あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

悪女の深情け

2017-07-17 21:29:47 | 思想
連日、松居一代についての報道が、テレビの画面を賑わせている。私は、テレビ局の彼女のスキャンダルの取り上げ方については興味はないが、彼女が自ら発信しているというブログやYouTubeを民放全局のワイドショーが取り上げているので、彼女の真意を理解するために見ている。各局のワイドショーによって、彼女が、夫と週刊誌を非難している内容を知ることができた。彼女の行動は、深層心理の敏感な(強い)人の一典型である。彼女は、夫は浮気し、離婚して彼女の財産の相当部分を奪おうと目論んでいる、その証拠もあると言う。週刊文春に対しては、彼女の記事を載せる時には、必ず、前もって、その記事の全文を知らせてくれる約束だったのに、知らせてくれなかったと言って怒っている。週刊新潮に対しては、民間人の家にいる自分の姿を盗撮したと言って怒っている。私には、夫の浮気・彼女の財産目的の離婚願望、週刊文春の約束反故、週刊新潮の盗撮が真実なのかどうかはわからない。しかし、それらが真実だとしても、夫婦関係の問題については、内輪で、近親者や友人や弁護士に相談して解決すべきなのに、ブログやYoutubeを使って、一般大衆に知らしめるのは尋常ではない。しかし、それこそ、彼女の敏感な(強い)深層心理が創出した現象なのである。彼女の怒りの深層心理が強過ぎたために、自分自身も恥をかくからやめておこうという表層心理の抑制が効かなかったのか、最初から、そのような表層心理の働きがなかったように思われる。人間は、感情という深層心理が強過ぎると、理性による判断という表層心理の抑制が効かないのである。深層心理が敏感な(強い)人は、例外なく、感情の勢いも激しい。私は、この件以前のテレビ番組で、松居一代のことが印象づけられていた。その番組で、初めて、松居一代という人の存在を知り、そして、思わず、その番組を注視してしまった。その番組には、女性の雑誌記者から自らの夫婦関係について質問されて、松居一代は、「主人が浮気したら、私は、主人を殺します。刑務所に入る覚悟はすでに付いています。私は、主人を深く愛しているからです。」と答えていたからである。驚いて、私は、インターネットで、松居一代の結婚について、調べてみた。夫は、船越英一郎という俳優だった。彼は初婚、彼女は四歳年上で、前夫との間にできた一人の男児を連れての再婚である。私は、その時、「船越さんが結婚してくれたことに対してむしろ感謝すべきなのに、浮気したら殺すなんて、何てひどいことを言う人だ。」と思った。その時、船越英一郎に同情の念を禁じ得なかった。しかし、これは、彼女の船越英一郎に対する愛情の発露なのである。彼女が、このような非常識な、大胆な発言を、世間に公言できたのは、「絶対に別れない。どのようなことがあっても、別れてやらない。」という強い思いがあったからである。そして、この思いは、自らの愛情に対する深い自信からしか生まれてこない。だから、その時、その女性記者が、「松井さん、それは、あなたの究極のわがままではないですか。真の愛情ではないでしょう。」と詰問すると、彼女は、きっぱりと、「私は、主人の心の底から愛しているから、こう言い切れるのです。あなたは、本当に人を愛したことがないから、わからないのです。」と答えた。その女性記者は、二の句が継げず、絶句するしかなかった。確かに、女性記者の言うように、松居一代の発言は究極のわがままである。しかし、愛情の発露は、程度の差はあれ、常に、わがままを起源としている。わがままとは、自我に執着した発言や行為を意味する。この場合の彼女の自我は、船越英一郎の妻というステータス(社会的な位置)にある。彼女は、船越英一郎の妻というステータス(社会的な位置)に執着しているから、あのように発言したのである。