時事寸言

時に応じ事象に応じて寸言。

音学と其の内容

2017年05月11日 | 時事寸言
三次元に置いての表現行為ですが文字も文章も人其々で?、
人の質の全ては其処に表出されて仕舞ますが?恥も外聞も無く?、

人の質が丸裸と成る事も事実で思えば恥ずかしいと言う事ですし、
表現其のものが評価反応を得られると言う事ですし恐ろしく?、

然し、人、其の者が表現に置いて露わに成るとしても表現自体を、
辞められる訳も無く其れ自体が表現と知るべきかも知れません。

楽器を使い楽譜を解読するのですが其れ自体も技術と音学観は、
諸に露わと成りますが如何に学び如何に努力したかは自明で?、

表現其れは自分の表出に偽れないと言う事かも知れません。

隔年の時に依って残された音学作品の三次元的記譜ですが?、
誰が観ても其の姿は変わる事無く観得るのですが其の中身は、

人に依っては違って観得る事も事実と言えそうですし?、
歴史を調べ過去の古文書を調べ自己の音学観、霊的な記憶に、

依って知り得る内容は現実には現在迄での学習と其の技術に、
依っても表現上は違うと言う事ですが其の違いを感じ?、

受け取れる人にも依って?音学の意義は違って来ますが?、
其の様な事とは別に?演じ聞く事に依っても音楽で?、

人に依っては又、違う音学かも知れません。

クラシック音楽の場合、著作権者は現世に存在せず、
読譜能力と演奏技術が其の作品を再現するのですが?、

其処に再現思想が問われ演奏家自身が原作者に尊敬や感謝?、
に依っての再現で無いとしたら?多少問題とは感じますが、

人は人に依って違うと言う事も在って其の意志、意義に依っては、
又、別の意義での再現では無く演奏と言う事かも知れず?、

其の人の意思に依ってと言う事かも知れません。

演奏か?再現かは其の人の内容に依っての事ですが?、
聴衆も其の意義に置いて受け取れ方も鑑賞結果は違う事でしょう。

現在迄で続くと思える?コンテンポラリー環境は三者の音楽で?、
古典期、バロック時代の音学としては別の意義や域に在るのかも、

知れ無いとしたら各分野の人の音楽と言えるのかも知れません。
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