東京文明博物館 第一展示室 (中国文明)5 中国文明における宗族の位置

2017-02-12 10:06:20 | 論文

3 5原則による簡単な素描

 

5原則とは歴史を動かしていく力には5つあるというものであり、第1の原理(価値の原理)、第2の原理(生活向上の原理)、第3の原理(共同体発展の原理)、第4の原理(反作用の原理)、第5の原理(環境、外部力の原理)がそれであります。それぞれの力を簡単に象徴する言葉を探せば第1の原理はイデオロギー、第2の原理は技術力、第3の原理は組織力、第4の原理は保守力、第5の原理は環境及び外圧ということになるでしょう。

 またこれは中国文明に限らず、当てはまるかと思いますが、産業革命以前の時代については、第2の原理(生活向上の原理)よりも第3の原理(共同体発展の原理)の方が歴史を変化させる力の中心であったかと思われます。農耕革命、産業革命のような生活の革命はそう頻繁におこるものではなく、歴史上の変化の多くは社会組織の変化によるもの(王朝の変更に基づく富の分配方法の変更によるもの)でした。

 中国文明においても、その農耕革命による価値観の変化により、宗族(血族)による組織化が生じました。中国においては宗族(血族)という要因が他の文明と比べて強かったように思われます。そのことが後の郷党、会党を含む疑似血縁関係的な人間関係の発展につながっていくのかと思いますが、中国文明はインド文明、イスラム文明、ヨーロッパ文明のように征服した民族によって文明が築かれたわけではなく、その土地から自生した文明が興亡を繰り返し※、外面上、征服王朝が支配した時代においても、その本質、文明のプラットフォームは変わることはなかった。またこのため、それだけ、都市化、機能的社会の形成が進まず、農村的な社会構造が温存されたことが想像されます。

 ※近年では必ずしも黄河文明から発した漢民族だけが、中国文明の源流ではないという見方もある。中国を初めて統一したのは秦の始皇帝だが、秦の力の源泉には四川における水利事業(都江堰)※1があり、長江文明といってもいい黄河文明と異なる文明があったことがいわれるようになってきている(三星堆遺跡)※2。中国文明といっても多様であろう。

 

※1 世界の歴史がわかる本[古代四大文明~中世ヨーロッパ]篇 綿引 弘 P101~103

※2 出身地でわかる中国人 宮崎正弘 P209~212

 

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