愛は、常に、人間関係、自我、ステータス(社会的な位置)、執着、わがままを伴っている。「愛は盲目」なのである。言うまでもなく、「愛は盲目」とは、「人は、愛すると、その愛に捕らわれて、理性を失い、適切な判断ができなくなる。」ということを意味する。松居一代は、船越英一郎を愛したからこそ、その愛に捕らわれて、理性を失い、適切な判断ができなくなったのである。しかし、誰しも、人を愛すると、その愛に捕らわれて、理性を失い、適切な判断ができなくなってしまうのである。確かに、松居一代の発言や行為は、度が過ぎていると言えるかもしれないが、彼女のような言動も、また、愛情表現の一典型である。松居一代の性格は、決して、異常ではない。心理学者のラカンが言うように、「人間には、正常な性格、標準的な性格、普通の性格など存在しない。人間には、先天的に、性格に、傾き、個性がある。」からである。だから、ほとんどの人は、自分の性格に不満を抱き、理想とする性格、憧れる性格があるのだが、実現できないでいるのである。さて、今回の件を報道している、ある民放局のワイドショーで、彼女と一時的に生活を共にしていた八十代の女性が、「松井さんは、思いやりのある良い人です。ずっと一緒に暮らしたかった。」と言った。すると、男性司会者の一人が、「松井さんは、もう一つ、別の顔を持っているのですね。」とコメントした。この司会者は、人間を知らないのである。殺人事件が起こると、テレビ番組で、犯人のことを調べ、近所での評判が良かったり、会社内での評判が良かったりすると、司会者やコメンテーターは、よく、「犯人は、悪の本性を隠して、暮らしていたのです。」言う。彼らも、また、人間を知らないのである。人間は、いろいろな顔を持ち、いろいろな交流の仕方をし、いろいろな評価や評判を受けて暮らしているのが、普通なのである。良いならば良い、悪いならば悪いというような、一定の評価を受けて暮らしている人は、この世に、一人として存在しないのである。例えば、一人の女性でも、家族でいる時は長女、会社にいる時は会社員、友人といる時は友人、隣の人と話す時は隣人となるのである。それぞれの人間関係において、長女、会社員、友人、隣人というような顔を持ち、いろいろな評価や評判を受けて暮らしているのである。評価や評判が異なるのは当然のことなのである。だから、殺人犯と言えども、悪いという一定の評価や評判を受けて暮らしているのではないのである。さて、「愛は盲目」の典型的な例はストーカーである。彼らは、皆、「この世で、最もあの人を愛しているのは自分だ。」と思い込んでいる。この気持ちが、異常な執着行動の要因になっている。松居一代も、ストーカーの一人である。さらに、「愛は盲目」は、恋愛感情だけでなく、全ての愛に当てはまるのである。母親の我が子に対する愛も、そうである。最近のニュースで、自宅が火事になり、母親は、消防署に電話した後、二人の子供を助け出そうとして、三人共に、焼死した事件があった。彼女の行動は悲劇的であるとともに感動的である。決して、非難してはならない行動である。しかし、二人の子を愛するあまり、理性を失い、適切な判断ができなくなり、自らの命が失われる危険を省みずに、燃え盛る炎の中に飛び込んでいったのである。また、学校では、いじめによる自殺事件が跡を絶たないが、その時、必ず、いじめっ子の母親は、「うちの子は悪くない。自殺した子の家庭に原因がある。」と言う。我が子を愛するあまり、理性を失い、適切な判断ができなくなっているのである。我が子を愛するあまり、いじめられて自殺した子やその子の家族の心情を思い遣ることができないのである。逆に、周囲の者や世間から非難される我が子の心情を思い遣り、辛く思うのである。さらに、いじめっ子に育てたとして、母親としての自らが周囲の者や世間から非難されることを想像して、辛く感じるのである。そこには、我が子に対する愛情と自分に対する愛情しか存在しないのである。