■ストーリ
「嘘つきマリオ」と呼ばれていた少年は「森の民」に
なるべく、二人の少女と共に森での生活を開始する。
一方、アイザリアで行われている戦いはマリオたちが
住む森をも巻き込み始めていた。戦争ををやめさせるため、
「森の民の王ヌバヨ」を名乗ったマリオは、昔アイザリアから
連れさられたラクチューナム・レイという王女様を探し
ドーム郡に向かうことになる。
■感想 ☆☆☆☆
この本も久々に読み返したくなった本の一冊。
83年に福音館書店から刊行された「虹へのさすらいの旅」を
改題改稿し、挿画も新しくした改訂版とのことで、
私が幼い頃に親しんだのは「虹へのさすらいの旅」のほう。
題名は改訂前のほうが好みだ。
一冊目の感想はコチラ。
第一作でドーム郡の危機を救うべく旅に出たクミルと同じく、
マリオもアイザリアの争いを治めるべく、救世主となるはずの
ラクチューナム・レイを探しに旅に出る。
しかし、探し出した「王女」は、自分と同じ年代のごく普通の
女の子。戦争を厭い、平和を愛し、友達を大切にする
普通すぎるほど普通の女の子であり、並みいる武将をまとめ、
国を統治する特別な力を持っているようには見えない。
ここでも主軸を貫くのは「個人の自立心」だ。
権威や他人や伝説に頼るのではなく、ひとりひとりが
今、ここで、何ができるのかを考え、行動する。
それだけで確実に世界は変わっていく。
そして、何よりも大切なのは「戦争を嫌う心」。
戦争を必要悪だと認めない心。
どんなに大義名分があっても、戦争は所詮人殺しでしかない。
ごくごく普通の女の子だったラクチュナーム・レイは
戦場で空に見事な虹を描いてみせる。
それこそが王女の証であり、その虹によって
民衆の心はひとつになる。
しかし、敵の武将、アサスにはその虹が見えない。
根本的な考え方が異なる以上、どんなに努力しても通じない
言葉がある。目の前に突きつけても共有できない景色がある。
物語は、そういったどうしようもない現実も
きちんと描いている。
ラストは鮮やかに爽やかで、青空の中に
確かに虹が見えるようなそんな気分にさせられる。
「嘘つきマリオ」と呼ばれていた少年は「森の民」に
なるべく、二人の少女と共に森での生活を開始する。
一方、アイザリアで行われている戦いはマリオたちが
住む森をも巻き込み始めていた。戦争ををやめさせるため、
「森の民の王ヌバヨ」を名乗ったマリオは、昔アイザリアから
連れさられたラクチューナム・レイという王女様を探し
ドーム郡に向かうことになる。
■感想 ☆☆☆☆
この本も久々に読み返したくなった本の一冊。
83年に福音館書店から刊行された「虹へのさすらいの旅」を
改題改稿し、挿画も新しくした改訂版とのことで、
私が幼い頃に親しんだのは「虹へのさすらいの旅」のほう。
題名は改訂前のほうが好みだ。
一冊目の感想はコチラ。
第一作でドーム郡の危機を救うべく旅に出たクミルと同じく、
マリオもアイザリアの争いを治めるべく、救世主となるはずの
ラクチューナム・レイを探しに旅に出る。
しかし、探し出した「王女」は、自分と同じ年代のごく普通の
女の子。戦争を厭い、平和を愛し、友達を大切にする
普通すぎるほど普通の女の子であり、並みいる武将をまとめ、
国を統治する特別な力を持っているようには見えない。
ここでも主軸を貫くのは「個人の自立心」だ。
権威や他人や伝説に頼るのではなく、ひとりひとりが
今、ここで、何ができるのかを考え、行動する。
それだけで確実に世界は変わっていく。
そして、何よりも大切なのは「戦争を嫌う心」。
戦争を必要悪だと認めない心。
どんなに大義名分があっても、戦争は所詮人殺しでしかない。
ごくごく普通の女の子だったラクチュナーム・レイは
戦場で空に見事な虹を描いてみせる。
それこそが王女の証であり、その虹によって
民衆の心はひとつになる。
しかし、敵の武将、アサスにはその虹が見えない。
根本的な考え方が異なる以上、どんなに努力しても通じない
言葉がある。目の前に突きつけても共有できない景色がある。
物語は、そういったどうしようもない現実も
きちんと描いている。
ラストは鮮やかに爽やかで、青空の中に
確かに虹が見えるようなそんな気分にさせられる。
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