時事寸言

時に応じ事象に応じて寸言。

原初と正しさ

2016年11月26日 | 時事寸言
人も企業も物もと言う様に外見で理解よりも中身で理解、
人の場合は見目良く在っても野性的、本能的の場合は、

人の道、に疎い場合や倫理礼節を学ばない状態では、
人の社会には害が有るだけで社会規範に反して在りますが、

人が沢山集まったとしても其処は人の社会では無く、
其処に社会規範は存在せず唯、偶然、人が集まって居るだけで、

倫理も礼節も必要なく人の社会とは言え無い状態です。

人は原初、樹上生活で一人、若しくは家族での生活は、
大蛇や猛獣との生活で常に生命の危険に晒されての生活ですが、

其の状態から樹上を降りて数家族での共同生活は猛獣への、
共同防衛も可能で現在に至りますが、現在でも熊に襲われ、

死亡すると言う事は同じ状態でも在りますし、
一人一業は自給自足が原則の人の社会で当然の事ですが、

自分の得意な事一つを選び今日一日は共同生活で今で言う、
社会貢献ですが、仮に今日一日の自分の命長らえる為に、

仕無ければ成ら無い事を共存するファミリーの10人が、
一人一業でする仕事は一つの事を10人分すると言う事で、

今日一日は無事過ごせるとしたら其の10人での人の社会と、
言う事ですが此の事の理解が有れば現在の社会の仕組みは?、

自ずと理解可能と思われますが唯、規模が大きく成った為で、
其の意味が理解し難く成ってはいますが他人の9人が常に、

自分と共に有り共同生活と言う事です。

其処で原初では雑用さんでも村長でも地位も報酬も平等で、
現在に比して格差は無く平等ですが、此の話を聞けば?、

如何でしょうか?、

原初の村で家を立てる話ですが、其々の家は建ち、
村長の家はと観ると元の粗末な掘っ立て小屋の儘ですから、

村人が村長に何故建て無いのかと聞きますと、
私の家は此の儘で善いと言うのですが其の理由は、

私は皆さんのお世話をするだけで此の儘で良いと云うのです。

村人達は、いいえ其れはいけません。

私達の村長の家ですから私達の家より数倍立派な家で、
無ければ成りませんと、結果は掘っ立て小屋の儘でしたが、

現在の権力者の御屋敷や生活を観れば当時のリーダーの、
考え方が解ろうと言う事です。

如何でしょうか?、人の質の違いが善く解る感じですが、
進歩する筈の事が退歩と言う事ですし時代と其の月日を、

考え合わせると何と現在は退歩に退歩を重ねた結果と観得ます。

此処で損得勝負では無く正しさに根拠を置けば物事、
損得勝負は無いのですから正しい人と正しい社会で、

正しさに悪や不正は姿を見せられませんし消え逝くだけで、
詐欺も泥棒も、泥棒映画も?姿を隠す事と思れます。

悪の詳細を庶民に見せる事は柔らかい脳裏に悪影響で?、
茶の間で観る事柄では無い事も考慮してはからい?、

報導者の庶民善導に反する事でも在り配慮有るべきかも?、
金が稼げる事で経済活動とは思えどプラトン参照。
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