しかし、自分以外の人を愛しながら、自分に対する愛情も存在するのは、いじめっ子の母親の我が子に対する愛情だけではないのである。このことは、全ての愛に対して言えるのである。むしろ、人間の、ある人やある者やあることに対する愛は、自分に対する愛から発しているのである。だから、この世の全ての人は、愛に執着するのである。つまり、愛とは、究極的には、自己愛なのである。さて、今回、松居一代が、夫である船越英一郎の浮気や彼女の財産狙いの離婚願望を、ブログやYoutubeを使って、世間に告発している。しかし、彼女の怒りの真の原因は、夫である船越英一郎の浮気や彼女の財産狙いの離婚願望ではない。夫である船越英一郎の浮気や彼女の財産狙いの離婚願望を世間に公表すれば、世間が自分に味方すると思ったからである。彼女の怒りの真の原因は、船越英一郎の心が自分から離れたことである。松居一代は、愛する夫の心が離れてしまったことに気付き、深く傷付いたのである。もう夫婦関係は修復できないと気付き、心に深い痛手を負ったのである。自分の傷付いた心を癒やすために、復讐に転じたのである。だから、彼女は、今回の告発の目的を、「船越英一郎から心からの謝罪を勝ち取ること」としているのである。人間には、深層心理が敏感な人と鈍感な人がいる。深層心理の敏感な人は、心が傷付きやすく、人を愛する気持ちと共に人を憎む気持ちも強く、一旦、心が傷付くと、長い間、尾を引いてしまう。また、人間は、心が傷付くと、その対応の仕方によって、三種の型に分かれる。自分ばかりを責める人、自分と相手の両方を責める人、相手ばかりを責める人の三種である。松居一代は、深層心理が敏感で、心が傷付くと、相手ばかりを責める人なのである。哀れなのは、船越英一郎である。蛇に睨まれた蛙同然であった。しかし、彼も、彼女の発言や行為に、ある期間、深い愛情を感じ取り、幸福感に包まれていたはずである。だから、交際し、結婚し、結婚生活を維持できたのである。しかし、彼の心が、いつの頃からか、彼女から離れていったのである。その原因を、ワイドショーでは、彼女の強い嫉妬心であるとか、彼女が彼の過去の交際女性をマスコミに暴露したからだとか言うが、その真偽が明瞭ではない。概して、一般に言われるほど、人は、人を好きになった原因も、心が離れた原因も明瞭ではないものである。むしろ、何となくとか、いつの間にかとかの場合が多いのである。ところで、私は、テレビに映し出された彼女の発言を聞き、行動を見て、「悪女の深情け」という言葉を思い浮かべた。広辞苑では、「悪女を」「醜い女」という容貌の意味に取り、「悪女の深情け」という慣用句の意味を、「醜い女は美人に比して愛情や嫉妬心が深い」としている。しかし、松居一代は、広辞苑の言うような「醜い女」ではない。しかし、彼女は、「愛情や嫉妬心が深い」女性である。だから、「悪女」とは、深層心理が敏感で、心が傷付くと、相手ばかりを責める女性のことを意味するのである。松居一代は、愛情や嫉妬心が深いから、つまり、深層心理が敏感で、心が傷付くと、相手ばかりを責める女性だから、船越英一郎に対する恨みが深いのである。彼女は、「船越が、心から、謝罪したら、許してあげる。そうでなければ、最高裁まで戦って、船越の不実を暴く。」と言っているが、この言葉こそ、船越英一郎に対する恨みの深さを表している。このように、松居一代は、船越英一郎からの「心からの謝罪」を得るために、戦っている。しかし、第三者から見れば、松居一代が、船越英一郎から、「心からの謝罪」を勝ち取るという些細な目的のために、多額の金銭を遣い、多くの時間や大いなる労力を使い、世間に夫婦の恥をさらけ出しているのは、あまりに幼稚で、滑稽に映る。しかし、人間とは、松居一代に限らず。自らのプライドのためには、理性を失い、適切な判断をできなくなってしまいがちな、動物なのである。
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