あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

売国奴と罵る下品さ

2016-08-13 23:58:33 | 思想
石原慎太郎氏は、鳥越俊太郎氏を売国奴だと罵った。鳥越氏が「中国軍が尖閣諸島を攻めてきたら、自衛隊員がそれに立ち向かうと死者が出るから、中国に尖閣諸島を与えても良い。」と述べたことを受けてのものだった。「売国奴」の意味を広辞苑で調べると、「売国の行いのある者をののしって言う語。」とある。引き続いて、「売国」の意味を広辞苑で調べると、「自国の内情・秘密を敵に通じ、または自国に不利で敵国の利益になることを企てて私利をはかること。」とある。石原氏は、鳥越氏のどの言葉に、私利をはかる意味が隠されていると言うのか。鳥越俊太郎氏は、決して売国奴ではないのである。言うまでもなく、石原慎太郎氏も鳥越俊太郎氏も日本人である。それ故に、両者とも日本人という自我がある。両者とも、愛国心がある。両者とも、日本という国に対する思い・日本人に対する思いがある。しかし、両者は、日本という国に対する思い・日本人に対する思いが異なっているのである。どちらが愛国者であり、どちらが売国奴であるということではないのである。鳥越氏は「死者が出るくらいなら、尖閣諸島を放棄しても良い。」と主張し、石原氏は「死者を出しても、尖閣諸島を支配し続けるべきだ。」と主張し、両者に主張の違いがあるだけなのである。決して、売国奴と罵るようなことではないのである。私は、鳥越氏の考えに賛成である。無人島よりも人の命が大切だと考えるからである。さらに、現在、日本が、尖閣諸島の実効支配を続けているが、それには、問題があるのである。1972年9月29日に、日中共同宣言が発表され、日中国交回復が成された。この日中共同宣言を出すために、日本の田中角栄首相・大平正芳外相は、北京で、中華人民共和国の毛沢東主席・周恩来総理と会談し、その際、「尖閣諸島の領有権については、現時点では、棚上げにし、次世代の賢い方法・有効なやり方を待とう。」と取り決めているからである。しかし、日本は、次世代の賢い方法・有効なやり方を待たずに、支配し、尖閣諸島には領土問題は存在しないと言い続けているのである。日本人には、誰しも、日本人という自我がある。それが、愛国心があり、日本という国に対する思い・日本人に対する思いである。しかし、それは、自分がイメージした、日本という国・日本人である。つまり、愛国心とは、自分がイメージした、日本という国・日本人を愛していることなのである。端的に言えば、愛国心とは、言い換えれば、日本人という自我とは、自分を愛していることなのである。もちろん、中国人にも、誰しも、中国人という自我、つまり、愛国心があり、中国という国に対する思い・中国人に対する思いである。相手にも自我があること、つまり、愛国心があることに思いを馳せず、その両者の自我がぶつかったらどうなるであろうか。個人同士ならば殴り合い、国同士ならば戦争になるだろう。相手の自我に思いを馳せて、こちらがまず反省すべきことは反省し、譲るのである。そうすれば、相手も譲ってくれるのである。確かに、個人同士ならば反省したり、譲ったりすると、たいていの場合、美徳とされるだろう。しかし、国同士になると、必ず、感情的に非難する者が現れるのである。たとえば、日本の首相や外相が、中国に反省の意を示したり、譲ったりすると、石原慎太郎氏のような考えの人は売国奴と罵り、産経新聞や読売新聞や週刊新潮のようなマスコミは土下座外交と非難するだろう。それに屈しない政治家、それに煽られない国民が大切なのである。無人島よりも人の命が大切なのはわかりきったことだからである。

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