コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

オバマ大統領誕生

2008-11-07 | Weblog
オバマ大統領が、新しい米国大統領に選ばれた。「変革」を掲げて登場した若い、雄弁な大統領。米国が、新大統領のもとで、その政治・経済・外交において力強い主導力を発揮していくことを期待したい。

合衆国史上はじめての黒人大統領、報道は大きく見出しに掲げる。米国の人種差別や公民権運動の歴史を振り返れば、隔世の感がある。オバマ大統領が、黒人系であるにもかかわらず大統領の候補者として登場してきたことは、米国民の意識が人種偏見を乗り越えていることを再認識させるものである。報道や論調は、その点に賛辞を惜しまない。

ところが、東京を出発する前の8月、だから、まだ大統領選挙戦の最中である。私のために送別会を開いてくれた在京のアフリカ諸国大使館の外交官たちは、口々に言っていた。
「オバマ氏の肌が黒いか白いかは、優れた大統領候補であるかどうかと関係ない話だろう。」
黒人の大統領など、世界に何十人もいて、珍しい話ではない。それをことさらに、黒人だのアフリカ系だのというのは、それ自体が差別の現れだ、と言う。

いや、そうは言っても、あの米国において、世界で最重要の国において、黒人系の大統領が登場することは、それ自体が画期的だ、歴史が変わるのだと言えるのではないか、と私は反論する。日本人はアジア人として、非白人の米国大統領候補に、心から勇気付けられるのだ。日本人が白人に対して気後れを感じていることはありこそすれ、黒人を差別しているなどという気持ちはない。オバマ候補についてのわが国の報道に、日本人の黒人差別の意識を読み取る、というのは、それはちょっと曲解に過ぎる。

そんなことはない、日本人には明らかにアフリカ人への差別意識がある、とある外交官は私に詰め寄った。
「川崎で米軍兵士がタクシーの運転手を殺害した事件があっただろう。どの新聞も、ナイジェリア人の米国兵士、とかナイジェリア系米国人とか、やたらにナイジェリアである。ナイジェリア系であろうが、アイルランド系であろうが、米軍兵士には変わりない。ナイジェリア系だから、普通の米国人とは違う、とでも言いたいのか。あれは、黒人の話である。われわれの知っている米国人は、そんな事件を起こさない。日本人はそう思いたいのだ。」

日本人はとくに、立身出世が好きだ。草履取りから太閤へ。小学卒から総理へ。その物語に、人々は心躍らせる。私たちには、さまざまな障害を乗り越えて、人並み以上の成功を掴んだヒーローに暖かい拍手を送る気持ちがある。しかし、その拍手の中に、草履取りや小学卒と呼ばれた人々への、ある種の差別意識が、すでに潜んでいるのかもしれない。その側にいる人々は、これに敏感に気づくのか。区別と差別の間の、微妙な紙一重がある。

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