ちきゅうぎ

宇宙と地球のかけはし

もうひとつのイプシロン 逆境とよき友 挫折と復活

2013-11-27 10:57:15 | イプシロンロケット
2007年1月、次期固体ロケットのミッション定義審査の全体説明会が開催された。

開催目的は「ミッション定義が適切であるか」を審査すること。

JAXAとなりH2A6号機の失敗後強化されたシステムズエンジニアリングプロセスに則した最初の重要なゲートである。

 #『ミッション』とは
 #「任務や使命」のこと。
 #「任務や使命」には、大きく分けて三つの要素が含まれる。
 #第 1 に「到達すべき目標がある」こと。
 #第 2 に「目標に進んでいく行動がある」こと。
 #第 3 に「それらが何かに求められている」こと。

このロケットにどんな命を吹き込むか。そんな大事なことを決める会である。

JAXAとなってからも初めてといってもいいほど殆ど前例がなく、ましてや開発立上げがまれなロケットでは初めてのトライだった。
暗中模索しながら審査対象の資料をまとめた。

会当日、『勝負!思いを全部伝えよう』と意気込み、いつもより強く大きな声で説明をはじめた。

この会までもこの会以降も、全部自分がやるんだと(勘違いして)意気込んでいた。
ただ研究開発が進めば進むほど負いきれない状態に自分が押し潰されそうになることを毎日毎日実感していた。

開発段階初期にこのスタンスは破綻。一定期間プロジェクトから外れるという自身としては人生最大の挫折を経験した。
でも、そのとき自分が推進してきたことをよき友・仲間がしっかりと引き継ぎ、前に進めてくれた。

ここでも自身最大の逆境はよき友・仲間に救われた。

宮場一般見学場でイプシロンを見送りながら自然と涙が流れ嗚咽に変わったのは、
いろんなことが次から次に溢れだすように思い出されたから。

打上げ後約2か月が経ち、次期固体立上げ当時を振り返った同志のコメントがうれしかった。
「zoe_moriさんがいっぱい説明していたので良く覚えています。」
と。

(次へつづく)
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もうひとつのイプシロン 逆境とよき友

2013-11-15 08:25:19 | イプシロンロケット
内之浦宇宙空間観測所にある糸川英夫先生の銅像の下に刻まれている言葉がある。

「人生で最も大切なものは逆境とよき友である」

次期固体ロケットの研究を前に進めるに当たっては幾多の逆境に遭遇した。そしてそのたびに、友、仲間に助けられた。

きれいにうち上がったイプシロンを見送りながら涙が溢れだし、暫く嗚咽が止まらなかったのは、走馬灯のようにいろんなことが思い出され、友、仲間の顔がはっきりと浮かんだからである。もう死んでもいいと思うほど陶酔した気持ちになった。

次回以降、そのなかでも強く深く心に残っている出来事をいくつか紹介します。

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「待つ」ということ

2013-11-14 18:25:06 | Weblog
現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、未来というものの訪れを待ちうけるなど、「待つ」という行為や感覚からの認識を、臨床哲学の視点から考察する。

1)待つということには、偶然の「想定外の」働きに期待することが含まれている

2)言葉は、人を「いま」から引きはがしてくれるものである。言葉によって人は時間の地平を超える

3)カウンセリングや傾聴もまた「待つ」を事とする。言葉を迎えにゆくのではない。言葉が、不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つのである。しつこく言うが、言葉を迎えに行くのではない。言葉を迎えに行くのは、「聴く」の恐らくは最悪の形である。

4)聴くとは、どういう形で言葉がこぼれおちてくるのか予測不可能な他の訪れを待つということであろう。なぜ、言葉を迎えに行くのが「聴く」ことの最悪の形になるかといえば、語るということが自らに距離をとることだからである。

5)苦しいときに、ひとは誰かに語ることで苦しみを分かち持ってほしいと願うが、しかしその苦しみはもっとも語りにくいものである、。苦しければ苦しいほど語りは難しい。理由は何重もなっている。まず、苦しいときにはそもそもそれを他人に語らないものである。苦しいことは何よりも忘れたいことであり、語ることでそれをわざわざ思い出すことではない。苦しいことはまた、本人以外にはなかなか分かりずらいものである。

6)断片的でなければ、どもりながらでなければ、語りだせないのである。さらに、苦しいことが苦しいのは、解決に途が見えないからである。いや、そもそもそこに答えがない。

7)なぜ、あの人ではなくて、このわたしばかりが苦しまなければならないんだろう、、、という問いにいったいだれが答えられるだろう。だから、苦しみの語りは訥々としたものとならざるを得ない。すらすら口にできるものではないのである。

8)「この人生はわたしだけのものではない」という見切りがどこかにないと、ケアは言わらないからである。これは恐らく、ケアされる側のみならず、ケアする側にも言えることである。


待たなくてよい社会になった。

待つことが出来ない社会になった。

待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ。

待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、まちきれなくて、

待ちくたびれて、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ち人来たらず・・・・。

誰もが密かに隠しもってきたはずの「待つ」という痛恨の想いも、じわりじわり漂白されつつある。

「待つ」ということ-角川選書-鷲田-清一 より

#立ち止まり、考えさせられます。
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生まれてきてくれてありがとう。

2013-11-13 08:33:11 | Weblog
10月30日、私たち夫婦にとって待望の第1子である長女が生まれ、彩永と名付けました。
彩永は肺形成不全で自力での呼吸が難しく、生まれて16時間後に息を引き取りました。
中略

16時間の命でしたが、その命をこの手で抱けたことは、とても幸せでした。
中略

彩永が私たちに残してくれたものを、これからは障がいを持って生まれたお子さんを支え、悩みを抱える保護者の気持ちに寄り添うことで役立てていけたらと考えています。

2013.11.13 朝日新聞朝刊 声より

#素晴らしく美しい名前だと、深く共感しました。
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思っていること。迷う逃げる挑む

2013-11-08 08:21:36 | 琴線に触れる
迷っても構わない。自分を見つめ自分から逃げず、いずれ強く挑むのであれば。
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