことを考えますと現代インド文明の鍵を握っているものの一つは「インドにおける司法とその背景にある思想」ということになりそうです。判例の蓄積、司法判断と共に現代インド文明の精神性が形成されていくというわけです※。

 ※インドにおける司法という意味においてガンジーの職業が弁護士であったことは極めて象徴的なことであったかと思われる。ガンジーは西洋の思想にある本質、物質主義と暴力を見抜き、それからの脱却を図ったのであるが、少し早すぎた思想であったかと思われる。ガンジーはインドの精神主義と非暴力主義に生き、不可触民の地位向上に努めたが、これからインド文明は物質主義の中に行きていくと同時に、その伝統に回帰することもあるだろう。あるいは平等主義の流れも生まれてくるかもしれない。しかしその形は個人を通して現れるものであり、その活動意義が広く社会に認知されるのは、集団として動いていく立法でなく、体制である行政でもなく、ある意味、宗教的ともいえる職業、司法においてではないか、インドについてはその伝統をも踏まえてそう思われる。

 

先の日本史的アプローチはカーストの解消を目指すものでしたが、インド文明の経緯を考えますと、カーストを積極的に解釈するアプローチの方がとられるのでないかと思われます。カースト間の問題、個人の問題を審判するのは司法であり、その司法は経済躍進と共に、もはや遁世的でない仏教、ジャイナ教※(それもヒンズー教に含まれると主張されるかもしれないが)的な要素を加味したものになっていくように思われます。

※遁世的でない仏教とは、大乗的、法華経的な仏教ともとれるが、かってのキリスト教と資本主義の発展が重なった時代と似たものを想像している。世俗の生き方と信仰が重なるような状態ではあるが、ここから新しい時代の法律学と経済学を抽出することが期待されるわけである。 

 

このアプローチを世界文明にあてはめて考えますと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も精神世界においてそれぞれカーストであり、それらは対等であり、カースト間の問題やカースト内の個人の問題を審判するのは現実社会の司法、世界文明においては国際司法裁判所ということになりますが、精神世界と実社会を一体的にとらえるイスラム文明(あるいは中国文明)にはなじみにくいものかもしれませんが、そこはイスラム文明をその成り立ちから見直し、そこに住む人々の共感を得ながら、説得していくしかないのかもしれません。

 

 All rights reserved to M Ariake

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« インド歴史文明館 8 (現... | トップ | 桂離宮(京都)と清澄庭園(... »

論文」カテゴリの最新記事