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夢見る社長-知られざる天才シリーズ-

2005-09-25 23:56:58 | 知られざる天才シリーズ
「自分は必ずやれると思うこと、自分の信念を信じ続けたからこそ、今の自分があるんですよ。」
と、静かに独特のジオン訛りで語りだしたのは、連邦政府下部組織ジオニック公社社長(旧ジオニック社)ヴァルター・ハイトラー氏である。
今でこそ、モビルスーツを兵器として使用することは一般的なことになっているが、当時は誰も想像すらできないことであったのだ。あのニュータイプ論で有名な天才ジオン・ズム・ダイクンでもそれは創造できなかった事なのである。

「当時、わたしはジオン公国大学を主席で卒業したんですね。そして、その勢いも手伝って、社会に出たらなにか革新的なことをやってやろうと期待に胸を膨らませて入社したんです。しかし、ジオニック社に入社してみると連邦政府の下請け仕事を言いつけられたように、なんの工夫もせず、こなすだけの毎日。また、それを疑うような社員は一人もいなかったんです。」
「そりゃもう失望しましたよ(笑)。」

当時は、コロニーバブル真っ盛りでマゼラン級戦艦造船などの下請けをやっていれば、企業は十二分に潤うことが出来た時代であった。

「そんな時代背景の中、わたしたちは、幹部候補生として社内の各部門をローテーションしながら現場の研修をしていったんですよ。」
「でもね、設計部も営業部も工場生産部も、どこもかしこも新しい事業を模索する人間なんていなくて、ついに、その研修中にそのことを当時の上司に進言してみたんです。」
「そしたら、どうなったと思います?幹部候補生として入社していたのにいきなり工場に勤務になったんですよ。またまた失望しました(笑)。」
「でも、そこでわたしは腐らずに一生懸命、ラインの仕事をしました。職人さんと一緒に、それこそ、幹部候補生と言うことで色眼鏡で見られるのがいやで、誰よりも一生懸命、仕事を覚えました。」

「そんな時に、本社から事業部長がみえて、お酒を飲む席を設けてくれたんです。そこでまた自分がしたいことを進言したんですが、またしても、まったく受け入れてもらえず、もうハイトラーは勝手にやって良い、と言うことで企画部にまわされたんですね。」

-ハイトラーさんにとってついにやりたいことができる環境になったのですね?-

「いやいや、会社はそんなに甘いところではないですよ(笑)。企画部なんてのは名ばかりで、実際は何もしていない窓際部門だったんですね。しかも本社に久しぶりに帰ってみたら、同期はみんな課長クラスに昇進していて、わたしだけ、係長で部下が2人しかいない境遇だったんですよ。」
「正直、そのときはへこたれそうになりましたが、自分の夢を具体的に現実化していなかったので、がんばろうと思いました。」

「それで部下の2人と知恵を出し合って、今のザクの原型になるようなものを設計したんです。それを新事業企画として本社に持っていったんですが、まったく受け入れてもらえないんですよ。当時の実権を握っていた副社長に目をつけられていたものですから(笑)。」
「それじゃ、しょうがないから自分らで作ろうかってことになって、深夜に工場のラインを立ち上げて、3人で作り始めたんですよ。幸い、わたしは、工場の勤務経験があったので仕事自体はスムーズにいったんですね。」

「ちょっと話はそれますが、当時のわたしの部下だった2人も、上司から言われた仕事をそのままやるような人間じゃなかったから、余計にわたしたち3人は、社内でも変人が集まった集団だと言われていました(笑)」

「そうして昼間に、会社の仕事も必死でこなして、深夜に工場のラインを動かしてモビルスーツの原型作りに取り掛かっていたんですね。でも、たった3人でやってる仕事なんで、なかなか作業も進まないんですよ(笑)そしたら、なんと、このことを聞きつけたむかしの工場の職人たちが手伝いにきてくれるようになったんです。あとから聞いた話なんですが、その職人さんたちは工場長から厳重に叱られていたそうなんですよ。」

そして、数々の試行錯誤の結果、9ヶ月後にMS-05ザクⅠと呼ばれる名機の試作機が世界初のモビルスーツとして完成したのである。

「一応、平行して営業活動もわたしたちなりにやってましたから、ジオン公国宇宙警備軍所属のドズル・ザビ大佐(当時)から声がかかり、やっと会社も本腰を入れだしたんですよ。」

それからは、ジオニック社と言えばモビルスーツ、モビルスーツと言えばジオニック社と言われるようになったのは言うまでのないであろう。また当時の連邦政府のコロニーに対する大増税によりコロニー内で未曾有の経済恐慌が起こり、戦艦造船産業も大打撃を受けた頃なのである。
そんな中、ジオニック社だけが、常に右肩上がりの成長を見せていったのであった。そしてハイトラー氏も会社の表舞台にどんどん引っ張り出されるようになり、当時のジオニック社の代表取締役社長にまで出世を遂げたのである。


「なんであんなにがんばったのかは、今ではよくわからないんですが、まぁ、窓際に追いやられたことを見返してやりたい気持ちもなかったわけじゃないんですけど、とにかく自分の信念を貫いて、自分の考えたことを形にしたかったんですね(笑)。いい人間関係もありましたし(笑)。」

やってきたことは決して平坦ではない。一旦は、会社の窓際に追いやられ、そこから這い上がってきたのである。しかし、ハイトラー氏は笑いながら簡単にこんなことを言ってのけるのである。


「一年戦争が終結して、ジオニックも連邦政府下に入ってしまいましたが、わたしは、まだまだやることが残っているような気がするんです。(戦後処理をスムーズに進めたと言う恩赦のおかげで、)縮小したとは言えジオニック公社の社長のままにしてもらったことは本当に感謝してますよ。とにかく戦後の暗い時代ですが、今の若い世代の人たちも、夢を持って、それを実現させるためにがんばってほしいですね。」
と、語るハイトラー氏のその目の奥は、子供のように澄み切っているのが印象的であった。ここにもまた知られざるひとりの天才が存在していたのである。



今回は、はじめてフィクションに取り組んでみたのであるが、如何だったであろうか。
フィクション ハズカシス(照)

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